ニャーナラトー師の瞑想会in京都(通い方リトリート2日目)|何度も瞑想をして濃密かつ学び多き二日間

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



前回に引き続き、2017年9月17日(日)と9月18日(月)の祝日に開催されました、ニャーナラトー師の瞑想会・通い方リトリートについての話です。




今回、私はこのような通い方合宿の瞑想会・リトリートに参加するのは初めてです。

更に、ニャーナラトー師という、イギリスのお寺で副住職をされているお坊さんから瞑想を教わるという、有り難き御縁を頂けましたこと、深く感謝申し上げる次第で御座います。



二日間の日程で行われた、通い方のリトリート。

このような形式での瞑想会への参加が初めての私にとって、とても濃密かつ学び多き時空間と相成りました。

24時間不断念仏をした事はありますが、二日にわたって集中的にテーラワーダの瞑想をするというのは、初めてでありましてね。



尚、前回も冒頭で申し上げましたが、最初の段階で同じ注意事項をば。



瞑想会では、ニャーナラトー師が善友の質問に応えて下さる時間があるのですが、内容によってはプライベートな事柄にも触れるがゆえに、この寺院(ブログ)で、手前勝手に伝える事は致しかねます。

また、直接相対して、瞑想会の時空間と文脈だからこそ、伝えられると言う事もありますから、その辺りの内容については慎重に吟味した上での話になりますから、伝えられないことの方が多いかと存じます。

下手に話して、混乱を招くわけにはいきませんからね。



それゆえに、今回も前回と同じく、タイムテーブルなどの事務的な話が多くなり、私個別に起こった現象を伝える、というところに留めます。

これについては、今回に限った話ではなく、講義・講座や各寺院での御法話、プラユキ・ナラテボーさんの瞑想会や別時念仏会等の報告とも同じ感じになります事、予め注意申し上げておきます。

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ニャーナラトー師の瞑想会in京都:通い方リトリート2日目の内容前編

