アドバイス好きの教えたがりに付ける妙薬|ほーくさんの良記事を浄土仏教と共に味わう

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



あなたの周りに、やたら「アドバイス好き」や「教えたがり」は、おりませんでしょうか。
聞いてもいないのに「何何したらええねん。」とか、押しつけてくる輩に出くわした経験をお持ちの人も、いらっしゃるかと存じます。

また、自身が教えたがり体質だなあ、と、自己を顧みて思う所もある、と言う方もいらっしゃるやも知れません。



私も、アドバイス好きや教えたがりに、色々と有り難い(と教える側が勝手に錯覚している)アドバイスを、浴びせられた経験があります。

そのような経験から、「私は、こんなうざったいことはしないように心がけよう。」と、思うた事もしばしばありましてね。



ただ、そういう私も、アドバイス好きではありませんが、教えたがる時や、しゃしゃり出てしまう誘惑なり煩悩が燃えさかる事がしばしばありましてね。

この寺院(ブログ)でも、仏法を学んでいるからと言って、「知者の振るまいをせずして」と、戒めながら執筆しております。



このような、「アドバイス好き」や「教えたがり」である事の罠、落とし穴について、ほーくさんが改めて考えさせて下さるきっかけとなる良記事との御縁を賜りました。

いつも有難う御座います、ほーくさん。



今回は、「アドバイス好き」や「教えたがり」にならぬ智慧と共に、そういう人達との付き合い方のヒントになる話を致します。

うざがらたり、場合によっては関係も崩壊しかねない危険を把握し、やらかしてしまわない智慧に昇華して頂ければ、嬉しゅう御座います。

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「アドバイス好きの教えたがり」について考えさせて頂ける、ほーくさんの良記事

今回の話をしようと思い立ったきっかけは、前回も紹介させて頂いた、ほーくさんの良記事に御座います。



連続してほーくさんの良記事を元に話すわけですが、それほどに「気づきの感性」をお持ちの方であると、私も見習う事として頂いております。

また、実は今回の話は、前回の話と関連しており、併せてお読み頂く事によって、更に理解が深まり、智慧として頂けます。



参照記事:「「あえて言わない」「答えを教えない」と人を試す事の落とし穴|コンサルタントや指導者は10回読むべし」



ほーくさんは、Twitterや仕事の仕方の素晴らしさ、ブログの記事を拝読していると、着眼点を学べる上に、自覚的に生きていらっしゃるという事が読み取れます。

更に、仏教仏教しているわけではないのに、仏法を学べる気づきを頂けまして、非常に有り難き縁、善き縁で御座います。



今回、紹介させて頂きます、ほーくさんの良記事は、こちらです、一度3度は精読してから、戻ってきて頂ければと存じます。



ほーくさんの参照記事:「それ聞いてない!ポジティブになるアドバイスを受けるための3つの方法」



はい、お帰りやす。



ほーくさんはこの記事で「アドバイス好きで教えたがりな連中との距離」について、智慧を伝えて下さっています。

同時に、「アドバイスしたがる人と良い経験を積んだ人の違い。」という話を読まれて、そこから自己を顧みながら、「アドバイスする者の振る舞い・姿勢」について、話して下さっています。

