「脳と瞑想」から「意味付けの中継地点」を学ぶ|自己啓発の不十分な点を補うプラユキ・ナラテボーさんと篠浦伸禎さんの良書

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



この寺院(ブログ)では、プラユキ・ナラテボーさんの本について、何度かお伝えしております。
私は対談本も読む事があり、プラユキ・ナラテボーさんの対談本と言えば、魚川祐司さんとの対談共著「悟らなくたって、いいじゃないか」がよく知られているところでしょうか。

その他にも、私が色々と学ぶ機縁となりましたプラユキさんの対談本に、「脳と瞑想」が御座います。

「脳と瞑想」は、現在はサンガ新書がコンパクトな新書サイズで出して下さっており、私も新書版で読みました。

「脳と瞑想」という本は、脳神経外科医である篠浦伸禎さんと、タイのスカトー寺の副住職で日本人比丘であるプラユキ・ナラテボーさんとの対談本です。



実は最近、Twitterでの御縁で、この本をもう一度開いて、気づいた事を再確認するに到る御縁を頂きまして。



今回は、「脳と瞑想」という本から、私が改めて気づき、お伝えしたいことを話します。

今回の話は、自己啓発系の講師なりコーチングをやっている人が、ついつい不十分にやってしまいがちな事を補う智慧でもあります。

スポンサーリンク

「脳と瞑想」を再読するきっかけとなったプラユキ・ナラテボーさんの辻説法

今回、「脳と瞑想」という本と共に、私が気づいた事をお伝えするわけですが、そのきっかけとなったのは、プラユキ・ナラテボーさんの辻説法の御縁によります。



私は前回、瞑想の副作用であったり、瞑想をする人が陥ってしまう事について、注意申し上げました。



参照記事:「マインドフルネス瞑想を自力で始めると陥る危険な罠|私が直接指導・伝導や瞑想会を大切にする理由」



瞑想を独学だけで始めて、そのまま調えられる事無く突っ走ったり、ゲイン(得られる物事)に釣られて始めて、それが得られずに苦しむという落とし穴があると、お伝え致しました。