ニャーナラトー師の瞑想会in京都、二日目は、9時15分から会場を開けて下さっているということで、私は9時30分までに到着しまして。



10時から、御法話と瞑想の実践が始まるのですが、それまでは自主練と言いますか、自身で瞑想をさせて頂けます。

と、言うわけで、私も時間まで30分ほど、半跏趺坐で坐る瞑想をしておりました。



10時になりまして、ニャーナラトー師の御法話を頂き、昼食前に30分程、一同で座る瞑想をば。

私は、瞑想のプログラムが始まる前までは、半跏趺坐という脚の組み方で、坐禅をしておりまして。



その時、私は手を「法界定印」という形で組むようにしておりましてね。

これは、東福寺の塔頭人であったり、「十夜フェス」という十夜法要の時期に、禅宗のお坊様方から教えて頂いた手の組み方です。

ニャーラテトー師からは、手を膝の上に乗せ、掌を上向きにする方法と下向きにする方法を教わり、今回の瞑想会・リトリートにて、初めて実践する事と相成りました。



二日目の午前中の坐る瞑想は、脚は半跏趺坐にして、手を膝の上に置いて、掌を上向きにして、じーっと30分ほど坐っておりまして。



ただ、坐り方が悪かったのか、段々としびれてきていることを自覚するようになり、終了の時には、殆ど感覚がなくなっており、じんじんになっておりました。

なんと言いますか、手を挟んで寝てしまって、起きたら手が暫く動かず、血が通い出すと「じーん」とする、あの感じです。

私の骨格や筋肉の付き方が、欠陥と神経を圧迫してしまうのでしょうかね。



この型での長時間に及ぶ瞑想は、今後続けて出来る肉体の位置を研究することにします。

その時も、気づきを絶やさずに。



午前の部が終わり、11時30分頃に昼食時間となりまして、私は外に出て、浄土宗の食前の言葉を申し上げてから、購入していたサンドイッチを黙々と食しまして。

その後は、少し歩く瞑想をしてから、瞑想会場に戻って、チャルーン・サティを。

昼食後の各々が各々の在り方で過ごす自由時間において、前半は手動瞑想をして、後半は指動瞑想をしておりました。



ちなみに、この瞑想をしていたお陰様で、沈黙の行を終えて話をするようになった時、声を掛けて下さる方もいらっしゃり、善友と顔合わせする御縁を賜りました。

有り難き御縁に御座います。合掌、礼拝。

ニャーナラトー師の瞑想会in京都:通い方リトリート2日目の内容後編

ニャーナラトー師の瞑想会in京都、二日目の後半は、坐る瞑想から始まりました。

食後の坐る瞑想というのは、どうしても眠気がやってくる、という注意事項を頂いたのですが、私は暑がりゆえに、暑さで眠さはやってきませんでした。



ただ、上述した通り、どうも腰を入れて坐ると、腕や脚、手足が、特に右腕がもの凄くしびれて、流石に途中で少し身じろぎしまして。

ガチガチのやり方では無く、少し動いたら「喝!」と、警策フルスイングを食らうという事はありませんし、無理はしないように、とも頂いてはおりまして、そこは「まあ、仕方なし」とは思うたのですがね。

自宅で使っている、坐蒲(ざふ)の代わりにしている丸いクッションがあるのですが、それだと結構持つのですがね。



ただ、なんでしょう、こう、不思議と「うーわ痺れてる、嫌だ、嫌だ、もう駄目だ!」とは、なりませんでした。

しびれている状態でも「ああ、しびれているなあ。」と、その事が気づきの装置なりマークとなり、そうして坐る瞑想が終わりまして。

まさに、「今、ここで立ち現れている行」が、そこにあった、という事を頂いた、という感じでありました。



そして、次は歩行瞑想を行ったのですが、今回は台風も過ぎ去り、晴れていた事もありまして、歩行瞑想を2回に分けて行う機会に恵まれました。



私は普段、散歩がてら歩く瞑想に出かける事がよくありますが、こうしてがっつりと、歩行瞑想を行じるのは初めてです。

しかも、京都水族館もある場所で、大勢の人で賑わう、まさに日常の中で歩行瞑想をするという、まさに通い方リトリートの恩恵を頂けている仏道修行をさせて頂いているような、そんな事を観じたもので御座います。



このような、「日常の中で、娑婆にいながら仏道を歩む・仏道修行に励む」という事を思うた時、維摩経で維間居士がブッダのお弟子さんに仰った場面を、ふと思い出してみたり。



参照記事:「100分de名著:維摩経(釈徹宗さん解説)第2回放送の復習|得意分野を揺さぶる」

参照記事2:「「100分de名著:維摩経」総集編|まとめページ」



歩く瞑想を終えた後は、瞑想会で募っていた質問に、ニャーナラトー師が応えて下さりながら、仏法を伝えて下さる御法話へ。

その内容については、プライベートな事柄に触れる事も有るから、詳しくは触れません。

それと、まだ私もきちんと理解しておらず、これから復習をして、じっくりと味わいながら学び、頂く事にしておりますから、その辺り、ご容赦下さればと存じます。

わかったつもりになって、見当違いのことを申し上げても、混乱を招くだけですからね。



質疑応答と御法話も終わり、最後に15分ほど、坐る瞑想をして、二日間の瞑想リトリートが終了しました。



その後は、場所を変えて懇親会へ。

参加者のほとんどの人が参加した懇親会で、沈黙の行も終えたような空気になり、私もTwitterはお互い知っていた善友なる方々と交流致しまして。

ただ、冒頭でも注意申し上げました通り、懇親会の内容は、かなり個人的な話やプライベートの部分に触れる事柄ですから、ここでは語る事は致しません。



二日間に及ぶ、ニャーナラトー師に学ぶ通い方リトリート・瞑想会in京都は、こうして全てのプログラムを終えました。

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初めて、がっつりと瞑想を沢山する御縁を頂けた二日間

今回、私は初めてニャーナラトー師の瞑想会・仏法を伝えて下さる会に参加しました。

更に、日をまたいでの瞑想会、通い方のリトリートというのも、初めての体験でありまして、ここまでがっつりと朝から夕刻まで、帰ってからは夜も瞑想をするというのは、初めてです。



日常生活においては、朝と夜、浄土宗の勤行の後に、坐禅とチャルーンサティ・手動瞑想をしますし、歩いて出かけるときは、歩行瞑想を意識的に行じております。

歩行瞑想・歩く瞑想をしたかと思えば、「なーむあーみだーぶー」と、念仏行脚をする時もありますがね。

ただ、まとまった時間にがっつりと瞑想をするのは、プラユキ・ナラテボーさんの瞑想会で経験はしておりますが、日をまたいでの通い方リトリートという形体は、今回が初めてでありまして。

