丁寧な暮らしがマインドフルネス瞑想で実現しやすくなる理由|プラユキ・ナラテボーさんの瞑想から気づいた事

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



前回にて、プラユキ・ナラテボーさんが紹介された記事と、そこからプラユキさん直伝の「仏法に則った食生活がダイエット効果あり」という話をしております。
ダイエット効果などのゲインを求めすぎるのは考えものですが、娑婆世界にいると、どうしてもゲインに目が行きますから、仏法に触れるきっかけとしては、一つの道であるという思いもありますがね。

参照記事:「下手なダイエットプログラムより仏教の智慧|身心とお金を消耗しないプラユキ・ナラテボーさんによる食の教え 」



プラユキ・ナラテボーさんは、タイのスカトー寺と日本で、様々な悩みを抱える人達の相談にのり、仏教・仏法の智慧を用いて、抜苦世楽(ばっくよらく)を為されているお坊さんです。

私も、直接プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想会に参加して、抜苦世楽の智慧を頂きましてね。

その活動の一環で、プラユキ・ナラテボーさんは定期的に「マインドフルネス瞑想会」を、各地で開催して下さっています。

主催者は、プラユキ・ナラテボーさんを支援する有志の方ですがね。



プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想会にて、手動瞑想や呼吸瞑想、歩行瞑想などを生活の中に取り入れ続けて、ふとした時に気づいた事が御座います。

今回気づいた事というのは、「丁寧な暮らしは、マインドフルネス瞑想によって実現する」という事です。



あくまで私が頂いた体験ではありますが、丁寧な暮らしに関心があるあなたにとっては、一生涯にわたって使える智慧となる話です。

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丁寧な暮らしに繋がる、私が日常的にやっているプラユキ・ナラテボーさん直伝のマインドフルネス瞑想

私は、禅寺で坐禅を習ったり、プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想会に直接参加して、直接指導を賜った経験が御座います。

その事については、以前にお話ししています。

参照記事:「不安解消に効果があるマインドフルネス瞑想を体験してきました」

参照記事2:「うつ病で休職時に不安だった時に読んだ本|「苦しまなくて、いいんだよ(プラユキ・ナラテボーさん著)に救われた体験談」



実は、この話を執筆している時期は、プラユキさんのマインドフルネス瞑想会に、また参加させて頂ける御縁を頂いておりまして、楽しみにしている時期でもあったりして。



プラユキ・ナラテボーさんから直接伝導して頂いた瞑想は、「呼吸瞑想・歩行瞑想・手動瞑想」です。

詳しいやり方は、こちらで動画入りで解説しております。

参照記事:「マインドフルネス瞑想の簡単な方法|プラユキ・ナラテボーさんの手動瞑想と応用」



私は、手動瞑想を毎日行っておりまして、生活の中に組み込まれております。

また、うつ病のリハビリとして続けているウォーキングやロードワークも、「歩行瞑想」を活用しております。

これは、プラユキさんも気をつけて伝えて下さっている事で、「日常に戻ったら、苦も元通り」なんて事にならないように、日常生活でも手動瞑想を続けております。



こうして、マインドフルネス瞑想が毎日行う習慣となったこともあってか、日常の中で、ふと気づいた事がありましてね。

しかもその気づきは、本当にふとした時、なんとなく過ごしてしまいそうな場面で起こりました。

マインドフルネス瞑想が丁寧な暮らしに繋がると気づいた日常の場面

私が、マインドフルネス瞑想が、丁寧な暮らしに繋がると気づいたのは、珈琲を飲もうとした時の事です。



私は、珈琲を台所の戸棚に収納しておりまして、その戸棚は私よりも背が高い位置にあります。

手を伸ばせば届く範囲ではありますがね。



ある日、いつもは「なんとなく」の動作で、特に注意深くもなく、意識もせずに、珈琲を戸棚から出して、珈琲を作って飲んでおったものです。

そんな時、ふと「喫茶去(きっさこ)」と共に、「マインドフルネス瞑想をこの場でやってみるとどうなるか」という事を考えたのです。



そこで、戸棚の前で、珈琲豆が入った瓶を戸棚から出して、テーブルに置くまでの動作を、「ぱっぱっぱ」と気づいてやってみることにしました。





そうすると。





戸棚に手を動かすときに「ぱっ」、戸棚に手を掛けた時に、「きちんと両手で開け閉めする」という選択肢に気づきました。

そして、両手で戸棚を「ぱっぱっ」と気づきながら開きまして。



その次に、珈琲豆が入った瓶を、右手で「ぱっぱっ」と気づきながら手で掴んだときの事です。

「落とさないようにするためには、両手で丁寧に持ち、置くときも割らないように、両手で丁寧かつ静かに置く事」という選択肢に気づきました。



そして、その選択肢を「自らに由って採用」し、「ぱっぱっぱっぱ」と気づきながら、両手で瓶を戸棚から、静かにテーブルに両手で奥までを、きちんと気づきながら完遂致しました。



