現代社会を生きる智慧であるパユットー師の教え|浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスで頂いた話

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



私は、最近では浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスを聴聞する機会を頂きまして、そこでタイの高僧の教えを、日本にいながら頂くという、有り難い御縁を賜っております。

先日も、浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスにて、ポー・オー・パユットー師の教えを伝えて頂く御縁を賜りまして。

今回も、思わずうなると言いますか、私にとっては非常に耳の痛い、己を顧みて猛省するに至る話を頂いた次第で御座います。

ほんと、「ああ、私は全く出来ていない。」「ああ、これは私のことだ。言い当てられている。」と、思いながら聴聞したものであります。



今回の浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスにて頂いた仏法や生きる智慧は、現代社会においても、活きる智慧に御座います。

また、学ぶ姿勢や忍土・娑婆世界を生き抜く智慧として頂く事となる智慧でありまして、Twitterでも140文字以内で、しっかりとまとめた下さった方もいらっしゃり、善知識のお導きは非常に有り難し。



今回は、パユットー師の教えを頂き、私にとって耳が痛くて猛省する事となる話を、お伝え致します。

もしかしたら、私だけでは無くて、「ああ、確かになあ。」と、ご自身のこととして頂かれる方も、いらっしゃるやもしれません。

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パユットー師の教え:テクノロジーとの付き合い方

今回の浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスにて、教えて頂いたパユットー師の御教えは、色々とありますが、その中から絞ってお伝え致します。



今回、私が自身を省みて、改めねばならないなあ、と思うた教えに、次の事が御座います。



「テクノロジーとの付き合い方:テクノロジーの奴隷にならない智慧」



テクノロジー、発展した科学技術による恩恵は、現代社会においては、最早意識せずに頂いているというレベルの話では御座いませんかね。

朝起きる際、スマートフォンにセットしておいた目覚まし機能から始まって、寝る前にちょっと呟いたり、メールをチェックしたりとか。



電気についても、特に現代の都市部においては電気が無ければ生活出来ないというレベルの話にもなろうかと、勝手に妄想しております。

何かの映画で、電気が使えない現代社会を描いた話がありまして、私は映画の予告編しか見ておりませんが、私は「もしも自分に起こったら。」と、考えたものでありますよ。



パユットー師は、暮らしやすくしてくれるテクノロジー・科学技術について、使い方や距離の取り方によっては、大変危険であるという事を教えて下さっていると、ホームさんが教えてくれました。



パユットー師曰く、テクノロジーを活用する事そのものは、否定されていません。

ただ、テクノロジーを活用する際に、「テクノロジーそのものが自分の力や五感そのもの」という使い方をすることに、警鐘を鳴らす教えを説かれています。



「テクノロジーで出来る事=自分の能力」と、錯覚してしまう事があるのが、人間の悲しい性質(さが)。

これは私も身に覚えがあり、猛省する事に御座います。



もちろん、テクノロジーを使いこなせることは、それはそれで大切ですが、無自覚でいると「テクノロジーの奴隷になる・テクノロジーによる恩恵を自分の五感と錯覚する」という怖さがあります。



どういう事かと言うと、女神異聞録・ペルソナシリーズをやった事がある人なら、想像しやすいでしょうかね。

私、初代ペルソナしかやった事がありませんが、ペルソナを装備すると、ペルソナによってキャラクターの能力が補整されます。



例えば、生身では防御力が10だけしか無いが、ペルソナを装備すると防御力100になるとか、そういう補正がかかります。

そして、この補整した能力を、自分の力だと錯覚してしまう事に、パユットー師の教え・智慧が効くのです。

あくまでも防御力100は、ペルソナの力であり借り物の力で、自分の力ではない、ということです。



ここで「補整分も自分の実力・五感・自分自身」と錯覚していると、その補助・補整が無くなった時に、「こ、こんなはずでは!」と、難儀する事にもなりましょう。



このパユットー師の教えを聞いた時、私は次のように頂いたものです。



「テクノロジーは、自身の暮らしや生活、仕事などにおいてプラスアルファの要素・補助的な要素であるけれども、それに依存しないという付き合い方や距離の取り方を、何処かで意識しておいた方が良い」



