ブログの一次情報や二次情報の話|トレンドアフィリエイト雑記ブログに効く薬、やまもとりゅうけんさんのnote

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



私が購読している、やまもとりゅうけんさんのNoteにて、興味深い記事が投稿されておりまして、それを何度か読んでおりまして。




やまもとりゅうけんさんの、6月14日に投稿されたNoteの表題は、「雑記ブログのボーナスタイムはむしろ終わって欲しいと思う理由」です。

これは、これから雑記ブログもそうですが、ブログを運営するのであれば、特に肝要な話であります、在り方としても、運営や技術的な即面から見ても。

知的財産権・著作権の課題があるために、内容について詳しくは申しませんが、「一次情報」という概念を、考える御縁となる内容であります。

ブログと一次情報や二次情報云々の話は、私も以前にしておりましたね。



今回は、やまもとりゅうけんさんが指摘されている、ブログ運営者にとっては重要な、一次情報や二次情報にまつわる話を致します。

そして、やまもとりゅうけんさんの記事を、仏教者はどのように読むか、という部分も、仏法に触れる良き機会として味わって頂ければと存じます。



平気で「調べたけど分かりませんでした~」などと抜かす、薄っぺらいゴミのようなトレンドアフィリエイトブログや、似たような雑記ブログを運営してしまっている輩には、耳の痛い、目の痛む話でありましょう。

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ブログの一次情報や二次情報の話の前に:やまもとりゅうけんさんのNoteについて

ブログを運営するに辺り、一次情報や二次情報などの話をする前に。



まずは、今回の話をする御縁となりました、やまもとりゅうけんさんのNoteについて、お伝えしておきましょう。

やまもとりゅうけんさんのNoteや、Noteの内容が読める僧伽的なサロンは、こちらでお伝えしております。



参照記事:「やまもとりゅうけんさんのnote(月額500円マガジン)に学ぶ|特にこの記事を読むべき」

参照記事2:「やまもとりゅうけんさんの「人生逃げ切りサロン」3つの特徴|三ヶ月参加しての体験談」



はい、おかえりやす。



そして、今回の話のきっかけとなったNoteは、こちらです。



やまもとりゅうけんさんのNote:「りゅうけんの「稼ぐことしか考えないブログ論」」



はい、おかえりやす。

6月中の購読で、読めるようになります。

あなたの頭を押さえつけて無理に購読しろとは申しませんが、ブログ運営やマネタイズを学びたいという方にとっては、良き処方箋となりましょう。

私も多々学んでおるNoteであります。



視点と言説が鋭い内容に御座います。

読み物としても面白し。



このNoteの、2017年6月14日に投稿された、「雑記ブログのボーナスタイムはむしろ終わって欲しいと思う理由」が、今回の話をするきっかけとなりました御縁に御座います。

一次情報が二次情報以下が薄まる構造:ブログの独創性や個別性の濃度

現在、ブログが検索エンジンで上位表示されるという事柄については、ブログ運営者にとっては、非常に関心が高いところでありましょう。

特に、現役でゴミブログ、おっと失礼、トレンドアフィリエイトブログなどを運営している者共にとっては、早急に欲する情報では無かろうかと存じます。

その鍵となる一つの要素が、今回話します、「ブログにおける一次情報や二次情報」といった概念です。



ブログを運営するに当たって大切な事だと言われている事柄が「内容の濃い一次情報」です。



これは確かにその通りで、ここは私も否定致しません。

コピーペースト記事は、ペナルティ対象となって検索エンジンから飛ばされる事や、薄っぺらいトレンドアフィリエイトブログが、さくっと内容・価値の無いコンテンツとして姿を消すことからも、想像出来ます。

内容が濃くて役に立つ内容物・コンテンツである事が評価される、という評価基準を考えると、生の情報・一次情報が二次情報よりも高評価となる事は必然と言えましょう。



では、なぜ一次情報が二次情報よりも濃くて、逆に二次情報以下が一次情報よりも薄まるのか。



実は、この基礎部分を知らずにいるから、「ブログ運営は一次情報が大事だー、だから自分の意見を入れるべきなんだー」という、薄っぺらい事を教える我利我利亡者なる詐欺コンサルタントのような事を言ってしまうのです。



