龍谷ミュージアム特別展「地獄絵ワンダーランド」に行って来た感想文とまつわる京都の寺

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



2017年11月3日(金)、文化の日に、かねてから行こう行こうと思うておりました、龍谷ミュージアム特別展「地獄絵ワンダーランド」に、行って参りました。


地獄展と言えば、今年は恵心僧都・源信和尚の1000年忌という事で、奈良国立博物館にて開催された「1000年忌特別展「源信 地獄・極楽への扉」」にも、行って参りましたことを、報告しております。

夏に続いて、秋も地獄巡りをするという、なんとも今年は地獄と縁のある年に御座ります。



参照記事:「奈良国立博物館「源信:地獄・極楽への扉」となら仏像館の感想文|待ち時間なく混雑も無かった平日の観覧」



今回行って参りました龍谷ミュージアム特別展「地獄絵ワンダーランド」は、母校のミュージアム・博物館に、一度行ってみたかったというのも叶いまして。

龍谷ミュージアム特別展「地獄絵ワンダーランド」は、規模は奈良国立博物館よりも小規模ではありましたが、水木しげるさんの地獄絵本の絵も閲覧出来て、なかなかに趣が御座いました。



そういうわけで、今回は龍谷ミュージアム特別展「地獄絵ワンダーランド」の感想文と題しまして、お送り致します。



また、折角ですから、京都で地獄にまつわるお寺さんも、2か寺ほどお伝えすると致しましょう。

京都観光の際、パワースポット巡り(パワーレススポット巡り)や、神社仏閣巡りの参照になれば、幸いに御座ります。

スポンサーリンク

龍谷ミュージアム特別展「地獄絵ワンダーランド」の概要

かねてから、行きたい行きたい、行こう行こうと思うておりました、龍谷ミュージアム特別展「地獄絵ワンダーランド」。

2017年11月3日の文化の日、やっと行って参りましたが、その概要をさらりと最初にお伝えしておきます。



展示入場料は1200円で、龍谷ミュージアムの2階と3階が会場です。



私はまず、3階から観覧致しました。



3階に行きますと、作務衣を着た若きお坊さんらしき人が観覧されていて、おお、と思いながらも観覧を開始。

「ようこそ地獄の世界へ」という展示コーナーには、往生要集と和字絵入往生要集が展示してあります。

六道絵や地獄草紙もありまして、仏教を少しかじっている人ならば、六道絵を見て、ピンっとこられるかもしれませんね。



「地獄の構成メンバー」では、地獄と言えば超有名な閻魔大王(閻魔王)や、十王の坐像や絵が展示してあります。

この辺り、「鬼灯の冷徹」を読まれている人ならば、よくご存じの事かと思います。

ただ、「鬼灯の冷徹」のイメージを、かなり覆される人もいらっしゃるやも知れませんがね。



ちなみに、私が考える地獄の構成メンバーは、以下の通りです。

「地獄少女・閻魔あい」「鬼灯様」「地獄のリョー」「地獄のミサワさん」



十王の坐像は、間近で観ると迫力があると言いますか、趣を感じたもので御座います。

地獄絵図や、十王の絵をよく見ると、地蔵菩薩のお姿も見つける事が出来ますから、「地蔵菩薩を探せ」的なノリで眺めてみるのも、よろしゅおす。



私、いつも地獄の絵でお地蔵さんを観る時に思うのですが、地獄において地蔵菩薩の救いが描かれているところに、なんでしょう、こう、それでも見捨てきらない救いと言いますか、上手く言えませんが、何かを観じております。



