マインドフルネス瞑想を自力で始めると陥る危険な罠|私が直接指導・伝導や瞑想会を大切にする理由

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



あなたは、日頃から瞑想をする習慣が御座いましょうか。

私は、仏教と再会してから坐禅を毎日朝と晩にするようになり、現在はプラユキ・ナラテボーさんの御縁を賜った事から、呼吸瞑想と手動瞑想もするようになっております。

念仏者が瞑想修行とはこれ以下に、と、厳密な人には突っ込まれそうですが、まあ、フリースタイルな在家仏教者ということで。



マインドフルネス瞑想がテレビ番組で特集が組まれたりと、瞑想については随分と知られるようになったという印象が御座います。

某有名IT企業のマインドフルネス革命という表題でしたか、そういう本も出ておりますからね。

瞑想を自分で手軽に始められるようになった事それ自体は、善も悪もありませんし、それで救われる人や良い方向へ向かう事があるというならば、良きことでありましょう。



ただ、マインドフルネス瞑想を、自力で・我流で手軽に始められるようになったからこそ、陥る危険な罠もあるのではないか、と言う事を、私は見出しております。

と、言いますのも、プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想会にて、その事に気がつきまして。



私も陥った事がある、自力だけで始める独りよがりなマインドフルネス瞑想の落とし穴、危険な罠について、お伝え致します。

私が、常々「瞑想を学ぶなら、出来る事なら瞑想指導者、相性の良い伝導者を探して、直接指導を賜る事が望ましい」と、言い続けている理由であります。



これから瞑想を始めようという方や、瞑想を始めて間もない人にとっては、是非とも知っておいて欲しい事柄に御座います。

スポンサーリンク

マインドフルネス瞑想を気軽に自力で始めやすい現代社会

現在は、各地で、マインドフルネス瞑想会や瞑想講座なるものも、増えております。

宗教色をあまり出さない、ビジネス色が強いようなマインドフルネス瞑想の講座や瞑想会も見受けられますね。

これは、某世界的IT企業のマインドフルネス革命辺りが、影響を及ぼしたのかなあ、と勝手に想像するところでありますが。



禅宗の寺院では、定期的に坐禅会も開かれておりますから、瞑想や坐禅を実際に学び実践する機会が増えたことは、確かと言えましょう。

そこから、仏縁を結んで、仏法によって苦の滅尽、抜苦世楽なる歩みを歩まれるのであれば、宜しかろうと存じます。



また、マインドフルネス瞑想は、NHKで特集番組が放送されたり、本屋に行けば色々な瞑想の本が手に入る世の中になっているために、自分一人で学べる機会も多くなっております。

最近でしたら、YouTubeなどの動画サイトにて、瞑想をよりわかりやすく学ぶ事が出来て、実践しやすくなっております。



ほんと、自分一人で、手軽に瞑想を始められるようになったものです。

Twitterで知った事ですが、なんでも「動いたらアラームが鳴る坐禅アプリ・瞑想アプリ」なるものもあるそうな。



マインドフルネス瞑想を、自分一人で始められる機会が増えたことは、仏縁を結んで抜苦世楽に繋がる機縁ともなりますから、それはそれでメリットでもある、という頂き方をしております。



一方で、一人で始めるが故の、我流瞑想ゆえに陥る事、指導者・伝導者の導きがないために陥ってしまいかねないことも、先日のプラユキ・ナラテボーさんの瞑想会で気づきました。

そしてこれは、私も陥ってしまいそうになったことで御座います。

マインドフルネス瞑想が「独りよがりな瞑想」になってしまう危険な罠

マインドフルネス瞑想を、気軽に手軽に始められるようになった事は、それはそれで一つの恩恵です。



ただ、それゆえに、本だけで学ぶ、あるいは動画でやり方「だけ」、手の動かし方や座り方「だけ」、形「だけ」を実践する事の弊害、陥ってしまう危険な罠も見出しております。



