心霊写真のお祓いについての話|スマートフォンが対象とは、時代を感じます

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。

以前に、松田広子さんが「恐山の最後のイタコ」と表現されているけれども、これは正確ではない、という話をしております。
松田広子さんと恐山については、恐らくこのような単語を使ったり表現した方が、視聴率が撮れるだろう、という、番組制作側の意図もあるのではなかろうか、と、素人の想像をしているもので御座います。

恐山に限らず、何らかの心霊現象と相性が良さそうな場というのは、心霊写真が撮れる現場という事でも、認識されているような、そんな気配も感じます。



心霊写真は、巷では「怖いもの」と認識されているために、必ずと言って良いほど、番組内でか、番組外でお祓いも執り行われているものです。

この「心霊写真のお祓い」についてですが、時代を感じるなあ、というお祓いの現場について、真宗・浄土真宗僧侶から教えて貰った事がありましてね。

そもそも仏教が、「霊魂だとか心霊だとか迷信だとか、そんなものに惑わされないようにね。」と、戒めて下さる教えが御座います。

真宗・浄土真宗も、そういう色合いが強いのですが、真宗僧侶から聞けたというのが、実に興味深い。



心霊写真とお祓いについて、時代を感じる実話を、お伝え致しましょう。

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心霊写真のお祓いの対象は、写真そのものではなく・・・

心霊写真のお祓いと言いますと、一昔前までは現像された写真を供養する、というのがあったのですが、現代社会においては、ちょいと事情が変わってきています。

その事を感じさせて頂ける話を、真宗・浄土真宗僧侶の方から、お話し頂きましてね、御法話の時に。



ある夜、高校生くらいの若人達が、ぞろぞろと4人か5人かで、その真宗僧侶が住職をされているお寺へやってきたそうです。

なんでも、スマートフォンで写真を撮って遊んでいたら、心霊写真が撮れてしまったから、お祓いして欲しい、との要望があって、お寺に訪れたとか。



この時点で、お墓があるお寺にやって来ているという事に気がついていないと言う事から、かなり怖がっていて動顚しておったのだろうなあ、と推察したものです。

いや、だって、お墓の方が、心霊写真よりも直接的な心霊現象がありそうな感覚感性ではありませんかね。

恐らく、そういう事も考えられなくなっている程に、「スマホで心霊写真が撮れちゃった」という事に、執着してしまったのでありましょう。



それで、その僧侶は、追い返さずに、何とか高校生達を落ち着かせた、とのこと。



仏教を学び続ける私は、ここに注目致しました。



真宗・浄土真宗には、迷信・俗信などの事柄に惑わされないように、との教えがあります。

ですから、真宗僧侶が高校生達を追い返しても不思議ではなかったのですが、その僧侶はそのまま返したら危険だと判断されました。

危険だと判断したのは、霊魂に取り憑かれて云々という話ではなく、心霊写真に執着しすぎて、この後の生活に支障を来しかねない、という、実生活におけるレベルの話です。



そうして僧侶は本堂に高校生達を座らせて、お祓いらしいお祓いではなく、本堂で高校生達を前に、御経を読んだ後にお説教しただけだったそうです。

高校生達にとっては、それがあたかもお祓いのように見えた事ではありましょう。(お祓いではないけれども)



その時、どのような形式でされたかともうしますと、スマートフォンを本堂に並べて、そのスマートフォンに対して、御経を読み上げたそうです。

写真ではなく、スマートフォン本体を並べられて。



私はここで、「ああ、時代なんだろうなあ。」と、思うたものです。



心霊写真と言えば、現像された紙媒体の写真に対して、お祓いをするというイメージが、私にはあったものでしてね。

それが、現代社会においては、スマートフォン本体に対して行うのです。

しかも、もっと厳密に言えば、お祓いの対象はスマートフォンに入っている「写真データ・画像データ」です。



そりゃあね、「呪われた絵」をお祓いするという話だってありますから、写真も画像も、一つの枝と解釈すれば、なくはないのでしょうけれども。

それにしたって、現代社会では、お祓いの対象は何キロバイトとか何メガベイトの単位で表されるデータにまで及ぶとは、時代を感じたものでありますよ。



あ、厳密に言えば、真宗・浄土真宗ではお祓いはしませんから、それを並べてお説教しただけですね、今回の話に限って言うならば。

でも恐らく、神社で心霊写真のお祓いをする時も、こんな風景になるのではありませんかね。

心霊写真のお祓いをお願いした高校生達を笑えないが、かといって執着するのも考えもの

上で話した、心霊写真のお祓いをして貰うために、真宗のお寺を訪れた高校生達について、あなたはどのように思われたでしょうか。



心霊写真や幽霊の存在を信じている、私なりの言い方でしたら、「幽霊などの存在は現実(リアル)である」と、認識している人ならは、「お祓いして正解だった」と、思われるのではありませんかね。

