うつ病で休養中の過ごし方に使える|細切れ・小刻みにしてハードルを下げる智慧

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



以前に、うつ病で療養中、休養中の過ごし方について、私が考えている事をお伝えした事が御座います。

その時の話は、うつ病で療養中・休養中の時は、うつ病や関連する症状について、心ない言葉に出会わないために、なるべくネットサーフィンは控えた方がよい、と言う事でした。



参照記事:「うつ病や不安感が強い時の過ごし方|鬱気味の時にネットをやらない方が良い理由」



出来るだけ良さそうな心療内科や精神科を探す、等の目的が定まっているインターネット活用であるならば、その限りではありません。

私も、そういう局所的な使い方は、うつ病の時もしておりましたし。



今回の話も、うつ病で休養中、また療養中の過ごし方についてですが、これは私も実践している事です。

特に、私の様な生真面目で、以前の私の様に「行動する事が大切だ、行動しないといけないんだ。」「ハードルはどんどん上げるべきだ。」という思考を持っている事に、自覚がある人に読んで頂きたい話に御座います。



私も、睡眠障害からうつ病等の症状で倒れるまでは、そういう思考で突っ走っておったものです。

そして、療養中・休養中に、出来るだけ悪化させない過ごし方の方法論であり、智慧の一つという事で味わって頂ければ、嬉しゅう御座います。

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以前の私は「ハードルを上げる悪循環」に陥っていた

私は、睡眠障害からうつ病等の症状と共に過ごす事になるに至る前、自己啓発的な勘違い、錯覚に当てられておりました。

自己啓発系、特に「アグレッシブ自己啓発系」は、やたらと「行動しましょう」という、言うなれば「行動教」とでも言う勢いで、とにかく行動する事を強く押してきます。



それはそれで、確かに一理ありますが、こういう自己啓発系に流されている人は(以前の私も含めて)、何でもかんでも「行動がー」と行き過ぎです。



なぜ、「ハードルを上げる事」を、大切にする人がいるのか。



現代社会は、「ステージアップ、ステージを上げる」ために、自らにハードルを上げる」と言う事を課す事が、正義であったり善であるように言われる娑婆世界です。

確かに、アスリートの世界、競技スポーツの世界では、そういう追い込み方もあるでしょう。

また、仕事・ビジネスの世界においても、出来る事をどんどん増やしていき、能力が向上していくことは、確かに良きことに結びつく事が多く、推奨される価値観も理解出来ます。



ただ、競技スポーツの世界の場合は、トレーナーなど周囲の環境による影響もあるでしょうし、心身共に支えてくれる人達がいることが見逃されがちです。

プロスポーツの場合、もちろん、アスリート・選手本人の克己心や精神力、行動力の賜物ではあるでしょうが、その背景にある「支えている人と環境」も、無視出来ません。

それを度外視した状態で、「いいか、あの世界レベルの選手はな、いつもハードルを上げて行動しまくって云々」と言われても、ねえ。

言わんとしている事は分かるけれども、そうはいってもね・・・というやつです。



しかし、私はそういう「アグレッシブ系自己啓発」な話を、有り難がって聞いていた時期がありましてね。

「常にハードルを上げて行動する」を、正義だの善だのと洗脳され、錯覚に陥っておりました。



私の場合は、労働時間であったり、作業することそのもののハードルを上げすぎて、「行動していないと気が済まない、落ち着かない」という状態になっておりました。

また、決めた事や、やるべき事については、「一気にやる」という事もしておりましてね。

途中で一旦やめる、という事をせずに、終わるまで一気に突っ走るという過ごし方です。



しかも、それをどんどん上方修正していく始末。



当時の私は、「明日出来る事も今日やる」という仕事の仕方で、そのお陰で、確かに納期に遅れたことは一度もありませんでした。(今もですよ、納期遅れがないのは。)

期限より、いつも早めに納品すべき物を納品していて、それを喜んでくれたことで、「一気に片付ける」に味を占めましてね。

「ハードルを上げて行動する、その行動は、課題を一気にやる」という事で、どんどんとそれを循環させていきました。



そして、それが行き過ぎた結果、睡眠障害から始まって、心療内科のお世話になる状態と相成ったわけです。

ハードルを上げれば良いというわけではない

確かに、「克己心」を養う事や、それに繋がる「ハードルを上げる」という在り方、自らに課す事は、大切な事です。

「精進」という仏教の言葉は、今では「レベルアップ」や「進化する」という捉え方をしている人も多いかと存じますが、進化するためには、ハードルを上げて行動する事は、確かに大切です。