ここからは、私も実際に陥りかけたことがある「独りよがりなマインドフルネス瞑想の危険な罠」を、お伝え致しましょう。



それと同時に、そこに陥らない智慧や機縁についても、紹介致します。

マインドフルネス瞑想の危険な罠1:瞑想をしている自分は偉いとか特別だとか錯覚する

マインドフルネス瞑想を、独りよがりに始める事による危険な罠の一つ目。



「マインドフルネス瞑想を実践している自分は偉い、と錯覚・勘違いする」



これは、マインドフルネス瞑想に限らず、勉強をしていたり、出来ない事が出来るようになったり、娑婆世界でいう「成功」を手にして結果を出した時にも、顕れる現象ですね。



例えば、マインドフルネス瞑想を始めたとして、そういう話題になったと致しましょう。

同僚や近い人に、「マインドフルネス瞑想って興味あるけど、やったことないんだよねえ。」と言われたとして。

その時に、「俺、やってるよ。」と、鼻に掛けた言い方で、返していたりしませんかね。

そして、その心中では、こんな事を思っていたりしませんかな。



「こいつらは遅れている。俺は流行のマインドフルネス瞑想を既に実践しているんだ、俺ってすげえ、偉い!」



いわゆる「おっくれってる~」といって、馬鹿にする、あれですよ。



マインドフルネス瞑想は、まだ瞑想や仏法に出会っていない人を、馬鹿にする道具ではありません。

むしろ、「自分偉い!」という慢の煩悩や錯覚を、手放す方向があります。

マインドフルネス瞑想をしているかしていないかで、偉そうにする事は、真逆の方向を向いていると言えましょう。



まあ、凡夫がこのような「俺偉い」と思いたくなるのは、致し方ない部分もありますがね。

その事に気づかせてくれる仏教の話があります。



法然上人が戒めて下さった話に「三つの髻」という話が御座います。

そこには、人より優れている、他者より勝っている自己の煩悩について教えて下さっています。

人より勝りたい、人より勝っていると思いたい、という人間の煩悩は、凡夫の身には具足されておる事です。



ただし、だからといって、ここでも一つ注意をば。

「自分偉い!って今思っちゃった、自分は駄目だ・・・。」と、すぐに自己否定の二念、三念を継ぐにも、これまた具合が悪う御座います。



もしも、このような「自分は偉い!」と「俺は駄目だ」という慢の煩悩に気づいたら、それを一旦「オッケー」と受容して、手放す事です。



その事に気づいたら、受容して手放す、という一歩を歩む。



肝要は、そういう自己に気づいたら、そこに執着するのではなく、かといって自己を苦しめる程に自己否定するのではなく、受容して手放す事です。
スポンサーリンク

マインドフルネス瞑想の危険な罠2:瞑想で競争したり比較して一喜一憂する

マインドフルネス瞑想を実践する上で、独りよがりに始めたからこそ陥ってしまいかねない危険な罠の二つ目。



「瞑想で競争する・比較して優劣をつけて一喜一憂する」



これ、実は私も坐禅会に参加したときに、やってしまったことが御座いましてね。

現在は、それをやってしまいそうになった時、プラユキ・ナラテボーさんの手動瞑想などの「気づきの瞑想」による智慧と慈悲によって、気づいて手放す訓練を続けております。



私は、坐禅を独学で学んで暫くしてから、「きちんと習いに行こう」と思い立ち、臨済宗のお寺さんが開いて下さっている坐禅会へ赴きました。

そこには、結構若い人もいらっしゃり、観光ついでに坐禅を体験しに来たという人もいらっしゃいまして。



坐禅は、「結跏趺坐(けっかふざ)」「半跏趺坐(はんかふざ)」という形が基本的な坐り方でありまして、私は坐禅会に行く前に、すでに存じ上げておりました。

実際に、独学時には半跏趺坐にて、坐禅もしておりましてね。



そのような状態で坐禅会に行くと、初めて坐禅をする人の脚の組み方が、あぐらをかいている状態でした。

その時、私にはついつい「私は、きちんと趺坐が出来ている。でも、この人は出来ていない。」と、他者と比較して自分が勝っている、なんて思い上がった増上慢なる煩悩が沸いたのです。



これは、私が座禅会に参加したときの話ですが、マインドフルネス瞑想においても、言える事です。



独学で、独りよがりにマインドフルネス瞑想をある程度やるようになってから、瞑想会に参加したり、会社などで瞑想サークルを作ったりして、同僚や友人達と集まってやってみると、陥る事もあるかと存じます。

