御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。
私は、浦崎雅代さんのツイキャスを楽しみにしておりまして、その中でも特に楽しみにしていた、ポー・オー・パユットー師についての話を、ついに聴聞する機会を頂きました。
ポー・オー・パユットー師について、ここからは「パユットー師」と表記して、話を進めます。
パユットー師は、タイではとても有名なお坊さんであり、日本では最近になって、「仏法」やテーラーワーダの仏教辞典(仏法編)が出版されていて、知っている人もいらっしゃるかと存じます。
私が何度もお伝えしている、プラユキ・ナラテボーさんも、大学でプッタタート師と共に、パユットー師の事も学ばれていたと、瞑想会で教えて下さいました。
その時に紹介して下さった本が、パユットー師の「仏法」です。
現在は電子書籍になっているから、今読んでいる本を全て読み終えてから、手を付けてみようと考えておりましてね。
浦崎雅代さんのパートナーであるホームさんは、パユットー師からも仏法を頂かれていて、ツイキャスでその話をして下さいました。
今回は、浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスから頂いた、パユットー師からの学びを、お伝え致します。
現代社会において、特に学ぶべき事だと言える話も頂けまして、非常に有り難し。
Contents
ポー・オー・パユットー師について:タイ仏教の高僧を紹介
浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスにて、話を聞いてみたかったポー・オー・パユットー師について、話を聞く事が出来て、有り難く頂いております。パユットー師について知らない、という人のために、少しだけパユットー師のプロフィールと言いますか、どのような方か紹介をしておきます。
パユットー師は、1938年生まれであり、2018年で80歳となられる、タイの比丘です。
高僧と呼んでも差し支えなかろうかと存じる程の方ではないかと、私は観ております。
パユットー師は、13歳で沙弥出家して、二十歳前にパーリ語試験で最高の九段を取られた方であり、また、英語も堪能との事。
パユットー師の経歴を観ると、タイの各大学で名誉博士号を受賞されており、更には、1994年にユネスコ平和賞をはじめとした賞を受賞されています。
もしもパユットー師の本「仏法の思想と実践」や、タイ仏教を研究されていたり詳しい人ならば、1994年とパユットー師の講演と言えば、思い起こされる話もありましょう。
ちなみに、タイでユネスコ平和賞を受賞した人と言えば、プッタタート師と、政治家で作家でもあったククリット・プラーモートさんと言う人も、だそうです。
パユットー師は、日本では「ポー・オー・パユットー」という名前で知られていますが、僧侶としての名前を幾つか持っていらっしゃる、とのことです。
私はこの話を聞いた時に、法然上人の大師号を思い出したもので御座います。
増上寺に行った時に、土屋正道上人から教えて貰ったのですが、法然上人も僧侶としての名前を、幾つか持っていらっしゃいましてね。
法然上人は、500年ごとに「大師号」を頂いていらっしゃいまして、最近でしたら2011年に「法爾(ほうに)大師」という号を頂かれています。
パユットー師の僧侶としての名前が幾つかあることと、法然上人の大師号とは、また様相や条件などは違うとは思いますが、ホームさんの話から、何となく思い出した次第であります。
現在のパユットー師は、体調が優れないらしく、自然の中の質素な小屋で静養中、との事です。

パユットー師に学ぶ生き方の姿勢1:知ったかぶりをしない・誤魔化さない
浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスにて、パユットー師について色々と話を頂きましたが、その中から、幾つか現代社会でも学ぶべき、見習うべきと言える話を頂いたもので御座います。それを、3つに絞って、「パユットー師に学ぶ生き方の姿勢」と題してお伝えしていくと致しましょう。
パユットー師に学ぶ生き方の姿勢の一つ目。
それは、「知ったかぶりをしない、知らないことを誤魔化さない」という事です。
パユットー師は、パーリ語がもの凄く堪能で、仏典に原語で当たることが出来る方です。
