御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。
2018年11月17日(土)は、大阪の三津寺(みつでら)にて、「ブッダニア」という仏教修行体験が出来る行事が御座いました。
去年も参加させて頂く御縁が御座いました、この「ブッダニア」。
2018年も参加させて頂く御縁があり、久方ぶりに顔合わせするお坊さん達もいらっしゃり、有り難き仏縁賜った一日でありまして。
2018年のブッダニアでは、三つの仏道修行を体験させて頂き、有り難き経験を積ませて頂いた事に御座います。
そんなわけで、今回は、ブッダニア2018で体験して参りました事柄を、お伝えすることと致します。
尚、去年の様子につきましては、最後辺りに過去の記事のリンクを張っておきます。
併せてお読み頂くと、より雰囲気をつかめるかもしれませぬ。
Contents
ブッダニア2018年、一つ目の体験:浄土宗の三唱礼と声明
午前中に、ブッダニアの開催地、大阪府御座います三津寺に到着し、早速、午前中の修行体験に参加致しました。私がブッダニアの午前中に参加した修行体験は、「浄土宗の三唱礼と声明」です。
実はこれ、2018年11月11日に、菩提寺で十夜法要がありまして、そこで体験した事と似ており、改めて浄土宗の法要と御縁頂けたなあ、と、有り難く思うたもので御座います。
三唱礼も、増上寺で土屋正道上人をはじめ、観智院のお坊さんの見よう見まねでさせて頂いたり、龍岸寺にて池口龍法住職から直接教わった作法と同じで、私にとっては取っつきやすかった印象です。
浄土宗の三唱礼は、立ったり座ったりを繰り返す作法で、維那と呼ばれる進行役の方と、そのほかの人達が交互に立ったり座ったりを、お念仏しながら繰り返します。
最初は、三唱礼を練習し、30回の三唱礼を本番にて行じまして。
その後は、浄土宗の声明を、二人の綺麗な声のお坊さんが読み上げて下さり、本堂に美しく響く声明を聞かせて頂きました。
菩提寺のお坊さん達もそうでしたが、浄土宗の声明は、本当にええなあ、と、思う私に御座ります。
十夜法要で聞くことが出来る可能性がありまして、御縁が御座いましたら、一度聞いてみられると宜しいかと存じます。
半音の上げ下げや、「うぃっ」と、音が変化しながらピタっととまる瞬間など、音楽的にも、なにかこう、ええなあ、と思うことに御座いました。
訓練された浄土宗の声明は、ほんに聞き応えが御座います。合掌、十念、礼拝。

小休止:西本願寺のナーランダで伝道下さったお坊さん達との再会
午前中の修行体験が終わり、午後は少し外へ出て食を頂いてから、休憩できる場所で小休止を頂きまして。実は私、午前中の三唱礼で、声の出し方が宜しくなかったのか、喉を少しやられてしまいましてね。
午後一発目には、大般若経転読や浄土宗と日蓮宗の勤行の修行体験があったのですが、今回は見合わせました。
とてもじゃないけれども、あの状態で「だーいはんにゃ・・・」と、大声張り上げたら、喉つぶれかねませんでしたがゆえに。
なんとも軟弱な凡夫なる私です、いかがせん、いかがせん。
そうして、喉を休めるためにも、ブッダニアの休息できるスペースへ移動して、お茶を頂いていたら、昨年会ったお坊さん達と再会できました。
その中に、西本願寺のスクールナーランダにて、私の長話におつきあい頂き、お導き頂いたお坊さんとも会えまして。
スクールナーランダの時から、色々と変化したこと、仏法を頂いて行ずる中で、苦しくはあっても、苦しみ方にも変化があったことなどを、お伝え致しました。
苦しむことはあっても、苦を感じるという仕方で仏法が届いて下さっている事を感じ取っているということでもあるのだなあ、ということに気づいた事など、それまであったことや変化を、赤裸々にお伝えしまして。
本当に、じっくりと、上手く話せぬ、話すのが苦手で上手く言葉を紡げない私のような凡夫にも、耳を傾けて導いて下さるお坊さん達の、なんとも有り難き事か。
そのような過ごし方にて、次に控えている午後からの「口称念仏と踊り念仏」の開催時間まで、有り難き時を過ごさせて頂きました。
お寺さんの中で、お坊さんと共に過ごす、話をする、という時空間は、有り難き仏縁なり。
ブッダニア2018午後の部、後編その1:口称念仏と初体験の踊り念仏
ブッダニア2018の午後からは、まず「口称念仏と踊り念仏」を体験して参りました。口称念仏は、別時念仏会(べつじねんぶつえ)や勤行などで、お念仏申しておる私にとっては、馴染みある行に御座います。
一方、踊り念仏・踊躍念仏は初めての体験でありました。
まずは、浄土宗僧侶が叩く木魚にあわせて、一同でお念仏を7分ほど。
声の調子も、お茶を頂いてからはだいぶ戻って参りまして、この時はなんとか声を出してお念仏申す事ができまして。
お坊さんが、最初に発声練習から始めて下さったのも、よき縁となったのであろうと思います。
そうして、馴染み深きお念仏の時間が終わり、次はいよいよ、私にとって初めてとなります、踊り念仏へ。
最初に、時宗僧侶から、時宗と一遍上人についての座学講座から始まりまして、こちらもなかなかに興味深い話でありました。
時宗では、踊り念仏の他に、二つの行がありまして、それらをあわせて「三大行儀」と言うそうです。
私、時宗については、次の図書で一遍上人について少し読みかじった程度でありまして、時宗について殆ど知らないなあ、と、改めて思い知った次第で御座います。
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法然上人と親鸞聖人についても解説されている本ですから、日本の浄土教において重要人物を、一冊で入門的に触れる事ができる良書であると、私は頂いておる一冊に御座います。
そうして、座学的な話を終えて、いよいよ時宗の踊り念仏を実践。
踊り念仏では、節のついたお念仏と共に、最初は前に歩を進めて、節が変わったら後ろに歩を進める、ようするにバックするという感じです。
前に進んだと思ったら、次は後ろに進んだりと、最初の内は戸惑ったものでありました。
歩きながらの念仏は、念仏行脚であったり、行道(仏の周りをぐるぐるとお念仏申しながら回り続ける行)を体験しましたが、節をつけたお念仏と共に、踊るように前に後ろに、というのは、初めてです。
そうして、初めての踊り念仏も終えて、次は前回も参加させて頂いた、黄檗宗の僧侶に教わる坐禅の時間へと続きます。
ブッダニア2018、この日最後の修行体験:シェア坐禅
ブッダニア2018の、私にとって最後の修行体験となったのは、「シェア坐禅」です。シェアというのは、坐禅を終えた後で、各々が何を感じたり、どのような感じだったのか、ということをシェアし合うというものです。
この辺り、プラユキ・ナラテボーさんの瞑想会では、時折、シェアの時間を設けて下さる事もありまして、シェアの時間は瞑想会と似たような感じでありました。
シェア坐禅では、「調身・調息・調心」という、三つの事柄を調えるという話をして頂きました。
この辺りの話は、座禅会に参加された方でしたら、見聞きしたり、実際に教わったという人もいらっしゃるかと存じます。
その後は、お坊さんが座り方の詳しい説明をして下さり、最初に1分間の坐禅をば。
続いて、20分ほどの坐禅をしました。
坐禅は、大体30分から40分、線香一本が燃え尽きる間の時間「一柱」と呼ばれる時間を坐るのですが、今回は初体験の人もいらっしゃり、20分を区切りとされました。
そして、20分間の坐禅を終えて、シェアの時間へ。

