御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。
本日、大阪にて、ブログで稼ぐ方法や運営の講座が開催されると言う事で、受講して参りました。
この講座の正式名称は「ブログで死ぬほど稼ぎたい人しか来てはいけないセミナー」です。
仏教を学び実践する者からすると、真逆の方を向いている講座・セミナーの名前ですが、まあ、そこは在家の者という事でありまして。
維摩居士も、ブッダの在家弟子であり、毘舎離城(ヴァイシャリー)の富豪で商人だったわけですから。
私は現段階においては、出家者や僧籍がありませんから、その辺りは、まあ、在家故の自由度の高さと言いましょうかね、言い訳がましいですけれど。
この「ブログで死ぬほど稼ぎたい人しか来てはいけないセミナー」は、やまもとりゅうけんさんと、パートナーであるやまもとさきさんとが開催して下さった講座です。
私にとっては、最近は仏教メインで話をしてきたこともあり、アクセル的な話、娑婆世界寄りの話も色々と見聞きする機会を頂いた、という感じです。
仏道とは真逆の価値体系を学ぶ事も、大切にしておりましてね。
今回は、「ブログで死ぬほど稼ぎたい人しか来てはいけないセミナー」のレポート的な話を致します。
尚、有料の僧伽的な集まりに参加していないと聞けない話で、内容を全て暴露するのは知的財産権的な課題もありましょうから、かなりぼかした表現が多くなること、申し訳ありません。
Contents
ブログで死ぬほど稼ぎたい人しか来てはいけないセミナー:大まかな流れ
今回の、やまもとりゅうけんさんとやまもとさきさんが開催・運営された「ブログで死ぬほど稼ぎたい人しか来てはいけないセミナー」について、まずは大まかな流れから。講座では、まずは挨拶的な話と、ブログという概念についての基本的且つ総合的な話を、やまもとりゅうけんさんがして下さいまして。
その後、やまもとさきさんがヴォイストレーニングを15分ほど教えて下さいまして、これがなかなかに有り難し。
声を出す際に、どのように姿勢を正すか、表情をどうするか、滑舌を改善する練習方法を教わりまして。
その後は、「ワカヤマだいありぃ」というブログを運営されている、ゆうやさんが登壇。
ブログの運営について、抽象度が高めの話と、ご自身の現在されていることや、過去からどのように運営してきたかと言う事を伝えて下さいました。
現在は、ご自身の経験を活かして、これからブログを始める人に、知識や経験を伝導する仕事もされています。
現在は、エンジニアとして修行されていますが、過去に会計の仕事をされていたこともあり、会計知識がある方です。
ゆうやさんのブログは、こちらから飛んで頂けます。
ゆうやさんのブログ:「ワカヤマだいありぃ」
続いて、「服を売らない店員さん」という在り方の、小林弥起さん、呼びやすくここでは「やおきさん」と致しますが、この方が登壇されました。
やおきさんは、2017年7月よりも過去の時点で50万PV、7月終了時には70万PVの見込みだそうで。
それまでの奇跡と、運営における戦略や考え方、試行錯誤の方法を具体的な話を盛り込んで、解説して下さいました。
この「服を売らない店員さん」という在り方は、私も共感するところに御座います。
やおきさんのブログは、こちらから行けます。
やおきさんのブログ:「服を売らない店員さんの初心者ファッション塾」
最後に、主催者のやまもとりゅうけんさんが登壇されて、段階的にやってこられたことを伝えられました。
抽象度の高い話をすると、予め仰っていて、内容も確かに、抽象度を上げた話でありまして。
ゆえに、個々に具体度を上げて落とし込む事が、ミソでありましょう。
その後は、参加者全員で食を共にする、会食の時間と相成りました。
