うつ病の症状が和らいだ時に読んでよかった本3選|五木寛之さんとプラユキ・ナラテボーさんの本

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。

うつ病でしんどいとき、不安や焦燥感が強烈になっているときは、本を読むことも出来なくなります。
つい最近も、それに近い状態まで行ったことがありますが、何とか脱して症状が和らぎ、動けるようになってきたときの話です。

生来的日本を読む事に抵抗がない、という事も恵まれていたという有り難さも御座いますが、そのような状態の時に、ふと幾つか本を読んでおりましてね。

症状が和らいで少し落ち着いたとき、そんな時に自己啓発本なんて読んだ日には、またどん底に突き落とされないことは、以前にお伝えした通りです。



うつ病や、それらの理由で休職中の人が、不安や焦燥感を増幅させる刺激となりかねないから、自己啓発本・自己啓発書の類いとは、相性が悪いというのは、体感としても論じております。

逆に、あくまで私に起こった現象ではありますが、うつ病の症状が和らいだ時に読んで良かったと感じさせて頂いた本も、御座います。

その中から、今回は特に和らげて頂いたという本を、3冊に絞ってお伝え致します。



尚、最後にも注意しておきますが、心と体があまりにも動かなすぎている状態の時に、無理して読む事はありませんからね、そういうときに大切な事は、何よりも「休む事」ですから。

スポンサーリンク

うつ病の症状が和らいだ時に読んで良かった本1冊目:苦しまなくて、いいんだよ(プラユキ・ナラテボーさん著)

私がうつ病で辛い時期から症状が少し和らいで、本を読めるようになった時に読んだ本の一冊目はこれです。
:苦しまなくて、いいんだよ(プラユキ・ナラテボーさん著
です。



これね、ほんともう、「苦しまなくて、いいんだよ」という、この言葉そのものに、私はお救い頂いた、という経験をしております。

本当に辛いときって、こういう言葉に触れるだけでも、救われるんですよ。



この話につきましては、以前もお伝えしておりますね。

参照記事:「うつ病で休職時に不安だった時に読んだ本|「苦しまなくて、いいんだよ(プラユキ・ナラテボーさん著)に救われた体験談」

参照記事2:「マインドフルネス瞑想入門にプラユキ・ナラテボーさんの本や講座が良い2つの理由」



巷には、うつ病で苦しんでいるところににつけ込んだ霊感商法や自己啓発詐欺、ネットビジネス系詐欺もありますから、注意しないと行けません。

プラユキ・ナラテボーさんは、そういう怪しい事とは全く逆で、実際にお会いした時に、霊感商法に気をつける話や、瞑想の誇大広告に注意するようにね、と教えて下さいました。

プラユキ・ナラテボーさんとは、懇親会では、そのような霊感商法の手口や気をつける事、そこから「指導する側の心構え」についても、丁寧に教えて頂いたものです。



プラユキ・ナラテボーさんの「苦しまなくて、いいんだよ」では、以前もお伝えしました通り、うつ病で苦しむ人の苦しみが、緩和していく様が収録されています。

また、実際に手動瞑想も、カラー写真でわかりやすく伝えて下さっていますから、苦しいときに「今、ここ」に戻り、苦悩から戻って来る事が出来る実践方法も学ぶ事が出来ます。



プラユキ・ナラテボーさんは、実際にスカトー寺や、日本に帰国されてきた時に、個人面談なりマインドフルネス瞑想、講演会や対談にも精力的に活動されています。

そのような場で、実際に私のように、うつ病などの精神的な苦しさや不安、焦燥感から救われた人も沢山いらっしゃいます。

うつ病の人達の苦を和らげたり、救われたお坊さんの実体験による本は、易しく書かれている上に、有り難いものでありました。



表現が軟らかく棘がなく、私もしんどい状態はまだ続いていた時期でしたが、救われたものです。



仏教は、癒やしや救いを求めると、その怖さも垣間見た故に、とんでもない事だという考え方は持っております。

しかし、救い型仏教や癒し型仏教、そういう風になるようにきちんと言説を薄めて下さっている配慮が、プラユキ・ナラテボーさんの解き方であり、真骨頂であるとも、この本で学ばせて頂きました。

