マインドフルネス瞑想生活|マインドフルに生きるという小出遥子さんの智慧

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



プラユキ・ナラテボーさんから、チャルーンサティ・手動瞑想や歩行瞑想を教わり、マインドフルネス瞑想を生活に取り入れる日々であります。


その繋がりで、マインドフルに生きるという事や、マインドフルネス瞑想を生活の中で活かす取り組みもしておるわけですが。

そうはいっても、いつでもどこでも、必ず上手く行くという事はまだまだありませんでして、むしろ、全然マインドフルになれていない状態の方が多いと言うのが、現状ですかな。

それを自覚しつつ、それでもマインドフルネス瞑想であったり、マインドフルに生きるという事を日常で実践する修行の道を、歩んでいる次第で御座います。



このような取り組みを日々行ずる中で、小出遥子さんという方が、ずばり「マインドフルに生きる」という表題にて、その取り組みをされている事を、シェアして下さいまして。

私も同じような事を行じており、共感した話でもあります。

小出遥子さんの記事について、「ドアの開け閉めをマインドフルに、というのは確かになあ。」と、頷きながら読ませて頂きましてね。



今回は、マインドフルネスや瞑想を学び、それをどのように日常で活用するか、その大きなヒントや智慧を学ぶ事が出来る、小出遥子さんの智慧を、共に頂くと致しましょう。

ほんと、我々がついつい見逃してしまいそうな、ぞんざいになってしまいそうなところが、まさにマインドフルネス瞑想の修行であり、マインドフルに生きる場なり。

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マインドフルネス瞑想を行じて気づいた「気づきの智慧」は、修行道場やお寺だけの話ではない

マインドフルネスや瞑想の類いについて、おさらい的な話をしておきます。



マインドフルネス瞑想を学ぶ際、私が何度も申し上げている通り、一度はきちんと伝導出来る伝導者から、直接学ぶ事が望ましいものです。

出来れば、定期的に伝導者から伝道して頂く事が、尚良し。



そうなると、瞑想道場であったり、瞑想センターでマインドフルネスについてや、瞑想を実践して学ぶ人も御座いましょう。

それはそれで大切な事ですが、その瞑想を日常に落とし込む段階まで進まず、「瞑想とか坐禅は、瞑想道場やお寺だけでやる」と言うところで、終わってしまう人も、いらっしゃるやも知れません。

確かに、そういう瞑想の学び方もありましょうし、無下に否定は致しませんが、私個別の感覚感性としては、ちょいと勿体無いと思うところに御座います。



この辺り、プラユキ・ナラテボーさんやスティサート師は、きちんと日常でも活かせるようにマインドフルネスや瞑想を伝導して下さり、非常に有り難し。

先日オンラインで参加させて頂いた、浦崎雅代さんが案内して下さるスティサート師の説法と瞑想実践の講座にて、スティサート師はこのような趣旨の話をして下さいました。



「料理をしている時なども、気づきを得る事が出来ますし、料理中も瞑想修行の場です。」



これは、まさに私も実践している事です。

例えば、キュウリを切っているときはキュウリを切っている事になりきる、そしてその事に気づく、と言うように行ずる事をしておりましてね。

ただ、私は修行がまだまだ足りていませんから、気づきは途切れ途切れ、途切れまくりです。



これに関連した事柄として、マインドフルに生活する智慧や、気づきの瞑想を行じて日常を営むという話を、以前から伝えております。



参照記事:「手動瞑想を続ける日常生活での実感|「気づきの瞑想」の効果を頂ける日暮らし」

参照記事2:「日常生活の中で出来るマインドフルネス瞑想の方法|プラユキ・ナラテボーさんから教わった事」



「マインドフルネスや瞑想の智慧は、日常生活で活きる」



最初の内に、このことを実体験から申し上げておきます。

小出遥子さんの智慧:「マインドフルに生きる」という事

このように、マインドフルネスや瞑想を、日常にも応用したり、日常生活でも活用出来るという事を踏まえて。

日常生活でも、気づきの智慧を活かす具体的な方法を、仏教用語を使わずに、わかりやすく解説して下さる方がいらっしゃいます。

その方は、小出遥子さんと仰いまして、以前もこの方についてお伝えした事がありましたね。



参照記事:「Temple@瑞泉寺(小出遥子さん主宰)に参加してきました|感想文的なレポートと帰り道で気づいた事」



私は、小出遥子さんのTempleに参加する御縁を賜りまして、有り難き御縁を頂いたもので御座います。

小出さんのTempleに参加した日の帰り道で、仏法を頂けた事、今でも嬉しゅう事であると頂いております。



その小出遥子さんが、「マインドフルに生きる」という表題で、マインドフルネス瞑想で培った智慧や気づきの力を、日常で如何に活かすか、行ずるか、という事を、伝えて下さっています。