冒頭の「ぼくもアドバイスで人をネガティブにしちゃってるんじゃないか?」という部分に、それが顕れています。

まさに「自己を顧みる・自己の定点観測を怠らない」「自覚的に生きる」の体現者であると、お見受けしております。



ほーくさんの「ポジティブになるアドバイスを受けるための3つの方法」は、アドバイスを受ける側の姿勢と共に、アドバイスする側の姿勢も学べます。

ゆえに、特にコンサルタントや先生と呼ばれる職種の方は、10回以上精読すべし、と申し上げたい。

「アドバイス好きの教えたがり」について:私の体験

聞いてもいないのにアドバイスしてくる、教えたがりな輩について、私の体験をお伝え致します。



私は、学生時代に本屋でアルバイトをしていた時代、アトピー性皮膚炎と共にありました。

顔から出血するほどの時もあったのですが、そういう私の姿を見て、先輩に当たるおっちゃんが「君はアトピーか?」と、尋ねてきましてね。



私が「そうですよ。」と答えると、ここから専門家ぶった、非常に有り難くないアドバイス攻撃が始まりまして。

「アドバイス攻撃」と申し上げましたが、やられている方は本当に「攻撃されている」と思う事があります。



内容は「玄米食うたらええねん。」「海入ったらええねん。」「ステロイド化合物塗ったらええねん。」などなど。



正直、「おたくのアドバイスこそ、もうええねん。」って、思いました。



しかし、私は気が弱かったから、「はあ。」と、頷くだけしか出来なかったのが、情けなかったかなあ、と思います。

現在は仏教者として、そこに執着せず、これを反面教師として「私は、このような振る舞いはしないぞ。」と、過去を今に活かして、良縁と昇華していく事を心がける次第であります。



あなたは、こういう「聞いてもいないのに、やたらとアドバイスしまくる輩」を、どのように思われますか?



ほーくさんは、聞いてもいないのに、教えたがりからアドバイス攻撃を受けると「疲れる」と仰っていますが、私も共感しておりまして、本当に疲れます。
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なんと言いますか、あの独特の疲労感は、勘弁願いたい。

ほーくさんの記事に学ぶ「アドバイス好きの教えたがり」の怖さ:人を壊す仕組み

アドバイス好き教えたがりによる、相手を顧みない勢いの「アドバイス攻撃」は、時として相手を壊したり、相手との関係を壊す事に繋がります。



そのことについては、ほーくさんが記事中で「聞いてもないのにアドバイスするのは人をつぶす」という見出しで、三つに絞って的確に伝えて下さっています。

この中で、「これはまさに。」と共感し、私自身も陥った事がある話があります。


「成長するためには苦しいことや辛いことから逃げずに耐えないといけない」って価値観が広がっているせいか、そうした苦痛や違和感の先に幸せがあると信じてダラダラ続けちゃう人も多いでしょう。

ぼくもそういう風に考えてた部分があったんですが、最近「その考え方はちょっと違うな」と思うようになりました。

※ほーくさんの「http://hawk-a.com/nolisten-noadvice/#i-2」より引用



この話は、「苦労は買ってでもしろ」だとか、「人のアドバイスは素直に聞かなければならない」という空気感や外圧に反論出来ない人や気が弱い人、素直な人は、注意すべき事柄です。



特に、「守・破・離」が一人歩きしている昨今の「守破離信仰」的な価値観・社会通念に毒されていて、守破離を盲目的に善としている人は、要注意。



守破離思想は、確かに大切な智慧ですが、それを自己正当化するために「守・破・離」を用いている輩が散見している現状が御座います。

このような現状を感じている最中、私はほーくさんの言説から、改めて「「守・破・離」との距離感や頂き方」を、問うに到りました。

ほーくさん、よくぞ言って下さいました、と、御礼申し上げたい。合掌。



確かに、素直に人のアドバイスを聞いて実践する事は、間違っているわけではありませんし、何事においても初学者の段階では、考慮すべき在り方です。

素直にアドバイスに従って実践し、それで失敗しても、それを活かして次の一歩を踏み出す事には効能もありましょう。



しかし、これが行き過ぎて無理がたたると、私の様に「折角、私のために言ってくれたことも、満足に出来ない駄目な人間だ」と自己否定に繋がり、そこからうつ病等を発症したり、精神を追い詰められるに到ります。



