御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。
先日お伝えしました通り、知恩院では4月18日の恒例行事となりました、「ミッドナイト念仏in御忌」に、参加して参りました。
弥陀の御縁、法然上人の御縁という事を考えると、「参加させて頂いた」と表する方が、しっくりくる私です。
今回は、ミッドナイト念仏満行、と言っても良いところまでお念仏させて頂きました。
ミッドナイト念仏in御忌2017は、滞りなく終わりまして、バスに揺られて無事に帰ってきた次第で御座います。
今回の参加で、私はミッドナイト念仏は2回目の参加であり、ある程度把握したことにより、スムーズにお念仏をさせて頂いた、という運びとなりました。
今回は、ミッドナイト念仏in御忌2017を無事に終え、知恩院三門内でお念仏を夜通し称えさせて頂いた感想や体験をお伝え致します。
浄土宗には、お念仏の教えを伝える「おてつぎ運動」があるのですが、これも、私個別による、おてつぎ運動と言えましょうかね。
ミッドナイト念仏in御忌2017の、私の体験談を参考に、お念仏の御縁を結んで頂く機縁となりましたら、念仏者・仏教者として嬉しゅう御座います。
Contents
ミッドナイト念仏in御忌2017感想体験談:知恩院の三門に入る前の待ち時間
ミッドナイト念仏in御忌は、知恩院の三門、国宝の中に入って、一晩中お念仏をさせて頂く行、仏事で御座います。参加人数が徐々に増えており、4月18日が土曜日の年は、1800人の参加を記録して、2時間待ちもあったと言う話もあると、以前にお伝えしておりますね。
参照記事:「ミッドナイト念仏in御忌2017の待ち時間等の注意点を経験者はかく語りき」
ミッドナイト念仏は、開門・受付が19時30分からですが、始まる前に法要がありまして、19時には三門に入れます。
このことは、ミッドナイト念仏in御忌2016で、待っている間にお坊さんから聞いて、更に実際に体験していたから知っておりまして、早めに門の前で待つ事にしました。
私が参加者が待つ場所に到着したのが18時少し前でしたが、すでに私の前に7人ほどいらっしゃり、その後も続々と人が集まってきまして。
開門前には、すでに少なくとも20人以上が並んでおりました。
時間まで、周囲の人と軽く話をして、ベテランとおぼしきおっちゃんから、色々と経験者・ミッドナイト念仏体験者の話も聞きましてね。
去年は、浄土宗のお坊さん二人に、辻説法の如く仏教講座を、並んでいる時に頂けましたが、今回はおっちゃんから、ミッドナイト念仏そのものの話を頂ける御縁を賜りました。
待ち時間には、こういう楽しみも御座いますよ。

いざミッドナイト念仏in御忌2017、知恩院の三門の中へ
19時になって、知恩院の三門に入る事が出来まして、門の中に入っていくと、池口龍法住職(龍岸寺のご住職であられる浄土宗のお坊さん)と、ばったり再開。先日お世話になった、魚川祐司さんの講座を受けさせて頂いた御縁を挨拶申し上げて、私は出口付近の木魚まで移動しました。
一体何故、私が出口付近へ陣取るかと申しますと。
知恩院の三門の、出口となる場所の近くには、大木魚がおいてあります。
下の動画の、17秒当たりから、大木魚の実物を観る事が出来ます。
木魚も大きければ、響く音も大きい上に、近くにいると、その重低音が体に響いてきます。
家にあるような、一般的な小さい木魚は、音は「ポクポクポク」ですが、これは「ドンドンドン!」という感じです。
いや、ほんと、近くで鳴らしてみるか、鳴らして貰えばわかります、本当に響いてきますから。
観て頂ければ分かりますが、木魚を叩く「バチ」と呼ばれる仏具も、両手で持たないと扱えないくらいに、大きい上に重い。
慣れたお坊さんは、この大きなバチをなんなく扱われ、大きな音で、しかももの凄い速さで叩かれます。
ちなみに、今回は時々上手な人もいらっしゃり、大柄な外国人とおぼしき男性は、凄く上手に大木魚を叩かれていました。