そこで色々な話を聞けて、いつものように聞き耳を立てる、「あらゆる物語の聞き手」的な、「あらゆる仏法の聞き手」という立ち位置で、周囲の人の会話を聞きまくっておったものです。

講座の内容は奇抜さは無く、基本的な事を大切にという話:仏教ではこの辺りの事に通じる
今回の講座「ブログで死ぬほど稼ぎたい人しか来てはいけないセミナー」では、内容自体は基本的な事であり、ある程度経験を積んでいたり、実践経験が豊富な人ならば、知っている内容ではあったでしょう。やまもとりゅうけんさんが開催されている僧伽的な集まり・サロンには、これからブログを始める人もいらっしゃる事から基礎を補強する内容になったのであろうとお見受けしております。
講座では、ゆうやさんとやおきさん、やまもとりゅうけんさんの個々における具体的な数値や内容そのものに違いはあれど、基礎部分で仰りたかった事は繋がっておりました。
知的財産権の課題があるために、暴露はしかねますが、言える範囲で言えば、「PDCAサイクルを回す」だとか「よく観察する」「自己を顧みる」「自己の問題点を顧みて見極めて改善する」「それを検証する」などの事です。
これ、なまじ経験がある人は、「なんだ、そんなの知ってるよ。自己啓発書でも読んだよ。ブログの教科書的な本やウェブサイトでも勉強しているよ。」と、思われるでしょう。
私はこの話を聞いたとき、改めて「知ってるだけで出来ておらんなあ。」と、痛感したものであります。
そうなのですよ、知ってても、なかなか出来ていない。
百歩譲って「やっている」という因を為しても、「出来ている」かどうか、果に繋がっているかどうかで自ずと見えましょう。
この辺り、私も反省する処であります。
私が今回、この話を聞いて学んだ事や気づいた事は、「ブログ運営や、ブログで稼ぐ・ブログの稼ぎ方も、七仏通誡偈の教えに通ずるところがある」と言う事です。
「七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)」的とは、どういう事か。
これは、仏教において有名所と思われる、次の話を読んで頂ければ、自ずと見えてくるかと存じます。
中国・唐のお坊さんに、白楽天という人がいたのですが、この人がお師匠さんに、こう尋ねました。
「おっしょさんおっしょさん、仏教の神髄ってなんですかいな?」
お師匠さん曰く。
「悪い事をせず、善い事を沢山しなさい。」
この内容は、初期仏教経典の「ダンマパダ」にもある言葉であり、「七仏通誡偈」の事でもあります。
これを聞いた白楽天さんは、「そんなの、三歳の子供でも知ってますがな。」と言います。
すると、お師匠さん曰く。
「三歳の子供でも知っている事でも、八十歳の老人でもなかなか実行出来ない。」
これ、今回の話にも通じませんかね。
「PDCAサイクルを回す」とか、きちんと成果出しているブログ運営者を研究して観るとか、等々。
今、ここの、自己の問題点は何であるかを把握する、禅語「脚下照顧」は大切だとはわかっちゃいるけど、出来ない、やらない。
まさに、人生経験がまだまだ豊富では無い若人でも知っている内容ではあるけれども、人生経験が豊富な大人であっても実行は出来ていない、という事です。
まあ、私のことですが。
今回、「自己の問題点を顧みる事」を教わり、改めて、「ああ、私のことだ」と、気づき学んだ次第で御座います。
やまもとさきさんのヴォイストレーニング講座での気づき
今回の「ブログで死ぬほど稼ぎたい人しか来てはいけないセミナー」にて、今、ここでこの文章を執筆中に気づいた事として、最も印象深い内容は、実は、やまもとさきさんのヴォイストレーニング講座です。と、言いますのも、今回の話の中で、最も直接的に私に関係しそうな事柄が、ヴォイストレーニングの内容でして。
私は、毎日朝と夜には、仏壇の前で浄土宗形式の勤行を致します。
その時に、前屈みになっていたら声が出にくいだとか、そういうことをいつ頃からか気にし始めておりましてね。
