本物の心霊写真の撮り方とお説教|仏教者が語る幽霊の定義

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。

前回は、心霊写真とスマートフォンについて、お坊さんから聞かせて頂いたエピソードをお伝えしております。
心霊写真のお祓いも、現代社会ではスマートフォン本体や、その中のデータが対象という、時代を感じさせて頂ける話です。

電子による内容物・コンテンツだとかデータも、今やお祓いの対象ですから、今後はもっと対象が広がっていきそうな気がしたものですがな。

科学と非科学の融合とでも言いましょうか、だったら、私もプログラミングを学び実践する仏教者と生きても、珍しく無くなってきますかね。



心霊写真と言えば、やれ本物だとかいう議論と共に、本物の心霊写真の撮り方を知りたい、いらっしゃるかもしれません。

念写とか、私の少年時代にもありましたし、1980年代後半は、テレビ番組でも結構特集が組まれていた気が致します。

ジョジョの奇妙な冒険の第三部では、ジョセフ・ジョースターなるキャラクターが、念写していましたから、影響された人がいたとしても不思議ではありませんからね。



実は、これははっきり言って方便ですし、概念操作の話ではありますが、本物の心霊写真の撮り方というのは簡単です。

と、言いますか、今回の表題は、「本物の心霊写真が撮りたい!そして心霊特集番組とかSNSに出して注目されたいウェイ!」なんて考えている人への、釣りです。

釣られた人には、もれなく仏教者である私からのお説教が付いてきます。



いや、ほんと、「本物の心霊写真の撮り方知ってるってのを自慢したい。」「心霊写真なう」なんて人は、必ず読むべし、と申し上げたい。

スポンサーリンク

本物の心霊写真の撮り方を説明する前に:前提としての心霊写真の定義

本物の心霊写真とはよく言いますが、その撮り方を説明する前に、前提知識を知って頂くと致しましょう。



心霊写真の定義について、あなたはどれだけご存じでしょうか。



仏教者が、なんでそんな事を知っているかと言いますと、私も昔結構オカルトが好きでして、呪いのかけ方などを勉強しておった時代があったからです。

妖怪大事典などの本も、一時は暗記するくらい読み込んでおりましたからね、それが今や、そういう事で浮ついている人を戒める側の仏教者ですよ。



心霊写真とは、大まかに定義しますと、「映っていないはずのものが映っている、映っているべきものが映っていない。」という写真の事です。

現在では、科学技術や写真に関する技術が目まぐるしい勢いで発達したこともあり、心霊写真と思われるものは、殆どが作り物であったりします。

科学的に説明が付くものばかり、というわけです、光の屈折率や、光の加減、あるいは何らかの手違いでぶれてしまった等々。



ちょいと余談的ですが、海外では丸っこい水玉のようなものが、フワフワと浮いている心霊写真(と言われる事が多い)がありますけれども、私はあれを観ると「たまゆら」を連想します。

ご存じですかね、アニメーション作品「たまゆら」。

私、映画館で全部観ましたし、好きな映画ですけれども、オカルト好きの海外の人が観ると、「エクトプラズムだオーブだ心霊写真だ!」と、怖がりますかね。



それはさておき。



今回の表題でもある、「本物の心霊写真の撮り方」についてですが、なんでもかんでも取り上げると、収拾が付かなくなります。

ここでは、代表的な「幽霊が映り込んでいる心霊写真、人間ではないもの(犬とか猫とかの動物という意味ではなく)が映り込んでいるもの」と、範囲を狭めて話を進めて参ります。