私は、この大木魚を何度か叩かせて頂きたくて、移動しやすい場所に陣取るようにしておりましてね。
そうして待っていると、7時から法要が始まり、「開経偈」の後に「歎仏頌」という、 無量寿経という御経の中の一説を唱えたり。
その後、ミッドナイト念仏in御忌2017が、20時よりも少し早めに始まりまして、ここから夜通しお念仏、一晩中念仏を称え続けました。
ミッドナイト念仏2017感想体験談:お念仏中の様子
ミッドナイト念仏in御忌2017は、一体どんな様子だったのか。ミッドナイト念仏中の様子そのものは、一体どんな感じなのか、どんな雰囲気なのか、気になる人もいらっしゃるかと存じます。
こればかりは、言語だけでは伝えきる事が出来ませんから、参加して頂かないことは、にんともかんともと言ったところではあります。
ゆえに、ここからは、あくまで私個別のフィルターを通した、ミッドナイト念仏体験者としての体験談であり感想文として、触れて頂ければと存じます。
雰囲気については、許可された人達が動画にして下さっていますから、これである程度の姿は見えるかと存じます。
動画にはなってはいますが、普段は一般開放・公開されておらず、動画や写真撮影は、許可されたごく一部の人だけしか出来ないと言うことを、ここで注意申し上げておきます。
ミッドナイト念仏in御忌の雰囲気が、ある程度味わえるであろう動画が、こちらです。
ただ一向に念仏すべし。
私も、木魚を叩きながら、朝までお念仏をさせて頂き、途中で2回、大木魚を叩かせて頂く御縁を賜りました。
とにかく、一晩中、お念仏をさせて頂いたミッドナイト念仏2017。
まあ、「ただ一向に念仏すべし」と言うておきながら、雑念はどんどん湧いてきておりましたし、生理現象や外気の影響があったりと、「ただ一向」とはほど遠かったかという自覚は御座います。
その事は、後ほどお伝え致します。
それでも、木魚を叩き続け、お念仏させて頂き続けた御縁であったのは確かであり、有り難き仏縁なり。合掌。

ミッドナイト念仏2017参加者の層:老若男女・男女老少様々で幅広く、外国人も多い
ミッドナイト念仏in御忌2017は、一体どのような人達が参加されていたかと申しますと。この辺り、あなたも気になる事ではありませんかね、「俺が、私が言っても、浮いちゃんうじゃない?」と。
ご心配なく、それは杞憂と申し上げても差し支え御座いません。
知恩院は浄土宗の総本山でありますが、浄土宗の檀家や壇信徒でなくとも、全く宗教行事や仏事に興味が無い通りすがりの人でも、参加する事が出来ます。
(そもそも、宗教や仏事に興味が無い人が、参加したいと思われるかどうかは突っ込み所でしょうがね。)
山門に入るための待ち時間はありますが。
私は、出口付近におり、必然的に人の通りが視界に入ってきまして。
また、周囲の状況も視界に入り、どのような人達がいらしているのか、大体把握出来ました。
ミッドナイト念仏in御忌に参加されている方々、いわゆる「層」ですが、実に幅広い。
老若男女、仏教では「老いも若きも」を「老少」と言いますから、「男女老少」と言いますが、年齢もまちまちです。
それこそ、家族連れで小学生くらいの方から、大学生くらいの男女(多分お付き合いされているお二方)から、お年を召した方まで、年齢の幅は本当に広いという現状です。
また、これは去年も感じた事ですが、外国人の方、海外から来られた方とおぼしき人達も、実に多かった。
私の体感では、3割くらいは諸外国の方々かな、と思うた程です。
知恩院は、京都でも有名な観光名所と言えるから、外国の方が知恩院を観光したり、宿坊である和順会館に宿泊されるのもわかります。
知恩院で行われる、朝のお勤め、晨朝法要といいますが、日本の仏教を体験しようと晨朝法要に参加される方もいらっしゃるでしょう。
ミッドナイト念仏がこれほどまでに海外から来た人達に知られていると言う事を目の当たりにして、「おお。」と思うたもので御座います。
同時に、お念仏がここまで広く伝わる御縁を感じさせて頂いて、感謝申し上げたい。