逆に、「幽霊?心霊写真?そんなもん迷信だよ。お祓い?必要無い必要無い」という人でしたら、高校生達を小馬鹿にされるかもしれません。



私はと言いますと、「まあ、こういうことも娑婆世界の出来事としては、あり得ますわな。」という、曖昧な立ち位置です。



そもそも、幽霊だの霊魂だの、「ようわからんし、結論づけて話す事は出来ない」というのが、私の立ち位置でしてね。

これは、釈尊(ゴータマ・ブッダ)の「無記」を気取っていると思って頂ければ、わかりやすいかと存じます。

それに私は、輪廻概念も幽霊も、人の営みだという考え方を持っておりまして。

それゆえに、心霊写真という概念そのものも、恐らく娑婆世界の通念、世間一般に言われている心霊写真の捉え方とは、違っております。



私は真剣に「心霊写真の撮り方は簡単ですよ。」と申し上げますから。

恐らく、私も条件が整えば、直ぐに撮れますよ、心霊写真。

正確には「概念としての幽霊が映り込んでいる写真」は。



もっとも、これは言葉遊びであったり、頓智であったり、概念操作の話に飛びますがね。

それゆえに、心霊写真が撮れただのとう事自体に、私は全否定はしないまでも懐疑的に考えております。



だから、心霊写真でお祓いをするためにお祓いに来た高校生達を笑う人達の仰りたいことも、理解は出来ます。



出来ますが、一方で、心霊写真のお祓いをする人に対して「お祓いして良かったね」という考え方や思想の人を笑いものにするかと言うと、そんな事はありません。



これは、個々に宿ったり紡ぎ出されるナラティブ(取り替えが利かない物語)という概念を学べば、把握出来る事柄です。



例えば、私は上で「輪廻も幽霊も、人の営み」と申し上げました。

別の機会にお話ししようかと考えておりますが、幽霊は、「人の状態」であると、認識しております。

いわゆる「ゴースト」も幽霊ですが、特定の状態にある人も、幽霊と言えると考えております。

詐欺師や「今だけ金だけ自分だけ」という輩を、「我利我利亡者」として、人あらざる者と私が認識している方便がありますが、それと類似している事柄です。



このような、個々における認識レベルでの物語をナラティブ」と言います。

ナラティブは、変化はするけれども基本的に不可逆であり、一旦すり込まれると、なかなか代替出来るものでは御座いません。



例えば、私は輪廻転生思想を持ってはおりませんが、宗教や国によっては、輪廻転生という概念は、最早概念ではなく、肌感覚でのリアル(現実味を帯びたもの)です。

この話は、進化論と創造論の話を観る際にも、考えておくべき事であろうと、私は頂いております。

私は、基本的に進化論側の人ですが、だからといって、創造論がリアルであるという肌感覚の人を否定しませんからね。



そういう理由から、私は心霊写真のお祓いを、真宗のお寺に申し出た高校生達を、馬鹿者扱いして笑い飛ばすことをしないのです。



あ、でも私は、人であるならばこういう態度ですが、人あらざる者(我利我利亡者と餓鬼畜生に限る)に対しては、戒めますからね、自覚的に。

平気で嘘をついて詐欺をやらかす、自称トレンドアフィリエイトコンサルタントは、殆ど我利我利亡者と認識して間違い在りませんし。(方便っちゃ方便ですがね。)



ゆえに、私は愚かな煩悩具足の凡夫であり続けることでありましょう。
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お寺・仏教寺院が心霊写真のお祓いをせずに、でもお祓い的な作用を上手に与えた僧侶の腕前

今回の話で興味深かったのは、心霊写真や俗信・迷信の類いを戒める教えが、生活信条にもなっている真宗・浄土真宗の僧侶が、心霊写真のお祓いに応じられた事です。

厳密には、宗派の教えに反するから、「心霊写真のお祓い」はされなかったとの事ですが、高校生達にとってはお祓いに思えるような御法話(と説教)をされた事は、流石だと感じたものです。



ちなみに、真宗・浄土真宗に、俗信や迷信を戒める教えがあると言うことは、すぐに確認することが出来ます。

知りたい方は、試しにご近所の真宗寺院か、西本願寺に来られた際、西本願寺の本屋か宿坊の聞法会館の総会所に置いてある「拝読浄土真宗の御教え」を読まれると良いでしょう。

最初の方に、きちんと書いてありますからね。



そのことをきちんと教えられる僧侶である、心霊写真のエピソードを教えてくれたお坊さんが、何故、高校生達のお祓いの要望に対して、門前払いしなかったのか。

真宗・浄土真宗の教えに則れば、門前払いだって出来たことでありましょうに。



それは、上の方でもお伝えしましたが、「このまま返したら不味い」と、何らかの支障を来すと言う事を、察知されたからであります。

ようわからん写真を、心霊写真と見てしまい、それに囚われてしまっている状態のまま放置すると、暴走しかねません。

だから、今後に繋がる話(実情はお説教でしたけれども)をしつつ、心霊写真に囚われている高校生達を、安心させる必要があると、判断されたから、真宗僧侶でありながらも、話を聞き、御法話をされたのです。