しかし、その「ハードルの上げ具合」や、常にハードル上げっぱなしでは、そのうち躓きます。



その辺りの塩梅、バランスの取り方も気をつけないと、私の様に倒れる事になってしまいます。

生真面目で頑張る人は陥り易い

こういう現象は、生真面目で頑張る事が善という考え方の人、そういう正確に人ほど、陥り易い、という実感が御座います。

私もよく、「君は真面目だな。」「生真面目な人だ。」という他者からの評価を頂いており、私も、そういった自覚はあります。

もっとも、私が自覚するようになったのは、倒れた後の話ですがね。

「そういえば、今思えばあの頃の私は、生真面目過ぎた気がする。」という感じで。



人生において、時には生真面目に頑張る場面も御座いましょう。

しかし、それ一辺倒では、心身共にやられてしまいます。



仏教では「中道(ちゅうどう)」という、両極端を知りつつも、その中で丁度良きバランスを取ることの大切さを教えて下さっています。

やたらとハードルが高いと思えてきている時期や、「行動しないことは悪だ、行動しないといけない!」と、躍起になっている人、そしてそれを自覚した時は、「中道」が肝要であるのだと、私は考えております。



私の場合は、行動の分量やハードルの上げ方、課題の取り組み方の加減を、全く考えずに、「とにかくやる事が善!」という、非常にアンバランスなやり方をしており、「中道」の真逆であったなあ、と、省みております。
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うつ病で休養中の過ごし方は「ハードルを上げない事」「一気にやろうとしない事」

私は、うつ病で殆ど動けなかった時期には、物事を決める事も上手く行かず、日常生活にも支障を来しておりました。

リハビリの目的もあって、料理屋洗い物もやるわけですが、同じ食材を、冷蔵庫から出したり、かと思えば、「いや、やっぱりやめよう。」と、冷蔵庫にしまい直したり、また出したり。

うつ病が酷かった時期、すんなり出来ていたことが、全く出来なくなっていたものです。



この現象は、ハードルを上げる事や、物事をささっと一気に片付けることが常識となっていた頃からすると、真逆とも言える現象です。

ゆえにか、「自分は、こんな事も出来ないんだ。」と、自己否定・自己嫌悪に陥る、そして、出来ていたことが出来ない事に自己嫌悪・・・という悪循環に陥ったものです。



そんな最中に、心療内科の先生の他に、仏教・仏法と出会い直し、今は何とかましな状態へ落ち着くに到りました。

その過程で、「ハードルを上げない事、むしろ、時にはハードルを下げる事」「一気にやろうとしない事」の大切さを、頂くに到りました。



出来る事が出来なくない状態の場合、一旦、出来るまでにハードルの高さを調整する。

以前はささっと一気に出来た事が出来ない場合、無理して一気にやらなくても良い。

そういう場合は、物事を細分化したり、細切れ・小刻みにする。



そういう智慧を、うつ病等の症状と共に歩んでいる時に、思い出しました。

うつ病療養中、休養中は「目標は小刻みに」:「細切れ・小刻み」にして少しずつ達成していくという過ごし方

今、私は「思い出しました。」と言いましたが、実はこれ、中学生の頃に、知ってはいた技であったのです。

時間が経つにつれて、私はすっかり忘れてしまっていましたが、睡眠障害やうつ病等が酷い時期、この「細切れ・小刻みな活動」は、良い方向へ向かうきっかけの一つであったと感じております。



この技は、中学一年生の頃に御縁があった、道徳の授業で「目標は小刻みに」という話で、知っておりました。

「目標は小刻みに」の内容は、マラソンをしている時、目標を小刻みに分けていくことで、いつの間にかゴールしていた、という技が紹介されておりましてね。



「目標は小刻みに」の主人公は、何か目標物として、電信柱を「小刻みゴール」に据えています。

そして、最初の目標物である電信柱を無事に通過したら、「では、次の電信柱を、次のゴールにしよう」と、次々と目標となる場所を、細分化して走り続けます。

こうする事で、例えば10kmのマラソンを走る場合は、遠くのゴールを見て億劫になるのではなく、小刻みなゴールの達成をする事で、走り続けることが出来る、という話です。