「素直である事が大切である」という事に囚われている人、気が弱くて押しに弱い人、そして私の様に「悪人の自覚」がある人は、教えたがりの餌食になりやすいものです。



助言したり、何かを指導する立ち位置にある人は、聞かれてもいないのにズケズケとアドバイスする事は、このような危険もあると言う事を、お忘れ無きよう。

前回の話にも通じますが、「言わない、教えない事による責任」と共に、「言ったこと、教えた事による責任」も、あるのですよ。

アドバイス好きの教えたがりが陥っている精神状態・現象:「智者の振る舞い」と「雑毒の善」

アドバイス好きの教えたがりが猛威を振るうことの怖さは、上の話で把握して頂けたかと存じます。



では次に、アドバイス好きの教えたがりに、自らがなってしまわない方向の話を致しましょう。

特に、先生であったり、コンサルタントなどの指導的立ち位置の人、会社の上司として部下を持っている人にも言えることですが、そういう人達に知っておいて欲しい事柄です。



この事は、ほーくさんが「教えたがりになってしまう傾向」について、わかりやすく解説して下さっています。


距離感が近くなると、どんどんその傾向が強くなってきます。特に年上・年下の関係だと年上の人はたくさんアドバイスしちゃうんだろうなぁと思ってます。

※ほーくさんの記事「http://hawk-a.com/nolisten-noadvice/#i」より引用



あなたもありませんか、部活動の先輩や会社の先輩に対して、「え、もうそんなに距離縮めてくんの?」というくらいに、アドバイス攻撃をされた事。

もしくは、ご自身が「ああ、やっちまった」と思うような教え方やアドバイスの仕方をやらかした事。



これは、私もついついやってしまう事が御座います。

親しくなった人に先輩風をふかせて、アドバイスを押しつけてしまった事もありまして、自戒とさせて頂いている言説に御座います。



教えたがりによるアドバイスの押しつけと言えば、反論をさせない決まり文句に、こういうのがありますね。



「お前のためを思って言っているんだ。」

「あなたのためなのよ。」



これ、本当に厄介な「反論封じ」の一言です、余計な一言とも言いますが。



これを言われた場合、最近の私は次のリンク先のことを考えてしまいます。

参照URL:「真実のカウンセリング「あなたのため」~マンガで分かる心療内科」



ようするに「自分のため」なんですよ、教えたがりが言う「相手のためのアドバイス」ってのは。



仏教には、その事を戒めて下さる教えが御座います。



法然上人は、「一紙小消息」にて、次のように仰っています。



「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」



これは、お念仏の教えではありますが、私は毎日読ませて頂き、生活信条として頂き、実践しております。

この文章も、「智者の振る舞いをしていないだろうか。」と、定点観測しながら綴っております。

そうはいっても、なかなか実践し切れていないという自覚があり、だからこそ、毎日読ませて頂いております。



また、法然上人の教えは浄土宗の勤行で毎日頂くのですが、真宗・浄土真宗にも、今回の「教えたがり」を戒める教えが御座います。



それは「雑毒(ぞうどく)の善」



「雑毒の善」とは、煩悩が混じった善で、どのような善行も自分都合の入り交じった、自分にとって快楽ともなるような善行の事を言います。

「人の善行は全て雑毒の善である」という、何ともドキっとする御教えです。



誤解しないように注意しておきますが、社会貢献や、人に助言・アドバイスをしたり、教えるべき事を教える事が悪いと言うことではありません。

教えるべき事を教えたり、本当に相手のためになるアドバイスを手渡したとしても、それはどのような在り方・姿勢で行っているか、その問いに自覚的であるか、という事を問う教えである、と言う事です。



