御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。
あなたは、何らかの不安をお持ちでしょうか?
突然、こんな尋ねられ方をしたら、直ぐにはパッっと答えられないやも知れませんが、日暮らしの中で大なり小なり何らかの不安は御座いましょう。
現代社会においては、何かと不安になる悩み事や、不安の種というのはあちらこちらにありますからね。
不安を解消する方法などの自己啓発的な本が、本屋に沢山な欄でいいることからも、不安解消市場はいつの世も大盛況だと感じるところであります。
そのような不安につけ込んで、財産を奪う我利我利亡者がいるのが、悲しいところではありますが。
今回は、そんな自己啓発的な詐欺師や我利我利亡者に毒されぬヒントにもなる智慧を、私の体験も通してお伝え致します。
Contents
何となく不安という不安感を解消する力となるマインドフルネスや瞑想
現代社会では、不安を煽られる事もあったり、やたら不安になる情報が蔓延しております。ビジネスの世界では、実はこの「不安を煽る」というのは、マーケティング手法として確立されており、我利我利亡者がよく使っております。
特に気弱であったり、不安感を持ちやすくて悩みやすい人は、不安解消は切実な課題でありましょう。
その不安を解消するための一つの方法論として、現在は「マインドフルネス瞑想」を始めとした、瞑想が人気を集めております。
最近は、Googleと瞑想の話も出版されておりますし、瞑想教室や講座も数多く開かれております。
私も、マインドフルネス瞑想会に参加させて頂いた事があり、瞑想についての教義と実践を同時に学んで来ました。
私の場合は、プラユキ・ナラテボーさんというタイのスカトー寺で副住職をされている、日本人比丘(びく:僧侶のこと)から、直接瞑想指導を受けております。
私は、瞑想を学び実践している中で、瞑想には種類も方法も様々であると把握しております。
その中で、プラユキ・ナラテボーさんの瞑想は、私は勝手に「救い型瞑想」と呼んでいます。
この「救い型瞑想」が、不安解消に力となってくれるマインドフルネス瞑想であるということを、実践して体感して参りました。
ここで一つ、言葉についての定義と言いますか注意点をば。
私、「マインドフルネス瞑想」と打ってますけれど、「マインドフルネス」は「気づき、気づく事」という意味です。
瞑想には、「慈悲の瞑想」など色々ありますが、今回は「気づきの瞑想」を教わっておりまして、その方法を不安解消のヒントやエクササイズとして、あなたにお伝えするという趣旨で御座います。
マインドフルネス瞑想と表現した方が、一般的にわかりやすいし、言葉としても浸透しているから、より理解しやすい配慮であることを、ここで伝えさせて頂きます。

プラユキ・ナラテボーさんに教わった不安解消のマインドフルネス瞑想1:手動瞑想
私がプラユキ・ナラテボーさんから教わった、不安解消の力となってくれるマインドフルネス瞑想は、3種類あります。3種類の内分けは、「呼吸瞑想」「手動瞑想」「歩行瞑想」です。
そのうち、手動瞑想と歩行瞑想については、動作が伴う事により、身体性のある瞑想と言う事で、よりマインドフルネス(気づき)に到達出来る事から、今回はこの二つをお伝え致します。
最初に取り上げるのは、プラユキ・ナラテボーさんが動画でも教えて下さる「手動瞑想」です。
百聞は一見にしかず、YouTubeの動画を観て頂くのが最もわかりやすいでしょう。
手動瞑想は、両手を「ぱっぱっぱっ」と動かしていき、「今、ここの手」に、気づき続けていくという瞑想です。
もしかしたら、全然瞑想と思われないかも知れません。
坐禅会の体験がある人は、「え?動いてるじゃん、じっと坐っているのが瞑想じゃ無いの?」と思われる人がいるかと存じます。
今回の手動瞑想は、あくまで「今、ここ」に気づくというマインドフルネスな瞑想です。
この手動瞑想は、「今、ここの手」に気づく事により、過去や未来に引っ張られている意識を、動いている「今、ここの手」に気づいて「今、ここ」に戻って来る、という瞑想です。
これが、不安解消にどのように繋がっているのか、というのが、あなたも気になるところでありましょう。
不安や悩みというのは、「今、ここの不安や悩み」もあるでしょうが、「将来の不安」であったり、「過去にしくじったことを引きずっているという悩み」など、未来や過去の出来事であることが多いものです。
手動瞑想を毎日している私でも、ふと将来の不安や、過去の失敗なり傷つけられた事がフラッシュバックして悩みとなることに、しばしば遭遇しております。
そのような時に、「今、ここ」で手を動かして瞑想する事により、将来の不安や過去の悩みから、一旦は「今、ここ」の現実に戻って来ることが出来て、未来や過去の不安や悩みから離れる事が出来るのです。
