プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス気づきの瞑想「2018年春の関西瞑想会in京都」のお知らせ|定期的に行く意味

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



2018年の春も、プラユキ・ナラテボーさんが伝導して下さるマインドフルネス気づきの瞑想会「関西瞑想会in京都」が開催されます。


京都でも度々開催されております、プラユキ・ナラテボーさんの瞑想会。

今年、2018年も、春の瞑想会が京都で催される事になり、今回も寄せて頂こうと思うております。



私は既に参加予約をしておりますが、あなたがこの話を読まれる時点では、締め切られている可能性もありますがゆえに、ご注意をば。

瞑想会の申込み締め切り日は4月19日であり、私がミッドナイト念仏in御忌2018を終えて、へろへろになっている日でもあります。



今回、プラユキ・ナラテボーさんの「2018年春の関西瞑想会in京都」、マインドフルネス気づきの瞑想の会についての事前情報をお伝えしながら、丁度私も共感しました話を致します。

私が、定期的に瞑想会や仏教の勉強会、仏教講座に通ったり、別時念仏会に参加して、お坊さんに直接話を頂く事にも関係している事でもあります。



また、在家で仏教を学ぶ人にとって、日常をどのように生きるかという事にも関連することでありましょうから、瞑想会に参加される方にとっても、何か気づきなり自分事をお持ち帰り頂けるかと存じます。

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プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想会in京都「春の関西瞑想会」開催のお知らせ

最初に、プラユキ・ナラテボーさんから、直接、アーナーパーナサティ(呼吸瞑想)や、手動瞑想などの瞑想法と、仏法を伝えて頂ける、瞑想会についてのお知らせから。

今回開催されます「春の関西瞑想会」の、基本情報はこちらで御座います。



開催概要リンク:☆春の関西瞑想会 ☆マインドフルネス気づきの瞑想のお知らせ



「続きはウェブで」のように、後は勝手に観て頂戴、では味気ないかと思いますから、こちらでも簡単に瞑想会についてお伝えしておきます。



プラユキ・ナラテボーさんに教わる「春の関西瞑想会in京都」の開催場所は、京都水族館のある「梅小路公園内」です。

京都駅から歩いて向かう人でしたら、梅小路公園に入って、京都水族館から更に西側に行けば到着します。





京都駅から七条通りまで出て(西本願寺や興正寺が見える通り)、七条通りを西側に歩いて行けば到着します。

歩いても20分、かかっても30分ほどで到着する距離です。



開催日は、2018年4月22日(日)で、1日コースが9時20分から17時まで、半日コースが13時から17時まで、というのが公式発表です。

その後は、よほど天候がえげつない事になっいる等の事情がなければ、懇親会もある可能性も御座います。



簡単にまとめますと。



:プラユキ・ナラテボーさんの春の関西瞑想会|マインドフルネス気づきの瞑想:
:開催日時:
2018年4月22日(日)
:開催時間:
1日コース:9時20分から17時まで
半日コース:13時から17時まで
:場合によっては懇親会もあるかもしれない



こんな感じです。

私はといいますと・・・

こうして、プラユキ・ナラテボーさんの春の関西瞑想会を、宣伝しているかの如くお知らせしておりますが。

私はと申しますと、参加は午後からの予定で御座います。



春の関西瞑想会in京都が開催される4月22日(日)の午前中は、この会場の近くにありますお寺さんにて、仏教講座を受講することになっておりまして。

プラユキ・ナラテボーさんは、「行学二道」ということで、瞑想の実践、行を教えて下さいながら、学の方も伝導して下さいます。

それは恐らく、午前中にもなされることでありましょうが、私は午前中に、別のところで行学二道を頂いて参ります。



13時少し前には、会場入りできるかと思いますから、善友の皆様方とは、その時に会えるかと存じます。

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瞑想会や仏教講座、僧侶と定期的にあって話す事

私は、このような瞑想会がある時や、瞑想会が終わった後に、何度もこのように申しております。



「瞑想会できちんと師に教わる事や、別時念仏会等には、出来れば定期的に行く事が望ましい」



もちろん、時間的な都合等、日常を営む上では、どうしてもいけないことも多々御座いましょう。

そういう個々の事情もありますし、そもそも私が人様に対して強制することではありません。



ただ、私の実体験を元にして申しますと、瞑想や仏法を学び実践している人は、できる事なら、きちんと伝導出来る伝道者のところ、あるいは伝道者が直接指導して下さる瞑想会等に参加することが望ましい、と思うのです。

