戒・定・慧の三学についてパユットー師の教え|浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスでの学び

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



私は、浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスを楽しみにしておりまして、聴聞する御縁を頂いております。


先日もツイキャスをして下さりまして、その時はパユットー師の「戒・定・慧」についての話をして下さいました。

こうして、タイの高僧の仏法を、日本に、京都にいながらにして頂ける御縁、誠に有り難き事で御座います。

有り難や、有り難や。



前回の浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスでは、テクノロジーとの接し方、関わり方を学びましたが、テクノロジーの発展・開発があるからこその、有り難き仏縁。

テクノロジーを使いこなせる自分の実力だー、等と過信せず、恩恵を頂いている事に感謝しながら、学ぶ次第で御座います。



今回の浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスでは、上述しております通り、パユットー師が説かれる、戒・定・慧、についてです。

戒・定・慧といえば、仏教を学んでいる人なら、「ああ、三学のことか」と、ピンとこられることかと存じます。

パユットー師の「仏法」でも、三学の項目に書かれている事柄ですからね、戒・定・慧については。



ツイキャスでは、ホームさんの例え話や、ご自身の体験を使って解説して下さっています。

それを踏まえて、今回も浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスから、学ばせて頂いた事を、ここにまとめてみる事と致します。

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自身を高める三つの柱「戒・定・慧」

浦崎雅代さんとホームさんのツイキャス、今回の話に入る前に、前回の話を復習して頂くと、より学べる事かと存じます。

前回のツイキャスでは、自身を高めること、人として高まり成長・進化するという事柄についての、パユットー師の教えを紹介して頂きました。



参照記事:「現代社会を生きる智慧であるパユットー師の教え|浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスで頂いた話」



今回の話は、人が自身を高める、成長する際に大切な事柄となる「三つの柱」についての話です。



仏教における「三」という数字については、色々と連想致すところではありますが(三法印とか三唱礼等々)、今回は「戒・定・慧」という三つの事柄についてです。



戒・定・慧については、「三学」として解説されておりますね。

恐らく検索エンジンで「三学」とか「戒定慧」と検索して頂くと、Wikipediaなりコトバンク、インターネット上の言葉辞典で、解説が見つかります。



それを読む事も一つですが、ここでは浦崎雅代さんとホームさんが解説して下さった、パユットー師の教えを元にした戒・定・慧について、まとめておきます。

そして、ここから話す事は、あくまで今回のツイキャスで教えて頂いた内容における「戒・定・慧」について、と言う事で、ご理解頂ければと存じます。

詳しくは、ツイキャスを聞いて頂きたいところで御座います。



参照先:ツイキャスに飛べる浦崎雅代さんのブログ



まず、「戒」について。



戒とは、ここでは「体をマネジメントしていくこと、物事や人、外側の事柄とどのように正しく接するか」という事と、ツイキャスにて教わりました。

具体的には、身と口のアクション(身業と口業)の事で、それを外側の環境や事物・人に、どのように正しく関係を持つか、それを修学する学の事です。

パユットー師の「仏法」には、「増上戒学」という言葉が使われています。





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次に、「定」について。



定とは、ホームさんは、しっかりとしていること、その状態が持続している事、外側の環境と上手く接していて、それが続いているか、という事という内容の説明をして下さっています。

私は、「気づきがしっかりと継続している状態の事、かな。」と、解説を聞いて、ふと思うたもので御座います。

また、ホームさんはわかりやすく、集中力であったりやる気の事というような内容も、最後辺りで教えて下さっています。



パユットー師の仏法では、「心の面の学」「増上定学」とありまして、心の様々な徳性を開発する事であり、心の面の学習とされています。



最後に、「慧」について。



慧とは、字面から「智慧」と関係する言葉であると、仏教に馴染みがある人ならば、ピンと来た事でありましょう。

慧についてホームさんは、「考える人であり、分析する人であり、観る人であり、命令する人であり、その全てを担う人の事」と、解説して下さっています。



これについて、ホームさんがわかりやすい例え話をして下さっていましてね。

ホームさん曰く、「車を運転する人の事」だそうです。

これは、車の運転者として車を運転中の自分を連想すると、わかりやすいかと存じます。



車を運転する際、メーターや周囲を観て状況を分析して、どう運転するか考えるでしょうし、それらをきちんと「観る人」でもあるでしょう。

また、ウインカーを出すというのは、命令しているとも言えるでしょうからね。



この「戒・定・慧」は、人が成長する、自己を高める上で大切な三つの柱というのが、パユットー師の教えです。

戒・定・慧について:「仏教要語の基礎知識」から

戒・定・慧について、もしかしたら釈尊(ゴータマ・ブッダ)の生涯を学んだ人ならば、初転法輪のところで四諦八正道についても知り、そこから三学(戒・定・慧)を学んだ、という人もいらっしゃるかもしれません。

ブッダの一生において、説法デビューの話、初転法輪は外せない箇所であり、初転法輪で説かれた事柄が、四諦八正道であると言われております。



そして、この四諦八正道と三学はセットで学んだという人も、いらっしゃるのではなかろうか、と、ふと思いました。



例えば、「仏教要語の基礎知識」では、八正道と三学を解説している箇所がありますからね。(204ページ)



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「仏教要語の基礎知識」を開いて観たところ、八正道と三学の関係は、パーリ仏教の説としては次のように解説されています。



