ブッダニア体験記:坐禅にお念仏に僧侶とゆるく話す会等々参加して参りました

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



2017年11月26日(日)、私は大阪の心斎橋に御座います、三津寺というお寺さんへ行って参りました。


この日、三津寺では「修行体験ブッダニア」という、修行体験と言いますか、仏事に参加出来る催しが御座いまして。

この手の仏事・仏教の催しに行きたがる私としては、外せないところでありましてね。

Twitterの事前情報では、会いたいお坊さんにも会える可能性があると言うこともありまして、大阪は心斎橋の三津寺まで足を運んだ次第で御座います。



14:00から18時30分前頃まで、坐禅にお念仏に、声明(しょうみょう)に三津寺でのブッダニア慶讃法会にと、いろいろと体験・参加して参りました。

また、「アラサー僧侶とゆるーく話す会」では、結構な時間、若手僧侶に相手をして頂きまして、有り難き事に御座りました。



そういうわけでして、今回は三津寺で体験して参りました、修行体験ブッダニアにて、私が体験してきた事や、そこで感じた事柄等について、お伝えいたします。



尚、例によって、いつもの注意事項をば。



ゆるく話す会等では、あまりにも個人的・個別的な話や、プライベート・プライバシーに関わる話は致しかねます。

厳密に守秘義務を言われているわけではありませんが、その辺りは考慮致しまして、話を進めて参ります。

修行体験ブッダニア体験記その1:読経と声明の体験

2017年11月26日(日)開催の「修行体験ブッダニア」。



今回、私が参加さえて頂きましたこの催しは、「眼耳鼻舌身意」、それぞれを主題・テーマとした修行エリアにわかれております。

「眼耳鼻舌身意」は、仏教では「六根(ろっこん)」と言いまして、それぞれに対応した「六境(ろっきょう)」「色声香味触法」です。

般若心経を読む人ならば、お経さんの中に出てきますから、よくご存じのことと思います。

ちなみに、六根と六境をあわせて「十二処」と言います。



今回の「修行体験ブッダニア」は、「眼耳鼻舌身意」に沿った修行を体験できる、という事でありまして。



開催時間が14時という事で、少し早めに到着し、最初は「耳」の行に参加しました。

耳の修行では、私がかねてから体験したいと思うておりました「声明(しょうみょう)」を教わり体験する事ができましてね、有り難や、有り難や。



今回教わった「声明」は、「四奉請(しぶしょう)」です。

浄土宗では「香偈(こうげ)」と「三宝礼(さんぼうらい)」の後に読み上げるのが一般的でありましょうか。

「四奉請」とは、私も普段勤行時「香偈(こうげ)」と「三宝礼(さんぼうらい)」の後に唱えておりますが、音程をつけて歌うが如く読み上げるのは、初めての体験であります。



また、真言宗で行じられている「転読(てんどく)」についても学び、体験することが出来まして。

今回は、「大般若経」というお経さんの転読で、御経が書いてある折り本を、ばらばらばらーっと風を起こす使い方を致します。

折り本をバラバラバラっとする事がうまく出来るようになってくると、「おお。」と、何となく気持ち良いもんでありますが、「気持ち良く出来た」と思うのも、煩悩な気が致します。

煩悩を滅するのが仏教の行であるのに、煩悩燃えさかる凡夫なる私。



そして、その集大成的に、各宗派のお坊さん達と共に、「ブッダニア慶讃法会」に参加させて頂き、法要も営ませて頂きました。

お坊さんの声は美しかったり大きくてよく通り迫力があったり

修行体験ブッダニアで、最初に体験致しました「耳の行」「ブッダニア慶讃法会」で、感じたや考えました事が御座います。

以前、浄土宗寺院である菩提寺にて営まれた「十夜法要」にて、若き浄土宗僧侶達の「声明」や、御経を読み上げる声の、なんとも美しく荘厳であること、と、お伝えした事がありまして、そこでも感じた事を再度感じましてね。



