即決即断・決断することの責任について「ほーくえーすさん」の良記事から学ぶ事

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。

あなたは、何かを決断するときに、「即決即断」が大事だ、という考え方・思考パターンの方でしょうか。
巷では、決断力だの、決断する事には速さが大切だ、という事が善とされている風潮を感じます。

確かに、即決即断による決断というのは、テンポを速めた生き方が出来て、色々な体験が出来るというメリットは御座います。



ただ、それを盲信しすぎていると、取り返しの付かないことをポンポンとやってしまい、どうしようもない窮地に陥る事態に陥ってしまいかねません。

特に現代社会においては、クローズアップ現代+でも放送されておりましたが、いわゆる「フェイクニュース(嘘の報道や情報)」を鵜呑みにして、考え無しに即決即断した行動を取ったあまり、周囲に甚大な被害が及ぶという悲しい事例さえ御座います。



決断する速さが求められがちで、即決即断が善である風潮の中、その事を考えさせて頂ける、あるブログの記事と御縁が御座いました。



今回紹介させて頂きます話は、決断力を付けようとしたり、決断する速さが速い方が良い、即決即断こそが正義であるという色眼鏡を持っている人は、特に脚下照顧話となりましょう。

私個別的には、我利我利亡者や詐欺師が己の足元を顧みる戒めの文として、100回ほど読むべしと申し上げたいところでありますがね。

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決断・即決即断についての良記事を書かれた「ほーくえーすさん」と私の共通点

物事を決断する事、即決即断について、改めて考えさせて頂いた御縁は、「ほーくえーすさん」という方のブログ記事で御座います。



この場を借りまして、篤く御礼申し上げます。

ほーくえーすさん、有難う御座います。合掌。



今回紹介させて頂く記事を御縁と致しまして、その他の記事やプロフィールも読ませて頂いたところ、私と共通するところも色々とありまして。



共通項目がさくさくと見つかると、なんでしょう、親近感というのですかね、在住地は結構離れておりますが、何となく親近感めいた何かを覚えるもので御座いますな。



ほーくえーすさんは、ブログを見た限りでは仏教徒・仏教者ではないようにお見受け致しましたが、仏教的な行動や在り方も垣間見られたもので御座います。

例えば、断捨離をされた事があったり、マルチタスクをしない在り方など。



断捨離は、仏教、特に禅仏教「放下着(ほうげじゃく)」であったり、執着を捨てるという在り方に通じるものが御座います。



マルチタスクも、現代社会では重宝して善というイメージが付いている仕事の仕方ではありますが、一つの事をきちんとするという事を考えた時に、時には弊害も御座います。

例えば、丁寧に何かの物事を為す場合、マルチタスクはその丁寧さを妨げる事にもなります。

これ、以外と日常生活の中で、やってしまっていることなのですが、なかなか気がつかないものです。



試しに、一杯のお茶や珈琲を、「喫茶三昧」でやってみるとわかりますよ。

一杯のお茶や珈琲を、「ただ、只管に丁寧に飲む」って、意外と出来ないものです。



妄念が湧いてきたり、「あのメール、早く出しておかないと。」とか、テレビを観ながらの「ながら作業」で、全然お茶に集中出来ていなかったり、思い返したら、そんな事ありませんかね。

昨日の晩、何を食べたかを思い出せないという事は、このマルチタスクも一つの要因だと思いますよ、私は。

スマートフォンを弄りながら、テレビを観ながら夕飯食べてたら、そりゃあね。



ほーくえーすさんの事は、まだブログを読み始めたばかりであり、まだまだ共通点もありましょうし、逆に、お互いに相容れない部分もこの先見つかる事も御座いましょう。

そもそも私の場合、仏教者・宗教者としての側面がありますから、社会通念や社会的価値体系とは全く別方向の体系が宿っていますからね、どうしようも無い部分はあります。

それは個体差故の事でありますから、致し方なし。



ほーくえーすさんには、仏教的な在り方も垣間見られるという部分を見出し、共感するところも御座いました御仁であります。



ちなみに、私はまだ駆け出しで勉強中ではありますが、プログラミングという共通点が御座います。

私にとっては、プログラミングの分野では、ほーくえーすさんは先輩も先輩といったところです。

決断の速さ、即決即断という概念を根本から見つめ直すきっかけとなる良記事

前半は、なんだか、ほーくえーすさんの紹介文になり、私との共通点を伝えるだけの話になってしまいましたが、ここから本題をば。



私が、今回「お。」と思い、3度読ませて頂いた記事は、こちらです。



ほーくえーすさんの参照記事:「ホンモノの一流になりたいから僕は決断スピードを上げるのをやめた」



この記事で学ばせて頂いた事は幾つか御座います。

まず、私が改めて「私も同じような在り方である、同じような考え方である」と直観致しました事が、前半に御座います。



私とほーくえーすさんの共通認識として、決断する事の大切さはきちんと認識しており、決断することそのものを否定していないところで御座います。



これね、フェイクニュースの時でもありがちですが、記事タイトルだけを観て「はい、是良記事、拡散」としたり、記事タイトルだけで読んだ気になるという人にありがちな現象ですから、ここで注意しておきます。