と、言いますのも、私は年に何度か、長時間ぶっ続けでお念仏申し上げる機会を設けております。
これは、浄土宗で大切にしている「別時念仏」という事柄でありまして、念仏道場などに壇信徒や僧侶が集まって、共にお念仏をする念仏会が御座います。
私の場合でしたら、年2回の24時間不断念仏会と、4月18日に行われる知恩院での「ミッドナイト念仏in御忌」が、それに該当します。
参照記事:「ミッドナイト念仏in御忌2017(知恩院の三門内部)に行って来た感想やら体験談やら」
参照記事2:「増上寺第12回24時間不断念仏会体験記前編|ただ一向に念仏すべし」
参照記事3:「増上寺第12回24時間不断念仏会体験記後編|在家仏教者で念仏者の感想文やら体験談やら」
最近では、大木魚を打たせて頂く機会もあり、調声人的な役割とも御縁賜るに至りまして、非常に有り難い事で御座います。
別時念仏会では、長時間「なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ」と、称え続けます。
浄土宗のお念仏は、称名念仏、声に出して称えるものでありますから、喉も使います。
私は、24時間不断念仏で声をからしたことがありまして、そのようにならない方法も欲していましたから、やまもとさきさんの講座は、実に有り難いものでありました。
また、姿勢も大事という事については、増上寺の朝の勤行を思い出したとき、確かにお堂でよく通る声のお坊さんは、姿勢が良かったなあ、と、改めて思うたものです。
きちんと、声が通る姿勢になっていたのでありましょう。
増上寺の朝の勤行に参加された方なら、おわかり頂けるかと存じますが、導師・調声人で「上手な声」と言いますか、お堂に美しく響き渡る声で御経を読み上げられる方がいらっしゃいます。
お堂によく声が響き渡る僧侶は、姿勢をよくよく観ると、確かに姿勢が調っている事を、思い返して気がつきました。
調声人は、声だけではなく、身心も調えられてるというわけですな。
このように、今回の御縁にて、「声明」の文化なり技の発展に関係のある日本仏教の関係が、見えたもので御座います。
現代の体系化されたわかりやすいヴォイストレーニング講座から、仏教の声明を学ぶ。
なんとも、有り難き御縁であったもので御座います。
このような事が学べる、やまもとさきさんのブログは、こちらから飛んで頂けます。
やまもとさきさんのブログ:「さきの教室」
今回の話でしたら、こちらの記事が関連しております。
私にとっては、「声が枯れにくくなる」は、称名念仏を長時間続ける事において、有り難き智慧に御座います。
やまもとさきさんの参照記事:「ボイストレーナーが語るボイトレによって期待できる付随効果」
ちなみに私は、この記事を執筆の時期、岡潔氏の本を読み、そこから教育論などにも関心を持ちまして、塾講師として伝導者である、やまもとさきさんの教育カテゴリーを、読ませて頂いておるという御縁が御座います。
塾講師の方は、特に読まれると、ご自身にとって伝導者としての智慧を育む一助ともなり得ましょう。

講座後の昼食・食事会にて、改めて「物語の聞き手」を実感
「ブログで死ぬほど稼ぎたい人しか来てはいけないセミナー」の講座が終わり、講座後の昼食・食事会では、和気藹々と楽しく各々が過ごす時間と相成りました。最後辺りで、有志によるウクレレ演奏と、個別にウクレレ講座があったりしましてね。
私、ちゃっかりそのウクレレ講座を、じーっと眺めて楽しんでおったものです。
そして、今回の食事会においても、いつものように私は聞き耳を立てて、「物語の聞き手・あらゆる仏法の聞き手」として、過ごしておりまして。
お陰様で、各々のブログ論や、これこれはこうした方が良い、などの話を、直接知る事が出来たもので御座います。