参照記事:「菩提寺・浄土宗寺院で若手僧侶達による十夜法要」



声明を一度体験したい、とはっきりと自覚したのは、参照記事に御座います菩提寺の十夜法要です。

今回、その念願叶ったわけですが、声明を教えて下さるお坊さんの声の、まあ、なんとも本堂に響く歌声の美しきこと。

声の出し方が、根本的に違うのであろうなあ、毎日御経さんを唱えて、声明を訓練されている僧侶の声であるのだなあ、と、改めて気づかせて頂いた事に御座ります。



そして普段、如何に自身が全然「声」を意識せずに過ごしているか、という事も、思い知った事です。



また、法要の際に参加させて頂ける「大般若経の転読」を教えて下さった真言宗のお坊さんの声も、すごく大きくて迫力があって、荘厳でありまして。

なんと言いますか、もうね、声の質が全然違う。

こう、響くのですよ、空気が震えると言いますか。



「耳の修行」においては、改めて、お坊さんの声の力、声の素晴らしさを味わわせて頂きました事に御座ります。



機会があれば、一度間近で聞いてみられると宜しいかと存じます。

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修行体験ブッダニア体験記その2:坐禅とお念仏の修行

「耳の行」を終えて、続いては「坐禅とお念仏の行」に参加致しました。



坐禅とお念仏の行は、「意」が主題・テーマです。

「意」を調えるというテーマではありますが、坐禅では「調身・調息・調心」に関連した話も頂けまして、体と呼吸も調える修行をさせて頂いたもので御座います。



今回の坐禅修行体験では、黄檗宗の若き僧侶から教わりました。



坐禅につきましては、私個別としては、最近は月に一回教わりに言っており、以前から臨済宗である東福寺塔頭寺院・勝林寺で教わったことも御座います。

ちなみに、東福寺塔頭寺院・勝林寺の紅葉ライトアップが生中継されていた時、坐禅を教えて下さったご住職がテレビ出演されていた事を、ブッダニアからかえって目の当たりにして、仏縁を感じたものであります。



坐禅に続きまして、再開したかった浄土宗僧侶・秋田光軌上人から、直接お念仏の教えと、念仏体験の行をさせて頂く事が出来まして、大変嬉しかったもので御座います。

法然上人の話や、阿弥陀如来の話も伝えて下さり、お念仏も、今回は初めての人も多かったと言うことで、ゆっくりしたペースで無理なく進めて頂きました。



別時念仏会によっては、木魚で16ビートを刻むのか、というくらいの速さで「なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ・・・」と、延々と唱え続けるところもありますからね。

「ミッドナイト念仏in御忌」では、ちょくちょくとそれくらいの凄まじい速さとなります。

今回は、そんな事はなく、「なーむあーみだーぶなーむあーみだーぶ」と、早すぎず遅すぎず、程よいペースでお念仏を唱えさせて頂けました。



そして、「意」の行が終わってから、坐禅とお念仏を教えて下さった若きお坊さん達と挨拶を交わして、ゆるく話す会へ移動しました。

行をきちんと教わる事の肝要なる事を改めて教わる

今回体験させて頂いた「意の行」での坐禅とお念仏の修行。



坐禅は、東福寺塔頭寺院・勝林寺で初めて坐禅を教わってから、毎日行じており、また、ちょくちょくと坐禅会や坐禅を教わる事が出来る催しに参加して、定期的に教わりに行っております。

この「定期的に伝道者に伝導頂きに行く」というところを私は肝要としておりまして、瞑想修行においても、何度も申し上げていることでありますね。



瞑想は、きちんと伝導・指導出来る人、お坊さんに直接教わり、出来れば定期的に教わって方向がずれていないかと定点観測する事が望ましい、と、瞑想会に参加した報告の度に申し上げております。