土屋正道上人が仰った「法然上人が現代におられたら、お念仏を世界に広めて世界平和を実現されたかもしれない」という話を、思い出すミッドナイト念仏の現場で御座います。

ミッドナイト念仏2017も、やっぱり寒い!(冷えるという意味で)
ミッドナイト念仏in御忌2017にて、感じた事・感想や体験談として語る事。今回参加して、改めて感じた事。
「知恩院の三門内でのミッドナイト念仏は、やはり寒い(肌寒い、という意味で)」
いや、ほんと、去年の反省を活かして、今年は冬用の上着を装着してお念仏させて頂いておったのですがね、やはり寒かった。
今回は、ミッドナイト念仏2016・去年に比べると風も強くなかったし、昼間の気温が高かったためか、去年よりも暖かめだったのですがね、それでもやはり寒い思いをしました。
最後辺り、手がかじかんで、少し震えましたから。
私の周囲でお念仏されていた方も、何人かは慌てて上着を鞄から取り出して、羽織っていらっしゃいましたよ。
来年、ミッドナイト念仏2018に参加される方には、再度申し上げておきます。
暖かい格好を用意して、お出かけ下さいまし、昼は暑いからと油断してミッドナイト念仏に参加すると、寒くてすぐに退散を考える状態に陥ります。

ミッドナイト念仏の最後辺りは、眠いし痛いしヘロヘロに
ミッドナイト念仏に参加する際の注意点として、私は以前の記事で、「居眠りはしないように、眠いなら無理をせずに」と、申し上げました。当の私はと申しますと。
注意申し上げてなんですが、居眠りは何とか、立ったり坐ったりをして見たり、何とかもぞもぞ動いてやり過ごせましたが、「眠いこと」それ自体には抗えませんでした。
そして、無理するなと言っておきながら、恐らく結構無理しておりました、あなたは真似しないようにして頂ければと存じます。
私も来年以降、無理はしませんとお約束致します。
いや、まあ、自衛のためにも、ね。
私は去年、ミッドナイト念仏2016では、一度トイレ休憩のために、知恩院の三門を降りたのですよ。
しかし、今回のミッドナイト念仏in御忌2017では、一度も降りずに、夜通しお念仏、11時間ぶっ続けでお念仏おとなえ申しておりました。
毎年、何人かいらっしゃいましてね、そういう人。
去年はトイレ休憩を入れたとは言え、ほぼ満行しておりまして、今年は休憩なしでぶっ続けました。
そして、そこまでやってみてわかったことですが(やる前から把握しておけよ、と突っ込まれそうですが)、途中からめちゃくちゃ体が痛くなり、終わったとは体が、特に脚腰が痛い。
ミッドナイト念仏の会場は、床に硬い畳が敷いてあるだけで座布団はありませんから、長時間座り続けていると、接地面をはじめとして身体が痛くなります。
帰る際、三門を降りて知恩院を後にする時、膝が「カクっ」となりましてね、無理して歩いて帰らずに、途中まではバスを使う事にしたくらいです。
ロードワークと筋力鍛錬をしていて、このざまです。
その上、夜通し眠らずに、という状態ですから、睡眠欲も顔を出してきます。
私、前回のミッドナイト念仏関連の記事で「居眠り注意」と申し上げておきながら、私が陥っておりました。
うつらうつら、はしました、寝落ちはしませんでしたが。
3時以降に、私の周囲では、完全に寝落ちしてしまっている人もいらっしゃったのですが、「そりゃそうなるわな」と思いましたよ。
いや、眠るくらいなら三門を降りて、宿泊所に戻るなりタクシーを拾って帰るなりした方が望ましく、居眠りを推奨しているわけではありませんからね。
そんなこんなで、ミッドナイト念仏が終わって知恩院の国宝なる三門を降りた後、体が痛かったし、眠くてヘロヘロになっておりました。
でも、なんでしょうね、達成感とは少し違うような、なんとなく「やりきった」という、上手く言語化出来ない何かすがすがしさを頂けました。

ミッドナイト念仏2017総括的感想・体験談まとめ:ただ一向に念仏すべし