「お祓い」の内実は、真宗・浄土真宗はお祓いをしませんから、勤行後に御法話という、真宗で行われる定例法話的な事をされたそうですよ。

定例法話では、御門徒さんも一緒に、正信念仏偈や歎仏頌をお唱え申し上げますからね、あくまで勤行であり、お祓いとは全く違います。

「お祓い」として儀式をすると、真宗の教えに反するでしょうから、そこは僧侶の方は上手にされた事だと、話を聞いたときに思いました。



ここに「対機説法」の在り方を、垣間見るところであります。



仏事や御法話に馴染みがない高校生達にとっては、それがまるでお祓いに見えたのであろうとは察します。

語弊がある言い方で、言いぐさも悪いかも知れませんが、言うなれば「プラシーボ効果」を、演出と御法話によって上手に成された、と、そんな事を感じたものです。



一旦、心霊写真に執着してしまった人は、お坊さんや神主さんのように、社会の価値体系と違う体系を持つ人の「大丈夫だから」という一言を欲しているものです。

だからこそ、心霊写真が撮れたら、お祓いだの何だのと言って、神社やお寺に行くので御座いましょう。

そして、そのような人からの「大丈夫だから、もう心配無いから」という一言を、何らかの行為様式と共に頂けるだけで、執着がふわっと和らぐか、消滅していきます。



お坊さんは、きちんとその事も十二分に把握されていて、尚且つ、そうしないと高校生達が暴走しかねないと察知したがゆえに、本堂で勤行と御法話をされた、とのことです。



御法話の内容は、ここまで話したら、勘のいい人ならわかりますでしょう。

「大丈夫だから」という安心の言葉と共に、「こういうものに惑わされてはいけない、もっと地に足を付けなさい」というお説教です。

私も同じ立ち位置だったら、同じようなお説教したと思いますよ。

「心霊写真に惑わされている場合では、ありませんよ。」と。

心霊写真のお祓いについて、自分はどう思うのか、自己を問う事が大切です

なんだか、今回は長々と、とりとめの無い話になってしまいました。



ただ、なぜこのような話をすることにしたのかというと、以前に松田広子さんの話をしたときに、思いの外、結構な人がこちらに来て下さったからです。

その話は、こちらでしております。

参照記事:「松田広子さんが「恐山の最後のイタコ」というのは正確ではない」



結構な人が来てくれたと言う事は、それだけ関心が高くて、心霊写真や心霊現象の特別番組は、まだまだ需要があるのだなあ、と感じるところで御座います。



怖い物見たさや、エンターテイメントなり文化として楽しむ分には、私も否定はしませんし、そういう楽しみもあろうかと思います。

しかし、中にはそれがきっかけで、強烈な恐怖心を煽るナラティブ(物語)にとりつかれてしまい、不安神経症などに悩まされる方も、いなくはありません。



そうなってくると、流石に具合は悪い。



多かれ少なかれ、そういう「心霊的な物、心霊写真に惑わされやすい」という人は、霊感商法であったり、霊感商法的な詐欺に引っかかってしまう可能性が、人よりも高いのではないかと、懸念するところで御座います。

それゆえに、その事に警鐘を鳴らす意味も込めて、今回の話を致しました。



今回の話を聞いて、お寺にお祓いしに来たという高校生達を、あなたはどう思うのか、一度考えて見ることを提唱致します。

高校生達を小馬鹿にして笑う側であるか、全面的に擁護する側か、ご自身がどのように思うのか、そしてそれはどうしてなのか、一度自己を問い治し見つめられると良いかと存じます。

これも仏教的な在り方ですし、一つの自己分析です。



最後に、ちょいと私の小言をば。



仏教は、釈尊(ゴータマ・ブッダ)の時代から霊魂や迷信・俗信を信じる事を戒めています。

日本仏教も、その教えを大切にしていますし、お寺によっては真宗・浄土真宗のように、お祓いを必要としない教えであるからお祓いをしない、というお寺もあります。

ゆえに、心霊写真をお寺に持っていって「お祓いして下さい」と言っても、してくれないところがあるということは、知っておくべきで御座いましょう。



間違っても、冷やかしでそんなことをしないように。

そんな事をやらかす輩は「喝!」と、一喝されても致し方なし。



そもそもとして、お坊さんはゴーストバスターではありません。

多分、「お坊さん=ゴーストバスター」という認識は、孔雀王だとか妖怪や幽霊対策の本に書かれていた事が原因でありましょう。

お坊さんやお寺が、お祓いをしてくれるところと盲信している人は、まずその認識を改めるところから始める事を、提言致します。



合掌、礼拝

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