この事について、以前お伝え致しました、だいやめさんという方が、私も共感しました話をして下さっています。

まずは、だいやめさんの話をお読み下さればと存じます。



だいやめさんの話:「在家の日常」



はい、お帰りなさいまし。



だいやめさんの話には、坐禅や日常で掴んだ物事について書き留めておき、「定期的に禅会に行く」とあります。

そこで、「師に書き留めたことを独参でたずねる」と、線が引かれています。

私は、「定期的」という部分と、「師に書き留めたことを尋ねる」という所に線が引かれているところに注目しました。



一体、何故それが大切であるのか。

そのことについて、太字で次のように書かれております。

引用させて頂きますね。


一人で坐っているとつかんだものやこれだと思ったものを大事にしてしまう。

そのものに「自分勝手に」解釈をしてみたり、それを真髄などと勘違いしてしまうから(中略)。



例えば、日常的に坐禅をしたり、瞑想に励んでいたり、私のようにお念仏を毎日称え続けて別時念仏会では長時間お念仏し続ける習慣があったとしましょう。

直近では、ミッドナイト念仏in御忌で、11時間ぶっ続けという別時念仏会も御座います。

夜中まで及ぶと、流石に眠くなってきたりと、肉体もえらいことになってきます。



そういった時に、ふと突然、神秘的な体験をしたり、「は!」と、言語化しきれない程の感覚に見舞われる事もありましょう。

私の場合、一度だけ、確か清浄華院で夜中にお念仏していたとき、私が声を出しているという感覚ではなく、内側からお念仏が出てきた、といえばいいのか、そんな不可思議な事を体験した事が御座ります。

私の場合はこのような体験でしたが、坐禅をしている人、瞑想をしている人は、各々で何か体験をされたり、「は!」と気づかれた事があるやもしれません。



だいやめさんは、このような神秘的体験をした後、「これが真髄である」と、勝手に解釈したり、それに執着してしまうという事に、警鐘を鳴らして下さっています。

そして、更にそこから「俺様こそはこのような体験によって真髄を得た、現代の仏陀だ、あがめよ」と、慢の煩悩燃えさかる所業をしでかす可能性もあります。

前回、だいやめさんとプラユキ・ナラテボーさんの、慢の煩悩に効く妙薬の話をしましたが、その話にも通ずるところでありましょう。



参照記事:「慢心・慢の煩悩燃えさかる私|プラユキ・ナラテボーさんとだいやめさんに学ぶ仏教の智慧」



とにもかくにも、日常生活を営んでいて、非日常的な事柄、神秘的な事柄や、「は!」と何かに気づいた時、それに執着したり、勝手な解釈をもってして真髄としてしまう事があります。

こうして偉そうにのたもうておる私にも、度々御座いますし、今もやってしまっております。



そういった時、勝手な解釈によって真髄とした事柄に執着せぬよう、それを解体する事によって、執着や慢の煩悩から離れる事に繋がる事、それが「定期的にきちんと師に尋ねること」です。

だいやめさんが仰るには、「参師聞法」ということですね。



私も、何度もそうやって導いて頂いております。

そこで、私の実体験を話しますと。



私は以前、増上寺の別時念仏会にて「禅語や禅の本も読むようになりましてね。坐禅もするようになりました。」という話をお坊さんにしたことがありまして。

そこで、曹洞宗のお坊さんとも交流があるお坊さんから、「独りよがりの禅(野狐禅、あるいは生禅と言うそうです)になる危険もあるから、注意しないと。」と、教えて頂いた事があります。