例えば、じっと坐って呼吸瞑想をしている時に、まだ始めて間もない人や、初参加の人に対して、「あ、こいつ出来ていない、でも俺は出来ている」と、勝手に競争して増上慢に当てられたり、ね。



また、この逆の比較や競争も御座います。



マインドフルネス瞑想のベテランと言えば宜しいでしょうか、瞑想の達人と鉢合わせて、明らかにその人は、瞑想がきちんと出来ている、と感じたとしましょう。

その時に「ああ、この人瞑想上手だなあ、それに比べて俺は全然出来ていない・・・」と、自分を卑下する方向で、瞑想を競争の道具に使ってしまう、という具合です。



これは、仏教で言うところの「卑慢(ひまん)」という慢の煩悩に支配されている状態です。

卑慢とは、自分よりも優れている人、勝っている人や上手な人を観て、自分は劣っていると思う慢の煩悩です。



瞑想を比較して生じる「増上慢」と「卑慢」は、どちらも宜しいとは言いがたい。



慢の煩悩が沸いてしまう事は仕方有りません、凡夫ゆえの性質でありましょう。

その上で、「瞑想は競争の道具として使うものではない」という事を、覚えて置く事です。



そして肝要は、そこから更に深みにはまるのではなく、気づいて受容して手放す智慧と慈悲を持って取り組む事です。

マインドフルネス瞑想の危険な罠3:瞑想難民になってしまう

マインドフルネス瞑想を独りよがりにやる事によって、陥る可能性がある危険な罠の三つ目。



「瞑想難民化してしまう」



この事については、プラユキ・ナラテボーさんと魚川祐司さんが、「悟らなくたって、いいじゃないか」で、詳しく伝えて下さっていますから、こちらを読まれる事が宜しいかと存じます。



[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

悟らなくたって、いいじゃないか [ プラ・ユキ・ナラテボー ]
価格:864円(税込、送料無料) (2017/4/30時点)





読み物としても面白くて興味深く、瞑想難民に陥らないための智慧を学ぶ事が出来る良書です。



参照記事:「「悟らなくたって、いいじゃないか」という本は、コンサルタントや教育者の必読書」

参照記事2:「マインドフルネス瞑想をするなら読んでおきたい3冊の本」



独りよがりにマインドフルネス瞑想を始めて、瞑想難民化してしまう要因の一つとして、「ゲイン有りき、欲望のままに瞑想に手を出す」という事があげられます。

これは、マインドフルネス瞑想を始めるきっかけとして、某有名IT企業のマインドフルネス革命から入ってみた、という人には、多そうな印象です。



ビジネス書やビジネス的自己啓発の色濃いマインドフルネス瞑想は、どうしても「ビジネスで成功する、お金持ちになる」などの、娑婆世界で価値あるとされているものを手に入れるために、利用されるという方向が御座います。

確かに、それはそれでわかりやすい果でありますし、瞑想を実践する一歩目であったり、きっかけ・機縁としてはよくある話です。

それ自体を悪いとは言いません。



しかし、あまりにもそこに執着しすぎて続けると、なかなかマインドフルネス瞑想の効果を得られず、娑婆世界での成功や目に見えた成果も見えず、こんな事に陥るのではありませんかね。

「俺、マインドフルネス瞑想に取り組んでいるのに、全然仕事で成功しない。」

「マインドフルネス瞑想をしていても、お金が稼げない。」



更には、マインドフルネス瞑想によくありがちな、「人格が良くなる」という事に直接作用する、という事を盲信するあまり、「人格が全然良くならない」と思い込み、次のような感じになります。

「マインドフルネス瞑想をしているのに、易しくなれている気がしない、俺って駄目だなあ。」



瞑想にゲイン・得られる物事を求めすぎて始めると、それが得られなかったときに、瞑想難民になったり、逆効果や副作用に当てられてしまいます。



もちろん、副次的・間接的に良い方向へ向かうことも御座います。

また、かなり直接的な作用がある事も、確かにあり得ます、実際に私がそうでしたし。



参照記事:「マインドフルネス瞑想の効果|日常で活かされた3つの体験」

参照記事2:「日常生活の中で出来るマインドフルネス瞑想の方法|プラユキ・ナラテボーさんから教わった事」



ただ、それはその瞑想と個人・個々との相性によります。

それらの事を度外視して、「この瞑想でお金が稼げるようになるぞ!」という煩悩全開のままマインドフルネス瞑想に手を出して、そのままの在り方で続けると、瞑想難民になりかねません。