その話を投稿したところ、プラユキ・ナラテボーさんが大切な事を補足する形で、Twitterにて辻説法をして下さいました。





エゴ・インフレーションとは「自我肥大」というとわかりやすいでしょうか。

瞑想をしている自分は偉い、と、ブッダが説く「調えられし我具足」ではなく、「我利我利とした自我」を肥大させてしまう、という副作用です。

「スピリチュアル・アディクション」は、わかりやすく言うと「中毒」の事で、「脳と瞑想」の254ページにも書いてある事です。



自己啓発セミナーや霊感商法の場等では、この「スピリチュアル・アディクション」を利用して、場の力や教祖的なキャラクターを使って、こちらを絡め取ってきます。

このカラクリ・仕組みについては、「脳と瞑想」の222ページでも、プラユキ・ナラテボーさんが詳しく解説されています。



こうして改めて読みますと、「脳と瞑想」は、こうした詐欺的な事柄の防衛策を、仏教と脳科学・医学の智慧から学べるなあ、と、まさに今、思いました。

自己啓発系の講師やコーチングでよく見聞きする「意味付けを変える」は、わからんではないが・・・

私は自己啓発系の言説としてよくある事、自己啓発系の講師によるコーチングや、自己啓発書・ビジネス書でよく見かける言説について考察していたことがありましてね。

それが、表題にもしている「意味付け」についてです。



あなたも、こういう事を言われたことって、ありませんかね。



「意味づけを変えろ」

「過去のことは、現在の自分が決めている。だから過去の意味を変えるのだ」



私が以前潜入した、某A.I氏の自己啓発詐欺セミナーでも、しきりに「意味付けを変えろ」と、声高らかに言うてました。

まあ、我利我利した強引な意味付けの変更をしておりましたがね、その詐欺師は。

「この商品は50万円だけど、1日換算すると2000円、本一冊分だけ、めちゃくちゃ安いですよ。」とか、ね。



私に対して、「1日何円」を言うならば、7円以下にしてから出直してらっしゃい。

あ、でも最近は、更に安い珈琲ていけてるコーヒー豆を見付けたから、6円か5円かになっておるかも。

参照記事:「高い値段を安いと錯覚させる方法|「珈琲一杯の値段」「一日何円換算」は姑息」



話を「意味付け」に戻します。



自己啓発の世界では、よく「意味付けを変える」と言われます。

確かに、それはそれで言っている事はわかりますし、過去の嫌な出来事も、良い方向で捉えなおす事については、私も否定はしません。



ただ、私にはこの「意味づけを変える」という言説を聞いてから、直観的・直感的に引っかかりがあったのです。



だって、出来事や感じた事は、不可逆であるのは、「そんな事、早く忘れなさい」という助言・アドバイスに、素直に頷けないという経験がある人ならば、より分かる事ではなかろうかと存じます。

あったことを無かった事には出来ません。

罪を犯した場合、社会的に刑期を終えることになっても、その罪の根深いところ、言うなれば「業(ごう)」は消えないのと同じような事です。



また、知識や個々に紡がれた物語(ナラティブ)も不可逆性があり、逆戻りさせることは出来ません。



このような前提から、私には、物語(ナラティブ)や文脈に引っ張られて意味付けされたことを、外から「意味づけを変えろ」と言われても、なかなか難しいのではないか、という問いが、生起されたのです。



そりゃあね、失敗したことの意味付けや解釈を上手いこと変える事が出来たら、それに越したことはありません。

世の中には、それを容易に出来る人もいらっしゃる事でありましょう。

しかし、それが上手く行かない人にとっては、なかなかに酷な話です。

そういう人に「まだ意味付けも変えられていないのか、だからお前は駄目なんだ、気合いで変えろ!」とでも言うのでしょうかね。
スポンサーリンク

無理に「意味付けを変える」事の落とし穴や副作用

嫌な過去や嫌な事柄、怒りを覚えるような事柄に対して、「意味づけを変える」事によって、嫌な過去や嫌な事柄を良い方向に持っていく、という事は、確かに有用ではあります。

しかし、それがなかなか上手く出来ない不器用な人もいます。

まあ、私の事なのですが。



そして、ここからが怖いところなのですが、自己啓発系の「意味づけを変える」という言説には、副作用も御座います。



私は、この「意味付けを変える」というのを無理矢理やる事は、言うなれば「上からメッキを塗りたくるだけの事」でしかないのではないか、と言う考えに到りましてね。

そして、意味付けを変えて、上から意味を塗っても、誤魔化すだけでしかなく、メッキがはがれたら、また苦しむのではないか、という事に気づきました。



更にそこから悪化すると、意味付けを変える前と変えた後の板挟みになり、「意味づけを変えられない自分は駄目な奴なんだ・・・」と、自己否定に陥るという副作用も見出しております。



そこに気づいたとき、「意味づけを変えるのはごもっともだが、その前に、意味付けそのものを一旦辞める、という段階が必要ではないか。」というところに到りました。



そこで、「意味付けそのもの」にアプローチする、意味付けそのものを一旦辞める事にも繋がる智慧が、「脳と瞑想」にて見付けたのであります。

「脳と瞑想」から頂いた智慧:意味付けのニュートラルポイント(転換の中継地点)

