マインドフルネス瞑想の効果|日常で活かされた3つの体験

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。

私は毎日、朝と夜に浄土宗の勤行と坐禅と、プラユキ・ナラテボーさんから教わったマインドフルネス瞑想をしております。
普段は、呼吸瞑想と手動瞑想をしており、最近ではプラユキさんから教わった、手動瞑想の応用として、指の瞑想や、勝手に編み出した「グーパー瞑想」も取り入れるようになりました。

指の瞑想とグーパー瞑想については、いずれ機会を設けてお伝え致します。



私には、マインドフルネス瞑想を日常に取り入れ習慣化したことにより、幾つか気づかせた頂いた事が御座いましす。

マインドフルネス瞑想の効果を期待していたり、いわゆる「ゲイン(効果効能、得られる物事)を欲している人にとっては、知りたいところでありましょう。

瞑想や坐禅は、ゲインを求めてやるものではありませんが、娑婆世界の価値観や社会通念も無視出来ませんからね。



今回は、私が「結果的に賜った効果や気づき」について、体験談として3つにしぼってお伝え致します。

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マインドフルネス瞑想で私が体験した効果をお話しする前の注意

最初に念を押して申し上げておきますが、マインドフルネス瞑想は、私はこれから話す効果効能を、最初から期待していたわけではありません。

正直に言いますと、確かに、うつ病等の症状が和らいだらいいな、くらいの期待は御座いました。

ただ、ガチガチに思っていたわけではなく、結果として和らいでくれたら、というやんわりとした程度のものです。



結論から申し上げますと、その道筋がほんのわずかばかりに見えるかな、というぼんやりとした効果を見出すに至っております。

だからといって、そもそもが仏教も宗教も、仏教由来の瞑想方法も、成功だのお金だの病気が治るだの、社会通念として価値があるものを得る、「ゲイン」を目的としてマインドフルネス瞑想を始めたわけはおりませんからね。



その辺り、最後にもう一度注意点として、お伝えしておきます。

マインドフルネス瞑想で体験した効果1:陰鬱とした妄念から離れられる

マインドフルネス瞑想で、私が体験した効果の一つ目は、
:不安や憂鬱、陰鬱とした妄念(妄想)から、確かに離れられる
ということです。



プラユキ・ナラテボーさんに「オッケー、今、ここ」という瞑想方法を教わる前、私は坐禅や集中瞑想を習い、取り組んでおりました。

坐禅や集中型の瞑想が、悪いというわけではありません。

これはこれで非常に効果がある事は、歴史や色々な人がすでに体験・体感されていることです。



ただ、私の場合は殆どが過去の嫌な事であったり、妄想・妄念や不安な感覚がふつふつと沸いてきて、という感じで、なかなか坐禅になりきれない状態です。

そして、終わってみれば「今回も雑念だらけだった・・・」と、落ち込む始末です。

それでも続けているのは、恐山の禅僧である、南直哉さんの「5分坐禅を組む、を、一生続ければ悟れますよ」という、本で読んだ一文にすがっているのですがね。



そんな感じで、煩悩具足の雑念だらけな凡夫である私は、坐禅中に雑念なり妄想・妄念や不安な感覚が沸くたびに、出来ない自分を責めておりました。

そこから、プラユキ・ナラテボーさんに「救い型瞑想(私の勝手な名付けです)」と出会い、以来毎日続けております。



プラユキ・ナラテボーさんの身体性のある「手動瞑想」は、確かに「今、ここ」に気づきやすい、という効果を、肌で体感しております。

例えば、今朝も体験したのですが、手動瞑想中に「そういえば、もう今年は相棒(ドラマ)は放送しないんだったなあ。」と、雑念が湧いてきました。

そして、ドラマの相棒のシーンが浮かんできたときに、「あ、雑念沸いた」と、結構早い段階で気づいたのです。

そこで、プラユキさんの声で「オッケー」が再生されて、「今、ここで動いている左手」に気づきました。
(その時、ぱっぱっと動いていたのが左手だったので。)



