マインドフルネス瞑想入門にプラユキ・ナラテボーさんの本や講座が良い2つの理由

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。

今何寺(このブログ)の初期段階で、マインドフルネス瞑想について話してきました。
その中で、私が直接教わったマインドフルネス(気づき)を軸とした瞑想の先生である、プラユキ・ナラテボーさんというお坊さんについて色濃くお伝えしております。

まるで、プラユキ・ナラテボーさんの宣伝ばっかりしているように思われた人もいらっしゃるやもしれません。

有り難い御縁であるし、仏法と名僧を教えて頂いた御縁に恩義を感じているのは確かですし、強制せずとも多少なりとも押しているという自覚は、確かに御座います。



私は、実際にプラユキ・ナラテボーさんの講演会とマインドフルネス瞑想会に参加させて頂き、本も幾つか読ませて頂いております。

そのような中で、実際に今も教わった瞑想を実践していく中で、私の体験談として、マインドフルネス瞑想の入門に、プラユキ・ナラテボーさんから入る、始めると言う事について、考えて見ました。

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プラユキ・ナラテボーさんの本やマインドフルネス瞑想入門の前に:御縁の経緯

私は、マインドフルネス瞑想を始める前から、坐禅に取り組み続けておりましたし、瞑想自体も取り組んでおりました。



私が最初に取り組んだのは、アルボムッレ・スマナサーラさんというテーラワーダ仏教の長老の本からです。

それ以前から、小池龍之介さんの文庫本で、食事瞑想や歩行瞑想の概念は知っていましたが、取り組むようになったのは、アルボムッレさんの「自分を変える気づきの瞑想法」という本からです。

これは、「ラベリング」という、自分の状態を逐一実況中継するという方法で、マインドフルネス瞑想の一つの方法です。

ラベリングを用いた気づきの瞑想で、マインドフルネス瞑想の一つです。



実際私も、歩きながら「今、右足が上がります、運びます、下ろします・・・」と、やっておりました。

やっておりましたが・・・挫折しました。

そして、「ああ、自分は瞑想が出来ない煩悩具足の凡夫なり」と、自分を責めたものです。



そして時が経ち、うつ病の症状が悪くて陰鬱としていた時期がありまして、そこから少しだけ立ち上がって本が読めるくらいの時に、プラユキ・ナラテボーさんの本と御縁がありました。

私が最初に御縁があった本は、「自由に生きる」です。



この本との出会いをきっかけとして、プラユキ・ナラテボーさんの、優しく易しく説かれる仏法と共に、うつ病の人も改善した事例もあり、そこから「プラユキ仏教・プラユキ瞑想」に触れていくようになりました。

そこから、色々とプラユキ・ナラテボーさんの本を読んでいき、「苦しまなくて、いいんだよ」という本と出会いまして、そこから手動瞑想を、動画で確認しながら始めたわけです。



そのような最中に、京都で2度、お会いする機会に恵まれまして、そこでプラユキ・ナラテボーさんが説かれる仏法に触れながら、マインドフルネス瞑想を教わりました。

御縁を賜った事と、実際に坐禅や瞑想をしてきた経験を元に、プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想は入門に適していると直観し直感したものです。



その理由は幾つかありますが、ここでは2つにしぼってお伝え致します。

プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想が入門に良い理由1:仏法や理論を優しくかつ易しく説いてくれる

プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想の本や講座が、入門に何故良いと思うのか。



一つ目の理由は、
:本も座学や瞑想実践でも、仏法を優しくかつ易しく説きながら教えてくれる
ということです。



私はプラユキさんから、仏教の座学もマインドフルネス瞑想も習いましたが、原始仏教の教義をわかりやすく説いて下さっているなあ、と直観・直感したものです。

私は、元々すでに仏教を学んでいましたし、浄土仏教を軸として生きてはいますが、教学としては少しだけですが、原始仏教サイドにも触れておりました。

それでも、仏教が説く自由「四諦八正道(したいはっしょうどう)」などについて、わかりやすい例えも用いながら教えて頂いたのです。



私は、色々なお坊さんの御法話を聴聞させて頂いてきておりますが、中には専門家相手に大学で授業をしているような話し方を、一般向けの法話会でされるお坊さんもいらっしゃいます。

仏教の濃度が濃すぎる状態で、かつ剛速球で投げてこられると、聞いている人はついて行けないという状態になってしまいます。

この辺り、釈徹宗さんが「お世話され上手」で、実際に釈徹宗さんもやられたという話を交えて、伝えて下さっています。



プラユキ・ナラテボーさんは、恐らく濃度を上げて剛速球も投げられる人でしょうが、濃度を薄めてきちんと受け取れる状態で仏法を説いて下さいます。

また、個々に合わせて、その人の状態に合わせた解き方もされている事は、著書や懇親会でも目の当たりにして、「対機説法」を大切にしているお坊さんだなあ、と感じたものです。

「対機説法」とは、相手に合わせて伝え方を変え、相手がきちんと受け取り、糧として頂ける説法の仕方の事を言います。



マインドフルネス瞑想についても、そんな感じで易しく説いて下さったところが、入門者に良いと感じたところに御座います。
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プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想が入門に良い理由2:注意やブレーキも教えてくれる

プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想が、入門者やこれから瞑想を始めると言う、いわゆる初心者にとって、何故私が良いと体験し体感を持っているのか。