「正見・正思惟」が「慧」

「正語・正業・正命」が「戒」

「正精進」は三学共通

「正念・正定」は「定」



こうして文章にしてみると、なんのこっちゃ、という感じがするでしょうが、「仏教要語の基礎知識」では視覚的にわかりやすく整理されております。

実物を見て頂くと、視覚的に理解もしやすいでしょうから、教学的な理解を深めたい方は、是非とも一読して頂ければと存じ上げるところで御座います。



ちなみに、「仏教要語の基礎知識」は、蝉丸Pさんと仰る真言宗のお坊さん曰く「涙が出るほど便利で有り難い用語の解説」との事。

私も、辞書的な使い方をすることがある本で、この本に出会えて有り難し、と思うところに御座います。

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戒・定・慧、三学は三つ揃っている事が大切

今回の、浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスにて、パユットー師が説かれる「戒・定・慧」の三学について、ツイキャスの内容をお伝えしたわけですが。



この「戒・定・慧」について大切なところは、「三つがお互いに支え合っていて、どれか一つでも欠けると宜しくない」というところです。



その事について、ホームさんはご自身の体験であったりありがちな話を、それぞれが欠けた事例をわかりやすく伝えて下さっています。

ここでは、私にも関係している事柄として、そのうちの一つをお伝えしておきます。

詳しくは、上述している浦崎雅代さんのブログへ飛んで頂き、ツイキャスの履歴放送を聴聞して頂ければと存じます。



例えば、「定」が欠けている場合。



「定」がかけている状態でありがちな事と言えば、「先延ばし」です。

また、先延ばし以外にも、私は「集中力を欠いている状態」であり、ついつい余所見してしまったり、そういう事柄も含む、と、解釈致しました。

詳しく申しますと、何かをするための環境や体は調えられていて、知識・智慧もある状態だけれども、やる気が無かったり、やろうとしている事にいまいち喜びを感じられなくて先延ばしにしたり、結局やらない、という事です。



そうですね、例えば「料理をする」という事を例にしましょうか。



自分は、料理をするための材料もあるし、料理をするに耐えうる健康な体も調えられている。

また、レシピ・材料を上手に調理する智慧も知識もある。

しかし、なんだか面倒だしやる気が出ない。

なんかしんどいし、料理は後にしよう・・・と、結局料理をせずに出来合いの食べ物を食べて、食材も体も知識も智慧も使わずに終わってしまう。



忙しい現代社会においては、こういう事って、ありそうなものではありませんかな。

これは、「定」が無い状態と言えましょう。



定が欠けている、足りないという話は、私にとって耳が痛い話

実は私、この「定が欠けている」という状態は、身をもって体験していると言いますか、耳の痛い話で御座います。

まさに、今の私を言い当てられているなあ、と感じながら、浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスを、聴聞していたものでありまして。



私は、Progateというプログラミング学習サイトを使って、RubyとRuby on RailsやPHPを学習・実践しております。

ゆっくりと丁寧にやってはおるのですが、段々と疲れてくるものでありまして。



そして、Progateではレベルアップしたり、1単元を終えると、Twitterにその事を通知する仕組みがありましてね。

Twitterに告知すると、Twitterが自動的に立ち上がるわけですよ、ブラウザにて。



そうすると、なんとも意志薄弱、煩悩具足なる凡夫なる私めは、ついつい、Twitterを眺めてしまい、全くもって「定」が無いという事を、体現してしもうておるわけであります。



最近は、気づきの智慧のお陰様か、「あ、またやってしまった」と、気づいてプログラミングに戻るようにはなっておるのですが。

「いや、そのもっと前段階で気づいて、プログラミング学習・実践に集中しなさいな」という話ではあるのですがね。

気づきの智慧がどうのこうの、と偉そうに宣っておるのなら、もっと前段階で気づいて、Twitterに目をそらしている場合では無いでしょう、と説教されたら、返す言葉が御座いません。



いかがせん、いかがせん。



今回の、浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスで教えて頂いた、パユットー師の「戒・定・慧」という三学の話から、またしても己を顧みる教えを頂いた事に御座います。

私も、全くもって修行が足りておりません、修行が、足りない。

「この凡夫め!」と言われたら、「ごもっともです。」と、合掌してお辞儀するくらいしか返せない、私は煩悩具足なる凡夫なり。あなかしこ、あなかしこ。

パユットー師やプッタタート師の教えに触れる善き縁

今回は、浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスにて教わった、パユットー師の「戒・定・慧」について、お伝え致しました。



浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスは、タイの高僧・プッタタート師(ブッダダーサ師)や、ポー・オー・パユットー師の教えに触れる事が出来る、有り難き縁、善き縁であると頂いております。

毎回、お二人のツイキャスに、有り難き御教えを頂いております。



浦崎雅代さんはnoteにて、スカトー寺のパイサーン師の説法を、翻訳して掲載して下さっています。

その他にも、日本とタイを行き来して活動されています。



参照記事:「ポー・オー・パユットー師に学ぶ仏教|浦崎雅代さんとホームさんのツイキャス」

参照記事2:「「気づきを楽しむ」浦崎雅代さんの連載を読んだ感想文|現代社会に活きる智慧を学ぶ」

参照記事3:「「自己都合・自己所有の過剰」に気づくプッタタート師の智慧|浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスからの学び」

参照記事4:「タイ・スカトー寺副住職スティサート師講演会|浦崎雅代さんの通訳ツイキャスを受講・聴聞しました」



タイの風景や、スカトー寺で修行されている比丘(僧侶)の説法を読みたい方は、浦崎雅代さんが運営される各メディアに赴かれると、宜しいかと存じます。



いやはや、冒頭でもお伝え致しましたが、日本に、京都にいながら、タイの高僧の仏法を頂けるのは、非常に有り難し。

有り難や、有り難や。



合掌、礼拝

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