紹介させて頂いた記事タイトルの情報「だけ」で、こんな事を思った人はいませんかね。



「即決即断を止めた→つまり即決即断は悪い事だ」とか、脊髄反射的な反応をした人は要注意。

こういうのを、短絡思考と言います。

その事については、以前にも触れた事があります。

参照記事:「「仏教思想のゼロポイント」は「だから仏教は面白い!」とセットで読む事が望ましい」



今回の話に関して言えば、ほーくえーすさんの記事の最初辺りに、

「決断しないのが良い」と言っているわけではありません。決断しなければ何も変わらないので決断は大切です。

ときちんと書かれていますから、そこを外さないようにしましょう。

「まず文字を読みましょう」という事です。



それを前提と致しまして。



己の業(行為、活動や行動の事)を決断する事は、人生では多々御座います。

と言いますか、朝起きて、右足から寝床から出るかという事から、就寝して意識が途切れるまで、決断の連続と言っても良いくらいでありましょう。

ゆえに、決断する事はとても大切な概念ですから、生きていく以上は外す事は出来ません。



しかし、現代社会ではスピードの時代と言われているために、決断するときも「即決即断」が叫ばれる事も、多々御座います。

自己啓発系の詐欺師や、ネットビジネス業界の詐欺師や我利我利亡者は、ここを上手く使った煽り立ててきます。

「決断が大切だ!即決即断出来ないから成功出来ないんだ、お金を稼げないんだ!」と、こんな感じで。



でも、そういうのに流されるままに決断しているのは、実は自己の決断ではありません。

構造上、確かに端から見れば「自分が決断している」と見えるかもしれませんが、「自由な決断」では御座いません。

「自由な決断」とは、仏教的な意味での「自由」であり、仏教の視点から観ると、全く自由な決断とは言えないのです。



だって、流されるままに、自己が置き去りになっているのですから。

それはつまり、「自らに由る」という仏教が説く「自由」では無い事は、明白で有りましょう。



しかし困った事に、人に言われたり格好を付けたり、流されるままに決断したこと、よく考えずに即決即断した事によって生じる業は、己につきまといます。

これを「宿業(しゅくごう)」とも言うのですが、なーなーで決断したことであっても、即決即断してしまったことの業であっても、己の責任として背負わねばならないのです。



「自己の本心・本意ではない決断も宿業・責任として背負う」



このことをきちんと肌感覚で知っているならば、決断する事について深い洞察をするきっかけとなりましょうし、間違っても人様に、他人に「即決即断が大切だ」などと、無責任な言葉を発したりはしないであろうと、私は思いますがね。



ほーくえーすさんの文面からは、今私が話したことを肌感覚としてお持ちなのだろうと、見受けましたものです。

私は彼の記事から、このような事を改めて考え、私の戒めとして学ばせて頂きました。

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時には即決即断も大切、でもそのために養うべき「自分の判断基準」という軸

私は、確かに人生は決断の連続だという考え方でありますし、決断が早いと言う事も、時には大切であろうとは考えております。

ただ、何でもかんでも即決即断、決断の速さが素晴らしいと言う事は無く、時には凄まじい速さで被害を広げることだってあります。

クローズアップ現代+で報じられた、フェイクニュースが瞬時に、そして爆発的に拡大してしまった事例が紹介されていましたが、これも今回の話と通じる事が御座います。



だからこそ、決断をするときには慎重さも大切である、私はそのように「決断」という概念を頂いております。



そして、その慎重さの軸となる、決断をする際の「判断材料・判断基準」について、ほーくえーすさんの良記事には、至言が御座います。

それはこちら、ちょいと長い引用ですが、5回は読んで頂きたい。

常に100%自己責任で生きている人は、その判断基準をしっかりと持っています。自分の判断基準の中で決断を繰り返してきたからこそ、どんどんとスピードが上がって即断即決できる人になったのだと思うんです。

