手動瞑想を続ける日常生活での実感|「気づきの瞑想」の効果を頂ける日暮らし

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



私は、現在は浄土宗の勤行を朝と夜に行い、そこでお念仏申しておりまして、その後に坐禅・瞑想の時間を設けております。



前回の話と関連しておりますが、現在私が毎日行っている瞑想は、プラユキ・ナラテボーさんから直接伝導頂きました「手動瞑想」です。

歩く時は、歩行瞑想も取り入れておりまして、これらは「気づきの瞑想:チャルーン・サティ」と呼ばれる瞑想法です。

ちなみに、「手動瞑想」はタイの言葉で「ヨックムー・サーンチャンワ」と言うそうです。



私は、この手動瞑想、気づきの瞑想と出会い、現在まで継続して行じておりまして、日常においても「ぱっぱっ」と、気付く機会も増えて参りました。

そのような最中、「気づきポイント」という話をして下さった、Twitterでの御縁が御座いましてね。

仏縁・良縁をTwitterにて頂いた事から、改めて日常での気づき、手動瞑想・気づきの瞑想と出会わせて頂いた仏縁によって、改めて頂いて居る事をまとめることに致しました。



今回の話は、私個人・個別の「手動瞑想・気づきの瞑想」によって頂いている日常生活、日暮らしの中での出来事ではあります。

その上で、こういう可能性もあるのだ、と言う事を感じ取って頂けましたら、嬉しゅう御座います。

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手動瞑想という「気づきの瞑想」についてのおさらい

私が、毎日朝と夜に行ずる「手動瞑想」や、歩いて居る時に行っている手動瞑想などの「気づきの瞑想」について、簡単におさらいしておきましょう。



手動瞑想については、以前に動画を用いてお伝えしておりますが、ここでももう一度、復習を兼ねて掲載しておきます。







手動瞑想の応用的な話と共に学びたい方は、こちらも参考資料としてお使い頂けます。



参照記事:「マインドフルネス瞑想の簡単な方法|プラユキ・ナラテボーさんの手動瞑想と応用」

参照記事2:「日常生活の中で出来るマインドフルネス瞑想の方法|プラユキ・ナラテボーさんから教わった事」



手動瞑想は、手を「ぱっぱっぱっぱ」と動かしていき、手の動きを「言語を介さないで気づいていく」という瞑想法です。

この時、手の動きに「ぐーっ」と集中するのではなく、「ぱっぱっぱ」と気づく、と言うのがポイントです。

プラユキ・ナラテボーさんは、この事を「グー系瞑想ではなく、パー系瞑想」と教えて下さいました。

私も手動瞑想は、「パー系瞑想」として毎日実践しております。



ただ、勘の良い人ならば「あ、もしかして。」と、思われたかも知れません。

手動瞑想をする際、手の動きに「ぐーっ」と集中する方法に切り替える事により、グー系の集中瞑想に応用することも出来ます。

また、上の参照記事でお伝えしました通り、指を使った瞑想、指先瞑想というやり方に応用する事も可能であり、通勤時に行える気づきの瞑想にもなります。



このように「手動瞑想」は、応用範囲が広く、瞑想初学者・瞑想初心者でも入りやすい瞑想、それが手動瞑想という気づきの瞑想である、と、経験者である私は頂いております。



更に、手動瞑想や歩行瞑想は、日常生活・日暮らしの中に取り入れる事も容易であり、修行道場に行かなくても出来るという特徴が御座います。

この辺り、プラユキ・ナラテボーさんも大切にされている事で、「瞑想道場や寺でないと、瞑想は出来ないんだー。」と言う思い込みも溶かして頂ける智慧です。



ただ、何度も申し上げている通り、最初は瞑想道場や瞑想センターにて、きちんと伝導出来る伝導者から教わる事が無難ですし、出来ればきちんと教わってから日常生活に戻った時も続ける事が望ましいのですがね。

手動瞑想を毎日続けたことが御縁だと思われる効果を実感するに到る

私は、「気づきの瞑想」という事柄と、それを実践する手動瞑想という行・瞑想法と出会ってから、毎日続けております。

現在は、動画等で瞑想を独学で学ぶ事が出来ますが、何はともあれ、日常の中でも実践し続ける事が肝要です。



そもそもとして、仏道修行は「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」全てが修行の場であり、その事を教えてくれる禅語も御座います。