その前に「幽霊の定義」をば:ここが肝心

「本物の心霊写真の撮り方」において、「幽霊が映り込んでいる心霊写真」というテーマに、範囲を狭めました。



なんだか嫌な予感がした人、あなたは鋭い。

確認のために、この後も読み進めて頂ければと思います。

浮ついている人への戒めの文言を学んで頂けるでしょうし。



幽霊が映り込んでいる(と錯覚している)心霊写真が、心霊特集の番組で取り上げられると、その幽霊の姿に盛り上がります。

しかし、そもそも「幽霊」とは、なんだかわかっていますかね。

「幽霊」という概念について、実は結構曖昧な認識しかなく、きちんと定義づけられていないと言う人も、意外と多いのでは無かろうかと存じます。



私は、「幽霊とは、人の状態を表している言葉で在り概念」と、定義づけております。

これは、あくまで私の手前勝手な定義であり、お坊さんからも教わり、「なるほどなあ。」とうなずき、現段階においての認識で在り定義です。



どういう事かというと、まずはこちらの画像をご覧頂ければと存じます。
なんとも、可愛らしい幽霊ですこと。



これでは、なんのこっちゃ、という話になりかねませんから、こちらの画像もご覧頂くと致しましょう。


ちなみに、これらの画像は、無料素材提供サイトから、拝借した画像です。



幽霊と言いますと、大体が上の様な姿を連想するのではありませんかね。

足がないか、足が途中までしかなくてフワフワ浮いていて、その足の部分は先細りしていて後ろに尾を引いており、上半身は手を前に出して髪は後ろになびいている。

これが、一般的な幽霊の姿に対する認識ではなかろうかと存じます。

「幽霊の絵を描いて下さい」というと、大体こんな感じに落ち着く人が多そうな気がします。
(現代でしたら、妖怪ウォッチなどの影響で、様相は違ってきているかも知れませんが。)



私は、この「幽霊の姿」こそが、人の状態を表現していると、考えているわけです。

どういうことかと申しますと。

まず、足がなかったり途中で見切れたりしていて、フワフワ浮いております。

これはまさに「地に足が付いていない、浮ついた気持ち・精神状態」であると、読んでおります。



また、手を両手に出している姿から、「今」ではなく「未来」を欲しがっている、餓鬼の性質を表しています。

そして、後ろに髪がなびいていたり、足の部分が後ろに尾を引いているのは、「過去」に囚われているという姿であります。



このことから「幽霊」は、「未来や過去に囚われていて今を生きていない、地に足が付いておらず浮ついている状態・様子」。と定義しております

これが、私の現段階における「幽霊」の定義です。



生き霊であったり、他界して肉体から離れた霊魂の姿ではなくて、生きた人・人間の話ですよ、幽霊という概念や存在は。



ちなみに、私がよくなんちゃらビジネスコンサルタントを、詐欺師呼ばわりだけではなく、「我利我利亡者」というのも、この話に通じます。

今を生きていない、血の通った生きている人に非ず、娑婆世界に現存する「亡者」として、人と観ておらん所以です。
スポンサーリンク

本物の心霊写真の撮り方は、幽霊的な心理状態の時の「自撮り」か鏡を撮影すること

ここまで話を進めれば、勘の良い人でしたら、「本物の心霊写真の撮り方」について、察しが付いたかも知れません。

心霊写真の定義は、幽霊が映り込んでいる、という事も含まれます。

そして「幽霊」とは、今を生きていない、精神が浮ついて地に足が付いていない、言うなれば「しゃきっとせんかい!」と言われるような状態の人の事を言います。



だったら、話は早いし簡単です。

そういう輩を撮影なり写真に納めれば、はい、心霊写真の出来上がりです。



本物の心霊写真の撮り方とは、「地に足が付いておらず、浮ついて雑な生き方をしている人を撮る」これですよ。

もしくは、自分を鏡に映して、鏡に向かってカメラのシャッターを切れば、本物の心霊写真が、データとして蓄積されます。



具体的な例を挙げて解説しますと、あなたが友人と食事に出かけたとしましょう。

そこで、一緒に食事をしているのに、目の前のあなたをないがしろにしてスマートフォンを弄ったり、SNS投稿用に料理の写真を撮りまくっているその友人は、幽霊化しています。



目の前のあなたと共に食事を取るという時空間を共有しているにもかかわらず、「今、その場」に、いるようでいない姿は、まさしく浮ついている状態ではありませんか。



スマートフォンで何をやっているか存じませんが、恐らく「飯なう」とか、呟いているんじゃありませんかね。

食事も目の前にいるあなたも、雑にしか接していないのですから、「今、君は幽霊だよ」と言って、戒めて現世に引き戻す事が、友人としての慈悲です。

その際に、カメラを取り出してその友人の写真を撮り、「今、本物の心霊写真が撮れた」と言って、そこから「今、ここの現実」に、導くのが宜しいかと存じます。



ちなみに、よく詐欺師や我利我利亡者が、気持ち悪い自撮りしておりますが、あれは全部心霊写真です。

観たことありませんか、恥ずかしげも無く、偉そうに腕組み自慢している自身の写真を掲載しているセールスレターやランディングページの類い。

あれ、全部本物の心霊写真です。

地に足が付いておらず、未来でお客様から金銭を奪うためだけの哀れな姿を露呈しているわけですよ。

しかも、実績だと錯覚している過去の栄光(と錯覚している)を、プロフィール欄でべらべらと並べている様相は、まさに過去に囚われている幽霊の尾っぽそのものです。



お恥ずかしったりゃ、ありゃしない。



そういえば、最近はFacebookなどのSNSにて、心霊写真を大量にまき散らしていた、憐れな我利我利亡者な詐欺師もおりましてね。

実際見かけた例では、やれ大統領枠でフォーミュラーワン観戦にこれたとか、やれタイ旅行を満喫しているとか、心霊写真と共にアップロードしていた姿がありました。

また、自己啓発系の我利我利亡者や詐欺師の場合は、アンソニー・ロビンズさんやその他の著名人と映っている写真も、本物の心霊写真です。

いや、アンソニー・ロビンズさんや著名人を幽霊と言いたいのでは無く、ツーショット写真を自慢している我利我利亡者や詐欺師が、幽霊という話しですから、お間違い無きよう。