日常と接点が濃いリトリートの恩恵

そして、日常と接点が多い場所、日常と遠くない場所で瞑想をするというのも、有り難き事でありました。

合宿をしてまでの瞑想というと、瞑想センターや山奥や森林の中のお寺で行ずる、というのが、よく連想されるところでありましょう。

私も以前は、そういうイメージがありましたからね。



そのような瞑想合宿も確かにありますし、10日間ほど瞑想に集中出来る場所に籠もって、只管瞑想、瞑想三昧という修行形体も、探せば確かに御座います。

ただ、この「通い方リトリート・日常と接点が多い形態の瞑想会」は、まさに、私がいつも申し上げている「仏教は忍土を生き抜く智慧」「生きる智慧としての仏教」とも、親和性が非常に高い、と、味わった事に御座います。



瞑想は、修行者、僧侶だけのものではなく、在家の私達も出来る修行であります。

瞑想側が、「この人は修行者だから瞑想してもよし、こいつは在家だからやっちゃだめ」なんて差別しない事でありましょう。



そして、以前に私が体験・実践したように、日常でも瞑想を行じる事、日常生活の動きを瞑想修行の場とする事だって出来るもので御座います。



参照記事:「日常生活の中で出来るマインドフルネス瞑想の方法|プラユキ・ナラテボーさんから教わった事」

参照記事2:「手動瞑想を続ける日常生活での実感|「気づきの瞑想」の効果を頂ける日暮らし」



私のような娑婆世界に生きる凡夫にとって、日常生活は本番であります。

この事は、私が以前から「行住坐臥これ修行の場、歩歩是道場」と申し上げております通りです。



瞑想や仏道修行は、お寺であったり瞑想会・リトリートだけのものではありません。

もちろん、サンガ的な集まりであったり、瞑想会・リトリートやお寺で坐禅する等も、大切な事に御座います。

ただ、以前も申しました通り、仏道修行はお寺や限られた場所だけの事では無く、日常全てにおいて行ずる事が出来る、と、私は頂いており、日々実践しておるところに御座います。



今回のような形体、日常と近いところ、接点が多い瞑想会・リトリートは、日常で瞑想を行ずるという事に移行しやすい、日常という本番で瞑想をするに移行しやすい、そのような環境であるなあ、と、味わった事に御座います。

その瞑想会・このリトリートという時空間・文脈だからこそ伝わることがある

前回と今回で、ニャーナラトー師の瞑想会in京都、二日間の通い方リトリートに参加した事柄をお伝え致しました。



参照記事:「ニャーナラトー師の瞑想会in京都(通い方リトリート1日目)|執着と中道について更に学ぶ」



ただ、前回と今回の冒頭でお伝えしました通り、お伝え出来なかったことも多々御座います。

また、詳しい内容であったり、具体的なメソッドや仕方・方法論については、誤解を生じないために、あえてお伝えしませんでした。



きちんと知りたい、という方は、是非とも、ご自身が実際に瞑想会に参加することで学び実践される事が宜しかろうと存じます。

瞑想については、一度はきちんと指導者に直接教わる事の大切さについては、、瞑想や仏道修行の話をする時に、常々申し上げている通りで御座います。



もしも、ニャーナラトー師の瞑想会に参加したいという場合は、今回の瞑想会を主催して下さいましたコマメさんという方が、情報発信して下さっています。

コマメさんが運営されているブログをお読み頂ければ、瞑想会の日程など、アナウンス・情報伝達が御座いますから、そちらを熟読して頂ければと存じます。



参照先:コマメさんのブログ「コマメディア〜史上最弱の仏弟子コマメ〜」



この場をお借り致しまして、主催して下さったコマメさん、スタッフの方々、仏法を伝えて下さいましたニャーナラトー師に、篤く御礼申し上げます。

誠に有難う御座います。合掌、礼拝。



もしも、あなたとお目にかかる御縁が御座いましたら、沈黙の行が終わってから、お声がけを頂きますれば、大変嬉しゅう御座います。



合掌、礼拝

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