苦しまなくて、いいんだよ。

現在は、電子書籍版がアマゾンから出ており、紙媒体の半額くらいの価格で購入出来ます。

本はアナログに読みたい私は、紙媒体で読みたかったのですがね、たまたま本屋に在庫が無かったから、電子書籍にしましたけれども。

ちなみに私、電子書籍より高くても、プラユキ・ナラテボーさんの「自由に生きる」は、紙媒体の本で持っております。

瞑想の本と言えば、瞑想本の決定版的名著、魚川祐司さんの「自由への旅」は、PDF版もありますが、紙媒体の本の方が断然読みやすかったものです。

うつ病の症状が和らいだ時に読んで良かった本

うつ病の症状が少し和らいで、本が読めるような状態になってから読んで、ほっと出来た本の二冊目では、これです。



:人間の関係(五木寛之さん著)
です。



私は、五木寛之さんについては、もっと以前から存じておりましたし、「人間講座」も観ておりました。

でも、実際にきちんと五木寛之さんの本を読んだ御縁を結ばせて頂いた事は、随分後になってからです。

私が真宗・浄土真宗のことや蓮如上人について、また隠れ念仏・隠し念仏について知るきっかけとなる御縁になったのが、五木寛之さんだったりします。



そのような御縁を頂いてきた五木寛之さんの本ですが、五木寛之さんも、実はうつであった頃が、3回あったそうです。

1回目の鬱経験については、テレビで話されていた事を知っていたのですが、その後60歳と70歳の辺りでも、鬱状態だったということは、この本と次に紹介させて頂く本等で知りました。

ちなみに、1回目の鬱の時に、作家を暫く休業されて京都の聖護院辺りに住まわれ、通って居た大学が龍谷大学です。



そのような、本人も鬱だった経験が、この「人間の関係」で綴られています。



五木寛之さんは、鬱から抜け出すための具体的な方法を、ご自身が実践されたこととして綴られております。

「鬱からぬけだすための三冊のノート」という、この本の頭部分に書かれている具体的な手法は、うつ病で苦しんでいる人にとっては、参考になる事もあると思われます。

そして、経験されたということもあるのでしょう、鬱なる時代性についても論じられており、鬱はこんな捉え方もありますよ、という事を、押しつけることなく伝えて下さっていたことが、私には有り難かった。

五木寛之さんのエッセイ本って、押しつけがましくなくて、凄く読みやすく、私にとっては非常に有り難い。

学ばせて頂ける事も沢山有りますし、真宗・浄土真宗の話や仏教の話も、共感出来て学ばせて頂いた事も、沢山御座います。



「人間の関係」は、変にポジティブで前向きではなく、押しつけがましい自己啓発本とは対極的な本です。

五木寛之さんは、科学であったり絶対という事に懐疑的なところがあり、生来がネガティブ・マイナス思考と自認されているためか、全体的に暗い印象も受ける箇所が多く御座います。

私も似ている部分が多々ありますから、それゆえの読みやすさかも知れませんが。



「人間の関係」は、特に「鬱からぬけだすための三冊のノート」と、「憂と愁は人生の贈りもの」という箇所で、鬱についての話が御座います。

ここだけでも、一度のぞき見しておくと良いかと存じます。

もちろん、ご自身の状態に合わせて、ということはお忘れ無きよう。
スポンサーリンク

うつ病の症状が和らいだ時に読んで良かった本3:不安の力(五木寛之さん著)

うつ病の症状が、少し和らいで本が読める状態にまで回復した時に読んだ本の三冊目も、五木寛之さんの本です。



それは、
:不安の力(五木寛之さん著)
です。



五木寛之さんの力シリーズと、私は勝手にカテゴリー分けしておりますが、その一冊です。

他に「力」のつく本は何かと言いますと、「無力(むりき)」「自力と他力」「鬱の力(香山リカさんとの対談本)」などが有ります。

五木寛之さんは、「無力(むりき)」で、「力力って、力みすぎ」と仰っていますが、本の題名に力を用いているのは、どうしても伝わるようにするための、便宜上のことか、編集者の販売上の事情でありましょうかね。