もしも、私とこういう場で時空間を共にして下さる方には、ここで今一度申し上げておきます。
私、じーっと黙って聞き耳を立てている時間が長いと思われている場合、それは聞き耳を立てている状態です。
音声に注意(意を注ぐ、というそのままの意味)しており、ある種の瞑想的な在り方を実践しているものです。
つまんないから、だとか、不機嫌だからではありません。
むしろ、聞いているその時が、上機嫌な状態と言いますか、そのように楽しんでおりますがゆえ。
そりゃ、話を振られたら応えますし、音声を発しますよ。
ただ、もしも、じーっと黙っていたら、「あ、聞き耳を立てているな」と、思うて頂ければ幸いです。
お陰様で、あの時空間においては、様々な人生や考え方、在り方を学ばせて頂いたもので御座います。
こういう機会は、自身の立ち位置を知る善き縁であり、「脚下照顧」の一つの方法でもあります。
じーっと黙って聞き耳を立てている私は、「現在、脚下照顧中」という事で、ご勘弁願いましたら、と存じます。

ブレーキを学びつつけているからこそ、時々は真逆のアクセルを学ぶという塩梅
今回は、やまもとりゅうけんさんの主宰される僧伽的な集まりの講座「ブログで死ぬほど稼ぎたい人しか来てはいけないセミナー」について、参加した者としてレポート的な話を致しました。表題からして、仏教・仏道を歩む方向からは、今回の講座は真逆を向いていると言えましょう。
私もその事は百も承知ですし、人によっては「そんなのは在家といえど仏教徒ではない!本当の仏教徒・仏教者ならば、この講座に参加しないはずだ!」という、はずだ論にて仏教仕草を私に強要する輩もありましょう。
そのような事は、織り込み済みと言いますか、予測済みです。
バレルレプリカフルトランスと言うておるお嬢さんばりに、予測済みです。
(検索して、出て来た紫色のお嬢さんについてよくよく調べて行くと、「予測済みです」について、わかります。)
私、ここ最近は仏教や念仏者の本を読んだり、実際に瞑想会に参加したり、別時念仏会に参加したりと、仏教サイドの活動が多かったものです。
言うなれば、ブレーキの部分、宗教であったり仏教サイドの価値体系寄りではあったものです。
それで、ここらで少し、金銭を稼ぐ事にまつわる話等、娑婆世界の価値体系にも一旦自身を振っておこう、という意図もありまして、今回の講座に参加した次第であります。
バリバリの娑婆世界の価値体系を、こうして体系立ててきちんと学ぶ機会も、また面白し。
本日は、有り難き御縁と、相成ったもので御座います。
このような御縁を頂ける機会は、こちらから、やまもとりゅうけんさんの情報に接触・アクセスして頂く事で、紡いでいけましょう。
参照記事:「やまもとりゅうけんさんのnote(月額500円マガジン)に学ぶ|特にこの記事を読むべき」
参照記事2:「やまもとりゅうけんさんの「人生逃げ切りサロン」3つの特徴|三ヶ月参加しての体験談」
娑婆世界にて、ブログで稼ぐ、ブログ運営について学びたい、という方にとっては、良縁となり得る世界に御座います。
また、私の様に、娑婆世界の価値体系とは全く違う価値体系や構造で生きる者にとっては、浮き世離れし過ぎないための妙薬にもなり得ましょう。
それで現世利益(娑婆世界で言うところの利益・収益の事)を頂ければ、生活もしやすくなりましょうからね。
もっとも、考え無しに、考察・洞察・観察無しで思考停止でこれをやると、宗教的にも娑婆世界に生きる者としても暴走してしまう怖さはありますから、そこは細心のご注意をば。
(上手く言語化出来ませんが、これは私の直感的な物言いです。)
ああ、現世利益で思い出しました。
朝、会場に向かう際、自宅から京都駅へ向かう際に、禅僧が「ほー」と唱えながら歩いていらっしゃり、慈悲喜捨・布施行をさせて頂き、仏縁結ばれた善き一日と相成りました。
帰りは雷雨の中、雨に打たれて、日々是好日なり。
合掌、礼拝