下手なダイエットプログラムより仏教の智慧|身心とお金を消耗しないプラユキ・ナラテボーさんによる食の教え

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。

娑婆世界には、色々なダイエットプログラムがあり、高額なダイエット合宿プログラムなるものも御座います。
私も、ボクシングの経験がある事から、体重調整という意味でのダイエットには、未だに目がとまりましてね。



ダイエットという言葉本来の意味は、重量調整なのですが、現代社会ではもっぱら「痩せる」という意味で使われております。

そして、未だにスリムで痩せているという事が、一定の高い価値を有しており、様々なダイエットプログラムも繁盛しているようですな。

現在は、心身共に健康な状態を保ち、リバウンドもしないダイエットプログラムも開発されており、重量調整も進化したものです。



ただ、そういう最新のダイエットプログラムや、合宿にて一気に痩せられるプログラムは、お金もかかります。

お金もかからずに、しかもリバウンドせず心身共に健康なダイエットを実現するという事に、興味がある方も、多いのではないかと存じます。



そのような最中、プラユキ・ナラテボーさんが、高額なダイエット合宿プログラムや、高いお金を使わずとも、ダイエットに繋がる話をして下さっています。



参照記事:「マインドフルネス瞑想の簡単な方法|プラユキ・ナラテボーさんの手動瞑想と応用」

参照記事2:「マインドフルネス瞑想の簡単な方法|プラユキ・ナラテボーさんの手動瞑想と応用」

参照記事3:「不安解消に効果があるマインドフルネス瞑想を体験してきました」

参照記事4:「マインドフルネス瞑想入門にプラユキ・ナラテボーさんの本や講座が良い2つの理由」



プラユキ・ナラテボーさんとは、タイのスカトー寺にて副住職をされている日本人比丘です。

比丘(びく)とは僧侶のことで、現在は日本とタイを行き来して、瞑想伝導をされており、ご自身もタイでブッダの教えに則った修行や食生活によって、10kg減ったり、健康的な身体になったという経験をお持ちのお坊さんです。

プラユキ・ナラテボーさんについては、こちらでお伝えしております。



そんなプラユキさん直伝の、ダイエットとしても理に適っている話を紹介しつつ、下手なダイエットプログラムで身心とお金を消耗しない智慧をお伝え致しましょう。

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高額なダイエット合宿プログラムの別名は「拷問部屋」

プラユキ・ナラテボーさんの、ダイエットにまつわる話の中で、ある記事が紹介されておりました。

それは、セレブ御用達のダイエットブートキャンプ、4日間でリバウンドもしないダイエット合宿プログラムについての記事です。



何はともあれ、まずはそちらを読んで頂きましょうか。

じっくりと読まれてから、また戻ってきて頂ければと存じます。


はい、おかえりやす。



プラユキ・ナラテボーさんのTwitterは、辻説法的な感じでありましてね。

私も、プラユキさんのTwitterにて、仏法を頂いている身で御座います。



今回紹介させて頂いた、上のTwitterでの記事ですが、46万円もするダイエット合宿プログラムについて、触れられております。

ボクシングの経験上、減量は日数をかけて徐々に重量を階級のリミットまで調えていくというものであるというのが、私のダイエット論です。

ゆえに、94時間・4日間でリバウンド知らずのダイエット成功合宿プログラムというのは、確かに印象的・キャッチーではありますが、なんだかなあ、という気が致します。

あくまで、階級制の競技スポーツの世界におった私の肌感覚ではありますがね。



また、この記事では、4日間のダイエット合宿プログラムは「拷問部屋」なんて言われ方もしております。

人の趣味趣向によるでしょうが46万円も払って、拷問受けたいでしょうかね。



きついダイエット合宿プログラムというと、日本では時々テレビ番組で、知足庵という断食道場が紹介されておりますが、費用は、9泊10日で5万円と、費用は随分と開きがあります。