私が、定期的にプラユキ・ナラテボーさんの瞑想会に参加する理由も、そこに由来します。



参照記事:「プラユキ・ナラテボーさんの瞑想と対話の会in京都|善友との善き縁と自己牢獄から一歩脱するヒント」

参照記事2:「四諦八正道を繰り返し聴聞す|プラユキ・ナラテボーさんの瞑想会in滋賀前編」

参照記事3:「心が苦しい時のブッダの智慧|プラユキ・ナラテボーさんの瞑想会in滋賀後編」

参照記事4:「プラユキ・ナラテボーさん「お話と瞑想の会・京都」前編|参加した体験談と感想文」



また、直接伝導できる方に直接伝導頂ける場では、直接質問する事も出来ますし、有り難い場でもあります。



今回も、私は普段坐禅している時に起こっている事や、問いたいと思うておった問いを、お坊さんに問うて返答を頂く事が出来ました。

私の問いは、主に身体的な話でありましてね。

陸上競技やボクシングをしていた時代に、走ったりスクワットをして、今も基礎鍛錬だけは続けておるがゆえに、脚が太いためか、結跏趺坐が出来ません。

ゆえに、半跏趺坐という座り方なのですが、それでもしばらくすると、脚だけではなく両肩から両腕、両手まで痺れてきます。



坐禅は、1炷(いっちゅう:線香1本が燃え尽きるまでの時間)行ずるらしく、大体30分から40分ぐらい坐るそうです。

ただ、私は15分くらいでしびれが回り、30分ぐらいで両腕の感覚がなくなるほどに痺れます。

その事を打ち明けると、無理に30分以上と気張らずに、15分くらいから、無理のない範囲から行じていけば良いですよ、と教えて頂きました。



問いたかった事を問い、返答を頂けまして、有り難きご縁であったもので御座います。

修行体験ブッダニア体験記その3:ゆるく話す会

「修行体験ブッダニア」、最後は、「アラサー僧侶達とゆるーく話す会」という、「フリースタイルな僧侶たち」に関わる若手僧侶達と、ゆるく話す会に参加させて頂きました。



私以外の参加者については、プライベートな部分に触れますから、ここでは私のみの話に限定して、話を進めます、ご了承頂けましたら幸いです。



「アラサー僧侶達とゆるーく話す会」は、修行体験ブッダニアでは「舌」の行に位置づけられています。

「アラサー僧侶達とゆるーく話す会」は、ゆるく、とある通り、世間話的な事もOKという、ガチガチした感じがない、ほんわかした感じの会に御座ります。

もっとも、今回の私は、世間話でもOKと言いながら、法然上人の教えについて、若き浄土宗僧侶に訪ねたり、普段感じている事、私の身に起こっている事をがっつり聞いて頂いたのですがね。



ちなみに、「フリースタイルな僧侶たち」では、定期的にゆるく話す会を設けて下さっています。

「フリースタイルな僧侶たち」のウェブサイトで、開催予定を確認することが出来ます。



参照先:「フリースタイルな僧侶たち」



今回の「ゆるく話す会」にて、私は「念仏で人を叩いてしまう事がある」と、打ち明けました。

いや、別に木魚のバチや、木魚そのもので人様を打つ、という事ではありませんからね。

そういう意味ではなく、これは、以前も別時念仏会に参加したときの、私の意・心の動きや、考えてしもうた事を吐露したの繰り返しになります。



どういう事かと申しますと。



私が現在もやらかす事なのですが、「お念仏をもって他者と比較する、他者と私のお念仏を比較して優劣をつける」という事を、やらかしてしまうのです。

実は、今回の修行体験ブッダニアにおけるお念仏の行でも、やらかしてしまい、すぐに気づいたのですが、気づいたが故に「ああ、私は何もわかっとらん凡夫だ。」とも思うに至りまして。



お念仏で他者を叩く、お念仏で比較して優劣をつける、というのは、こういう事です。



私、毎日十念したり、念仏行脚的に歩きながら「なむあみだぶなむあみだぶ」と、つぶやくことがよくあります。

歩いている時にお地蔵さんを見つけては、合掌、礼拝して、南無阿弥陀仏と歩き出す、という事も御座います。

また、別時念仏会にもちょくちょくと顔を出しておりますから、普段からお念仏の声を発しておるのですが。

ゆえに、今回のお念仏の行、私はこれも一つの別時念仏会と思うて参加しておったのですが、ついついこういう事を賢しらに考えてしもうておりまして。



「あ、隣の人よりも私は大きな声でお念仏している、だから、私の念仏の方が優れている。」と、こんな事をやらかすのです。

なんとも、慢の煩悩燃えさかる凡夫でありましょうか。

法然上人は、一枚起請文にて「知者の振る舞いをせずして、ただ一向に念仏すべし」と教えて下さっているのに。



お念仏で自他の優劣をつけるなんて事をしてしもうておる事に、比較して優劣を考えた次の瞬間に、一枚起請文の教えがささやきかけて下さり、その光明によって己の影がくっきりと観えて、そこに悶えております。

そういう事をやらかす私の悪人性、凡夫の性(さが)について、ゆるく話す会で全然ゆるくなく吐露した事に御座います。



お坊さんは、「一回一回、その都度その都度、一つ一つ気づいて修正していく、これを続ける事」と、教えて下さいました。

地道な事ではありますが、確かに、今のところはそうする他ないなあ、と、頂きました事に御座ります。



こういった話をして、私が思うておったことや、身に起こっていることを話し、それに応えて頂くというやりとりを過ごさせて頂きました、ゆるく話す会。

こうして終了時間までいさせて頂き、「舌」の行も終了し、帰路に着きました。



今回の「修行体験ブッダニア」での体験は、私にとって、有り難き仏縁で御座います。



合掌、礼拝

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