御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。
以前、魚川祐司さんとプラユキ・ナラテボーさんの共著「悟らなくたって、いいじゃないか」について、お伝えしております。
「悟らなくたって、いいじゃないか」の御縁から、魚川祐司さんの本も、一度きちんと読んでおきたいと思いまして。
そこで、今回手に取ったのが、「だから仏教は面白い!」という本です。
丁度、「だから仏教は面白い!」が発刊された1年後の日に手に取ったのも、なかなかきりの良い御縁であるなあ、と、巻末の日付を観て思うたもので御座います。
この本は、仏教の入門の入門書という立ち位置であると書いてあり、「仏教思想のゼロポイント」という、魚川祐司さんの処女作に繋がる本でもあると、私は頂いております。
結論から申しますと、「だから仏教は面白い!」は面白い、という味わいを頂きました。
今回は、私がこの本から学ばせて頂いた事と共に、お伝え致します。
Contents
「だから仏教は面白い!」の有り難いところ:ヤバい部分をきちんと伝えて下さっている
「だから仏教は面白い!」は、どう面白いのか。面白い、というのは、ゲラゲラと笑う面白さではなく(表現の仕方などで、笑えるようなところは、人によっては感じるかもしれませんが)、興味深さ、という意味です。
そして、興味深い部分と共に、この本が仏教を学ぶ上でも、仏教以外の宗教に触れる際にも、非常に有り難いと頂いております。
宗教全般に言える事で、仏教にも言える事ですが、仏教にはヤバさや怖さが御座います。
後に私の経験も話しますが、ほんと、深みにはまったらヤバいんですよ、そして、怖い。
この辺り、「だから仏教は面白い!」と共に、仏教入門書として、こちらの本も読んでおくべきです。
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読み物としても面白く興味深いし、仏教、また宗教を学ぶならば、第一章は何度も読んでおいた方がよろしいかと存じます。
この第一章の「仏教は怖い」にて、魚川祐司さんの「だから仏教は面白い!」で、そのヤバさについて引用もされています。
宗教に馴染みが無い、仏教に触れるのが初めてだ、という人が、いきなり仏教の原液に触れたら、本当にヤバい。
宗教のヤバさに当てられて、社会的に大変な事件となった事例からも、それは明らかです。
その辺りの事を、「だから仏教は面白い!」では、きちんと伝えられています。
具体的にどういうところかと申しますと、これは「仏教思想のゼロポイント」でも「絶対にごまかしてはいけないこと」という、前半部分でも魚川祐司さんが伝えて下さっています。
仏教には、社会の価値体系や流れとは逆に向かう方向性があります。
それゆえ、仏教に触れる事によって、娑婆世界で生きてきた価値観や社会通念を凌駕したり、ひっくり返ったりします。
それゆえに、ガチで仏教の出家者として生きるならば、「異性と目を合わせないニート」になるしかなくなります。
社会通念や、今まで娑婆世界で生きてきた価値体系がひっくりかえると、「ガチの出家者に俺はなる!」と言い出して、異性と目を合わせないニートの道へ突っ走る事になりかねません。
上でお伝えした釈徹宗さんの本「お世話され上手」でも、その事を明確に伝えて下さっています。
仏教を原液のまま飲むと、簡単に日常であったり娑婆世界の社会通念なり価値体系が、簡単に崩壊したりひっくりかえります。
入り込んで深みにはまったら、本当にヤバいというのは、この辺りにも表れています。
そのヤバさを、最初の段階で予めきちんと伝えて下さっているのが、「だから仏教は面白い!」という本であり、また釈徹宗さんの「お世話され上手」です。
仏教の入門の入門書として、この二冊は読んでおくべきだと言うのが、私の実感です。

私が垣間見た、仏教のヤバい経験
私が、仏教のヤバさや怖さを垣間見た経験は、原始仏典「アッタカヴァッガ」を読んだ時です。詳しくは「だから仏教は面白い!」を読んで頂ければわかりますが、マーガンディヤの娘の話があるのが、この「アッタカヴァッガ」です。
マーガンディヤの話を聞いたら、「ゴータマ・ブッダとはなんてやつだ!」と、怒り出されるかもしれません。
仏教の本や御経さん、御文などは、我々を揺さぶる力が御座います。