そのために、仏典・仏法をもの凄く勉強されていて知識も膨大であり、それは著書の多さや分厚い本の様相からも読み取れる、という趣旨の事を、ホームさんの話から私は感じたものであります。
仏教辞典を書き下ろされている方ですからね、パユットー師は。
その事からも、如何に仏教に詳しいという言葉だけでは言い表せない程か、といったところです。
ホームさん曰く、そのような仏教に精通したパユットー師は、尋ねられて応えられないことや、知らないことについては、きちんと「それは私には分かりません、知識がありません」と、真摯に応えられる、との事です。
自身が知らないことや知識が無いこと、分からない事については、きちんと「知らない」と言える。
知らないことを誤魔化さない、わからなさを誤魔化さない、という姿勢ですね。
この話は、現代社会において、非常に大切な事であるなあ、と、頂いております。
私もね、やっちゃいそうになるのですよ、と言いますか、昔はようやってました。
現代社会においては、ちょっとした情報でしたらインターネットなどの科学技術を用いれば、容易にアクセス出来ます。
ちょっとかじった情報を背景に、あたかも専門被った話し方、専門家仕草で知ったかぶる事も、出来てしまいます。
ゆえに、情報に容易にアクセス出来る現代社会において、パユットー師の真摯な在り方は、見習うべきところがありましょう。
知ったかぶるのは「ブッダとシッタカブッタ」で十分足りておりますがな。
パユットー師に学ぶ生き方の姿勢2:情報を消費することに気をつけるための4つのポイント
浦崎雅代さんとホームさんから頂いた、パユットー師に学ぶ生き方の姿勢の二つ目。「情報を消費する事に気をつける」
これは、情報に流されない智慧でもあり、また、情報を使い捨てにするという事にも気をつける、等、複数の意味で頂いている智慧に御座います。
特に、情報にアクセスしやすい現代社会においては、これは大切な事柄であり、また、人によっては耳の痛い話でもありましょう。
私がそうなのですがね。
情報を消費しないための智慧として、抑えておくポイントは4つある、と、パユットー師は仰います。
それは、次の4つです。
1:データ
2:インフォメーション
3:ノウレッジ(knowledge:知識)
4:ウィズダム(wisdom:智慧)
私、智慧の英訳を「idea」と覚えておりましたが、「wisdom」と訳す事は初めて知りました。
「wisdom」は「賢いこと、賢明」という意味もあり、「知識」という意味もありますから、日本語に訳した時に仏法と絡めて、私は「知識を賢く活かすこと」と、頂く事に致します。
そうすると、この後の話も、より味わい深くなると言う直観もありまして。
パユットー師が教えて下さる1から4は、独特の解釈や仏法と絡めた文脈がありそうですから、ここは私が更に解釈した独自の話として、聞いて頂ければ幸いです。
パユットー師によると、データやインフォメーションは、あくまでデータやインフォメーションに過ぎない、との事です。
パユットー師が言うには、データやインフォメーションの段階の情報というのは、まだ活かされていない状態である、との事。
「当たり前じゃ無いか」と、言われそうですがね。
確かに、データやインフォメーションは大切です。
でも、それを知っているだけ、ただ見ているだけでは、活かされているとは言えません。
肝要は、それを3のノウレッジ(knowledge:知識)として貯え、そこから役に立つ情報に昇華させていくか、という事です。
そうなれば、単に右から左へデータやインフォメーションが流れるだけ、という事にはならず、「役に立つ知識」に、変容させる事が出来る、という解釈を私は致しました。
そして、そこから更に4のウィズダム(wisdom:智慧)にするという事は、「自他を高める、自他の抜苦与楽を為すように1から3を活用する」という事であると、私は頂いております。
この時に、悪用せずに善用する方向を示してくれるのが、プラユキ・ナラテボーさんが教えて下さる「自他の抜苦与楽」であり、仏法・戒律であるとも、私は頂く事となりました。

データすらない妄言だらけの我利我利亡者の姿も見えてくる
私は、このパユットー師による「情報を消費しない智慧・情報に消費されず消耗しない智慧」の話を聞いた時、「データ以前」の話にも思い当たりましてね。以前、私は「我利我利亡者な自称アフィリエイターの検証は検証に非ず」という話を致しました。
参照記事:「情報商材をアフィリエイトしている輩やブログの嘘を暴く|そりゃ詐欺呼ばわりされても仕方なし」
