京都のパワースポットの属性や相性とか違和感ありまくり

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。

あなたは、パワースポット巡りの際に、属性だの相性だのを、気にして回られるでしょうか。
仏教では、釈尊の時代から迷信めいた話に惑わされないように、戒める教えがあり、日本仏教でも、宗派によっては色濃く根付いております。

真宗・浄土真宗では、そのような教えがありまして、エトス(行為様式)にも、その辺りが顕著に観られます。(私は浄土宗の檀家ですが、知識として知っております。)

各々が、京都に来られたときに、パワースポット巡りを楽しまれるのも宜しいかと存じますし、属性や相性を元に巡る京都の旅は、なんだかRPGっぽくて楽しげではあります。



ただ、なんといいますか、私も地元京都のパワースポットについて、属性だの相性だのが有る事を、つい最近知りましてね。

それで、京都のパワースポットの属性と相性について、少しかじる程度に調べては観ましたが、なんとも、違和感が御座います。

そもそも、私はパワースポットという言い方自体に、違和感と言いますか、なんだかなあ、というモヤモヤしたものを感じるのですが、それはひとまず置いておきましょう。

私はオカルト的な話は嫌いではありませんし全否定もしませんが、仏教者という自覚もありまして、あくまでも文化やエンターテイメントという見方をする距離感を保っております。



今回は、地元京都の仏教者が観る、京都のパワースポットにまつわる属性と相性についての違和感について、お伝えする事と致します。

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そもそもパワースポットの属性と相性を気にしていたら、京都観光出来ませんがな

パワースポットを巡る際、自身の属性と相性の求め方については、ここでは省略致します。

属性と相性の図や求め方は、インターネットで検索すれば、簡単に知る事が出来ますから、そちらを参照頂ければと存じます。

そもそもとして、今回の話は、そういった事柄に惑わされず、あくまで適切な距離感を大切にするための話ですからね。

ここで「属性と相性の求め方はこうこうこうで云々」とやり始めたら、それに引っ張られてしまうでしょうし。



私が、京都のパワースポットと呼ばれる場所にまつわる、属性と相性についての違和感を話す前に、現実的な話をば。



京都には、色々なパワースポットが御座いまして、神社仏閣が多い土地柄もあり、パワースポット巡りの観光旅行をする人も多くいらっしゃいます。

正月はもちろんの事、清水寺辺りは平日でも人が多くて、業務であの辺りを通る際、横断歩道が渡りにくそうだなあ、と、しばしば思うほどであります。

ちょくちょくと御法話を聴聞させて頂くために、東西の本願寺にも立ち寄るのですが、海外から来られた観光客を観ないときはないほどです。



ただ、京都のパワースポットと呼ばれるところ、大体が神社仏閣になるのですが、こういったテーマの観光旅行をする人達に、一言申し上げたい。



パワースポット巡りをする際、属性による相性選別は、確かにRPG的で楽しそうだというのは、わかります。

それについては否定致しません、大いに楽しめば宜しい事で御座いましょう。



しかしですね、属性と相性を気にしすぎていると、京都でパワースポット巡りの観光旅行が、やりづらくなりません?

ならないなら結構ですが、いちいち属性の相性を気にしていたら、「あそこは相性が悪いから駄目、こっちは相性が良いから行ってもいい」となりまして、行けなくなる場所も出て来ます。



そりゃあね、根深いところに迷信だの占いを信じてしまう精神が構築されている人には、私がいくら言葉を紡いでも、届かないことも重々承知しております。

でも、あまりにも属性だの相性だのに囚われてしまう、仏教的に言うならば「執着(しゅうじゃく)」してしまうのは、適切な距離とは言えませんし、窮屈すぎやしませんかね。

こういうのを「自縄自縛(じじゅうじばく)」と言うのではなかろうかと存じます。



京都に来て、神社やお寺を前にして、「いや、属性の相性が悪いから駄目」といって、素通りしてしまうのは、あまりにも勿体ない気が致します。

それに、一人旅ならまだ良いでしょうが、友人同士で楽しく京都のパワースポット巡りを始めたときに、いきなり「いや、ここは属性の相性が悪いから」と断られたら、興ざめする人だっておりましょうに。