「歎異抄」を読まれた方でしたら、なんだか宙ぶらりんでなかなか着地させてくれない、と感じたという経験をした人も、いらっしゃるのではありませんかね。
私も、浄土宗の勤行をさせて頂いておりますが、一紙小消息の前半と後半で揺さぶりを感じます。
「アッタカヴァッガ」ではその揺さぶりにより、社会通念では思考しきれない事を垣間見て、ヤバさや怖さを垣間見たものです。
アッタカヴァッガを読みすすめていくと、どんどんと揺さぶられていく様を感じたものです。
歎異抄や勤行時に読ませて頂く消息も結構な揺さぶりですが、「アッタカヴァッガ」は、とにかく強烈でした。
世間とは逆流する言説が仏教の方向性とは言え、その流れの強烈さに、当てられた感じが致しましてね。
で、揺さぶられながら深みにはまっていき、ふと「あ、これ以上はまったらヤバい」と、漠然とですがヤバさと怖さを体感したといいますか、経験致しました。
申し訳ありません、あのときの感覚感性を、実はまだ全然言語化出来ておりません。
ただ、何かしら「ヤバさ」や「怖さ」を垣間見たのは、確かです。
私の場合は、宗教の、仏教の安全装置を、早い段階で学んでいたためか、逸脱せずに戻ってはこれましたが。
とにもかくにも、そういう経験をしておりますから、「だから仏教は面白い!」で言われている「仏教はヤバい」という事について、実感を持っております。
いや、ほんと、仏教を原液のまま飲んだらヤバい、社会的な価値観や日常がやすやす壊れてしまうと言われるのは、本当にそうだと思います。
仏教って、慈悲の教えがあるためか、優しいとか癒される、というイメージを持っていらっしゃる方も多いかと存じます。
実際、私も浄土宗のお坊さんに救われた経験がありますし、そう思いたくなるのも理解出来ます。
でも、それは私に受け取りやすい形で、私が崩壊しないように薄めて手渡して下さったお坊さんの手配りと心配りによるものでありましょう。
きちんと薄め方を知っているお坊さんと出会い、そこで安全装置も手渡して下さった事が、私にとっての救いとなったのは確かです。
でも、「仏教で救われよう、癒されよう」と思って手を伸ばしたら、とんでもない。
伝えてくれる人や読む御経であったり仏典にもよりますが、ヤバい部分や怖さに当てられたら、釈徹宗さんが仰るように、日常が壊れてしまいかねません。
ゆえに、私はお坊さんにお救頂いた経験があっても、仏教をむやみやたら勧めたりしませんし、伝えられる本もかなり厳選しております。
「アッタカヴァッガ」は読んだけれども、本のリンクを張っていないのは、そのためです。
「だから仏教は面白い!」と「お世話され上手」で、仏教のヤバさや怖さを、きちんと入門の段階で学ぶ事が出来るのは、有り難いものです。
「だから仏教は面白い!」は、仏教に触れるときの陥りやすい罠も伝えてくれている
「だから仏教は面白い!」では、その他にも、現代社会で特に陥りやすいと思われる事象についても、きちんと伝えて下さっています。特に読むべきところだと思ったのが、「あとがき」です。
「あとがき」では、魚川祐司さんご自身の考え方として、「本当の仏教・正しい仏教」という事について書かれています。
本の中でも、その事はたびたび伝えられていて、100ページでは、わざわざ点を打って書いていらっしゃいます。
魚川祐司さんご自身は、「最強の格闘議論」の譬えを用いて、「正しい仏教」「本当の仏教」という議論とは、距離を置かれていることを、この本で明言されています。
あなたにはありませんか、こんな事。
「仏教って、色々な宗派があるなあ。どれが本当の仏教だろう?」
「正しい仏教、本当の仏教だけあれば十分だ、それだけを学んでおけば大丈夫。」
「正しい仏教・本当の仏教で自己啓発だ、あわよくばそれでビジネスも成功して云々。」
このように、仏教に触れる際、「正しい仏教」や「本当の仏教」を求めて「本物の仏教探し」をする、という事に陥る話は、少なくないかと存じます。
私も、本当の仏教や正しい仏教についての議論からは距離を置いており、魚川祐司さんの「正しい仏教・本当の仏教」という事柄について、共感している部分であります。
私は浄土宗の檀家であり、仏教者なんだなあという自覚はありますけれども、だからといって浄土宗が本物で絶対的に正しいという事はありません。
坐禅や瞑想だってしますし、真宗・浄土真宗の法話も聞きに行きますし、「浄土宗最高、それ以外は駄目だ」なんていうなら、瞑想だってしておらんはずでありましょうし。