「脳と瞑想」では、気づきの瞑想による智慧と慈悲によって、意味付けの転換が起こるという事が、ざぼんさんという方のイラストと共に記されております。

ざぼんさんのイラストは付き解説は、「脳と瞑想」の224ページに3つに場面分けされたイラストあります。



その三場面のイラストは、夜空の星が「怖い顔」から、「大好きな笑顔」に意味付けが転換されている様子が描かれております。

そして、夜空が「怖い顔」から「大好きな笑顔」の夜空に変わる場面の間に、「気づいて、分かると!」という絵があります。



この三場面のイラストの真ん中にある「気づいて、分かると!」という一枚、この過程・プロセスを経る事が、非常に重要なのです。



自己啓発やコーチングの「意味づけを変える」は、この気づきの過程・プロセスについて、解説がなかったり、端折ったりして不十分です。

それゆえに、意味づけを変えるという事が、怖い顔や嫌な事を、上から無理矢理塗りたくって、誤魔化すかのようなやり方になってしまっております。

この場合、メッキがはがれたり、物語(ナラティブ)や文脈に引っ張られっぱなしによる逆戻りの副作用が生じます。

そうすると、「意味づけを変えられない自分は駄目だ。」という自己否定や、意味づけを変える前と後の両方から引き裂かれるように引っ張られる「ダブルバインド」になって、苦が生じる事にもなり得ます。



そこで、手動瞑想や歩行瞑想と言った、「気づきの瞑想」によって、「気づいて、分かる」が、重要であると言う話に繋がります。



「気づきの瞑想」により、気づく智慧が身につくと、意味付けを変える前に重要な過程・プロセスである、「意味付けの一時停止」「意味付けそのものを一旦辞める」「意味付けしている自己に気づく」という事が出来るようになります。

哲学や倫理の世界の言語を用いるならば、「エポケー(価値判断の一旦保留)」と言えば、「あ、高校倫理で習った事ある」と仰る方もいらっしゃいましょう。



哲学で言うならば「エポケー」、仏教で言うならば「気づく事・サティ(念・正念)」という過程が、如何に重要であるか、把握して頂けたかと存じます。

「気づきの瞑想」で、気づいて受容する智慧と慈悲により、無理なく意味付けの変換がなされる

そして、ここからがプラユキ・ナラテボーさんが教えて下さる手動瞑想などの「気づきの瞑想、チャルーン・サティ」の真骨頂です。



自己啓発系のコーチングなどで、「意味づけを変える」という場合、嫌な事を良い事に無理矢理変える、という事もあります。

そりゃあね、ゴリゴリと出来る人はやったら宜しかろう、とは思うのですが、なかなかそこまで出来る人ばかりではありません。

気にする性格であるという場合、意味付けする前と後の両方から引っ張られて具合が悪くなったり、意味付けの変換が上手く出来なくて自己否定するという副作用もあります。



形成された物語(ナラティブ)や文脈(コンテクスト)そのものは、内容物(コンテンツ)よりも強力に作用します。

内容物(コンテンツ)の内容を、上から塗りたくっても、物語や文脈(コンテクスト)に引っ張られていたままでは、ダブルバインドや自己否定という副作用の苦が生起しかねません。



そこで、「気づきの瞑想」の出番です。



「気づいて受容する智慧と慈悲」という方向がある手動瞑想などの「気づきの瞑想」は、嫌な事や嫌な意味付けを、無理矢理どうこうするのではなく、一旦「オッケー」と受容します。

プラユキ・ナラテボーさんの仏法と気づきの瞑想、マインドフルネス瞑想は、「受容」が非常に重要な事柄として御座います。

この「オッケー」と受容する事が重要でありまして、私は「オッケー瞑想」と勝手に名前を付けております。

この「オッケー瞑想」では、内容物(コンテンツ)だけではなく、物語(ナラティブ)や文脈(コンテクスト)にも気づき、それを一旦「オッケー」と受容します。



これには、自己がどのような物語を紡ぐ癖があるのか、認知の癖にも気づく作用があります。



その智慧や解説については、千野帽子さんの「人はなぜ物語を求めるのか」を読まれると、より理解が深まります。



[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

人はなぜ物語を求めるのか [ 千野 帽子 ]
価格:907円(税込、送料無料) (2017/5/2時点)



参照記事:「人はなぜ物語を求めるのか」(千野帽子さん著)の読書感想文|私の味わい方



意味づけを変える前に、一旦意味付けそのものを止めて、意味付けを解体するこの過程・プロセスを、私は「意味付けのニュートラルポイント」と呼ぶ事にしました。

「意味付けのニュートラルポイント」は、「過去の意味付けにしばられず、上手に意味付けの転換を為す」事に繋がりますから、「意味付けの中継地点」でもあります。



「気づきの瞑想」は、自己を観察(かんざつ)する智慧を育み、意味付けそのものを観察し、ニュートラルポイントを経る。

ここが、「たかが言葉」の部分とも繋がります。



この「気づきのニュートラルポイント」を経ると、「意味付けをやめたままにするか」「意味付けを転換して新たな意味を付けて再解釈・再構築するか」、を選べるようになります。