ぼくはまだ自分の判断基準を持った決断には慣れていないから、ゆっくり時間をかけて決断するようにしました。

※引用先:http://hawk-a.com/want-top-notch/



ちなみに私は、浄土宗の檀家だからというわけではありませんが、この部分は10回読みました。



私はこの文章と御縁を頂いたとき、「自灯明・法灯明」という仏教の話を連想致しました。

また、上でお伝えしております仏教的な「自由」とも通じます。



決断をする時、「自らに由る判断基準」を育んで行く事で、自ずと即決即断・即断即決出来るくらいの速さになっていく。

自らに由る判断基準とは、つまり「決断における軸」であると、私は頂いております。

自らに由る判断基準となる軸を持った上で、決断の連続を成していくと、成長・進化していきます。

そうすると、自ずと自らの判断基準に照らし合わせた決断をする速さもついてきて、それが自然(じねん)な即決即断へ繋がっていく。



そして、私がこの文章から見習うべきところだと直観しましたのは、「自分はまだ判断基準を持っていない」という告白です。

自己をきちんと「脚下照顧」されている事の顕れてはなかろうか、そのように私には感じられたものです。

「俺の決断はいつも正しい」と、ふんぞり返っている輩では、こうはならんでしょう。



「今の己の判断基準はどうであろうか、判断基準の軸はどうであろうか」という、自己を観察(かんざつ)し、自己を問う姿勢は、私も見習うべきと思うた次第で御座います。

己の決断に、即決即断したときの責任を考えるきっかけとなる良縁

今回の話を踏まえて頂ければ、物事を決断する時、その決断という業には、決断した自己が負うべき責任が発生するという事は、おわかり頂けたかと存じます。



現代社会では、その「責任」がないがしろにされてしまっている場面・ケースをよく見かけます。

特に自己啓発の業界やインターネットビジネス業界では、本当に酷い有様です。



「財(大半がお金)だけお客様から奪っておいて、責任は一切背負わない」という輩の、いかに多いことか。



もちろん、私もそういう側に堕ちてしまう可能性が御座いますから、日々戒めるばかりです。

勤行で、法然上人のお手紙を読ませて頂いているときに、常に我が身を省みさせて頂いている日暮らしで御座います。



まあ、それにしても、あまりにも酷すぎます、現代社会における特定の業界は。

なんちゃらアフィリエイトコンサルタントだの、トレンドアフィリエイトなんちゃらの業界とかね。



そういう輩には、今回紹介させて頂いた、ほーくえーすさんの良記事の、この文章に出会い、100回は読み返しなさいと申し上げたい。

もしもサクセスしてクラウドファンディングが成功した場合、責任が取れるのだろうかと。
(中略)
「クラウドファンディングは結婚と同じで、成功してからが始まりだし、その始まりに情熱を持てるのかどうかで決めるべきだ」と言われました。

※参照先:http://hawk-a.com/want-top-notch/

これ、凄く大切な事を仰っています。



ここで、きちんと自己が背負う事になる責任について、目をそらさずに観察と洞察をされている事が窺えます。

この辺りは蒟蒻問答的で、もしかしたら本人はそうではないかもしれませんが、私はこのような味わいを頂いております。

でも、詳しくは記事を読んで頂ければ分かりますが、この話については、彼がアメリカに行くという事も関わっているから、もの凄く自己解析されたであろうと私は読みます。



はてさて、軽々しく「コンサル生募集!」とかやっちゃってる我利我利亡者共は、自己が背負う事になる責任を、ここまで深く考えておりますかね。



また、「クラウドファンディングの成功が始まり」も、集客に躍起になっているコンサルタントは、100回読んで考え直すべきです。

現在のコンサルタント、特にネットビジネス系の自称コンサルタントは、「集客までが本番、お客様からお金を取るまでが本番、お金を取れたらゴール」という輩のいかに多いことか。



スタートどころか、始まってすらいませんからね。

やらかしてる我利我利亡者共は、始まるどころか別の意味で終わっていますが。

「お客様が成果を出した上での抜苦与楽」がゴールですし、場合によっては、そこまでやってからがスタート、という事だってあり得ます。

「お金を取ったらゴール」という我利我利亡者共は、今回紹介した記事を100回読みなさいと、改めて申し上げたい、本当に。

決断の判断基準を育んだ行く先にある即決即断・即断即決を:速さはついてくる

決断の速さは、出来るだけ速い方が良いという風潮の中、今回お伝え致しました、ほーくえーすさんの決断・即決即断に関する良記事は、改めて決断という概念を考えさせて頂ける良縁で御座います。



決断をする際の判断基準を育み、確かな軸が出来れば、自ずと決断出来る速さもついて来る事で御座いましょう。

そうすれば、あたかも即決即断、「あの人は決断が早い人だ」と言われるくらいまでに、成長している可能性も御座います。

それまでは慎重に、ゆっくりと物事を決める、という事を成しても良いのではないか、私もそのように思います。



自分が決断するとき、判断基準や価値観を全く考えずに過ごしてきた方は、一度きちんとほーくえーすさんの記事と、今回の私の話を読まれて、改めて自己を問われては如何でしょう。

自己を問いながら決断をしていく末に、確かな軸となる判断基準が育まれる一助となりましたら、私としても大変嬉しゅう御座います。



ちなみに、私の現段階における物事の判断基準となる軸、決断の軸は、浄土仏教を軸とした仏法です。



合掌、礼拝

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