その話が、こちら。

一旦読まれてから、また戻ってきて下さればと存じます。



参照先:小出遥子さんの「マインドフルに生きる」



はい、お帰りやす。



私、この記事がTwitterでアップロードされましたよ、というお知らせがあってから読みに行った時、そのまま3回読み返しましたからね。

「そう、まさに私も体験した事なり。」と、ものごっつ頷きながら。



「マインドフルに生きる」という事を、簡単な事からという事で、「ちょっと注意する」というレベルにまで簡略化して伝えて下さっているのも、有り難し。



そうなのですよ、最初は「ちょっと注意する。それも短い時間から。」と、こういう始め方もあるわけでありましてね。

私はこれに関連する話を、「目標は小刻みに」という表題の話から学んだという話もしており、それとも親和性が非常に高い。



参照記事:「うつ病で休養中の過ごし方に使える|細切れ・小刻みにしてハードルを下げる智慧」



私の場合、うつ病の休養中・療養中で集中力が続かない場合の話をしております。

そのような状態には無い人でも、目標を小刻みにして集中してみる、気づきの瞑想的な仕事の仕方や生活の仕方を実践してみる、という話は、応用範囲も広くて、使えるかと存じます。



小出遥子さんの記事中にある「よし、いまから5分間、マインドフルに生きるぞ!」は、小刻みな実践の智慧の一端が垣間見られます。

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「マインドフルに生きる」の例:日常全てがマインドフルネス瞑想の修行として頂ける

小出遥子さんの「マインドフルに生きる」という智慧は、やってみると、こういう事を体感する人も、いらっしゃるかと存じます。

実際、私も体感しておりましてね。



「日常の全てを、マインドフルネス瞑想の修行として頂く事が出来る」



これは、小出遥子さんが「マインドフルに生きる」という記事で伝えて下さる、実例集からも読み取れます。



小出遥子さんは、ご自身の自己観察・自己解析によると、どうやら粗忽者、わかりやすくいうと「おっちょこちょい」とご自身を表されています。

お会いした時は、そんな感じはしなかったのですがね。



粗忽者と言えばまさに私の事でありまして、以前の私もやらかしまくっていたことを、小出遥子さんの記事の事例で紹介して下さっています。



例えば、ドアの開け閉め。



これ、きちんと最後までドアノブを持って、完結させると言う事を怠っている人、存外多いのではありませんかな。

ドアを開け閉めしている最中に、最後まで手を添えず、「バーン!バーン!バタンバタン!」と、やらかしていたり。

実は私も、これを随分とやらかしておりましたが、仏教と再会して、気づきの瞑想・気づきが間に合う智慧を頂いてからは、ドアの開閉事に気づきが間に合う場面も増えて来ました。



私でしたら、小出遥子さんの実践例に、「ものをポンポンと置かない」を、付け加えます。

本を買ってきた時は、きちんと本棚に収納して、ベッドの上や机の上、床にポンポンと放り投げて散らかさないように、と言う事です。

「ついついやってしまうなあ。」という人、いらっしゃるんじゃありませんかね。



私もついついやってしまいそうになる事は今でもありますが、最近では本を買って帰る度に、「あ、ポンポンをかないように気をつけよう」と、気づきが間に合うようになってきております。

気づきが間に合う、マインドフルになっていれば、本をきちんと本棚にしまうまで、きちんと丁寧に、本を扱うことになりましょう。



「そうはいっても、そこまでやるにはまだまだ自信が無い」という方、ご安心をば。

最初の内は、なだぎ武さんのディラン・マッケイネタを真似すると、出来る可能性もあるかと存じます。



参照記事:「ヴィッパサナー瞑想で行うラベリングのモデルは、なだぎ武さんのディランマッケイネタ|注意点もあり」



「今、自分は本を本棚にしまっている、間違いなく本を本棚にしまっている。よーし、収納した。」

こんな感じで。



出来るようになってきたら、言語化を外して、「ぱっぱっぱっぱ」と気づき、マインドフルに生きる事に繋がるかと存じます。

私が「マインドフルに生きる」という事に出会わせて頂いたきっかけ

今回の、小出遥子さんの「マインドフルに生きる」という記事で、「まさに!」と、思うたところが御座います。

そしてこれは、私が仏教と再会した場面でもありましてね。



それは、「飲みものを飲むときは、それだけに集中する。」という一文です。



私は、うつ病治療で心療内科から帰る時、難の考えも無しにふらりと立ち寄った古本屋にて、「喫茶去」という言葉であったり、「お茶を飲む事になりきる」という事柄と出会いまして。

そして、帰ってから、お茶を入れてから飲み終わるまで、「お茶になり切る」を、やってみようとしたのです。



が、全く出来ませんでした。



最初から、もう、お茶の事を全然考えていなくて、「ああ、自分は駄目だ、このままでどうやって生きるんだ」とか、そんな感じの事ばかり考えておりました。

その時に、「お茶を飲む事になりきること、お茶を飲みきる事が、全く出来ない」と、愕然としたものです。

最初から最後まで、ごちゃごちゃと考え事をしたり、明後日の方向に意識が飛びがちでした。



今でも、お茶を飲む事になりきる、言うなれば「喫茶三昧」には、到底及びません。

でも、「ぱっぱっぱっぱ」と、「あ、今お茶を入れる事から離れていた」「あ、今雑念によって喫茶三昧から離れた」と、気づきが間に合うようにはなってきました。

それでも、まだまだ、まだまだですがね。



あなたも、心当たりはありませんかな。

特に、会社の休憩室では、こういう現象に巻き込まれているのでは無いかと、私は勘ぐるわけですが。



休憩中、社内自動販売機か何かで珈琲なりお茶を買っている時から、「ああ、メールださないと、あの会社にはあのように連絡して云々・・・。」と、飲み物が出てくる待ち時間も、仕事の事を考える。