「いわ、こいつめんどくさい奴だったんだ。」なんて思われたら、その後の京都パワースポット観光が、台無しになりかねない、というのは、私が深読みしすぎでしょうかね。



「こういう属性や相性もあるんだなあ。」くらいの距離感で、パワースポット巡りをした方が、行ける場所の制限もなく、京都観光を楽しめそうな気が致しますが、如何でしょうか。

余計なお世話といえば、余計なお世話でしょうけれども。

京都のパワースポットの属性と相性にまつわる「なんでやねん」と突っ込みたくなるし疑問に思う事

いきなり京都のパワースポット巡りについて、属性の相性も加味した上で楽しもうという人にとっては、水を差すような話を致しました。

ただ、やはり属性だの相性によって、制限をかけてしまうのは、なんだか勿体ないと思うたものでして。

要らぬお節介だったかもしれませんが、前提の話として、小言を申し上げました。



ここからの話は、人によっては笑い話になりましょう。



「え、京都に住んでいて、そんな事も知らないの?」という事を申し上げましたら、どうぞ私を笑ってやって下さいましたら、幸いです。

私、京都のパワースポットの属性と相性について、ちょいと調べて観ましたら、ところどころで疑問が御座いまして。

思わず「なんでやねん」と言いたくなるような事も御座いました。



その内容は、主に「何故、この場所が、このお寺がこの属性なんだ?」という、素朴な疑問です。
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京都のパワースポットで「なんでやねん」な属性と相性1:東寺(教王護国寺)

京都のパワースポットについて、思わず「なんでやねん」と突っ込んだ、属性と相性にまつわる話の一つ目。



私は、東寺には子供の頃から親しんでいたお寺で御座いまして、修正会(正月)の時期には参拝しております。

私は浄土宗の檀家であり、勤行も浄土宗形式ですが、修正会には京都の神社仏閣を練り歩きましてね、その最初に立ち寄るのが、東寺(教王護国寺)です。



東寺は、ぶっちゃけ寺でも紹介されましたし、京都駅からも歩いて15分もあれば到達出来る立地の良さから、沢山の人が来られるお寺です。

特に毎月21日に開かれる市場、地元民は「弘法さん」と呼ぶ日には、露店も並んで賑わっております。



そんな京都でも有名所の観光名所である東寺ですが、その属性と相性を調べて観た時、思わず「え、マジで、なんでやねん」と、思うたものです。



東寺のパワースポットとしての属性は「地」です。



一体、どうして東寺が「地属性」であるか、合理的かつわかりやすい解説が出来る方、どうかご教授頂ければ嬉しゅう御座います。



いや、だって、なして東寺が地属性なんです?

そりゃ、東寺には耐震性に優れた五重塔がありますし、その事から地属性に無理矢理結び付けようと思えば、かなり強引ですが結び付ける事は出来ましょう。

でも、それにしたってあまりにも強引すぎやしませんかね。

百歩譲って、弘法大師のお名前「空海」から、空属性が、一億歩譲って、「海→水」が、妥当なんじゃないかと思うのですが、如何でしょうか。



あくまでも、私の勝手な妄想であり、感覚感性の話にしかなりませんけれども、東寺が地属性というのが、不自然さがあって違和感を覚えるところです。



ほんと、どうしてこうなったのか、ご存じの方がいらっしゃいましたら、教授頂きたい。

京都のパワースポットで「なんでやねん」な属性と相性2:龍安寺と鈴虫寺

京都のパワースポットについて、属性と相性について調べていて、思わず「なんでやねん」と思うた話の二つ目。



あなたは、禅宗のお寺「龍安寺」「鈴虫寺」を、ご存じでしょうか。

どちらも臨済宗のお寺です。

龍安寺は世界遺産としても登録されていますし、石庭が有名でご存じの方も多いかと存じます。



この二つの禅寺も「地属性」だと知ったときは、「え、無属性じゃないの?」と、思わず突っ込んだものです。



禅宗は、「無」を根本的な題としておりますし、属性無し、つまり無属性と言われたら、わかります。

それが、なして地属性であるのか、私には見当が付きません。

百歩譲って、龍安寺は「龍」の文字があるから、龍が風を起こすという事で「風」か、空に舞うと言う事で「空」ならば、まだ強引に結び付けられるのですがね。



どうして禅のお寺が地属性なのか、私にはようわからん。



これについても、どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら、解説して頂きたいところで御座います。