素早く的確に、正解を求める教育や社会の価値体系で暮らしていると、どうしてもそうなってしまうというのは、往々にしてある話です。
その延長線で仏教を学び始めると、「正しい仏教」や「本当の仏教」を求めて彷徨う、という事になります。
南直哉さんという恐山菩提寺の禅僧の本にも、禅寺で修行を師に来た僧侶の中にも、いらっしゃるそうですよ。
3ヶ月くらい修行をした後、「ここに本当の仏教は無い」といって、去って行く人。
もちろん、「この教説で救われた」という、個々の到達点なり、相性はあるでしょう。
でも、それに嵌まりすぎると、「これこそが本当の仏教だ、他は駄目だ」と、勝手に一般論化するところまで行き着いてしまいます。
そうなると排他的になってしまい、自分が見出した「本当の仏教」に執着し、狂信者化してしまいます。
執着から離れるのが仏教の基本的な事なのに、そうなってしまったら、もうそれは仏教とは言えなくなりますがな。
正しさや本当の事、正解をはじき出したり、正解を求める事になれている我々は、「だから仏教は面白い!」の「あとがき」を、きちんと読むべきです。
私は、「正しさ」や「正解、本当」に囚われている自己を見つめ直す大切な機会であると、この本の「あとがき」を、味わわせて頂きました。
これも、仏教で暴走しない、仏教のヤバい部分に当てられない智慧を頂ける有り難い本である、という事として、お伝え致します。
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「だから仏教は面白い!」は、これから仏教を、そして宗教を学ぶ人の安全装置となり得ると思う
「だから仏教は面白い!」は、これから仏教を学ぶ人も、宗教全般を学ぶ人にとっても、是非とも一度は読んでおいた方が良い、そのように思える本で御座います。更に「お世話され上手」を読んでおくと、なお良し。
「だから仏教は面白い!」が、仏教入門の入門書、仏教という学舎に入る前の通学路という表現は、見事なひょうげんだなあ、と思うたもので御座います。
私は、魚川祐司さんの本は「悟らなくたって、いいじゃないか」が初で、その後に「だから仏教は面白い!」を読みました。
PDFになっている「自由への旅」は、ちょこちょこと読んではおりましたがね。
今でしたら、「だから~」を読んでから、「仏教思想のゼロポイント」という流れで読まれると、より理解が深まるかと存じます。
「仏教思想のゼロポイント」を既に読まれた方なら、復習的な読み方も出来ましょう。
私は、仏教以外にも学べる事が多々ありますから、仏教そのものに関心が無くても、読むべきだと感じる事が御座います。
仏教もそうですし、他の宗教でも、現在でしたら新入社員募集の企業・会社説明会でも、今でしたらコンサルティングを受けるお客様募集にしても、実は学べる事があるのです。
布教であったり、お客様に来て頂くために、良いことは言うけれども「ヤバい部分」や「怖さ」については、隠す人も御座います。
ヤバい部分をきちんと学ばずに嵌まってしまったら、極端な例となると、狂信者化して暴走したり、社会的に問題行動を起こしたり、娑婆世界で生活が出来なくなってしまいます。
そうならないために、きちんと入門の段階で、安全装置やブレーキとなる事を学んでおくことは、非常に重要です。
安全装置なりブレーキを持たずして、アクセル全開で突っ走ってしまったために、社会的にえらいこっちゃという段階にいってしまった事例を、私は目撃しておりますからね。
「だから仏教は面白い!」は、そのような安全装置となり得る良書であると、味わいを頂いております。
安全装置と言えば、「悟らなくたって、いいじゃないか」は、瞑想難民にならないための注意点を学べますから、これも安全装置的な役割を担って下さる本です。
「悟らなくたって、いいじゃないか」については、こちらでお伝えしております。
参照記事:「悟らなくたって、いいじゃないか」という本は、コンサルタントや教育者の必読書」
どちらの本も、仏教や瞑想についての安全装置となり得る本です。
私は、もっと大枠での捉え方をしており、商い・ビジネスや仕事であったり、暮らし方や生き方にも智慧となる本であると、頂いております。
コンサルタントや指導的立ち位置にいる人は、必読書と言っても過言ではありません。
合掌、礼拝