御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。
私は、ブロガーと呼ばれる人や自称している人のブログであったり、彼らのnoteを読ませて頂くことが御座います。
最近でしたら、りゅうじんさん、やまもとりゅうけんさんのブログやnoteをはじめとして、とっしゃん和上のブログもちょくちょくと拝読しております。
ヒビノケイコさんもブログも、絵が可愛らしいと言うことと、プラユキ・ナラテボーさんの話を漫画も使ってわかりやすく解説して下さっている事から、ちょくちょくと読ませて頂いていたりします。
商い・ビジネス色が濃い側としては、りゅうじんさん、やまもとりゅうけんさんや、ヒトデさんといった人達のブログが、学べる内容と言えましょうか。
あくまで、私の色眼鏡による感じ方ではありますが。
そのような最中、無料コンサルティングとして対談もして下さったりゅうじんさんが、noteの有料マガジンを書かれていて、その中に「お金を稼ぐことは悪いことという誤解」という表題で、記事を投稿されました。
なかなか興味深い話として私も読ませて頂き、私の仏教者としての視点、宗教者としての視点を持ってして、補足的な話を致します。
りゅうじんさんの話はアクセルとして、私の話はブレーキとして読んで頂ければ、幸いに存じます。
最初にお断りと言いますか、言い訳しておきますが、別にりゅうじんさんに難癖付けているわけではありませんからね、念のため。
対談している時もそうですし、お互いに学び合っている仲ですから。
尚、りゅうじんさんのnoteマガジンは有料ですから、詳しい内容はあまり明かせませんが、話せる範囲で引用させて頂きつつ、話を展開して参ります。
Contents
「お金を稼ぐことは悪いこと・お金儲けは悪いこと」という誤解:罪悪感を過度に持たない方が良いのは確か
りゅうじんさんの「お金を稼ぐことは悪い事という誤解」という表題を読んで、私は「お金に対する罪悪感、お金を稼ぐことに対する罪悪感や後ろめたさ」を、連想致しました。このことについては、過去に私もお伝えしております。(最後辺りで参照記事としてお伝えしております。)
りゅうじんさんがおっしゃる「お金を稼ぐことは悪い事というのは、誤解である」という事柄は、共感している事が御座います。
幸い、私は商い人の家庭に育ったが故に、このような「誤解」や、お金に対する過度な罪悪感を持つ事はありませんでした。
醜く汚いお金の稼ぎ方、早い話が詐欺か詐欺的なお金の稼ぎ方を戒められつつも、お金の稼ぐ事を悪だとするのも違う、という教えを、きちんと頂いて育ったのは、有り難き御縁で御座います。
その上で、私は仏教・宗教を学んでおるという土台があるわけです。
私が仏教者・宗教を学んでいるからといって、りゅうじんさんの「お金を稼ぐことは悪い事という誤解」について、批判したり噛みつくかと思ったら、大間違いです。
もちろん、「お金とはなんぞや、稼ぐとは何ぞや、悪とはなんぞや、誤解とはなんぞや」という、仏教的な問い方をすることはあるにしても。
それを一からやり始めると、話が進みませんから今回は省きますがね。
お金の罪悪感やお金を稼ぐことは悪い事と思う背景に、「教育」があるとりゅうじんさんは仰います。
私は、確かに教育も一つの要因であると把握しつつ、「報道」も一要因であろうと考えております。
お金にまつわる汚職事件をはじめとした、お金にまつわる様々な王法(娑婆世界の法律のこと)の上では「悪」とされる事件が、連日報道されています。
詐欺であったり汚職事件であったり稼ぐ為には手段を選ばない事例を大事に報じたり。
このことから、りゅうじんさんが仰る「教育」に加えて、報道の仕方も課題であろうなあ、と思います。
10年以上前には、稼いでいる人がしょっぴかれた事も、象徴的な報道が為されていましたから、そこから「お金を稼ぐことは悪だ」という事を、誤解的な解釈をするに陥った人もいらっしゃる事でありましょう。
「お金儲けは、悪い事ですか?」って文言、まだ覚えている人も多いんじゃありませんかね。
教育であったり、極端で印象的な報道を見聞する環境下にいると、「お金を稼ぐことは悪い事だ」と、短絡的に行き着いたり誤解してしまうのは、あり得る話ですからね。