京都のパワースポットの属性と相性調査で思う事:お寺は全部無属性でいいんじゃなかろうか

京都のパワースポットについて、属性と相性に関しては、まだ言いたいこともありますが、きりがありませんからここらで切り上げます。

私の突っ込みが全て無くなる解決策と言いますか、私が勝手に思うておる事が御座います。



京都に限った話ではありませんが、パワースポットと言われているお寺については、もうどこも「無属性」で統一するのが宜しいかと思うのですが、如何でしょうか。



そもそも、仏教は属性だの相性だの、迷信だのそういった類いについては、基本的に戒めるものであります。

それに、宗派によっては「無」という概念が非常に大切でありますし。

それゆえに、もう仏教寺院は無属性で統一しても良いのではないか、そんな事を念うわけであります。



禅宗では、無について大切に考えているところが御座いますから、特に禅寺は全て無属性で統一しても宜しいのではなかろうか、そんな事を考えております。

建仁寺禅居庵や仁和寺に、なして属性が付与されているのか。

一方、臨済宗のお寺である東福寺は無属性であり、この違いはなんなのでしょう。

建仁寺派と東福寺派の違いがあるのでしょうかね、私にはさっぱりわからん。



この辺り、私はよく存じ上げませんから、私に解説して頂ける方は、ご一報頂けると嬉しゅう御座います。



ちなみに、私は浄土宗の檀家と言う事もあり、知恩院についても調べて観ましたよ。

浄土宗といえば、総本山である知恩院は外せませんからね。

浄土宗総本山知恩院は、無属性、相性の良し悪しは気にしなくても良い、との事です。

法然上人は、お念仏の教えを衆生に分け隔て無くされていたという話が伝わっておりますからね、その事が影響しているのでありましょうか。



知恩院が無属性とわかり、内心ほっとしている私は、逆説的に考えて、やはり属性や相性に囚われてしまっておるのでしょう。

私も修行足りませんな、修行が、足りない、いかがせんいかがせん。

京都に来られた際のパワースポット巡りは属性と相性を楽しむのは結構ですが距離感を大切に

私は、迷信の全てが悪いとは考えておりません。

そもそも迷信という概念そのものに、善悪はありませんからね。

それに、各地に現存する、言い伝えられている迷信から、民俗学的な面白さ(興味深さという意味です)もありましょうし。



問題は、その迷信に執着したり盲信したり、そこから更に暴走したりする人の有り様です。



京都に来られて、パワースポットを巡る際、例えば清水寺に行こうと言うときに、「いや、水属性と私は相性悪いから」なんて言い出したら、京都観光の範囲が狭まります。

それが原因でギャーギャー騒ぎだしたら、迷惑千万。

もしも複数人での京都パワースポット巡りツアーを組んでいたら、お互いに消耗するだけです。



京都のパワースポット巡りに来られて、属性や相性を上手に活用した観光、大いに結構。

ただしそれば、適切な距離を保ち、自覚的な楽しみ方として味わうのが、肝要ではなかろうかと存じます。



なんだか水を差すような話を展開致しましたが、折角の古都京都での神社仏閣巡りを楽しんで頂きたく、適切な距離をとる一助になればと思い、今回の話を致しました。



尚、迷信だの属性・相性に囚われているという自覚がある方は、こちらも参考になります。

参照記事:「心霊写真のお祓いについての話|スマートフォンが対象とは、時代を感じます」

参照記事2:「本物の心霊写真の撮り方とお説教|仏教者が語る幽霊の定義」



地に足を付けて、出来れば肉体も地に足を付けて、つまりあなたの足で京都の町を練り歩く、というパワースポット巡りを楽しんで頂ければと存じます。

そもそも、私はパワースポットではなく、パワーレススポットだと思うておりますがね、神社仏閣という場は。



地に足を付けて・・・ああ、そうか、地属性のお寺は、「浮かれずに、地に足を付けなさい」という戒めの意味があったのか、というのは、勘ぐりすぎですかね。



合掌、礼拝

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