また、以前に話したことがありますが、慈愍観をして苦を感じた時、交流のある黄檗宗のお坊さんにその事を話して、色々と指導して頂きました。

参照記事:「スクール・ナーランダ、ごえんさんエキスポに参加した感想体験談|お坊さんに導いて頂く」



恐らく独りよがりに続けていたら、それこそ瞑想難民的な事態に陥っていたり、野狐禅突っ走りということになっておったことでありましょう。

そういう体験からも、きちんと師に教わる事、そして、一人で坐っている時、瞑想している時、日常において掴んだ事柄を記憶・記録し、それを定期的に師にたずねる事は肝要であると、頂いております。



現在は、動画でも坐禅の仕方や瞑想の仕方を学ぶことが出来ます。

それはそれで有り難いのですが、仏教の実践、坐禅や瞑想の実践は、必ず一度は師に教わり、出来れば定期的に教わりに行く事が望ましいと、私の体験からも申し上げるところに御座います。



ああ、そうか、もしかしたら、こうして一人で学び実践しやすくなったという環境も、瞑想を知る機会が増えた反面、独りよがりの瞑想なり坐禅なりの実践によって瞑想難民も増える、という要素となっておるのかな、と、書いていて思いました。

定期的に通い、現在地を知り執着を解体する

今回は、プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想会、京都で定期的に解されている「春の関西瞑想会in京都」のお知らせと、定期的に通う意味について、私の体験を踏まえてお伝え致しました。

そして、定期的に瞑想会や禅会に通う事の大切さについては、だいやめさんの話を引用させて頂きました。



毎度毎度、「瞑想会、仏法を学び実践するならば、きちんと伝導できる師の元に定期的に通うことが望ましい」と、申し上げております。

そうする事によって、だいやめさんが仰るように、気づいたことに執着して、そこから慢の煩悩を燃やしたり、勝手な解釈で「真理を得た!」と勘違いする事も解体出来ましょう。



それに、定期的に参加したり、師にきちんとたずねる事によって、自身の現在地も見えてきます。

地図があっても、現在地が分からなければ、どちらに進んでいけば良いのか分からない、という喩えがありますが、まさにその如しであります。



現在地を知り、勘違いしていることや執着を解体する。



「人生死ぬまで勉強」とはよくいったものですが、仏道を歩む、仏法を頂く、という事も、そのような事かも知れませぬ。





尚、プラユキ・ナラテボーさんの瞑想会について、過去にお伝えしている話を読んで頂ければ、文字から雰囲気を想像して頂けるかと存じます。



参照記事:「プラユキ・ナラテボーさんの瞑想会・新春の瞑想と対話の会@京都|参加体験談」

参照記事2:「プラユキ・ナラテボーさんの瞑想と対話の会in京都|善友との善き縁と自己牢獄から一歩脱するヒント」

参照記事3:「プラユキ・ナラテボーさん「お話と瞑想の会・京都」前編|参加した体験談と感想文」

参照記事4:「プラユキ・ナラテボーさん「お話と瞑想の会・京都」後編|食事とお茶の瞑想、後、懇親会」



また、予習的にプラユキ・ナラテボーさんの本を読まれてから参加されると、瞑想会にて、より理解が深まるかと存じます。

アーナーパーナサティは、「自由に生きる」に書かれております。



参照記事:「マインドフルネス瞑想をするなら読んでおきたい3冊の本」

参照記事2:「「脳と瞑想」から「意味付けの中継地点」を学ぶ|自己啓発の不十分な点を補うプラユキ・ナラテボーさんと篠浦伸禎さんの良書」

参照記事3:「「仕事に効く!仏教マネジメント」(プラユキ・ナラテボーさん著)はビジネスと人生の妙薬書|一項目だけ紹介します」



と、長々と話して参りましたが、関西瞑想会に参加される方と、午後から会えましたら、有り難き御縁に御座ります。





合掌、礼拝

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