確かに、一次情報は、やまもとりゅうけんさんや私も大切な事であるという考えで一致しておりますよ、そこは私も否定しません。

しかし、その後の部分が、あまりにも宜しくない。



ブログコンサルティングをしていたり、トレンドアフィリエイトコンサルタントなら、当然、知っていますよね、そして、私のような凡夫よりも詳しく且つわかりやすく解説出来ますよね。



このことは、私は大学で「市場のフィルター構造論」だとか、フィルター構造を使った概念を使うと、解説する事が出来ます。

フィルターは、海水から飲める水を作ったり、不純物を取り除く効果がありまして、日常生活においては非常に有用な働きをしてくれます。



これが、ブログの記事になると、どうなるか。



フィルターは、元の素材・内容物、つまり一次情報から、色々な物事をフィルターで受け止めます。

フィルターを通過して出来上がったもの、つまり二次情報は、一次情報から何らかの欠落があることは、ここで必然の事であると、おわかり頂けるかと存じます。



一例を挙げますと。



何らかの事例が発生して、現場で取材した人にとっては、それは一次情報です。

取材する人は、語感をフル稼働させて、取材に当たられる事でありましょう。



しかし、それが言語化してニュース記事としてアップロードした場合、文字情報だけしか伝わりません。

最近は動画もありますが、現場の臭いなどの情報までは、伝えられません。



この時点で、すでに一次情報からかなりの情報が抜け落ちているわけです。

そりゃ、一次情報から二次情報になった段階で、情報が薄まる、内容が薄くなりますがな。



一次情報が、フィルターを通して二次情報、三次情報となっていくに連れて、情報が薄まったり、場合によっては事実とは違う情報になってしまう、というさすらいがあるのは、色々な事例でご存じの事かと存じます。

内容が濃くて、更に事実であると言う事が、ブログが評価される要素であるとすれば、一次情報が二次情報以下より高い評価となるのは、必然と言えましょう。
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一次情報に「汚れたフィルター」を通した二次情報以下だらけの雑記ブログは、最早観ていられないレベル

こうして出来た二次情報以下の情報を使っても、オリジナリティ・独創性や個別性によって、雑記ブログやごちゃ混ぜブログの差別化を図るために編み出された苦肉の策が「自分の意見を入れる」という手法です。





一次情報的な事を盛り込むことを教える際、こういう言われ方がなされます。



「二次情報で勝負する事になりがちなトレンドアフィリエイトブログや雑記ブログ、ごちゃまぜブログは、自分の意見を書いて一次情報を盛り込む」

「NHKの放送のような事は駄目だ、自分の意見を入れてオリジナリティを云々」



これ、まあ、わからんでもありません。

確かに、元ネタが二次情報でも、そこから人類にとって素晴らしい進化に繋がる意見が盛り込まれる事は、確かに有ります。

また、非常に学びある内容の意見であるならば、宜しゅう御座います。



しかし、往々にして、その「自分の意見」とやらが、あまりにも酷い。

やまもとりゅうけんさんもつぶやきに登録されている事に、私は共感する話が御座いましてね。


まさに、と言ったところです。



いや、当たり前の事を言う事そのものに、善悪はありません。

仏教・仏法は、そういう言説もしばしば御座いますからね。

肝要は、「それ、今、そのブログのその記事で言う事じゃないでしょ?時と場所をわきまえましょうよ。」という話です。



トレンドアフィリエイトブログで、こんなのありません?

「芸能人と結婚した女性の本名は?」とか、ゲスの勘ぐりの如く記事タイトルを付けておいて、いざ読み進めると、こういう展開に。

「調べたけどわかりませんでしたー!でも、きっと美人なんでしょうねー!お幸せに!」



調査のために、時々こういうブログも読む事があるのですが、私はこういう突っ込みを入れたくなる煩悩が御座いまして。

「そんな意見は聞いておらん。この手の事は、まず事実を述べよ、話はそれからだ。」と。



結婚した女性の本名について知りたい人にとっては、「本名」という事実を欲しておるのに、貴殿の意見なんざ雑音でしかありません、無い方が宜しい。



これを、「フィルター構造論」を使って譬えると、どういうことか。



すでにオンライン上に転がっている情報を採取して、二次情報以下に薄まっている情報を、自分の勝手な意見、言うなれば「毒」が塗られたフィルターを通して、読者に届けていることであります。

