「人はなぜ物語を求めるのか」(千野帽子さん著)の読書感想文|私の味わい方

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。

千野帽子さんの「人はなぜ物語を求めるのか」を読み終えまして、今回はその読書感想文です。
この本は、プラユキ・ナラテボーさんがTwitterで話題にされていてた事と、私も物語については、別の御縁で非常に興味・関心を持っているところでありまして。

物語というと、私は釈徹宗さんの本や講演、テレビでの話で「ナラティブ(代替不可能な物語)」という概念も、学ばせて頂く機会もあり、そこから興味が深まっております。

また、プラユキさんがリツイートされた話で、「気づきによる次の一歩を、別の角度から論じられている」というところにも引かれましてね、それで早速本屋で購入し、読み進めたわけで御座います。



結論から申し上げますと、私にとっては良書であるという物語を味わう御縁を頂きました。

そして、この本を読み進めながら、改めて、私は仏教・仏法というフィルターがあるんだなあ、という事にも気づかせて頂き、学ばせて頂いた次第であります。

私の物語の紬ぎ方、言うなれば認知特性も、改めて考えさせて頂いた私にとっての良書です。



今回は、私の味わい方による読書感想文ですが、お付き合い頂けましたら、嬉しゅう御座います。

WEB連載時には「人生につける薬」とありましたが、まさに、と思うた程です。

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「人はなぜ物語を求めるのか」(千野帽子さん著)は、「人生につける薬」というのは、確かにと思う

千野帽子さんの「人はなぜ物語を求めるのか」を読み終えて、率直な感想。



「読み物としても面白い(興味深いという意味で)、そして人生につける薬というのは確かになあ、と思う」といったところです。



そして、千野帽子さんは、読書量も多いであろう事が、最後に提示して下さっている参考図書の欄を観てわかります。

そして何より、これは後にお伝え致しますが、読者に対して誠実なところが、要所要所で垣間見られました。

これについては、御経であったり、法然上人の「選択本願念仏集」であったり、唯円さんが書かれたとされている「歎異抄」の注意書きにも共通するかな、と観じたもので御座います。



あ、この譬えであったり例を持ってくるところも、ポイントですよ。

私に対して、「修羅観音は、いつも仏教に関連する事柄で譬えようとしている、仏教フィルター全開じゃん。」と思われた方、そこが肝要なところで御座います。



こういう「認知の癖、自分がどういう認識の仕方をしているかの気づき」についても、「人はなぜ物語を求めるのか」で学ぶ事が出来ます。

自身が、どのような認知の仕方をしているのか、その癖を知る事は、まさに「人生につける薬」となりましょう。



故に、私はWEB連載時に「人生につける薬」という題が付いていたことに、「まさに!」と思うた次第で御座います。

千野帽子さんの「人はなぜ物語を求めるのか」で私なりに味わい学ばせて頂いた事

千野帽子さんの本「人はなぜ物語を求めるのか」で、私は色々と学ばせて頂いております。

それこそ、冒頭でお伝え致しました、プラユキ・ナラテボーさんの「気づき、次の一歩を自由(自らに由る)に選択出来る」という事も含めて。

それについて、話を進めて参りましょう。

「人はなぜ物語を求めるのか」で味わい学んだ事1:霊感商法や詐欺の物語

私が、「人はなぜ物語を求めるのか」で学んだ事の中で、最初は実用的な事柄を取り上げます。

恐らく、実社会でも役立つであろう事の方が、関心ある人は多いでしょうからね、私の勝手な憶測ではありますが。



役に立つ、という事を前面に出したお味わいと学び。



それは「霊感商法や詐欺師が紡ぐ物語を見出すことが出来る」ということです。



「劇場型詐欺」と呼ばれる詐欺の手法もあり、人から罪・お金をだまし取る手口も、ストーリー仕立てになっていると言う事は、以前から言われていましたね。

まさに、物語や人の認知機能を悪用した典型例と言えましょう。



そういえば、認知科学者を自称するセールスのプロなる輩がおりましたが、自己啓発詐欺師と共謀していた事もありましたよ。

実際、私はそやつらのセミナーに潜り込んだ事ありますし。

「ダンスとかハイタッチとか、詐欺だから」とか言っていたその認知科学者は、ダンスとかハイタッチをお客様にさせまくって金品をだまし取る自己啓発詐欺師とがっちりタッグを組んでましたからね、いかがせん、いかがせん。



こういう物語を悪用した詐欺師の手口や、霊感商法の手口については、第2章と157ページを読めば、学び取る事が出来ます。



世間的に不幸だと思われる出来事に遭遇したとき、その原因がはっきりとわかると、人は安心します。

わからない、とか、はっきりしない、というのは、物事をはっきりと白黒付けたがる昨今の空気感からすれば、気持ち悪さやいらだちを感じるという人、思い当たる節はありませんかね。