そして、飲み物を取り出して、座る時まで、「そういえば、あの案件どうなってたかな?」とか考える。

飲み物を飲んでいる最中も、「あのクソ上司、倍返しだ!あの部下も使えない。帰ったらソシャゲでガチャ回しまくらないとやってらんねー。」等々。



そのような状態で休憩中に飲み物を飲み干して、果たして、そのお茶であったり珈琲の味を覚えているでしょうかな。

また、それは真に休憩していると言えるでしょうか。



もちろん、「いや、是がオレ流休憩術だ!」と言うのであれば、それでよし。

しかし、「いやあ、休憩中も心安まらなくって。」という方は、小出遥子さんの記事を再読し、「飲みものを飲むときは、それだけに集中する。」という智慧をお借りすると、休憩時間での回復度合いが、変わってくるやもしれません。



「喫茶三昧・休憩三昧」を経て、仕事に戻る前に「飲み物を、こうして頂けるだけでも有り難し」と、仏教的な「有り難し」を体感し、感謝のうちに励むという心持ちで、仕事に戻れるかも、と言ったところに御座います。

マインドフルに生きる事による効果効能

小出遥子さんが伝えて下さる「マインドフルに生きる」という事を実践すると、どのような効果効能があるのか。



仏道修行に、効果効能を求めすぎるのは如何なものか、という議論もありますが、ここでは娑婆世界で役に立つという情報を欲している人もいらっしゃるでしょうから、そのような人達に向けた話も、盛り込んでおきましょう。

効果効能という、わかりやすい現世利益があった方が、より「やってみよう」と思うて、実践するに至る可能性を大きくすることになるでしょうからね。



マインドフルネス瞑想を、日常生活に活かして「マインドフルに生きる」を実践すると、得られる現世利益的な効果効能について、実は以前にもお伝えしております。



参照記事:「丁寧な暮らしに繋がる「気づきが間に合う」という実体験の話」

参照記事2:「丁寧な暮らしがマインドフルネス瞑想で実現しやすくなる理由|プラユキ・ナラテボーさんの瞑想から気づいた事」



「ちょっと注意して気づいて生きる」「マインドフルに生きる」と、所作が丁寧になっていく事に繋がります。

よって、物を粗末に扱わなくなりますし、ドアの開閉と言った、日常で何気なくやる事も、丁寧に行うようにもなり得ましょう。



実は私、全然マインドフルではなくて、以前はドアの開閉も「バタンバタン!」と、丁寧さの欠片も無い生活をしておりました。

それで家族から「もっと静かに閉めよし!」と、怒られ続けたものです。

それが、最近では全く言われなくなりまして、ドアの開閉の度に、気づきが間に合うようになってきましてね。



そりゃ、ドアの構造やバネの強さを見誤って、「バタン!」としてしまう失敗は、今でもありますよ。

ただ、丁寧にドアの開閉をしようと、ドアの前に立った時に、気づきが間に合いやすくなった、という事を、実感しております。



現在は、こういう場面をもっと増やす、と言うのが、私にとっての「マインドフルに生きる」の実践であり、気づきの瞑想的な生活を営む仏道修行でありましょうかな。

小出遥子さんの「マインドフルに生きる」は、マインドフルネス瞑想実践者にとって智慧の話なり

今回は、小出遥子さんの「マインドフルに生きる」という表題の記事から、改めて学んだ事や気づいた事を、お伝え致しました。



小出遥子さんの「マインドフルに生きる」は、マインドフルネス瞑想実践者にとっては、具体性のある智慧の話となりましょう。

日常生活で、どのようにマインドフルに生きるかと言う事が、実例付きで解説されていまして、有り難い話に御座います。



機会があれば、小出遥子さん主催のTempleに参加されるのも、宜しかろうと存じます。

菩薩的な笑い顔で、出迎えて下さる事で御座いましょう。



あ、上の方で、粗忽者がどうのこうのという話で、思い出しました。



小出遥子さんは、ご自身を粗忽者と評されていますが、お会いした時の印象は、丁寧に応対して下さった、という事を思うたもので御座います。

むしろ、粗忽者であったり間抜けなドジについては、私の方が比較にならんくらいに、そうでありましょう。

Temple in京都にて、ガラス窓に頭から突っ込むという間抜けな事をやらかしましたからね。

あのような事が無いように、更に修行に励む次第で御座います。



合掌、礼拝

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