しかも、無自覚に。



場合によっては、「自分の意見を入れている俺ってすげえウェイ!社会の役に立っているんだウェイウェイ!」という始末。



私がGoogleの飛ばし役なら、見た瞬間に永久追放しますがね。



一次情報を盛り込もうと、姑息に意見を盛り込めば良いというものでは御座いません。

そのような賢しらな、姑息な「自分の意見」とやらは、二次情報以下に毒を塗りたくって悪化させた毒物にしかなりませんがな。



そういうブログは、「今だけ、金だけ、自分だけ」が、透けて見える事も御座います。

仏教と一次情報や二次情報の話:ブログなどで情報を伝える時の在り方

やまもとりゅうけんさんのNoteに御座います良記事から、今回の「ブログを運営する者が考えるべき一次情報や二次情報の話」を、仏教の視点を持つ私は、どのように頂いたか。



私、さんざん二次情報以下は薄っぺらい、と、ディスるような事を申し上げてきましたが、私の仏教話は、実は二次情報以下です。

そういう自覚が御座います。



あなたに届く頃には、さらに一次薄まっています。

これが、正直なところでありますし、ここを誤魔化す事は出来ません。



そして、誤魔化してはいけないところであると、自覚しております。



どういうことかと申しますと。



現在までに伝わっている仏法やお経さん、仏典にある言葉は、ブッダが入滅後に、弟子達が集って作り上げられたもので、それが現在まで伝わっている、と言われております。

お陰様で、私という煩悩具足・罪悪深重なる凡夫にも、仏法が届いて下さっている、お念仏が届いて下さっていると言う事に、有り難さと尊さを味わっております。



そして、このお経や仏典ですが、こういう始まり方をするお経が御座います。



「如是我聞(にょぜがもん)」



浄土宗や真宗・浄土真宗でしたら、「阿弥陀経(あみだきょう)」を読み始めると、「ぶーっせつあみだーきょうー」の後に、「にょーぜーがーもーん」と唱えます。

この「にょーぜーがーもーん」が、「如是我聞」であり、「私はブッダからこのように聞きました」という意味で、伝聞である事が読み取れます。



勘の良いかたなら、もうお気づきではなかろうかと存じます。

「如是我聞」であるという事は、すでに二次情報であり、それを頂いている私の仏教にまつわるは、二次情報以下という事が多々あるという事です。



私は、「如是我聞」と出会ってから、仏教の話、禅語を紹介したり、お経の内容をお伝えするときに、「私は今、二次情報、三次情報の話をしているのだ」と、常に自覚するようになりました。