最後に、ミッドナイト念仏in御忌2017の感想総括と言いますか、体験した事についての総括的なことを。ミッドナイト念仏にて、休み無くお念仏申し上げた事によって、私はどうなったのか、と言うところを、知りたい人もいらっしゃるかと存じます。
ここまでして、このような仏事や宗教行事は、何か得られるもの、ゲインを欲する人もいらっしゃるでしょう。
とっかかりとしては、それも一つの御縁ではあるのですがね。
今回、私はミッドナイト念仏in御忌2017にて、夜通しお念仏、11時間ぶっ続け(法要を入れると12時間の参加)で、お念仏させて頂きました。
私の他にも数名、言うなれば「ミッドナイト念仏満行」と言っても良いででしょう、行を達した方がいらっしゃいます。
ここまでして、私は何を得たのか、神秘体験はしたのか。
結論から申し上げますと、私は神秘体験、宗教的体験をしたわけではありませんし、別段、ミッドナイト念仏後に人格が優れたり悟ったりしたわけではありません。
何か特別な宗教的な体験、神秘体験を期待していた方に対しては、拍子抜ける話ではありましょう。
これは、瞑想についてもそうですが、どうも宗教儀礼を何かやると、何か得られたり、人格的に優れると誤解されがちですが、そうではありません。
参照記事:「マインドフルネス瞑想をするなら読んでおきたい3冊の本」
参照記事2:「丁寧な暮らしがマインドフルネス瞑想で実現しやすくなる理由|プラユキ・ナラテボーさんの瞑想から気づいた事」
「ただ一向に念仏すべし」
これは、賢しらなことではなく、何か得ようという事ではなく、本当に、ただお念仏申し上げる、という法然上人の御教えです。
お念仏をしたからと言って、賢くなるわけでもなく、お金持ちになるわけではありません。
そもそも、法然上人が書かれた一枚起請文の中で、「ただ一向に念仏すべし」の前にはこうあります。
たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同じうして、
※一枚起請文より引用
賢しらにするのではなく、賢ぶるのでもなく、ただ一向に念仏すべし。
そりゃあね、副産物的に、結果的にすっきりした、などの事はありましょう。
その「果」それ自体は、否定しません。
ただ、あくまでそういうことがある可能性もある、というだけの話で、私は何かが欲しいからお念仏しているのではないのです。
お念仏と出会い、勤行を続け、別時念仏会に参加させて頂くうち、夢でもお念仏する事があるくらいになり、ただただ、お念仏するだけ。
しかし、そうはいっても、「だったら、ミッドナイト念仏に行っても意味無いじゃん。」と、なりそうですね。
それもまた早計なり。
お念仏にまずは触れる事、そこから、私の様に法然上人の御教えを頂くようになっていく事。
お念仏をさせて頂く御縁が、日常でも法然上人の御教えが顔を出して下さり、行動指針や生活を調えるに到る事。
このような「縁の結び続き」にて、お念仏の教えから、このような俗世を調う御縁になる事も、またあり得る話です。
これは、プラユキ・ナラテボーさんが説いて下さる、「善き縁に触れ、善き縁となし、善き縁となる」の、一つの形ではないかと存じます。
ここでの「善き縁に触れ」は、法然上人の御教え、お念仏の御教えや仏道の事です。
ゲインが欲しい人は、こういう可能性も見出されてみては如何でしょうか。
「ゲイン有りき」だけというのは、確かに考え物ですが、副産物的に・結果として自己を調う善知識の智慧と出会える場所が、京都の知恩院に、そしてミッドナイト念仏には御座います。
御法話であったり、お坊さんと社会の価値体系とは全く別の価値体系の話を聞ける御縁も、また仏縁ですし、それによって自己が調えられる事もありますから。
他ならぬ私が、その「仏縁によって救われた一人」です。
ミッドナイト念仏は、最初は軽いノリで来られても、大いに結構。
もちろん、念仏中であったり、知恩院の三門内部では飲食厳禁などの注意事項は厳守した上で、ですよ。
ノリからはじめて、いつしか釈迦如来の手の上、阿弥陀如来の慈悲の上に乗らせて頂き救われる仏縁となりましたら、嬉しゅう御座います。
合掌、礼拝、南無阿弥陀仏