これは、仕事の仕方にも応用が利きますし、何かをやり始めた初学者の時の、無理せずに続ける智慧でもあります。



もちろん、「ロケットスタートを切って、一気にやってしまう」という方法もあります。

それが出来る、心身共に健康な状態であると言える人は、一気に出来る事はすると良いでしょう。

しかし、長期戦になりそうな事や、「自分にこのやり方はしんどい」という人は、「目標は小刻みに」という、「細切れ・小刻み」の智慧を実践してみるのも、宜しいかと存じます。

うつ病療養中・休養中の過ごし方の智慧:目標は小刻みにして、出来なくても「オッケー」と受容する

私は今回、以前に私が陥った事を紹介しつつ、私と同じ轍を踏まない智慧を持って帰って頂こうと、このような話をしているきっかけは、プラユキ・ナラテボーさんのつぶやきが御縁です。





毎度毎度、プラユキ・ナラテボーさんの辻説法に、仏法を頂いております次第で、本当に有り難き仏縁なり。



このつぶやきは、瞑想をするに当たって、「構えを作って瞑想をする」という事を戒めて下さる、プラユキさんの教えです。

プラユキ・ナラテボーさんは、「ガチガチに構えている状態で瞑想を始めると、かえって具合が悪くなる事もありますよ。」と、説いて頂いています。



この辻説法の元となったのが、こちらのつぶやきです。


漢弾地さんという方の漫画で、この漫画を読んで、「あるある、以前の私は、これだった!」と、頷いたものです。



心身共に大変な時、睡眠障害やうつ病等で陰鬱としている状態の時、「食器を洗う」という事一つとっても、重くのしかかる課題と捉える事が御座います。

掃除にしても、部屋を片付けないと行けないとはわかっていても、「この一部屋全部を片付け切れるかなあ・・・。」と、陰鬱としてしまいます。



そういう場合は、つぶやきの漫画にあるように、「とりあえず、箸だけ洗ってみるか。」と、据えるゴールを小刻み・細切れにするのです。

部屋の片付けならば、「とりあえず、机の上だけ」とか「机の、本棚を置くところだけ」と、作業する事柄を、小刻み・細切れにしていく。

まさに、「目標は小刻みに」という智慧の実践です。



こうする事で、いつの間にか、細切れ・小刻みにしていた事が全て終了・達成しているということもあります。

そうなると、達成感を味わう事も出来ましょうし、精神的にも良い状態に向かうきっかけにもなりましょう。



ちなみに私、皿洗いを毎日しており、料理もするようになりましたが、現在は仏道修行の一環として行っております。

これ、「気づきの智慧を育む:気づきの瞑想」の良き修行になりましてね。



また、うつ病は、鬱状態の波がありまして、昨日出来た事が今日出来なくなっている、という事もあります。

実際に経験していないと、この感覚を共有して頂く事は難しいかと思われますが、そういう事象があるのです。



そういう場合は、小刻み・細切れにして、全てが出来なくても「オッケー」と受容する。

そして、出来た分だけを「ここまでは出来た。」と、「活動して完了した事があるという事実」を、ありのまま・そのままに観る。

これは、仏教的な智慧による観方です。



最初の内は、なかなか仏教の視点を持つ事が出来ず、「出来なかった事がある」という部分ばかり見えてしまうことも御座いましょう。

かつての私もそうでした。

「ああ、やり残しがあるなあ。」と。



でも、体が動かない事実によって、出来なかった事があるのも確かですが、「活動して完了した事実」も、また確かに起こった現象です。

鬱状態が酷くて、出来ない事があるのは、致し方ない現象です。

そのような最中で、「出来た事」という事実は、心の妙薬となり得ましょう。

これは「甘え」ではなく、寛解へ向かう一つの智慧に御座います。



目標を小刻みに、細切れ・小刻み達成を積み上げていき、その達成した事柄を事実として「オッケー」と受容する過ごし方。



これは、うつ病の療養中・休養中に、妙薬となり得る智慧ではなかろうか、私はそのように頂いております。



合掌、礼拝

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