ちなみに、この「如是我聞」についても、お坊さんから教わったというフィルターも通しておりますから、「如是我聞の解説」は、何次情報になりましょうかね。

一次情報を伝える責任感を大切にして、ブログで伝える事による原理も自覚している

私は、禅語をお伝えする時や引用する時、また、仏教に関する話をする際には、自分が一次情報をお伝えしているという思い上がりを、戒めるようにしております。

そして、だからこそ、「これは一次情報であるか、二次情報以下であるか」という事を考えて、自覚的に執筆しているのです。



その自覚を持ってブログと接していると、ブログ記事や情報発信における原理にも気がつきます。



私は体験したことや体感した事等といった一次情報を伝える際、できる限り正確に言語化するように努めております。

この時に、仏教の戒「不妄語戒」「不綺語戒」などの、口業に関する戒の有り難さと尊さを味わうのですがね。

最も、私はフランク・ザッパさんではありませんが、自覚的に対象を馬鹿にすることはありますが、これは私の煩悩です、修行が足りません。





ブログと情報濃度の原理についての話に戻します。



例えば、私はこの寺院(ブログ)にて、祇園祭の話をしております。



参照記事:「祇園祭2017の日程と京都宿泊案内|トリバゴの使い方を覚えて観光もこなす智慧」

参照記事2:「祇園祭の宵山屋台と前祭・後祭の山鉾巡行「以外」の楽しみ方|体験談と仏教の話」



祇園祭の宿泊案内を、一次情報を持ってして出来るのは、私が京都在住で、更に脚を使って見付けてきた情報があるからです。

例えば、東寺(教王護国寺)の辺りは、京都駅から近い上に、東寺の観光も出来て結構狙い目である、という話をしております。

なぜ、このようなことが言えるのか、と言うと、地元住民ゆえ知っている事であり、更にあの辺りをちょくちょくと歩いているからです。

これは、現地を知らない人には書けない事でありましょうし、よしんば文書にする事が出来たとしても、信憑性を問われたら、口ごもることでありましょう。



また、祇園祭にて、宵山屋台や前祭・後祭の山鉾巡行等、メインイベント的に認知されている「以外」の見どころを知っているのも、実際に祇園祭を体験しているからです。

八坂神社から出発する神輿について、現場を観て体験していないと言えない事が言えるのは、体験しているからに他なりません。



その他の例を挙げるなら、「別時念仏会」や、その他の仏事については、いわずもがなでありましょう。



でも、私がこうして寺院(ブログ)に投稿して、読んでいるあなたにとっては、実はすでに「二次情報」になっております。

私が体験した事を、言語や、写真があれば写真というだけに情報が薄まっている事からも、ブログを読む当人にとっては、すでに一次情報が二次情報に薄まっているという原理が、おわかり頂けるかと存じます。



そう、ブログに公開している時点で、読者にとってはすでにその時点で二次情報化、それ以下と化しているのですよ。

この自覚があれば、以下に一次情報を正確に伝える事が、ブログ運営において大切か、自ずと把握出来ましょう。



検索エンジンの評価対象や基準は、私も把握しかねますが、一次情報に重きを置いていると言われると、なるほどなあ、と考える次第で御座います。

私が運営者なら、きっとそうするでしょうし。

二次情報から一次情報へ向かう智慧を持ってして取り組む智慧

最後に、原理としてはブログというものは、情報をどんどん薄めてしまう性質があるけれども、そこから一次情報を得る智慧も、お伝え致します。



ブログで投稿している時点で、読者・読んで下さる人にとっては、二次情報以下になる、という原理をお伝え致しました。



実は、その二次情報以下の事柄から、一次情報を得るは出来ます。

このことは、私は瞑想実践者でありますが、瞑想についてお伝えする時に、「出来る事ならば、相性の良い瞑想指導者に直接伝導頂いた方が望ましい」と申し上げていることにも繋がります。



その二次情報以下の情報について、裏を取るなり、その二次情報以下を元にして自身が体験する事で、「体験したからこそ伝えられる一次情報」を、得る事が出来ます



例えば、私のように坐禅や瞑想に興味を持って、体験談を綴っているブログを読んだとしましょう。

そうして興味を持ったり、疑いを持ったら、「じゃあ、自身も実際に寺に行ってやってみよう」と、実践してみる事です。

そうすれば、坐禅の仕方や知識は、体験そのものは一次情報としてあなたに残ります。



坐禅の話を例にしましたから、今回の話に関連する禅にまつわる「一次情報の話」をしておきましょう。



禅語に「冷暖自知(れいだんじち)」があります。

「冷暖自知」は、「冷たいか温かいか、それは自らが体験しないと知る事が出来ない」という意味で、解説される禅語です。



言われてみれば、そりゃそうだ、となりそうですが、どうでしょう。

ブログを読んで情報を知った気になっている人は、この「冷暖自知」とかけ離れた感じで、頭の中だけで完結していませんかな。



自身が物事を知る、きちんと体感として知るためには、自らが体験しないとわからないものです。

体験したから事、初めて知る事もあり、だからこそ伝えられることも御座います。

そして、それこそが「一次情報」であり、二次情報以下の薄まった内容物よりも、濃い話を紡ぐ事に繋がるのです。



雑記ブログを綴り続けている人は、やまもとりゅうけんさんのNoteと、今回の話を読み、改めて自身とブログの在り方と、向き合わって観るのも宜しかろう、と、提言致します。



尚、今回の話に関連した事は、以前もこちらでお伝えしております。



参照記事:「訃報や事件などを換金し人の不幸を喜ぶトレンドアフィリエイトブログの浅ましく情けなき事」

参照記事2:「ごちゃまぜブログ(トレンドアフィリエイトでよく見かける典型的な例)が駄目な理由」

参照記事3:「ブログ記事の文字数は何文字が最低ラインですか?←そこで消耗している場合じゃありません」



未だに、「調べたけど分かりませんでしたー、でも何何」という、薄っぺらいゴミ屑が散乱しております。

しかし、それを経る事が大切な事柄だとも、一方で観ておりますからね、無下に否定も出来ません。



それでもやはり、自覚的に苦言を呈する私は、やはり煩悩具足・罪悪深重なる凡夫でありましょうなあ、修行が足りない、修行が、足りない。



合掌、礼拝

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