この寺院(ブログ)でも、「歩歩是道場(ほほこれどうじょう)」という禅語を紹介している通りであります。

歩いているその場が修行道場であり、歩いている時も立っている時も、坐っている時も寝ている時でさえ修行です。

修行道場や瞑想センターだけではなく、日常の事柄も含め、生きている現場全てが修行の場、という頂き方です。



とは言うものの、私はまだまだ「行住坐臥全てが修行」と、言える程にはなってはおりませんがね。



それでも、手動瞑想を、歩いている時は歩行瞑想をするようになってから、「あ、これは気づきの瞑想を日常生活の中で行じ続けた事による御縁・効果かな。」と、実感する事も増えて参りました。



そういうわけでして、効果や得られたこと・ゲインを求めてしたわけではありませんが、結果的に、副産物的に頂く事となった事柄を、ここでお伝え致します。



ゲインを求めて、というのは仏教的ではないにせよ、在家の方、仏教や瞑想に馴染みが無い人にとっての、入り口や最初の段階として活用するには、有用ではありますからね。

もちろん、それを捨てる段階、仏教的に言うならば「捨(しゃ)」の段階に到ったら、きっちりと捨てる事が肝要ではありましょうが。
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手動瞑想・気づきの瞑想を続けた御縁による効果1:気づく頻度が高くなった

気づきの瞑想「手動瞑想」を日常生活に取り入れ、続けた事によって、得られた効果の一つ目。



「日常生活の中で「気づく」頻度が高くなった」



もうね、これは非常に大きいことに御座います。



このことは、丁寧な暮らしを営む上で、「気づきの瞑想」がとても有用であり、智慧となって下さるという話をしたことがあります。



参照記事:「丁寧な暮らしがマインドフルネス瞑想で実現しやすくなる理由|プラユキ・ナラテボーさんの瞑想から気づいた事」



者を乱雑に扱ったり、ポンポンとどこかに物を投げるように放置して、それで「あれはどこへやったかな?」という現象に悩まされたことって、御座いませんかね。

これは、「心ここにあらず」の状態で、気づかぬうちに物を扱っているために、やらかしている事柄で御座います。

このような有様は、丁寧な生き方、丁寧な暮らし方であると言えましょうか。



手動瞑想を毎日行い、気づきの瞑想を実践している事が、恐らく一要因であると言えますが、私はこういう現象が起こりそうな時に、「今、気づいているか。」という問いを、自己に発する事が増えて参りました。



例えば。



扉を開け閉めする時も、「ぱっぱっぱ」と、扉を開け閉めしている自身の動作に気づく。

その時に、「次の一手」にも気づき、扉の開閉を静かに、丁寧にするようになる。

以前お話しした通り、珈琲を入れる時も、瓶を持つ時に気づき、両手で丁寧に扱うという次の一手に繋がって行く。



このように、日常の何気ない動作中でも、気づく頻度が高くなってきたことを実感しております。

後ほど話しますが、「覚醒力(念)」が増したと言える状態を、実感しております。

手動瞑想・気づきの瞑想を続けた御縁による効果2:陰鬱とした状態から脱する智慧

私は、未だに陰鬱とした、鬱症状が突発的に出てくる事が御座いますが、その時も、お念仏と気づきの瞑想・手動瞑想にお救い頂いております。



現在も、睡眠障害からうつ病等の心療内科にお世話になる症状と共にあり、今はそれなりに改善傾向にあるとは言え、未だに陰鬱とした状態に、突如襲われる事が御座います。

以前ならば、うなだれて何も出来ない状態でありました。



現在は、そういう場合は無理に動かずに、かといって飲み込まれる事無く、その状態を受容した上で、具体的な行動・活動も出来るようになってきたものです。

鬱状態から脱するまでに要する時間も、短くなってきているという実感が御座います。



私の場合ですと、お念仏を申して、お念仏をしている自身に気づく、という事で、陰鬱とした状態を脱するまでの時を、仏道修行と位置づけております。

これは、あくまで私の状態や、私が頂いて来た仏教・仏法の智慧、また手動瞑想や坐禅、お念仏など善知識なる方々からのお智慧を借りている、という個別性はありますがね。



私の場合においては、お念仏をしている自身に気づく、という事も行じており、言うなれば「念仏瞑想」をするに到っております。

「念仏瞑想」によって、現在は突発的な鬱症状等が降りかかってきても、そこから次の一歩・次の一手を、出来るだけ改善の方向へ進む智慧もついてきたものです。

今回の話のきっかけ:Twitterによる「気づきポイント」の智慧の良縁

今回、私は「気づきの瞑想」である手動瞑想を行事続けている事により、具体的に実感している事、効果効能をお伝えしておりますが、このことを改めて考えるきっかけを下さったのが、次のTwitterでのつぶやきです。