りゅうじんさんは、ブログで現世利益を頂く、つまり「ブログで稼ぐ」というお題・テーマで話されていますが、これはお金に対する罪悪感そのものにも、関わってくる話です。
りゅうじんさんの「お金を稼ぐことは悪いことだという誤解」は、「ブログで稼ぐ」という事に直結する話ではありますが、その前提としての「お金を稼ぐと言う事に対する自身の在り方・有り様」を確認する上でも、意義のある記事で御座います。
私も過去に申し上げている通り、お金に対する罪悪感を過度に持っている人や、そのような事に多少なりとも自覚が芽生えている人は、一度りゅうじんさんの話を、読まれると宜しいかと存じます。

在家がお金を稼ぐことを日本仏教では否定しているわけではない:それと共に勘違いしてはいけないこと
仏教において、ガチの出家者となるならば、確かに労働をやめるという方向性、労働によって財を稼ぐ事を否定するような方向性は、あるにはあります。それこそ、その方向性を完全に守ろうとして生きるのであれば、魚川祐司さんの本「だから仏教は面白い!」二書いてある通り、異性と目を合わせないニートにならんと実現出来そうにありません。
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今回の話を理解する上で、「だから仏教は面白い!」の、第一章を読んでおかれると宜しいかと存じます。
読み物としても面白いし、仏教を学ぶ上での基礎的なこと、仏教入門の入門という本としても、良書であります。
このような事情から、仏教の視点からすると、もしかしたらりゅうじんさんの「お金を稼ぐことは悪い事という誤解こそ誤解だ」と、噛みつくと思う人もいらっしゃるやも知れません。
ところがどっこい、在家においてお金を稼ぐことについては、少なくとも全否定しているわけでは御座いません。
特に真宗・浄土真宗においては、例えば、とっしゃん和上のように、大道芸人として現世利益を頂きながら、お坊さんをされている方もいらっしゃいます。
参照記事:「ブロガーとして収入を頂く事の可能性|大道芸人でもある僧侶「とっしゃん和尚」から学ぶ」
もちろん、解釈は各々によって違うと言うことは御座いますが、在家において娑婆世界で健全に働く(端楽)事により、正当な対価としての「稼ぐ」を実現する事は、悪とは見なさないのです。
例えば、道元禅師の御言葉を借りますと、「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」という一説が御座います。
この一文を引用して、「お金は堂々と儲けなさい」と、説いて下さる禅僧もいらっしゃいます。
これは、プラユキ・ナラテボーさんが説いて下さる「自他の抜苦与楽」であったり、「自利利他円満」という仏法にも繋がる事です。
このような仏法に照らし合わせた、自他を利する商いやビジネスによって、お金を稼ぐことを、悪だと言えましょうか。
自利利他円満を成したことによって、結果論としてお金を稼ぐに到った、というのは、理想的な商い・ビジネスの在り方だと思いますし、それが悪だとは思えません。
何が善だ悪だというのは、ここでは深く追求しませんが、少なくとも社会通念において悪ではなかろうかと存じます。
仏教の話を抜きにしても、恐らく「真っ当な、健全なビジネス」という言い回しをされている事から、りゅうじんさんはこのような文脈もあることで御座いましょう。
ゆえに、「お金を稼ぐことは悪いことという誤解」という表題について、共感する部分もあるわけです。
お金を稼ぐことは悪いことという誤解を説いた後が大切
お金を稼ぐことは、悪い事というのは誤解である。在家で、娑婆世界で生活する上で、お金を稼ぐことについて、教育や報道によって過度な罪悪感に縛られている人は、この記事は読むべきですし、聞くべき意見です。
その上で、私はそれについて補足的なことを申し上げます。
りゅうじんさんのnoteにて、お金を稼ぐことは悪い事であるという事を過度に持っていた人が、誤解や過度な罪悪感を薄めたり、離れる事が出来たと致しましょう。
「実はその後が大切である」というのが、私の見方で御座います。
確かに、りゅうじんさんの記事は、特にブログ運営にて、ブログ収入という形で現世利益を得る事に対する、アクセル・加速装置となり得ます。