このように、マインドフルネス瞑想には、確かに妄念・妄想や雑念から、手動瞑想中に離れる事が出来る効果が御座います。

今回はドラマのシーンが次々と再生されかけた現象から離れられた、という例ですが、ふつふつと沸いてくる不安感や鬱欝とした感覚からも、これで何度か離れる事が出来ております。



手動瞑想中だけの現象だとしても、「陰鬱とした感じや不安感から、離れる術を私は持っているんだ」という事が、安心感に繋がって日暮らしを生きていることに、気づきました。
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マインドフルネス瞑想で体験した効果2:次の一歩、次の一手を自らに由って決められる

マインドフルネス瞑想で、私が体験した効果と気づきの二つ目は、
:気づいた次の一歩・一手を、自らに由って決める事が出来る
ということです。



これは、思考停止状態でナーナーに流されてしまい易い人にとっては、特に有り難し、欲する効果で御座いましょう。

私も、気が弱くて押しに弱いタイプですから、押しまくられたら思考停止状態になって、流されてしまうタイプです。

故に、詐欺師に騙されやすいと、人からよく言われるのですがね。



この場合も、マインドフルネス瞑想で、流される前に、もしくは流されている段階でも、きちんと「今、ここ」に気づく習慣を根付かさせていると、防ぐ事が出来ます。

特に、インターネット経由で買い物をする、通信販売が好きな人は、効果絶大でありましょう。



インターネット上には、こちらの高揚感を思いっきり刺激して、興奮させて思考停止状態に持っていこうとする仕掛けだらけですからね。

そういった時に、自分の変化や状態が、今、ここでどうなっているかに気づく事が出来たら、節約にもなりますし、詐欺師にも騙されにくくなります。



マインドフルネス瞑想が、日常に活かされる効果の典型例でありましょう。

マインドフルネス瞑想で体験した効果3:丁寧な所作が身につく

マインドフルネス瞑想を日常生活に取り入れたことで、私が体験した効果と気づきの三つ目は、
:丁寧な所作が身につく一助となる
です。



これは、普段料理をしている時や、扉の開け閉めといった、あまり人が気にしないことさえも丁寧に出来る所作と気配りが出来るようになる、ということです。



例えば、私はちょくちょく料理をするのですが、慣れてくると料理に集中せずにやってしまう事があります。

私は未だにできませんが、慣れれば余所見しながらでも、キュウリを一定の長さで切る、スライスする事が出来る人もいます。

そういう人は、テレビを付けながら料理をして、気になるニュースがあると、顔と目はテレビを観ながら、手はキュウリを切る、をやってのけます。

マルチタスクという観点から見ると、情報収集と料理を同時進行で出来ていますから、バッチ処理もばっちこい、って感じです。



しかし、私はこれを「格好良い」という感性は持っておらず、むしろ「一つの事に集中出来ていないし、手元が危なっかしい」と感じる感性の持ち主です。

それに、端から見ても、余所見しながら手を動かしている様は、何となく所作として美しくない、とも感じるのです。

早い話が、注意散漫、意識散漫の状態です。



料理に限らず、日常の中で何事にも、こういうことって御座いませんかね。

本を買ってきたときや、自分が毎月購読している雑誌を買って帰って、自室での立ち振る舞いが、わかりやすい例ではなかろうかと存じます。



あなたも、こんな感じで過ごしていませんか?

買ってきた本や雑誌を、机の上か、床の上に「後で読もーっと」と、ポンポン投げるように散らかしたり。

そして、読んだ後に本棚にしまわずに、机か床に乱雑に、またポンポンと投げ置くとか。



あれって、人によっては「うわ、なんかご機嫌斜めかな」って思いますし、鬱状態で敏感な人、私のようなHSPの特性を持っている人は、物を乱雑に投げるような置き方という所作に、恐怖や不安を感じることもあるんですよ、本当に。

所作としても乱暴ですし、丁寧さに欠けます。



以前の私も、ついついそんな乱雑な物の置き方や、美しくない所作に走ってしまうことも、しばしば御座いました。

仏教・仏法との御縁を頂いてからは、そのような所作に気をつけるようになりました。

更に、プラユキ・ナラテボーさんから教わったマインドフルネス瞑想によって、ついつい物を乱雑に置きそうな場合、急いでいたときなどにですね、そんな時でも「あ!」と気づいて、丁寧に物を置くようになったものです。