テクノロジーを否定するのでは無く、テクノロジーの奴隷になるのでもなく、といった塩梅が、丁度宜しいでしょうかな。

その距離の取り方や塩梅は、各々にて。

常日頃考えているのに出来ていない私:テクノロジーの距離

私は、浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスにて、この話を聞いた時、「まさに今の私の状態では無いか。」と、顧みて、反省したものです。

そして、家族がその事に気づかせてくれる発言をよくしてくれていたなあ、と言う事も、思い出しましてね。



私、家族と共に調理をして、揃って食を頂くのですが、その時に、かなり高い頻度でこう言うのですよ。

「ああ、今日もご飯食べられて、有り難いなあ。」

また、電気についても、家族はちょくちょくとこういうことを言います。

「電気が無い時代って、どうやって暮らしてたんやろ。今は電気がないと暮らしが成り立たないレベルやなあ。有り難いなあ。」



こういう事を聞いて育ったためか、私もふと、こういう事を考える習慣がありましてね。



例えば、トイレに入っている時に、「こうして水洗便所を使えるのは、実は有り難い事なんだなあ。無ければ私は、どうなっているのかなあ。」等々。

車やオートバイを雲梯している時や、電車に乗っている時も、「昔は歩いてたのに、便利で有り難いなあ。」等々。



でも、私はそう思うだけで、どっぷりとテクノロジーのお世話になりまくっております。

こうして、この寺院(ブログ)に投稿しているのだって、まさにその現れでありましょう。



また、プログラミングをしているわけですから、まさにテクノロジーの恩恵受けまくりってなもんであります。



それらのお陰様で、内職であったり、生活の糧も頂いている事を、ついつい忘れがちな私。

そのような自身の姿を、ツイキャス経由でパユットー師の教えと出会わせて頂き、あぶり出された気が致します。



今一度、テクノロジーの奴隷になっているか、適切な距離を保ちながら上手に活用出来ているか、顧みる事に御座います。合掌。

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パユットー師の教え:完成品を欲しがる消費者体質への戒めと、困難・問題に取り組む姿勢

浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスにて、その他に教わったパユットー師の教えに、次のようなものがあります。



「困難・問題が私達を高めてくれる」



この事に繋がる話として、パユットー師は、次のような教えを説かれています。



「人はなぜ、自分で自分を高めようとしないのか?」



もちろん、克己心のある人も世の中には多くいらっしゃるでしょうが、そうでない人についての事を仰っていると、私は頂きました。

まあ、つまり私のことなのですがね、怠け者で煩悩燃えさかる、煩悩具足なる凡夫な私。

完成品を消費する「消費者体質」

パユットー師は、私のような凡夫が自身を高める事をしようとしない理由を幾つか伝えられていますが、ホームさんからは、次の事を教えて頂きました。



それは「出来合いのもの、完成品を欲しがって、それを消費する傾向」です。



これは、現代社会においては、特にこういう傾向であったり、こういう暮らし方をしている人は、多いのではありませんかな。

かくいう私も、そういう傾向はあります、正直に申しますと。

疲れた時など、出来合いのもので食を済ませようとか、そういう風に流される事はしばしばありますからね。

そうならぬように、現在はできる限り台所に立つようにしております(なかなか上達致しませんがね。)