この時に、「プラユキさんから教わったマインドフルネス瞑想・気づきの瞑想は、丁寧な暮らしを実現する智慧でもある」と、感謝し尊んだ次第で御座います。
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マインドフルネス瞑想による気づきの智慧は、生活の中で活かされ丁寧な暮らしを実現していく智慧

私は、このことに気づいてから、生活の中全てにおいて、この智慧を行かせると言う事を直観致しました。



例えば、食事の時。

食事の際には、丁寧かつ綺麗に食事をする事にも繋がります。



あなたは、食事の時って、注意深くというと変かもしれませんが、漫然と食事をしていませんかね。

テレビを観ながら、あるいはスマートフォン片手に、食べているものや箸の動きを全く気にせずに、毎日食事していませんかな。



忙しくて、食べながらでもメールを確認しなければいけない、という事もありましょうけれども、衛生的にも、食生活においても、丁寧な暮らしという観点から見ても、それは宜しくないかと存じます。

各々の事情があるから一概には否定出来ませんが、一緒に食事をしている人がそのような姿勢・態度であると、私は「この人は丁寧な暮らしをしていない可能性が高い」と先入観を持ちかねません。

また、会食の時であるならば、相手をないがしろにしている行為ですし、食に対しても意識散漫であり、とても丁寧な暮らしの実践者とは思えないものです。



私は、丁寧な暮らしを心がけていることもあり、食事の時も、「丁寧に意識する事」を実践しております。

具体的に申しますと、食べる時は、茶碗をきちんと両手で持ち、左手に持ち替えて、箸を持って・・・と、動作を意識的に繋げています。



もちろん、完全に出来てはいませんし、今も意識が散漫してしまっている事ばかりです。

ただ、「今、きちんと茶碗を持っているだろうか?」と気づく事が、以前よりも徐々に出来るようにはなってきていることを自覚しております。



マインドフルネス瞑想・気づきの瞑想との御縁がなければ、ここまできちんと意識して、食事の動作も、また食との関係も問う事に気づけなかったであろうと、頂いております。



食事に限らず、例えば「扉は両手で、最後まで閉め切るまでドアノブから手を放さない」など、このような場面にも活用出来ます。



マインドフルネス瞑想・気づきの瞑想が、いかに丁寧な暮らしに直結する智慧であるか、このような実例からおわかり頂けたかと存じます。

丁寧な暮らしが実現出来るマインドフルネス瞑想の効果を言語化すると「気づきの装置」が備わる事にあり

日常生活において、マインドフルネス瞑想・気づきの瞑想を取り入れるようになって、感じている事として、このような事が御座います。



それは、マインドフルネス瞑想により、以前よりも「日常の中で気づく事、気づいた後に意識的に生きるようになっている事」です。



私は仏教と再会してから、坐禅会や別時念仏会の御縁も賜り、そして現在はマインドフルネス瞑想・気づきの瞑想も頂いております。

特に、マインドフルネス瞑想・気づきの瞑想を頂いてからは、「気づく事」に敏感になってきているんではないか、という感覚感性も備わった感が御座います。

少なくともマインドフルネス瞑想・気づきの瞑想を、プラユキ・ナラテボーさんから伝導して頂く前よりも、明らかに変わっているという実感が御座います。

上でお伝え致しました、戸棚からコーヒー豆を取り出す時や、扉の開閉を意識的に丁寧にするようになったのも、マインドフルネス瞑想の一助でありましょうからね。



そしてそれは、ただマインドフルネス瞑想会の場だけの話にせず、日常の中にきちんと取り入れたことも、大いに関わっています。



そうして培われた感覚感性を、私は「気づきの装置(サティ・デバイス)」と呼ぶ事にしました。



「気づきの装置(サティ・デバイス)」は、私の造語です。



これは、仏教・仏法には、暴走しないための安全装置が盛り込まれている、という釈徹宗さんの話と、その事を実感として持っている私の感覚感性をヒントにした造語であります。