あ、上のイラストは、警策と呼ばれる棒が描かれてありますが、今回は警策で叩くということはありませんでした。
雑念なり、一念が湧いてきては、気づいて調える、の繰り返し
私は、今回のシェア坐禅でも、数息観というものを行じてみたのですが、「ひとーーーつ」の「ひとーー」くらいで、別のことを考えたりと、放逸になりがちでありました。そして、放逸に気づいたら、また不放逸に戻って、の繰り返しです。
この辺り、プラユキ・ナラテボーさんから、「受容」という在り方を伝授頂いていたこともあり、放逸な自身を責めるということはしなくなりましたが、やはり、雑念が湧くこと多数であります。
臨済宗の細川晋輔さんに、シェア坐禅の1ヶ月ほど前に「二念三念を継がない」ということを教わっていたこともあり、雑念の連想ゲームをしても、なんとか気づく事は出来るようになっておりましたが、まだまだ放逸な凡夫です。
その辺りを、シェア坐禅の時にシェアさせて頂き、同時に、放逸に気づいて戻る、ということを繰り返していくしか無い、ということを、改めて思うたことに御座います。
個人を特定するような内容は申せませんが、参加された方々も、私と同じような感じで、雑念が湧いてくることがよくあった、と、話して下さいました。
そして、それだけ普段は色々と物事を考えている、考え事が多すぎるのではなかろうか、ということも、改めて思い知らされる経験となりまして。
だからこそ、坐禅を一度やったからもういいや、ではなく、日々行じていく、それこそ、勤行やお念仏と共に、日常のどこかの時間に坐る時間を入れておくであるなあ、ということを、思うたことに御座います。

ブッダニア2018、良き縁なり
今回は、ブッダニア2018に参加させて頂き、実際に行じた修行体験について、お伝え致しました。尚、昨年のブッダニアの様子は、こちらに御座ります。
参照記事:「ブッダニア体験記:坐禅にお念仏に僧侶とゆるく話す会等々参加して参りました 」
また、スクール・ナーランダについても少し話題にしましたから、こちらも参考までにお伝えしておきます。
参照記事:「スクール・ナーランダ、ごえんさんエキスポに参加した感想体験談|お坊さんに導いて頂く」
ブッダニアは、普段からお寺によく行かれて、お寺と御縁がある人にとっては、更に一歩踏み込んで仏教を体験する良き縁となるのではなかろうかと、体験から感じておることに御座います。
また、「仏教ってどんな感じで、どんなことをするのだろう?」「お坊さんってどんな修行をされているのか?」という疑問を持っている人にとっては、その入り口を観る御縁となるかと存じます。
それに、日常とは違う価値体系からの助言であったり、社会の価値体系とは違う価値体系をもたれるお坊さん達と話が出来る、有り難き御縁でもあろうかと、私は思うております。
もしも、今後ブッダニアが開催される御縁があり、あなたとブッダニアで会うことが出来ましたら、有り難き御縁だえると頂く事に御座います。
合掌、礼拝