これは、不安や悩みを魔法のように解消したり無くす事や、隠して無かった事にする、といういみではありませんから、そこのところを注意する事は必要です。
そういうのは、単なる現実逃避であり、それは瞑想ではありませんから、ご注意をば。
そうではなく、不安でがんじがらめ、仏教では「自縄自縛(じじゅうじばく)」と言うのですが、そのような状態から、一歩前に進めるための気づきの瞑想が、この手動瞑想なのです。
不安解消に、手動瞑想という身体性のある瞑想が力となってくれる智慧やエクササイズであるのは、こういった仕組みです。
プラユキ・ナラテボーさんに教わった不安解消のマインドフルネス瞑想2:歩行瞑想
私が、プラユキ・ナラテボーさんから直接教わったマインドフルネス瞑想で、動きを伴う身体性のある瞑想として、二つ目に紹介するのが「歩行瞑想」です。歩行瞑想については、もしかしたら瞑想の本やマインドフルネス瞑想の本を何冊か読んでいる人なら、ご存じかも知れませんね。
有名なところでは、原始仏教サイドの僧侶、小池龍之介さんやアルボムッレ・スマナサーラさん辺りが、わかりやすい本を出して下さっています。
私も読んでおりますが、彼らの歩行瞑想は、動きを逐一言語化して実況中継する「ラベリング」という手法を用いた歩行瞑想です。
プラユキ・ナラテボーさんの歩行瞑想は、それらの歩行瞑想と違って、詳細にラベリングしていく瞑想ではありません。
あくまで、「ぱっぱっぱっぱ」と、「今、ここで歩いている脚・足」に気づいて行く歩行瞑想です。
歩行速度も、普段歩いている速度でOKですし、瞑想初心者でも比較的入りやすい歩行瞑想であると、講座で体感して参りました。
方法としては、手は前か後ろで組んで(私は前で法界定印という印を組みます)、歩くのは普段の歩き方と速さでOKです。
そして、一歩一歩確実に、「今ここ、今ここ」に気づきながら、丁寧に歩いて行きます。
そうすることで、不安や悩みから一旦離れ、次の一歩をどのように進めていくかを、「自らに由る」という意味で「自由」に決める事が出来るという事柄にも、気づきます。
この「今、ここに気づき、次の一歩を自由に」という気づきが、不安解消や悩み解決となる次なる一歩・一手を打つ智慧となるのではないでしょうか。

不安解消にマインドフルネス瞑想は力となる智慧だが注意点もある
今回、プラユキ・ナラテボーさんというお坊さんから、直接マインドフルネス瞑想を教わってきたことと、その体験談や効果をお伝え致しました。現代社会を生きている中で、どうしたって不安や悩みというものは、ふつふつと沸いてくるものです。
私の経験上、うつ病であったり不安障害といった、病的なレベルの場合は、速やかな診断や心療内科・精神科での治療が必要です。
そこまでではなく、ただ何となく不安、漠然とした不安感や悩みは、大なり小なりお持ちの方も、多くいらっしゃるというのが、娑婆世界を生きている中での私の体感で御座います。
そういった、「何となく不安である」「こんな不安を解消したい」という願望があるから、あなたはこの文章を読んで下さるのでありましょう。
今回お話ししたマインドフルネス瞑想の実践は、そのヒントであったり、智慧であると、私の体験から申し上げられる事です。
ただ、マインドフルネス瞑想をしただけで、今のあなたが抱える不安や悩みを、完全に、また直接に解消は出来ません。
ヒントや智慧を得る一助となるのは確かでしょうし、人によっては不安や悩みを上手く解消する気づきを、瞑想実践の段階で得られる人もいらっしゃいます。
それは、プラユキ・ナラテボーさんの本「苦しまなくて、いいんだよ」でも、実例としてあげられています。
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今回の話で言えば、「マインドフルネス瞑想をすれば、たちまち不安や悩みが完全に解消される」ということですね。
確かに、不安や悩みの解消に力となる仏教由来の智慧の実践ではありますし、不安が消えて無くなる例え話も仏教にはありますけれども。
この辺り、どうもマインドフルネス瞑想がメディアを通して良いところばかり強調されたり、誇大広告気味な言われ方をしているから、誤解を生じているという風潮を感じます。
もちろん、今回お伝えした、プラユキ・ナラテボーさんの手動瞑想や歩行瞑想は、解消に繋がる次の一歩を踏み出せる事に気づく事が出来る、実践的な智慧のある瞑想です。
しかし、特に瞑想をこれからしようという人、わかりやすく言えば「瞑想初心者」は、気をつけるべき事柄も幾つか御座います。
そうしないと、瞑想がそのまま迷走となってしまい、不安解消どころか、瞑想が不安の種になってしまいかねません。
そのような注意点について、次回にお伝えしております。
参照記事:「マインドフルネス瞑想の3つの注意点と解決方法|瞑想で消耗しないために」
あなたの不安解消、むやみやたら不安を増幅させたり苛まれすぎないための智慧となりましたら、嬉しゅう御座います。
合掌