私もね、わかりやすく伝えるために、使いたくない感覚のある言葉ってありますけれども、便宜上使う言葉はありますからね。

正直、「雑談力」とか「マーケティング力」だの「人間力」だとか、力力言い過ぎ、カッカと力みすぎ、(かっかとりきみすぎ)と、申し上げたい。



話を「不安の力」に戻しましょう。



不安の力とは、五木寛之さんが体験を通して、「不安は安心の母」という言葉で、冒頭に語りかけていらっしゃいます。

そして続けて「不安はモーターのようなもので原動力」「不安を追い出すことは出来ない、不安はなくならない」と、ずばり言い当てられています。



その上で、それを押しつけるのではなく、不安を肯定も否定もしない、いいとかわるいとかの話では無い、と仰います。

この辺り、「両忘(りょうぼう)」や「莫妄想(まくもうそう)」といった禅語など、仏教を学んでいると、すんなり入ってきます。



詳しい事は本書を読んで頂くと致しまして、私が読んで有り難かった部分は、幾つか御座います。



少年時代から、ずっと不安と共に生きて来られて、鬱も数度体験された五木寛之さんの生き様もそうですし、39ページからの「今、誰もが抱える不安」という部分も、共感したことが多々御座います。

その中で、「不安は人間を支えている大事な力」というのは、まさに「不安の力」そのものでありましょう。



もちろん、「そうは言っても・・・」と、そのように素直に受け取れないことも御座いましょうし、そういうタイミング・時節もあるのは確かです。

ただ、私もそのように思う時があっても、時にはえもいわれぬ不安に襲われた場合の杖言葉として、頂いておる次第で御座います。



ちなみに、今「杖言葉」という言葉を用いましたが、「杖ことば」も、どんぴしゃりの題名で、五木寛之さんがエッセイ本として書かれております。

ただ、そちらはうつ病や陰鬱として不安で焦燥感がある状態で読むのはちょっと、という言葉もありますから、ここでは紹介はしません。



とにもかくにも、五木寛之さんの「不安の力」は、私にとっては易しく書かれた本で、有り難いもので御座います。

「不安の力」を読んで思う事

うつ病から、少し症状が緩和して読んだ3冊の本。

その中から、「不安の力」から引用させて頂きつつ、最後にうつ病で不安や焦燥感に苦しんでいる人に、少しでも「抜苦世楽」となる話となれば、と思う事を、伝えさせて頂きます。



「不安の力」で、後書き部分と言いますか、エピローグのところで、このような話を五木寛之さんがされています。


今は、人間が不安になることは、まったく自然な事なのです。(中略)こころのやさしい人ほど、柔軟な人ほど、あるいは素直な人ほど、自然に不安を抱えている。

私も、常々感じていたことで、五木寛之さんも色々なエッセイ本で仰っている事として、共通する事が御座います。

それは、「現代は、現在は鬱の時代である」という事です。



これは、マスメディア、報道の仕方や情報を発信する側の責任もありますがね。

テレビやインターネット、新聞などの報道では、毎日不安になる要素や、ネガティブになってもおかしくないような、社会通念としても宗教の視点から観ても、そのような報道が送られていますから。



「新聞をきちんと読め」とか「時事問題に頓着では駄目だ」という言い分も、正論っちゃ正論ですし、理解出来ます。



でも、それを素直にやっていたら、優しい人や共感能力が高い人、人を思う気持ちが強い人は、そりゃ憂鬱になったり不安にもなりますがな。

私もそうですが、HSPの特性がある人でしたら、特に不安を感じやすい時代でありましょう。

それを無理に前向きに、というのは不自然ですし、どっかで無理がたたって壊れてしまいますよ。

私のように、ついに体が動かなくなって腰からストンっと落っこちるように倒れて、睡眠障害やうつ病等を併発しかねません。



鬱の時代に不安であるという事は、至極自然な事ですし、その人がまだ人間的である証しです。

ともすれば、不安であるということは、その人がまだ人間的である、ということでしょう。逆に、まったく不安を感じずに生きているということは、その人が非人間的な生き方をしているということです。

「不安の力」で、最後辺りで五木寛之さんは、このように書かれており、私も共感しております。



言い過ぎだと感じる人もいらっしゃる事でありましょう。

でも、やたらアグレッシブでポジティブで、自己啓発に毒されて前向きすぎて、何の不安もなく積極的な人って、どう思います?

「自己啓発房気持ち悪い」という意見もありますが、ある種の気持ち悪さを、私も感じます。

百歩譲って、自己啓発の毒に当てられても、周囲に振りまかんで頂きたい、一人でやってなさいってなもんですがな。



鬱気味、あるいはうつ病で不安や焦燥感にかられて辛い人は、人である、人間です。

鬱の時代、うつ病で不安を抱えている人に、経験中である私はいつも言っている事ですが、ここでも改めて言いたい。



鬱で、うつ病で不安や焦燥感と共にあるあなたはまともな人です、決して悪くありません。

あなたは、決して悪くない。



合掌、礼拝

スポンサーリンク