もちろん、出来合いのものや、完成品そのものが駄目ではなく、完成品を活用する事全てを否定するわけではありません。

忙しない現代社会においては、完成品の恩恵を受けて生きる事は否定出来ませんし、活用出来るものは大いに活用したらよし、と言う考えを、私も持っております。

その「完成品」なるものも、完成品を購入して使われる方の抜苦与楽を成すために作られたという背景もありましょうし。



ただ、完成品だけに頼って消費するだけになってしまわない事が肝要ではなかろうか、ということも、一方で考えております。

私は、パユットー師のこの教えを聞いた時に、釈徹宗さんが「お世話され上手」「随録つらつら対談」で仰っていた「消費者体質」の話を思い出しました。



「お世話され上手」は、こちらです。

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こちらが、「随録つらつら対談」です。

池上彰さんをはじめ、著名人と釈徹宗さんが対談されている本です。



私、こういう対談本が結構好きだったり致しましてね。



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現代社会は、消費者体質が染みついていると言われると、確かになあ、と、思う事も御座います。



現代では、お金を出せば、完成品や完成されたサービスを受けられる状況にあります。

社会の仕組みゆえに、避けられない部分がありますが、あまりにも消費者体質が染みついていると、なんでもかんでも金で消費するという生き方にもなり得ましょう。



また、商取引・ビジネスにおいては、提供する側は金銭分の等価交換をないがしろにすることは問題です。
(現在のなんちゃらビジネスだとかなんちゃらコンサルタントの類いは、これ以前の問題ばかりですがね、ゴミを法外な価格で売りつけて、責任は一切取らずに逃げるという。)



ただ、だからといって、何でもかんでもビジネス的な取引だけで全てが完結すると言う事は無理がありましょうし、人と人との関係においては割り切れないものであろうと、私は思うております。



パユットー師の「完成品を消費する」という事柄の教えから、そのような事を考えるに至りました。



上手く言語化できず、話がなんだかずれた気が致しますので、この辺でご勘弁をば。

上手く言えない。

と自身でやってみる事の効能:私の体験による実感

「完成品を消費する」という事、完成品に頼らないという事が、なぜ、自身を高めるという事に繋がるのか。

これは、ホームさんがご自身の体験を通して、教えて下さっています。



ホームさんは現在、茸の栽培であったり、家を自身で建てると言う事をなさっています。



家を建てると言えば、大工さんに頼んで完成させて貰うという手を思いつきます。

また、私は警備員時代に観た事があるのですが、すでに完成した建物を、家を建てる現場に持っていって組むだけ、という建て方もあります。

まさに「家の完成品」の形ですな。



ホームさんは、こういったサービスを利用せずに、ご自身で家を建てられています。

そして、完成品に頼らずに自身で取り組む事によって、家の仕組みであったり、こういう部分について次はどうすれば上手く行くか、等の智慧が身についた、という趣旨の話をして下さいました。

これは、なんだか禅語「冷暖自知」に通じる話であるなあ、という味わい方も致しました。

(「冷暖自知」とは、冷たいか暖かいかは、自身で触れてみないと知る事が出来ない、という意味です。)



私は、この話を聞いた時に、まさに私が現在プログラミングの分野において、体験している事であるなあ、と、思うたもので御座います。



私はウェブサイトを作る際に、現在もSIRIUSというウェブサイト作成ツールを使う事が御座います。

また、この寺院(ブログ)も、すでに用意されているWordpressを活用しております。



そんな中、私はプログラミングを学び始めて、HTMLやRuby、PHPを学んで行く内に、タグの意味などを理解するようになってきました。

PHPに至っては、WordpressはPHPと密接な関係があるわけですから、直結する技術です。

PHPを理解出来るようになれば、Wordpressの構造も把握出来るようになりますし、何が行われているか分かるから、カスタマイズも出来るようになりましょう。

完成品に頼り切っていたり、SIRIUSを使えるからいいや、で終わらせていたら、こうはなりますまい。



ホームさんが自身で家を建てられた事によって、構造等色々な事柄がわかるようになったという体験談は、私もプログラミングの話に置き換えて、「ああ、こういうことか。」と、頷いたもので御座います。



最も、まだまだ私は学び精進していかねばなりませんが、パユットー師とホームさんの教えから、こういう事を垣間見る事が出来たのは、非常に有り難し。

自身を省みると、まさに困難・問題に挑戦しようとせずに楽をしようとしている私に気づく

浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスにて頂いた、パユットー師の教えで、「困難が人を高めてくれる」という事について。