単純に同列比較は出来ませんがね。

ダイエット(重量調整)や、体重の増減の原理はわかっちゃいるけど・・・

そもそもとして、生物の体重・重量が増えたり、太る原因は明らかですし、痩せる原因も明らかにされております。



食べた分はきっちり動く、よく動いて暴飲暴食せず、摂取量はきちんと節制する。

ダイエットの基本原則は、これだけです。



ただ、それが上手く出来ないからこそ、このような「短期間でリバウンド知らずの、ダイエット成功合宿プログラム!」なんてものに頼る人が後を絶たんのでありましょう。

でも、そういうものは、往々にしてお金がかかります。

出来れば、お金を掛けずとも、きちんとダイエット効果があって、しかもリバウンドせず、身心ともに健康であり続ける事が望ましいのは、あなたも同感だと思うところではないかと存じます。



そこで、プラユキ・ナラテボーさんが伝えて下さっている、仏教の智慧が力を貸してくれるのです。

仏教の教えに則った食生活によるダイエット:食の戒は窮屈で自由がない?

プラユキ・ナラテボーさんの記事では、食に関する戒について、伝えて下さっています。



プラユキさんの場合は、実際に瞑想会や懇親会で、その戒律をきっちりと守られた、比丘としての食生活を見せて頂いております。

例えば、午後は固形物を食さないとか、アルコールは一切摂取しないなど、ですね。

夜の懇親会でも、アルコール飲料も固形物も、一切食されていない事を、この目で見ております。



この現場を観た人によっては、一見すると「戒って、なんだか自由がないし、きつそう。」と思われるかも知れません。

また、「なんだか窮屈で、お金を払ってでも、サクッと痩せられるダイエットの方が魅力的だ。」という比較をされる可能性も見出されます。



しかし、実際に仏教の中に生活がある、仏法や戒律に守られているという感覚感性に気づくと、「戒によって守って頂いている」という事柄が、しっくりくるものです。



その事は、食についての戒がダイエットにも繋がるという話に、繋がって行きます。
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私の体験:戒や勤行で善知識の教えによる生活信条に守られているという実感

戒が、なぜ仏教が言う「自由に生きる」という事に繋がるのか、実は戒に守られている事が言えるのか。

その事を、私が体験を通して実感している事からも言えます。



私は、浄土宗の勤行を朝と夜にさせて頂いておりまして。

その時に、法然上人の御教えを読ませて頂き、その時に、生活信条にもなっている御文(手紙)であったり、御経さんを読ませて頂いております。

そこには、「小さな罪も犯さないこと」「賢いヒトデあると言う事を自慢するような振る舞いをしないこと(智者の振る舞いをせずして)」等々の事が書かれています。

そのような教えと毎日出会わせて頂き、それを「戒」として律する生き方をしております。



この仏法・御教えが染みついてくると、例えば在る時、横着しようとすると致しましょう。

このような横着しそうになった時に、「それは、小さな罪を犯していることにならないか?」と、戒の方から呼びかけて頂けるようになっている事に、ふと気がつきました。

こればかりは、もう体験して頂かないとわからないのですがね、言語化の限界です。



ただ、実際に私は、例えばちょっと横着して、足で者を動かそうと思ったときに、ふと「あ、今この所作は横着ではなかろうか?」と、気づかせて頂く事が多くなりました。

恐らく、法然上人の教えを頂ける浄土宗の勤行と共に、プラユキ・ナラテボーさん直伝の「気づきの瞑想」を、朝と夜にし続けていることにも由来するだろうと観ております。



仏法を毎日の中できちんと頂き、そこから戒律を頂き続ける事で、その戒律が生活を、在り方を調えるように守って頂いている。

私は、仏法を頂き続けているうちに、そのような感覚が出来たもので御座います。



それゆえに、プラユキ・ナラテボーさんの「戒律は自分を縛り自由を妨げる縄ではなく、実は自分を守ってくれていて、戒律があるから自由である」という教えがしっくりきたのです。

(ここでいう「自由」は、「自らに由る」ということで、戒律に守られているからこそ、道を踏み外さぬように守られつつ、自らに由った一歩を続けられる、という事です。)