人は、相手に何かを教えて、それによって相手が上手く行くと、ついつい「俺が教えてやったからだ」と思うてしまう事が御座います。

その刺激が生起する事自体は、人の性質ゆえに、仕方のないことです。



問題は、そこから生じる煩悩や快楽に浸りすぎてしまうことです。



今回の話で言えば、ほーくさんが引用された話に通じます。


自分はすべての事象の理解してるんだ、自分は無知で無学なあなたのためを思って指摘しているんだと振る舞う。

※参照URL「http://blog.hideshima.net/entry/ADVICE」より引用



酷い場合ですと、そのアドバイスや教えられたことを実践していないと、「折角教えてやったのに実に怪しからん!お前のためなんだぞ!」と、更に押しつけてくる始末。

そんな輩に、生真面目に付き合っていたら、そりゃ疲れますし、精神も追い詰められますがな。



こういう輩に対して、ほーくさんが提唱して下さる「心の健康のためにそっと距離を置く」というのは、実に賢い対処方法です。

相手を怒らせて、無用な争いに発展させないために「そっと」というのが、ポイントですね。

「アドバイス好きの教えたがり」と「あえて言わない、教えない」の間で:仏教を通して観る

今回の話は、前回の話と、ほーくさんのこの記事を読んで頂ければ、「え、前と言ってることが違うんじゃない?どっちやねん?」と、思われたかも知れません。



参照記事:「「あえて言わない」「答えを教えない」と人を試す事の落とし穴|コンサルタントや指導者は10回読むべし」

ほーくさんの参照記事:「人を試すことにメリットはない。「あえて言わない」は人を壊す」



確かに、一方は「あえて言わない、教えないのは相手を壊す」と言っておきながら、一方では「アドバイス、教える事は相手を壊す」と、真逆のことを言っております。



しかし、この二つの事は、同時に問い、考える事が大切なのです。



私は、この二つの事柄を、同時期にご自身の体験も踏まえて発信された辺りに、ほーくさんの伝導者としての在り方と感性・センスを観じました。

また、宗教的センスと言いますか、仏教的なセンスも観じましてね。

私自身、本当に大切な問いを頂ける方であると、見習う事として頂いておる次第です。





この、一見すると相反する「教える」「教えない」を同時に問い、実践レベルにまで落とし込む事を、仏教・仏法を通すと何が見えてくるか。



「あえて何も言わない、何も教えない」も、「聞いてもいないのにアドバイスする」は、伝導という活動において、両極の事柄です。

でも、両極があると言う事は、同時に「挟まれている部分:幅」が構造として出来上がるのは、必然のこととしておわかり頂けるかと存じます。



そして、この幅の大きさが、前回話した「対機説法」の的確さに大きく関わってきます。



伝え方の幅が広いと、伝え方の多様性を備えることにもなり、相手に併せたアドバイスの仕方や教え方も多種多様になります。

例えば、聞かれた事に応えた方が良い場面では、相手が聞いてくるまでじっと待つ事が出来ます。

こちら側から、ある程度突っついた方が良い相手には、相応の対応が出来ます。

何も言わなくても、誰かに観られているだけで力が発揮する人には、フォローするだけに回るという対応の仕方も出来ます。



このように、両極からきちんと問いを立てることにより、応じられる幅も広くなり、相手に応じる能力も高まります。

これはすなわち、コンサルタントとして、指導者として臨機応変に振る舞う事を可能にします。



ゆえに、私はコンサルタントや先生といった、指導的立ち位置の人には、ほーくさんの記事を10回読むべし、と申し上げておる次第で御座います。

特に、ほーくさんの「相談されたときに真剣に相手と向き合いたい」「聞かれたときには相手と真剣に向き合える関係性を作りたいんです。」という部分は、勤行にしてもよい程に。


このほーくさんのつぶやきからも、「相談されたときに真剣に相手と向き合いたい」という決意を感じるところに御座います。

アドバイス好きの教えたがりとの距離を置く妙薬

今回は、ほーくさんの良記事から、「聞いてもいないのにアドバイスをしてくる教えたがり」について、お伝え致しました。

自身がこうならぬための戒めとして、また、そういう輩と適切に距離を置く妙薬なる智慧として、味わって頂ければと存じます。



味わいと言えば、ほーくさんは、アドバイス好きの教えた我利と距離を置く際に、このような台詞を紹介して下さっています。

聞いてもないのにアドバイスされたら「来世で検討します」という



仏教者、宗教者としては、「来世」という部分に注目するところであります。

実際にやるかどうかはともかくとして、心の中で言うくらいの距離を取る振る舞いは、あってもよいかと思います。



ちなみに私は、ある画像と、次の台詞を連想しますよ、言うかどうかは別として。


「お前がそう思うならそうなんだろう、お前ん中ではな。」



Twitterなどの、いわゆる「クソリプ返し」にも使えます。



聞いてもいないのに、あーだこーだと有り難くないアドバイス攻撃をやらかす、教えた我利(教えたがり)のクソリプ的なアドバイスは、時として精神の健康を害します。

ブログやTwitterでしたら、×ボタンを押すかすれば離脱できますが、顔を合わせなければならない場合では、なかなか辛いものが御座います。

これを「怨憎会苦(おんぞうえく)」と言いまして、人の四苦八苦の一つとして数えられる苦です。

今回の話から、「怨憎会苦」にやられないよう、ほーくさんの智慧から学び、心の健康・精神の健康のために、上手な距離の取り方を培う一助となりましたら、嬉しゅう御座います。



合掌、礼拝



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