これは、piyokoさんと言う方のつぶやきで、piyokoさんもプラユキ・ナラテボーさんから直接瞑想と仏法を学ばれている方です。

先日も、東京で行われた、瞑想実践者・瞑想経験者だけを対象としたプラユキ・ナラテボーさんの瞑想会に参加されていたようです。

また、piyokoさんは甲野善紀さんから武術を教わっている方であり、私個人として尊んでいる方で御座います。



piyokoさんが描かれる可愛らしいひよこのイラストは、気づきの瞑想や仏法などを視覚的に学ぶ事が出来て、私も学ばせて頂いております。



そして、このpiyokoさんのつぶやきにある「気づきのポイント」という言葉と、ひよこの歩行瞑想イラストから、私は「ピン」と来ましてね。

ああ、私が頂いた手動瞑想・気づきの瞑想の智慧や効果・実感を、的確な言葉で表現して下さっている、と直観したものです。



私は、この「気づきポイント」について、次の二つの頂き方をして、味わっております。

「気づきポイント」の智慧の解釈・頂き方1:覚醒力・念(気づく力)が養われる

piyokoさんが教えて下さる「気づきのポイント」について。

私が、この「気づきポイント」の御縁賜った時に、気づかせて頂いた事の一つ目。



「気づきポイントが貯まることで、覚醒力(念)が養われていく」



覚醒力とは、以前もお伝え致しました、「気づく力」の事です。



参照記事:「マインドフルネス瞑想会体験感想文|プラユキ・ナラテボーさんの講座での気づき・2017春編」



この「覚醒力」を養うのが「気づきの瞑想」であり、その具体的な実践方法が、手動瞑想です。

これを続ける、修行し続ける事によって、「気づきのポイント」がたまっていくという事は、つまり「覚醒力が養われていく・覚醒経験値が貯まる」と、私は解釈致しました。



そう考えると、私が日常生活・日暮らしの至る所で、気づく機会・気づく頻度が高くなったのも、「気づきのポイント」が貯まってきた事と言えましょう。


「気づいた、今、気づいた、また気づいた」

「気づきポイント」の智慧の解釈・頂き方2:気づく頻度が増える「気づきの地点」という視点

「気づきポイント」という、piyokoさんの智慧から頂いた事、私なりの頂き方や解釈の二つ目。



「気づきポイントが貯まる=気づき地点が増える」



これは、先ほどの「気づく頻度が高くなる・気づく機会が増える」という事とも、関連しております。

例えば、上の方でお伝え致しました、「扉の開閉」という、日常生活を送る上では何気ない場面と思われる場面でも、「ぱっぱっ」と、気づく事が出来るようになってきました。

これは、「気づきポイント」が貯まったこととも関係していますし、同時に「気づき地点・気づく場所」も増えているとも言えましょう。

「気づくチェックポイントが増えた」と言い換えると、よりわかりやすいかと存じます。



そして、「気づく地点が増える」と言う事は、すなわち「覚醒している場所と時間」も、増えている事になります。



これは、流されて生きる事になってしまいやすい多忙な現代社会・娑婆世界にて、衰えてしまっている「覚醒力・自覚力」を、復活させたり、養う事に直結している事柄です。

なーなーで日常生活を送っていたり、丁寧さに欠けるような日暮らしを、改める事にも繋がりましょう。



「気づきポイント」は、意識的・自覚的に生きる智慧である、私はそのようなお味わいを頂くに到りました。

「なんとなく」「流されて生きている気がする」という人は「気づきポイント」を貯めてみる

今回は、piyokoさんの「気づきポイント」という良縁を頂いた事により、手動瞑想・気づきの瞑想にて頂いた効果効能や私の実感と共に、生きる智慧をお伝え致しました。



今回の話が、瞑想の全てではありませんし、私個別・固有の事情や背景があるからこそ、「私だから実感するに到った」という事も御座いましょう。

(「私だから」というのは、自慢とかそういう事ではなく、個別性の話です。)

ゆえに、「絶対に手動瞑想しろよ!」なんて事は申しません。

やってみる事で、「気づきポイント」を貯めて覚醒力を養う善き縁となる可能性は、大いにありますがね。



もしも、「なんだかなんとなく生きている」「最近、何事にも身が入っていない気がするなあ。」「流されやすいんだよね、流されて生きている感じがしちゃって・・・。」と自己分析・自己解析をされている方へ。



今回の話は、そういう事について、ぼんやりと、朧気ながらも思いたる方には、「自覚的に生きる智慧」となりましょう。



このような事を、改めて考える御縁を下さいました、piyokoさんと、プラユキ・ナラテボーさんをはじめとした善知識なる方々に、感謝する次第で御座います。



合掌、礼拝

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