詐欺師を撲滅するために活動していると吹聴していながら、自身が詐欺師みたいなことをしている我利我利亡者を、知っておりましてね。
最近は、自身の名前を使った「(自分の名前)塾」なるものをやり初めて、もう手遅れの末期症状となっております。
そやつは、ことある毎に「凄い情報商材が出ました!それを検証しました!」と、宣っておりまして。
何をどのように検証したか、実際に懐に飛び込んで、自腹でそやつから情報商材を購入して、Skypeで通話してみたり特典も読む等のことから見出した事は、「こやつは検証なんざしていない」という事です。
どういう事かと申しますと。
検証をすると、否が応でも「データ」は蓄積されるはずです。
でも、その検証したら出てくるはずのデータが、全く出てこないのですよ。
全くもって、データの提示がありません。
検証していてデータを残していないなら、間抜けでしかありませんし、データを残しているのに示さないのであれば、検証した証拠を提示していないのですから、不誠実です。
また、検証に使った内容物、例えばトレンドアフィリエイトブログならば、その運営しているブログとデータを示すべきなのですがね、「非公開です」の一点張りとか、話になりません。
はっきり言って「データ以前の話」です、データすらありませんし。
データすら無く、「検証しました」とか抜かすこのような輩は、妄語や綺語を吐き散らす我利我利亡者な詐欺師共です。
自身の妄語や綺語に消耗していることに気がつかない、憐れなり我利我利亡者。
再度申し上げますが、最低限のデータも示さず、検証したと抜かす輩は、検証なんざしておりません。
きゃつらがやっておるのは、検証ではなく、「ただ読んだだけ、目を通しただけ」です。

パユットー師に学ぶ生き方の姿勢3:英語をラジオ放送だけで学んだという「工夫」の智慧
パユットー師に学ぶ生き方や、姿勢の話の三つ目。「英語は留学などを一切せずに、ラジオ放送で学んだ」
パユットー師は、英語も堪能であるとホームさんが話して下さいましたが、その英語力は留学などは一切せずに、ラジオ放送など身近にある教材で学ばれた、という話であります。
私はこの話を聞いた時、「あるならあるものを使えば良いが、無いなら無いなりに工夫する」という智慧に、思い至りまして。
そして、ここに思い当たった時、同時に「工夫(くふう)」という事も、再度考える事となりました。
「工夫」は、実は仏教用語であり、禅語です。
「動中の工夫」「動中の工夫は静中に勝る」など、聞いた事がある人も、いらっしゃるやもしれません。
臨済宗の「書く禅僧」であられる、玄侑宗久さんによると、「工夫」は公案に取り組む事を言い表す言葉として始まった、との事です。
玄侑宗久さんの話によれば、「工夫」は「コンフ・コンブ」と言い、中国由来の禅語という話ですが、パユットー師は、禅的な意味においても現代的な意味においても「工夫」をなされる方であるのだなあ、と、頂くに至りました。

使えるものや環境は使えば良いし、無ければ無いで工夫をしてみると良い、という塩梅
私は、パユットー師が留学をせずに、ラジオなど身近にあるものから英語が堪能になるに至るまで学ばれた、という話から、改めて「工夫の大切さ」を再認識したものです。もしかしたら、私が知らないだけで、パユットー師はその後色々な伝手から英語をラジオやテキスト以外で、人から学ぶ機会があったり、英語力を磨くために英語教室的なところへ学びに行かれたのかも知れませんが。
ただ、環境によっては、ラジオでしか発音などを学べない時は、それをきちんと使いこなし使い切る、という事や、学び方の工夫を考える、という事は、パユットー師の英語鍛錬の話からも、学べる智慧であることは確かです。
現代社会においては、語学を学ぶというと、某駅前留学や、本当に現地へ留学したり、今でしたらUdemyやYouTubeを使うという工夫もありましょう。
参照記事:私も活用したUdemyの話
参照先:「Udemy(ユーデミー)」
私は、それはそれで良い方法である事は、実際にUdemyをはじめとしたサービスを活用している体験からも有り難さの体感がありますし、否定は致しません。
「昔は不便で勉強するも一苦労だったんだ!」と、そんな説教はしませんし、学ぼうという意欲のある人に、そんな事を言うのはナンセンスでありましょう。
そもそも私は、プログラミング学習におきかえた時に、プロエンジニアのプログラマカレッジなど、使えるなら大いに活用した方が良い、とも本気で思うておるくらいですから。