その二つ目は、
:マインドフルネス瞑想の注意点やブレーキも教えてくれる
という部分です。



これは非常に大切な事であり、このブレーキなり安全装置がないと、暴走してしまいかねません。

瞑想難民になってしまったり、暴走して社会的に不味い事になったり、精神的な事柄が更に悪化してしまうのは、このブレーキや安全装置と共に、注意点を授けられないからです。



例えば、上の方で話した私の事例が、精神作用に悪影響を及ぼす典型でありましょう。

睡眠障害やうつ病を持つ私は、その療養の一環として瞑想を始めたわけですが、生来がいらちであり、ゆーっくりゆーっくりという瞑想が、最初に内は苦手である事を思い知りました。

そのようなとき、「ああ、自分は瞑想が出来ない、じっとしていられない、ゆっくりという簡単な事さえ出来ない駄目な奴、煩悩具足なる凡夫なんだなあ。」と、自分を責めたものです。

そして挫折したら、継続出来ない、長続きしない根性なし、とまた自分を責める始末で、陰鬱とした症状を悪化させてしまいます。



別の事例で、これで上手く行った場合、集中状態、仏教では「禅定」など、そのような呼び方があるのですが、それが達成されて気持ち良くなったりした場合に、今度はそれに執着してしまいます。

そうならないための注意についても、プラユキ・ナラテボーさんはきちんと教えて下さいますし、尋ねれば答えて下さいました。



マインドフルネス瞑想って、私もせっかちだから陥りがちですが、ついつい「直ぐに始めよう!まず行動!」と、やってしまいがちな人もいます。

しかし、注意点や暴走しないための軸となる「戒を律する事:戒律」も、安全装置や暴走しないブレーキとして大切なのです。



五木寛之さんが、宗教と経済についての関係性を、「経済はアクセル、宗教はブレーキ」とわかりやすく例えて下さっています。

プラユキ・ナラテボーさんは、瞑想の実践部分と、暴走しないための安全装置となる仏法をセットにして、マインドフルネス瞑想を教えて下さいます。

最初の内に、きちんと暴走しないための注意点と安全装置を手渡して下さる誠実な姿勢に、私も好感を持っておりまして、かつ大切な事であるなあ、と、教わったもので御座います。



瞑想難民であったり、宗教的、あるいは瞑想によって暴走しないための智慧については、魚川祐司さんとの対談でも、しっかりと提言して下さっていますよ。

マインドフルネスや瞑想を実践したり学ぶ人は、触れておくべき本であると、私は考えております本に御座います。



他にも、プラユキ・ナラテボーさんは、ラベリング瞑想もご存じであり、その場合の注意点も「たかが言葉、されど言葉」として「自由に生きる」で伝えて下っています。

瞑想について座学的な勉強をしておきたい人は、入門書としても、また自身が良き縁となっていくための教えを学ぶための本としても、大いに学べる事がある本です。

瞑想をする人は、特に4章の「たかが言葉、されど言葉」と、5章の「戒律に守られ、自由に生きる」と、7章と8章の瞑想方法について3回は読んでおくべきだというのが、私の提言で御座います。



私もようやく、本当にわずかばかりではありますが、戒を律することって、不自由で窮屈なことじゃないんですよってことを、ぼんやりとですが感じるようになってきました。

実は戒(不殺生戒や不妄語戒など)は、私を守って下さり、暴走しないための尊き教えであるということも、プラユキ・ナラテボーさんから教わりました。

プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想から始めるという方法

今回は、なんだかプラユキ・ナラテボーさん押しの話を展開致しました。

有り難い御縁ではありますし、いわゆるリスペクトはしておりますが、別に私は、本を宣伝するためのまわしもんじゃ御座いませんからね。

それに、プラユキ・ナラテボーさんを絶対化して神格化もしておりませんし、それはプラユキ・ナラテボーさんご自身も臨まれていないだろうと、お人柄からも思うておりますし。



そもそもとして、釈尊も涅槃の折、お弟子さん達に「自灯明、法灯明」と説かれて、「私を当てにしてはいけませんよ。」と諭されていましたから。

そのような仏教・仏法を大切にされていますから、リスペクトは有り難く受け取って頂けるでしょうが、「プラユキさんは神だ!」なんて言い始めたら、困惑されることで御座いましょう、と勝手に想像しております。



ただ、プラユキ・ナラテボーさんの瞑想は、あくまで私の体験ベースではありますが、坐禅や瞑想を幾つかやって来た中で、入門としては素晴らしいと感じた事は、混じりっけ無しの事実で御座います。

入門だけでは無く、一生涯の瞑想方法としても良いと思いますし、私のように、色々な瞑想を体験しても、混乱したり暴走しそうになったら、戻れる軸としても良いでしょう。



尚、今回の話は、こちらも読まれると、寄り理解を深めて頂けるかと存じます。

参照:「不安解消に効果があるマインドフルネス瞑想を体験してきました」

参照2:「マインドフルネス瞑想の3つの注意点と解決方法|瞑想で消耗しないために」



もしも、プラユキ・ナラテボーさんが日本に帰国されているとき、あなたの町の近くでマインドフルネス瞑想会が開催されたら、顔を出して見られるのも、貴重な体験となるかと存じます。



合掌、礼拝

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