そんな時に、「あなたが不幸に見舞われる原因は、ずばりこれだ」と言われたら、安心してしまいませんかね。

それが譬え、冷静に考察すれば、荒唐無稽であったり、嘘八百であっても。



冷静でいられない状態で、そのようにあたかも「言い当てられたっぽい」雰囲気に飲み込まれたら、もう相手の思うつぼです。

霊感商法宜しく、「それを解決するには、私に従いなさい、はい、50万円、100万円」という具合です。



最近の、ネットビジネス系の詐欺師も、セールスレターでこの手口なりロジックを用いております。

ストーリー仕立てのセールスライティングなりコピーライティングを学べると、一時ネットビジネス界隈で話題になった「神話の法則」も、悲しい事に悪用された節があります。

セールスレターの中で、相手を惑わせて思い通りに金を取るために、物語を悪用している輩は、インターネットビジネス業界や自己啓発業界には、特にはびこっております。



このような我利我利亡者なる詐欺師の餌食にならぬ智慧を、「人はなぜ物語を求めるのか」では学べます。



実用的な学び方がしたい、という人には、まずはこのことをお伝えしておきます。



ただ、「本は実用的であるべきだ」という認知の仕方をしているのであれば、その事にも「気づく事」が肝要ではなかろうか、と、注意申し上げておきますがね。
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「人はなぜ物語を求めるのか」で味わい学んだ事2:「因縁生起・因縁果」の認知の癖

「人はなぜ物語を求めるのか」で、学ばせて頂いた事の二つ目。



それは、「因縁生起・因縁果、物事の関係性を因縁関係という認識の仕方で偏っていた事に気づかせて頂いた」ということです。



この本で、仏教・仏法を学び続けている私の認知の癖を自覚させて頂き、調える智慧を頂いたものです。



禅語に「善因善果、悪因悪果」が御座います。

これは、自己を調え戒め、行動を暴走させないための大切な智慧で御座います。

一方で、「良い事をすれば良い事が起こる、悪い事をすれば悪い事が起こる」という思考に執着してしまう怖れもあります。



私の場合、良いと思った事を頑張ってやったけれど、それが余計なことであったり、人を怒らせたと言う事は、これまで何度も何度もありました。

そのような体験をしているにも関わらず、こういう認知パターンに囚われてしまう事は、未だに御座います。



また、そもそもとして「因果論・因縁果」は、それはそれで大切な教えでありますが、私はそれに囚われがちではなかろうか、と言う事を確認させて頂いたのが、「人はなぜ物語を求めるのか」です。



例えば、以前Rubyのif文やcase文で、「if文は、是有れば彼有り、という因縁生起のようである」とお伝え致しました。



参照記事:「文系がプログラミングの苦手意識を克服する具体的な2つの方法|仏教者である私の場合」



プログラミングの理解の仕方、一応の分節の仕方としては、これはこれで一つの仕方ではあります。

しかし、だからといってそこに執着しすぎて、全てを因果論にするにも限界はありましょうし、時には無理や不具合が生じます。

そこを突いてくるのが、霊感商法であったり詐欺師です。



その事を教えて下さったのが、「人はなぜ物語を求めるのか」で千野帽子さんが書いて下さっている、「前後関係を因果関係にすり替える」という話です。



例えば、神社にいってお参りする時、おみくじを引いたら大吉だったとしましょう。

そして、帰り道でスターバックスに立ち寄ったら、「あなたが当店1万人目のお客様です!」と、珈琲を無料で飲めた上に、粗品を貰ったとしましょう。



そんな時、こういう認知の仕方をしませんかね。

「おみくじで大吉だったから、スターバックスで珈琲が無料で飲めた上に粗品も貰えた。」と。



この出来事を時系列的に観れば、「おみくじを引いた」事と「スターバックスで無料で珈琲が飲めて粗品も貰えたこと」は、時間の流れの上では、前後関係にあります。

先に神社で大吉を引いた後に、スターバックスに行った、そうしたらたまたま珈琲を無料で飲んで粗品が貰えた、というだけの話です。



しかし、人は因果関係の物語を紡ぐ認知の癖がある人は、「神社で大吉を引いた「から」、スターバックスで無料で珈琲が飲めた上に粗品も貰えた」と、認知します。

こういう認知のパターン、出来事が時系列に順繰りに起こっているだけのことを、因果として関係を結ぶ事は、よくあることです。

しかも、それが無意識的に行われるというのが、日常ではありませんかね。

(これはこれで、一つの物語でありますし、良い悪いを言いたいわけではありませんから、そのところ、ご注意をば、そういう癖が人にはありますよ、という話をしたいのです。)