ただ、私の様に、プロエンジニアのプログラマカレッジに参加出来ない条件にある者や、場所の問題で通えない人は、そこで諦めるのではなく、工夫は出来ますよ、という話をしたいのです。
上でお伝えしたように、プロエンジニアのプログラマカレッジに通えないならば、UdemyやYouTube、RubyやPHPを解説してくれているウェブサイトを利用する手もあります。
また、本屋でめぼしい本、相性の良さそうな教科書を買って勉強するという手もありますし、図書館だって利用出来ましょう。
「使えるものや環境は大いに使いこなし、無ければ無いで工夫する」
このような学び方を、パユットー師の英語の学び方から、改めて考えさせて頂いた次第で御座います。

パユットー師の本
現在、パユットー師の本は幾つか出ている、という話を致しましたが、それをここで一挙に紹介しておくと致しましょう。現在、私が最初に読もうと思っているのが、「仏法」です。
|
私も、購入するなら電子書籍版にしようかと思うてはおるのですが、本は手に触れて読みたがる性質のために、どちらにしようか、まだ結論を出しておりません。
パユットー師の「仏法」は、中級者以上の本であると、星飛雄馬さんの「60分でわかる!仏教書ガイド」でも伝えて下さっています。
ある程度、テーラワーダ仏教を勉強されていて、瞑想会にも参加されるくらいの方でしたら、手に取られても宜しかろう、といったところでしょうか。
その他、文庫本になっている法話集「テーラワーダ仏教の実践」は、手に入りやすいパユットー師の本です。
|
また、仏教用語、特にテーラワーダ仏教の言葉を知りたい、テーラワーダ仏教の仏教辞典を一冊持っておきたいという人には、「ポー・オー・パユットー仏教辞典(仏法篇)」があります。
|
私も、仏教辞典を一冊持っておきたいと思っていたところ、星飛雄馬さんの本で、この辞典の事を知りましてね。
水野弘元さんの「仏教要語の基礎知識」は購入しておりますが、次の一冊には、パユットー師の仏教辞典にしようかと考えております。
パユットー師の本は、タイでは出版されているそうですが、まだ4冊か5冊か、それくらいしか日本語版では読む事が出来ないようです。
私も、星飛雄馬さんやプラユキ・ナラテボーさんといった詳しい人達の本や話から伺ったところ、「仏法」や仏教辞典、法話集が幾つかあるだけという情報しか持ち合わせておりません。
今後、翻訳されていくことを期待するのは、私の煩悩でしょうかな。
タイのお坊さんであるアーチャン・チャー師の本も、第2弾が世に出たという話もありますし、期待は出来ると勝手に思うておりますがね。
タイの仏教、テーラワーダ仏教を学ぶならパユットー師も注目したい
今回は、浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスから頂いた、パユットー師から学ぶ生きる姿勢であったり、パユットー師の仏法をお伝え致しました。パユットー師は、プラユキ・ナラテボーさんの「自由に生きる」にもある通り、開発僧の支柱となられている比丘の一人です。
開発僧としての在り方や、真摯に仏教を学び実践されるお姿、また、勉強の仕方の工夫といった具体的な話等々、我々がパユットー師から学べる事は、多々ありそうです。
実際に、データや情報についての話は、現代社会を生き抜く上では、非常に有用でありましょう。
今後の、浦崎雅代さんとホームさんによる、パユットー師講座も、楽しみである、と楽しみにするのは、未来に期待を寄せるという意味で、煩悩の一種でしょうかね。
尚、その他にも、浦崎雅代さんのツイキャスからは、多々学べます。
参照記事:「「自己都合・自己所有の過剰」に気づくプッタタート師の智慧|浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスからの学び」
参照記事2:「「気づきを楽しむ」浦崎雅代さんの連載を読んだ感想文|現代社会に活きる智慧を学ぶ」
参照記事3:「タイ・スカトー寺副住職スティサート師講演会|浦崎雅代さんの通訳ツイキャスを受講・聴聞しました」
参照記事4:「丁寧な暮らしに繋がる「気づきが間に合う」という実体験の話|プラユキ・ナラテボーさんと浦崎雅代さんとホームさんからの教え」
これを機会に、タイの仏教を翻訳して下さる浦崎雅代さんのツイキャスを聴聞されて、仏縁結ばれて、良き人生の歩み手となられましたら、嬉しゅう御座います。
合掌、礼拝