これについては、Twitterで見事にまとめて下さっている方がいらっしゃいます。


吉房泰子さんという方のつぶやきです。

この後、私がごちゃごちゃ言わずとも、このつぶやきを読んで頂ければ宜しいかと存じます。

そして、吉房泰子さんのつぶやきにある「録音あり再度聞けます。充実した内容に感謝。」は、まさに私も思うておる事に御座います。合掌。



人は易きに流れやすいもの。

私もついつい、しんどいことや困難・問題、タイの言葉で言うならば「ペンライ」と出会うと、逃げ出したくなります。

私の場合、逃げ出さずにいたために、私は睡眠障害やうつ病等にも見舞われたこともあり、一時は「すたこらさっさだぜ」宜しく、逃げまくっておったものです。

まあ、逃げる事を覚えた、とでも言いましょうか。



ただ、仏法と再会して、色々なお坊さん達と出会う中で、困難・問題との付き合い方も上手になっていくのでは無いか、という希望を見出すには至りました。

それでも、今でも思いっきり困難を避けた生き方をしようとしていたり、自分都合の楽をしたい煩悩は燃えさかっていますがね。



それを自覚した上で、それでも困難ときちんと向き合い、付き合う事で、「困難が人を高めてくれる」と言う事を、実感したり体感する事とも、出会えるに至ったものです。



例えば私、Ruby on Railsで作った代物を、Herokuというところにデプロイ(公開)する方法がわからず、調べても全然上手く行かなかった事が御座います。

こういう困難や問題・課題があった時期があったのですよ。



そんな中、「出来ないからやーめた。」とはしませんでした。

「出来ない、では、どうすれば出来るようになるのか。」と、本屋まで関連図書を読みに行ったり、オンラインで調べながら詳しい人に尋ねてみたりと、手を尽くしてみました。



そうしたら、Herokuでは、データベースはPostgreSQLを使っていて、Ruby on Rails標準装備のSQliteでは駄目だ、という事に辿り着きまして。

きちんと操作して、Herokuへ自身がこしらえた代物をデプロイ(公開)する事が出来るようになったものであります。



パユットー師の「困難が人を高めてくれる」は、まさにこの事であるなあ、と、自身の実践を思い出して、思うた事に御座います。



そりゃあ、困難に直面している、まさにその現場においては、もの凄く苦しかったり、「直面していない自分以外の人にわかるものか!」と思う事も御座いましょう。

私だって、ついついそう思う事も多々ありますし。



ただ、パユットー師の「困難が人を高めてくれる」という教え・智慧と出会い、咀嚼して頂く事で、困難ともうちょい付き合い、向き合ってもよいかな、と思えれば、自身が高まるきっかけになろうかと、味わっております。



これは、学ぶ姿勢、勉強する姿勢にも関わる話ですから、応用出来る範囲が広い教えではなかろうか、そのようにお味わいを頂いております。



今回も、パユットー師の有り難き教えを頂いたもので御座います。



尚、浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスにて学べる事は、他にも御座います。

パユットー師の他の教えは、こちらです。



参照記事:「ポー・オー・パユットー師に学ぶ仏教|浦崎雅代さんとホームさんのツイキャス」



プッタタート師の教えについては、こちらです。



参照記事:「浦崎雅代さんのツイキャスで学んだ事|ブッダの言葉「筏の譬え」」

参照記事2:「「自己都合・自己所有の過剰」に気づくプッタタート師の智慧|浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスからの学び」



スカトー寺のスティサート師の御法話を、浦崎雅代さんが通訳して下さった沖縄公演については、こちらです。



参照記事:「タイ・スカトー寺副住職スティサート師講演会|浦崎雅代さんの通訳ツイキャスを受講・聴聞しました」



浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスは、いつも有り難き学び、尊い教え・智慧を賜る事が出来る、善知識的ツイキャスに御座います。

有り難や、有り難や。



合掌、礼拝

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