仏教では、そういう認識パターンを戒める教えもありますが、一方で「因縁生起」であったり、物事の関係性も大切に説く教えが御座います。

因縁論、因縁果を大切にしながらも、そこに執着しない智慧と気づきを、「人はなぜ物語を求めるのか」にて教わりました。

「人はなぜ物語を求めるのか」にて学んだ事3:プラユキ・ナラテボーさんの「気づきの瞑想」

「人はなぜ物語を求めるのか」にて、味わい学ばせて頂いた事。



それは、「プラユキ・ナラテボーさんから教わり実践している、気づく事で次の一歩を自由(自らに由る)に選択出来る」という事の再確認です。



これについては、プラユキ・ナラテボーさんのTwitterで、「人はなぜ物語を求めるのか」にて、その事が別の切り口で書かれている、とありましてね。

千野帽子さんの「人はなぜ物語を求めるのか」を読もうと思うたきっかけが、実はこのTwitterでのやり取りでありました。

そして、実際に読み終えて「確かに!あの部分はそのように頂きました。」と、実感しております。

私は、プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想会にて、その事を直接教わっております。

参照記事:「不安解消に効果があるマインドフルネス瞑想を体験してきました」

参照記事2:「プラユキ・ナラテボーさんとヒビノケイコさんの対談動画から学ぶ|自己啓発で消耗している場合ではない」

参照記事3:「プラユキ・ナラテボーさんの「自他の抜苦与楽」はブログの作り方と運営に大切な事」

参照記事4:「マインドフルネス瞑想の効果|日常で活かされた3つの体験」



プラユキ・ナラテボーさんの御教えを、別の切り口で書いて下さっている部分は、107ページと174ページから続く「南伝仏教における行為選択可能説」に、見出しております。

詳しくは、本を読んで頂ければと思うところですが、この「行為選択可能説」というのが、まさに「気づきにより次の一歩を自由(自らに由る)に選択出来る」という事を、見事に表現された言葉である、というお味わいを頂いたもので御座います。



プラユキ・ナラテボーさんの手動瞑想や、昨今話題になっているマインドフルネス瞑想は、言うなれば「気づきの瞑想、気づく事・自覚を修行する」と言い換えても、外れてはおらんでしょう。



そして、この「気づく事」は、無自覚に物語を紡ぐ人なる生き物が、「自らに由る生き方」を育む上で、肝要な事に御座います。

「人はなぜ物語を求めるのか」では、仏教の話も取り入れながら、「無自覚なストーリー作りをやめる」というわかりやすい表現を用いて、伝えて下さっています。

この辺り、人生における妙薬、「人生につける薬」が、確かになあ、と私が観じたところに御座います。

人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書)

人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書)


  • 作者:千野 帽子
  • 出版社:筑摩書房
  • 発売日: 2017-03-06

「人はなぜ物語を求めるのか」はカバーしている範囲が多い学び多き良書、そして誠実だと観じます

「人はなぜ物語を求めるのか」から、私は上記以外にも色々とお味わいを頂いております。

あまりだらだらと話しても、消化不良になりかねませんから、今回はこの辺りに留めておく事に致します。



最後にもう一つ、著者である千野帽子さんの、読者に対する誠実さを、要所要所で観じたという話をしておきましょう。

あくまで、読書感想文という表題の通り、私がそのように味わった、という話ではありますがね。



千野帽子さんは、「人はなぜ物語を求めるのか」にて、たびたび注意を施して下さっています。

また、ご自身の主張である部分は、きちんと「僕はこう思います」というような文言を入れて下さっています。

この辺り、「一般論」であったり「べき論・はずだ論」などの怖さや、言葉であったり、物事を伝える事の難しさも知っていらっしゃる事が読み取れます。



例えば、57ページでは、このように書かれています。


本書の説明も、「滑らかでわかりやすい」と感じる部分があったら、どうぞ用心してください。

※千野帽子さん著「人はなぜ物語を求めるのか」57ページより引用

また、123ページにも、こうあります。


本書の文章にも「人間は」という大きな主語が数多く含まれています。ご用心。

※千野帽子さん著「人はなぜ物語を求めるのか」123ページより引用

本の読み方も学ばせて頂けるお味わいがあるなあ、と、この文章と出会った時に、観じたもので御座います。

本に書いてあるからと言って、これが全てだと思ったり、絶対的に正しいと思ったり盲信しなさんな、という誠実な注意勧告にも捉えられるなあ、とも思いました。



この本から、仏教的な学びも多々あり、コピーライティングや物語の書き方、またビジネスや詐欺に引っかからないメタ認知的な智慧も学べます。

私にとって、本や物語との距離感、自身の認知パターンを知るきっかけとなる良書であります。



拙い読書感想文では御座いましたが、今回の話で興味を持たれて、この本と出会われ、人生の薬となられましたら、嬉しゅう御座います。



良書との御縁、有り難し。



合掌、礼拝

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