ああいう我利我利亡者や詐欺師の自慢にならない事を自慢している痛々しい自撮りは、全て心霊写真です。



最早阿弥陀仏レベルでないと救い難し。



現代社会では、ネット上で本物の心霊写真の撮り方の参考資料も沢山あって、心霊写真も沢山観ることが出来るようになりましたね。

だって、そういう我利我利亡者の写真を眺めていれば、本物の心霊写真観賞になるのですから。

私からのお節介なお説教:心霊写真に浮ついて幽霊状態になっている場合ではありませんよ

「本物の心霊写真の撮り方を知りたかったのに、なんだよ釣りかよ」と、思われたら、そこは申し訳御座いません。

ただですね、そもそもとして「本物の心霊写真が撮り方」を何故欲しているのか、まずはそこを問うべきです。

浮ついた精神状態で、知りたがっているのであれば、そこを問い、そして正すことです。



もちろん、その全部が全部悪いとは言いませんよ。

科学的検証のために、科学的に実証するために、心霊写真研究をしている方もいらっしゃることは、存じております。

そういう探求者を、私は敬っておりますし、非常に有り難き存在であるとも認識しております。



それに、人が認知出来る事柄というものは、私は知れているし、全てを知る事や認識する事は知れていると思うております。

心霊写真的な映り方をする写真が撮れても、私は不思議だとは思いませんし、「まあ、こんなこともあるわな」くらいの認識です。



ついでに言いますと、個々の心霊現象や神秘体験については、個々の感性なり感受性、経験によるものが御座いますから、それ自体を否定は致しません。

何らかの心霊現象に出会ったり御縁が結ばれる人がいる可能性は、ゼロとは言い切れません。

私が体験していないからと言って、他人が体験した事を完全否定したり馬鹿にするのは、傲慢な在り方です。(我利我利亡者については自覚的にもの申しておりますがね。)



問うべきは、そういう心霊写真や不可思議な体験と出会った時の在り方です。



「本物の心霊写真を撮って自慢してやろう」「心霊特集番組に投稿して一旗揚げてやろう」といった具合に、浮ついた気持ちで心霊写真を弄ぶのは、如何なものであろうかと、私は思うわけです。

あくまで、私の手前勝手な色眼鏡ではありますが、そういう類いのものに浮ついて、地に足を付けずにはしゃいでいるのは、果たしてどうなのでしょう。



また、そこから行き過ぎると、心霊写真という概念に囚われてしまい、日常生活に支障を来すレベルにまでなりかねません。

心霊特集番組では、不可思議さを騒ぎ立てて煽るという場面があると感じる事がしばしば御座います。

もっとも、そう観じるようになってから、現在では心霊特集番組を殆ど観る事が無くなりましたから、現状はどのように変わっているのかまでは、把握し切れているわけではありませんが。

それでも、不思議な現象を闇雲に騒ぎ立てて、それに感化された人が地に足が付かない状態になったらどうするのか、という懸念がありますからね。



安易な気持ちで本物の心霊写真が撮りたいと考えている人は、その時点で「地に足が付いていない浮ついた幽霊」と化している可能性が御座います。

今一度、自身を問い直し、地に足を付けた歩みに戻って頂くために、今回の説教めいた話を展開致しました。



尚、今回の話は、こちらも併せてお読み頂くと宜しいかと存じます。

参照記事:「心霊写真のお祓いについての話|時代を感じます」

参照記事2:「松田広子さんが「恐山の最後のイタコ」というのは正確ではない」





心霊写真をエンターテイメントとして楽しむ分には大いに結構。

しかし、それにのめり込みすぎて、地に足が付かなくなって浮ついてしまい、幽霊化して生活に支障を来すレベルにならないようにすることが、肝要で御座います。

また、間違っても、それを「本物の心霊写真が撮れたぞすげーだろウェイ!」と、他人に押しつけたり巻き込みすぎないようにしたいものです。

幽霊化しないように自己を観察を忘れず、個人で楽しむ分で留めておきくくらいの塩梅が、宜しいのではないかと存じます。



合掌、礼拝

スポンサーリンク