効果の二つ目で話した事と関連しますが、物を乱雑に置きそうになった場合、そこに気づけば、次の所作を自らに由って、自分の意思で決める事が出来ます。

「あ、今物を投げるように置こうとしたぞ。」と気づいたら、次は「物を傷つけないように、丁寧に置こう」と、次の一手を丁寧な所作にすることが出来るのです。

これを習慣づけて行けば、丁寧な所作が自然と身についていきます。



ちなみに私は、身体的にはこの気づきのお陰で、腕組みをしなくなりました。

腕組みって、なんだか威圧的で傲慢な感じがして、嫌なんですよ。

この「腕組みが嫌だ」と言う事も、私の色眼鏡と気づかせて頂いたのも、仏教・仏法であったり、マインドフルネスな瞑想の力や効果だったりします。

腕組みしそうになった時、私は合掌か法界定印を組むようになりました。

マインドフルネス瞑想は、確かに私に上記の効果と気づきがありましたが、ここでもう一度注意!

マインドフルネス瞑想を日常に取り入れたことによって、日常レベルで効果や気づきが、このような形で私に現出いたしました。

ここまで読まれて、「これだけ効果があるならば、やってみようかな」と、思うて頂けたやもしれません。



ただ、上記の最初の方でお伝えしましたように、注意点も御座います。



私の場合は、ここまでの効果を期待したわけではありません。

あくまで「結果的に」という話です。



この辺り、これからマインドフルネス瞑想をされる方は、以下の話と共に、この本も最初の内に読んでおかれると宜しいかと存じます。

「悟らなくたって、いいじゃないか」には、マインドフルネス瞑想に関する誇大広告への注意勧告や、瞑想難民にならないための智慧を、プラユキ・ナラテボーさんと魚川祐司さんが解説して下さっています。

私個人としては、瞑想をする人は必読書だと感じている本です。



そして、私からも再度注意をば。



今回話してきました、マインドフルネス瞑想によって、私の日常生活に活かされた効果については、あくまで「続けた事による結果論」です。

よくある勘違いが、「マインドフルネス瞑想をすれば、人格的に優れた人になる」「社会的に成功する」というものです。

この辺り、上の本でも言及されていますし、プラユキ・ナラテボーさんが別の本でも伝えて下さっています。



確かに、マインドフルネス瞑想によって、人格的・精神的な向上と言いますか、自己啓発的な効果はゼロではありません。

結果論として、間接的な一助とはなりましょう。

次の一手を冷静に打てるようになり、その結果として、経済的な豊かさを手に入れたという話も、頷ける話ですし。



ただ、あくまでも、経済的な課題は経済の側面から、生活苦は生活において解決すべき課題です。

間違っても、仏教が、あるいは宗教が直接的に、魔法のように解決してくれる事はありません。



いわゆる「性格が良くなった」というのも、マインドフルネス瞑想によって、性格改善に繋がる活動を実践したから、という事に過ぎません。

もちろん、そのためのプロセスとして、マインドフルネス瞑想が力を貸してくれる効果は大きいでしょうけれども。



「マインドフルネス瞑想によって、魔法にかかったかの如く全てが上手く言った」というのは、行き過ぎですし錯覚ですから、そうならない智慧も育む事が大切です。

その智慧についてのヒントと、更なる注意点については、こちらで詳しくお伝えしております。

参照記事:「不安解消に効果があるマインドフルネス瞑想を体験してきました」

参照記事2:「マインドフルネス瞑想の3つの注意点と解決方法|瞑想で消耗しないために」

参照記事3:「マインドフルネス瞑想入門にプラユキ・ナラテボーさんの本や講座が良い2つの理由」



注意点を口を酸っぱくして申し上げましたが、私のように、また私以外にも色々と実生活の中で、生活レベルで効果が現れた人がいらっしゃるのも、また事実です。



あまり過度な期待をせず、続けてみて効果が出ればめっけもん、くらいの塩梅で始めるのも、よろしいかと存じます。



合掌、礼拝

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