そもそもとして、特に仏教の瞑想は、「自他の抜苦世楽」であったり、執着を手放すという方向がある瞑想です。



ゲインを求めすぎて始めると、思わぬ危険な罠や落とし穴にはまりますから、その辺りご注意をば。

マインドフルネス瞑想も坐禅も、独りよがりで始めるのではなく直接指導を受ける事が望ましい

今回は、私も陥った事がある、マインドフルネス瞑想を自分で始めて、独りよがりになってしまったときに陥る危険な罠について、お伝え致しました。

ここまで読むと、「やっぱ瞑想や宗教って怖いなあ。」と、思われたかも知れません。

確かに、仏教には「ヤバい」部分もありますし、娑婆世界の理屈だとか近現代知性を凌駕する力も御座います。



ただ、マインドフルネス瞑想そのものがヤバいのではなく、付き合い方や接し方、距離感とやり方が独りよがりで始めて、独りよがりのまま続ける事によって生じる具合の悪さについて、注意申し上げたいのです。



そうならないための智慧を説いて下さる本も、色々と出ております。

上でお伝えした、プラユキ・ナラテボーさんと魚川祐司さんの「悟らなくたって、いいじゃないか」は、まさにその事を学べる良書です。



また、瞑想難民と呼ばれる人達と数多く関わってこられた、プラユキ・ナラテボーさんの幾つかの本も、瞑想難民化しないための智慧を、実例と共に伝えて下さっています。



参照記事:「マインドフルネス瞑想入門にプラユキ・ナラテボーさんの本や講座が良い2つの理由」

参照記事2:「うつ病で休職時に不安だった時に読んだ本|「苦しまなくて、いいんだよ(プラユキ・ナラテボーさん著)に救われた体験談」



こうした事を学んだ上で、マインドフルネス瞑想に取り組まれると宜しかろう、と私は考えております。



そして、マインドフルネス瞑想を実践されるなら、出来るだけ最初の段階で、瞑想講座や実践して学べる瞑想会に参加される事が望ましい、と、いつものようにお伝え致します。



私も、プラユキ・ナラテボーさんから直接、手動瞑想や歩行瞑想を2度、教わっておりますし、直接指導・伝導を頂いております。

坐禅も、禅僧から直接教わっておりますからね。



しかし、それでも私は、これから先も、瞑想会が開かれる度に、直接伝導の御縁を結ぶ事にしております。

お念仏についても、別時念仏会には定期的に行きます。



きちんと定点観測できる、直接伝導・直接指導の場に赴く事。

そうするで、自身の方向を調えて、暴走しない智慧を頂けます。



その時、「色々とマインドフルネス瞑想を学べる講座とか瞑想会ってあるけど、どれが良いかな。」と、迷うことも御座いましょう。



その際には、上で紹介致しました「悟らなくたって、いいじゃないか」の55ページから書いてあります、「マッピング」の智慧がいきてきます。

この項目で魚川祐司さんが「瞑想などの仏教の実践を行う際には、「マッピング」が大切だ」という小見出しにて、詳しく伝えて下さっています。


自分が立っている現在地と向かっている目的地とを正確に把握しておくことで、歩いている自己の判断と責任に常に自覚的であるような仕方で、実践に関わる事が望ましい、というのが、ここで私の言いたいことです。

※「悟らなくたって、いいじゃないか」57ページより引用



「マッピング」をした上で、自分と相性の良さそうな瞑想会や瞑想講座に、実際に参加してみること。

それで、「ここは相性が良い」と感じたら、続けてみること。



確かに、マインドフルネス瞑想は、気軽に手軽に始められるようになりました。

動画でも学べるようになった事は、大変有り難い事です。

私も、時折プラユキ・ナラテボーさんの手動瞑想の動画を確認しますからね。



瞑想を、一人でも始められる時代。

確かにそれは大変有り難い事ではありますが、出来る事なら、マッピングした上で瞑想を指導・伝導出来る方から、直接指導・伝導を頂く事が望ましいことで御座います。



合掌、礼拝

スポンサーリンク