また、仏教の戒律には、原理的に「やろうと思えばやれる」ということを、「出来るけどやらない」という方向性を持っています。



例えば、仏教の代表的な戒に「悪口を言わない」とありますが、言おうと思えば悪口を言うことが出来ます。

でも、悪口を言えるけど言わない、と戒を頂く事で、口業(くごう)を調える事になるのです。



ダイエットの話でしたら、沢山食べようと思えば食べられるけれども、腹八分目で食事を終えるという戒を自らに課す、といったものですね。

そうすることで、暴飲暴食であったり、過食による栄養過多や肥満を防ぎ、身業(しんごう)が調えられるのです。



自らに由りて守る戒に、実は守られているという事は、こういうことなのです。



尚、「戒に守られている」ということについては、プラユキ・ナラテボーさんの「自由に生きる」に詳しく述べられていますから、そちらも読んで頂けましたら、より理解が深まるかと存じます。

自由に生きる

自由に生きる


  • 作者:プラユキ・ナラテボー
  • 出版社:サンガ
  • 発売日: 2015-12-25

食生活も戒律に守られて調えられるから、無理なくダイエットが出来る

この事を踏まえて。



戒律は、自らに由って律するものです。



誰かに強制されてやるのも、確かに一つのダイエット方法ではありましょう。

でも、強制されたり、4日で一気に痩せるというのは、その時だけは痩せても、抑圧されたことによる反動(リバウンド)の怖さが御座います。

これは、プラユキ・ナラテボーさんの「脳と瞑想」でも解説されていましたが、自己啓発の負の側面にも共通する事柄が御座います。



どういう事かと申しますと。



確かに、高いお金を掛けてダイエット合宿プログラムに参加すると、「非日常」と「場の力」が作用して、高揚感からダイエットを成功させることは出来るかもしれません。

しかし、日常に戻ったら「非日常」と「場の力」がなくなり、元の木阿弥、という事になってしまう危険性も御座います。

これは、瞑想難民になってしまう事柄にも繋がりますね。



一方、仏教の戒、そこからなる生活信条を大切にした生活様式は、その場しのぎの事ではなく、日常に戻ってからも続く事を前提としております。

プラユキ・ナラテボーさんが、スカトー寺に訪れた人に、日常に戻ってからもきちんと調えられるように伝導されていることは、そのような背景があるからです。

仏教の教えに則ったダイエットの力は、ここにあります。



ダイエットというと、単に「痩せる事が目的であり、目的を達成すること」が、主眼に置かれることがしばしば御座います。

それはそれで大切な事ではありますが、仏教の教えに則ったやり方は、食生活であったり、食と自己との関係性について「気づき」と「洞察」を伴う事も大切にします。



その事については、プラユキ・ナラテボーさんの記事の中で、この部分にて学ぶ事が出来ます。


日本で生活していると、コンビニなどがあって、すぐに「食べる」ことができますよね。

(中略)あれも食べたいこれも食べたいと欲が増幅して、食に溺れていきます。

でも、仏教の考え方に則って食べれば、そういう生き方から脱却し、本当に必要なものだけを摂取して、簡素だけれども精神的に豊かな生活を送ることができるようになります。

※「心身に最良のダイエットは、仏教の教えに則って食べることです」|プラユキ・ナラテボーさんが教える「この特集が最高!」
https://courrier.jp/news/archives/80433/より引用

仏教の教えに則った食生活や戒律を知る事は、ただ体重の増減というダイエットだけではなく、食についてもきちんと考える善き縁であるのです。



戒律により、自己が調えられ、調えられた自らに由る生き方が出来る、それが食生活にも通じる。



ゆえに、戒律は自己を自由にしてくれますし、戒律により自らに由った食の在り方も調えられ、それがダイエットにも繋がるという寸法です。



今回紹介させて頂きました、プラユキ・ナラテボーさんのTwitterの御法話と、紹介されております記事を読めば、仏教の教えに則った、リバウンド知らずの調えられた食生活を手に入れつつ、ダイエットも成功する可能性も御座いましょう。

今回の話が、あなたにとって良き仏縁となり、身・口・意の三業が調いながら、ダイエットも上手く行く一助となれば、嬉しゅう御座います。



合掌、礼拝

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