ただ、加速ばかりしていると、思わぬ落とし穴に嵌まる危険も御座います。
そこで肝要な事が、上でお伝えした「自利利他円満」です。
りゅうじんさんにも先日スカイプで直接お伝え致しましたが、特にトレンドアフィリエイトブログは、この「自利利他円満」を逆走している典型であります。
そりゃあね、ブログをビジネスに活用したり、アクセスアップを意識する事は否定致しませんよ。
それも、ビジネス的視点においては、大切な事柄でありましょう。
ありましょうが、それにしても、あまりにも酷いのがあります、特にトレンド系は。
自利利他円満どころか、読者の時間を奪うし、ネタにされた人もたまったもんじゃないであろうというのもある市、何より運営者自身が人生を消耗しております。
人生を消耗していることにも気がついておらず、自利利他円満の逆を行く典型でしかありません。
まさに「今だけ、金だけ、自分だけ」の典型です。
確かに、「お金を稼ぐことは悪い事」というのを、誤解している人は、修正すべき事も御座います。
その上で、それをきちんと学んだ上で、方向性を「今だけ、金だけ、自分だけ」にせず、暴走しないように気をつける事が肝要であろうと、私は頂いております。
その辺りについても、りゅうじんさんはnoteマガジンの中で、「健全なビジネス」という表現にて、具体的事例と共に伝えて下さっています。
この「具体的事例と共に」というのが、りゅうじんさんの有り難く素晴らしいところだと、私は頂いております。
りゅうじんさんのnoteマガジンで、アクセル的な部分を学ぶ事も大切ではありますが、同時に安全装置も学んで置く事が肝要で御座います。
お金を稼ぐことは悪い事という誤解や過度な罪悪感に縛られ過ぎず、かといって健全なビジネスからかけ離れて暴走しないこと。
加速装置と安全装置のバランスですね、大切な事は両方持った上での「良い塩梅」です。

お金を稼ぐことは悪いことという誤解(りゅうじんさんのnote)を読み、再度伝えたいこと
実際にスカイプ対談もする御縁のあるりゅうじんさんの「お金を稼ぐことは悪いことという誤解(有料noteマガジン)」を読みまして。今回の話に関連する事柄は、こちらに御座います。
参照記事:「お金に対する罪悪感は上手に持たないと詐欺師になるか生活出来なくなりますよ」
そして、りゅうじんさんの有料noteマガジンの記事は、こちらから読みに行けます。
りゅうじんさんのnote:「月刊りゅうじん~ブログで幸せに生きる方法~」
それを踏まえた上で、再度お伝えしておくことが御座います。
ここは、仏教者・宗教者の自覚があるか、そうでないかの違いという事もありましょうし、りゅうじんさんと私の違いかもしれません。
私は、お金を稼ぐことは悪い事だとは考えておりません。
そお金を稼ぐことは悪い事であると、過度に縛られすぎているのも、誤解と言えましょう。
一方で、お金を稼ぐことに、適度適切な罪悪感は、個人主義的な風潮がある現代社会においては、持って置く事が望ましい、という立ち位置に御座います。
もちろん、健全たる商い・ビジネスによって、結果的にお金が稼げました、というのは、私も歓迎するところですし、自利利他円満を実現した上での事ならば、大いに結構な事です。
だた、そこには「健全なビジネス」という、りゅうじんさんが仰る誠実なビジネスパーソン・商い人の在り方が前提としている事が肝要です。
それを支えてくれる一つの要因が、「お金を稼ぐことに対する適度・適切な罪悪感」であろうと、現段階での私には思えるのです。
これは、私の経験も踏まえた上の話です。
是は、私が浄土仏教寄りの思想があるから、というのもありますがね。
浄土仏教、浄土宗や真宗・浄土真宗は、己の悪人性であったり、罪悪深重煩悩具足なる凡夫である事を誤魔化さずに自覚する教えが御座いますから。
浄土宗の勤行時にも、懺悔偈(さんげげ)であったり、「小罪をも犯さじと思うべし」という御教えを頂いておりますし。
お金に対する罪悪感を捨てすぎても、生活出来なくなったり不具合が生じます。
かといって、お金を稼ぐ事は悪い事だと盲信するのも、これまた誤解・錯覚とも言えます。
りゅうじんさんの話と、今回の私の話から、あなたにとっての良き塩梅を研究する一助となりましたら、嬉しゅう御座います。
合掌、礼拝