この「意味付けをしない」と「意味付けの転換をする」という、複数の選択肢を、自由(自らに由る)に決める事が出来るというのも、「気づきの瞑想」によりニュートラルポイントを経る事の重要な部分です。

気づく智慧が育まれれば、「この出来事や、この言葉に、無理に意味付けをするのはやめよう、そっとしておこう」という選択をする事も可能なのです。



自己啓発やコーチングでよくいう「意味づけを変える」は、意味付けを変える事が前提としてあり、一方通行です。

そうすると、「意味づけを変えなければ」と、「~しないといけない、ねばならない思考」により、苦しくなってくるという副作用も御座います。



一方、「気づきの瞑想」によって、「気づいて分かる」という智慧が育まれ、気づきのニュートラルポイントを辿る事が出来るようになれば、「そもそも意味付けをしない」「意味付けの転換をする」と、選択する余地が広がります。



私は「脳と瞑想」の224ページにある話と3枚のイラスト(一枚続きですが、場面が3つに別れているから、3枚のイラストという解釈をしています)から、このような智慧を頂くに到りました。



自己啓発講師やコーチングの「意味づけを変える」の、何となく無理矢理に感じる事や違和感の正体を、見事に言語化・視覚化して下さった「脳と瞑想」に御座います。



[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

脳と瞑想 [ プラ・ユキ・ナラテボー ]
価格:972円(税込、送料無料) (2017/5/2時点)



意味付けの副作用を起こさない智慧の書「脳と瞑想」

今回は、私が自己啓発系のセミナーや講師、コーチングでよく言われる「意味づけを変える」という概念の、無理矢理な感じや違和感について、その違和感や副作用による苦の滅尽となる智慧をお伝え致しました。



「脳と瞑想」は、このこと以外にも、仏教の智慧と共に、色々な事柄を学べる良書です。



プラユキ・ナラテボーさんと、医学や科学の分野に携わる人との対談と言えば、「自由に生きる」で、熊野宏昭さんという心身医学の先生とも対談されています。

熊野宏昭さんと言えば、NHKの「キラーストレス」の特集にて、マインドフルネス瞑想を紹介されている人ですから、ご存じの方も多いかと思います。

今回紹介致しました「脳と瞑想」を読まれるならば、「自由に生きる」も手に取られると、より理解が深まるかと存じます。



参照記事:「マインドフルネス瞑想入門にプラユキ・ナラテボーさんの本や講座が良い2つの理由」

参照記事2:「うつ病で休職時に不安だった時に読んだ本|「苦しまなくて、いいんだよ(プラユキ・ナラテボーさん著)に救われた体験談」

参照記事3:「うつ病の症状が和らいだ時に読んでよかった本3選|五木寛之さんとプラユキ・ナラテボーさんの本」



また、機会がありましたら、プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想会で、直接指導を頂く事で、仏法と共に、手動瞑想や歩行瞑想を教えて頂けます。



参照記事:「マインドフルネス瞑想会体験感想文|プラユキ・ナラテボーさんの講座での気づき・2017春編」

参照記事2:「日常生活の中で出来るマインドフルネス瞑想の方法|プラユキ・ナラテボーさんから教わった事」

参照記事3:「丁寧な暮らしがマインドフルネス瞑想で実現しやすくなる理由|プラユキ・ナラテボーさんの瞑想から気づいた事」

参照記事4:「マインドフルネス瞑想の簡単な方法|プラユキ・ナラテボーさんの手動瞑想と応用」



最後に、言っておきたいことが御座います。

これは、声を大にして申し上げておきたい。



「脳と瞑想」のところどころにある、ざぼんさんの挿絵・イラスト、いけてます。



合掌、礼拝

スポンサーリンク