この「気づきの装置(サティ・デバイス)」を増やしたり感度を良好にしていく仏道修行が、マインドフルネス瞑想・気づきの瞑想である、と言うのが、最近の私が到達した地点であります。



そして、「気づきの装置(サティ・デバイス)」の数が増えて、感度も良好であり続ける事は、丁寧な暮らしを保つ上でも、非常に重要な事柄に御座います。



今回の例で言いますと、珈琲の瓶をテーブルに置くという動作一つとっても、珈琲の瓶も割らずに、テーブルも傷つけない、そして騒音をまき散らさないという、丁寧な暮らしに繋がります。

食事の時も、食事中の動作一つ一つに「気づきの装置」が上手く働いている状態では、茶碗や箸も落としませんし、動作・所作も綺麗なものです。

もちろん、土台となる動作なり所作の訓練を、きちんとしてある状態で、という事が前提ではありますがね。

その前提を訓練する上でも、「気づきの装置(サティ・デバイス)」が良好であるならば、動作の習得も良い影響がある事は、自ずと把握出来るかと存じます。



マインドフルネス瞑想・気づきの瞑想で培われた「気づきの装置(サティ・デバイス)」は、丁寧な暮らし野実現に直結する、ブッダの教えに則った大切な智慧に御座います。

丁寧な暮らしを支えるマインドフルネス瞑想は「おもてなし」に繋がる

丁寧な暮らしを支える仏教の智慧、マインドフルネス瞑想は、東京オリンピック誘致で話題になった「おもてなし」にも繋がります。



これは、例えば料亭など、ちょっと高めの料理店であったり、気持ち良く過ごせる友人の家を想定して頂ければ、自ずと分かるのではないかと存じます。

あなたのご友人にも、こんな人はいらっしゃいませんかね。



「この人に招待されたら、気持ち良く過ごせる。」「この友達は丁寧にもてなしてくれるから、もの凄く快適で気持ち良い時間を過ごす事が出来る。」



これには、お客様に対して、どのように快適に過ごして頂くか、という事に対する感度が高く、細かいところまで気がつくから成せる事と言えます。

よく「どこどこの店はサービスがいい」と言う話がありますが、そこにはお客様に対して、どこまで多くのことを深く気づく事が出来ているか、と言う事も関係しています。



この「より多くのことに、より深く気づくこと」は「おもてなし」に繋がるわけです。



それには、「気づきの装置(サティ・デバイス)」が訓練されていると、より善き縁となる実現の仕方になることは、自ずと把握出来るかと存じます。

そしてそれは、マインドフルネス瞑想・気づきの瞑想によって、丁寧な暮らしを実践していく事で、日常生活において磨かれていきます。



これは、下手なマインドセット論や自己啓発セミナーであったり、マナー教室に通うよりも、費用対効果は絶大でありましょう。

マナー教室を否定はしませんがね。

ただ、マナー教室に通うのであれば、気づきの瞑想と丁寧な暮らしの実践という土台があった方が、より身につきます。

教えられるマナー一つ一つを、より深く学べる智慧を、日常の中で培っているわけですから。



丁寧な暮らしは、マインドフルネス瞑想・気づきの瞑想にて実現しやすくなる。



今回話してきたことで、その事を理解し、あなたが丁寧な暮らしを実現していく一助となりましたら、嬉しゅう御座います。



尚、今回の話と関連して、こちらと併せて学んで頂くことで、よりマインドフルネス瞑想による丁寧な暮らしを実現する力を養えます。

プラユキ・ナラテボーさんの本とマインドフルネス瞑想会では、その智慧を頂きつつ、瞑想難民にならない智慧も頂けます。

参照記事:「プラユキ・ナラテボーさんとヒビノケイコさんの対談動画から学ぶ|自己啓発で消耗している場合ではない」

参照記事2:「マインドフルネス瞑想の効果|日常で活かされた3つの体験」

参照記事3:「マインドフルネス瞑想の3つの注意点と解決方法|瞑想で消耗しないために」

参照記事4:「マインドフルネス瞑想入門にプラユキ・ナラテボーさんの本や講座が良い2つの理由」



仏教・仏法を頂いたり、仏道修行は、ゲインを求めすぎて行うものではない、と言うのが私の頂き方です。

しかし、娑婆世界で生きていれば、どうしてもゲインを求めてしまう傾向があります。

とっかかりとしては、ゲインを求める方向性から始めるのも良いでしょう。



続けるうちに、どこかで、その事に「気づいて自らに由り方向転換をする」という智慧を頂く事が肝要で御座います。





合掌、礼拝

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