3階の展示物を全て観覧し、続いて2階へ進むと、水木しげるさんの地獄絵本の絵が展示してありました。



水木しげるさんの地獄や仏教の絵と言いますと、私は東京都にある浄土真宗本願寺派のお寺さん「覚證寺(かくしょうじ)」にある「二河白道」の絵を連想致します。

覚證寺は、水木しげるさんのお墓があるお寺さんであり、そこに水木しげるさんが描かれた、鬼太郎達も登場する「二河白道図」が御座います。

以前、東本願寺で御法話頂いた時、その時のお坊さんに教えて頂きましてね。

水木しげるさんが描かれたと言う事で、興味惹かれる方もいらっしゃることでありましょうが、「二河白道図」それ自体、なかなかに奥深き絵であると、私は頂いております。



その他、2階の展示は「あこがれの浄土」というコーナーが御座いまして、地獄の事だけではなく、極楽浄土にまつわる展示も御座います。

毎日お念仏申し上げている私としましては、このコーナーに注目したものであります。

阿弥陀三尊来迎図の刺繍や、阿弥陀如来と諸菩薩の来迎図など、思わず「南無阿弥陀仏」と称えながら、合掌してみたり。



龍谷ミュージアム特別展「地獄絵ワンダーランド」の概要は、大体、このような感じです。



ちなみに、祝日と言う事もあってか、そこそこ混雑しておりました。

「地獄」という物語の存在意義を考える

奈良国立博物館の「源信 地獄・極楽への扉」に続いて、龍谷ミュージアム特別展「地獄絵ワンダーランド」も観覧しました、地獄と縁のある今年の私。

今回、龍谷ミュージアムにて地獄巡りをして見て、改めて「地獄」について、考える機会と相成りました。



地獄というと、やはりなんと言いますか、「恐ろしい」「怖い」「閻魔様に舌を抜かれる。」とか、痛くて怖いというイメージが御座います。

私も、「嘘をついたら地獄で閻魔様に舌を抜かれちゃうよ。」と、言われて育ったもので御座います。

もっとも、これは日本の地獄事情でありましょうがね。

海外の地獄は、また違った様相でありましょう。



様相は違えど、「地獄」という、「悪い事をすると落ちる・堕ちる世界」の物語が、色々な土地で連綿と語り継がれているという不思議。

そして、現代の科学や人文学が蓄積されて発展している世においても、これほどまでに、「地獄」という物語は存在しているのであろうか。



もうね、なんだかこう、「地獄信仰・地獄信奉」と言いましょうか、地獄という物語が信仰されている、そんな気配を感じることも御座います。

この事に、私は興味惹かれるところであります。



一体、何故に、ここまで「地獄」という物語が受け継がれてきたのか。

源信和尚が事細かに記された「往生要集」にある地獄の様相が、極楽浄土の様子と共に、現代社会まで語り継がれているのか。

そして、現代において「地獄」の物語を語る意味、「地獄」の存在意義とは何か。



色々とありますし、一言では申すことが出来ない、大きなテーマではありますが。



ここで一つだけに絞って申し上げるならば、あくまで私個別の見解に過ぎませんが、私は「地獄という物語や世界観は、一種のブレーキや戒めとして働いてくれる」と、考えております。



個々において、どれだけ「地獄」という物語を採用し、信仰するかによって、ブレーキの強度も変わってきますから、一概には言いにくいのですがね。

ただ、私は「地獄」の物語は、一種のブレーキとしての働きもあろうかと、見出しております。

と、言いますのも、まず、地獄に落ちる条件を考えて見れば、自ずと見えてくるかと存じます。



地獄に落ちる人って、どんな人でしょう。



よく言われるのが、「悪人・悪業を為した人が、死後、地獄に落ちる」という話です。



例えば、偸盗(盗む事)をやらかした者は、現世での寿命が尽きた時、それ相応の罰を与えられる地獄に落ちる等、よく言われます。

「嘘をついたら、閻魔様に舌を抜かれちゃうよ。」というのは、典型的な地獄に落ちる条件でありましょう。

最も実際の様相は、舌を抜くのは閻魔大王ではなくて、獄卒と呼ばれる鬼の仕事らしいのですがね。

また、色恋沙汰でやらかした人でしたら、衆合地獄というところで、針山を行ったり来たりを繰り返すという罰を行ずる羽目になります。



とにもかくにも、「悪業を為した者」は、亡者となって地獄に落ち、獄卒に延々と痛い目に合わされる、という寸法です。

ゆえに、「悪い事をしたら地獄に落ちる、そんなのは嫌だ。」という事になり、悪業を為さんように戒める働きとなる。



このように、「地獄」の物語には、こういう「悪業を為さないためのブレーキ」という役割もあろうと、私は龍谷ミュージアムにて地獄巡りをしながら、改めて考えたもので御座います。



仏教には、「自業自得」「善因善果・悪因悪果」という教えが御座います。

地獄の場合は、「悪因悪果・悪業を為した者は自らが悪業を為した報いを得る」という事になりましょう。

そして、この「地獄」の物語や世界観、思想が、ブレーキとして機能すると、「この行いは、地獄行きになってしまうだろうか?」と、一歩立ち止まる機会となる事もなり得ます。



考え無しに行動する、なりふり構わず悪業を為すという事に、ブレーキとなって立ち顕れる「地獄」という物語



「悪い事を設楽地獄行き」というのは、大切なブレーキとしての役割を担ってきた物語のような気が致します。

スポンサーリンク

「地獄」や「お天道様」というブレーキ的な物語が薄らいでいるように感じる現代社会

「地獄」という物語によって、悪業を戒めるブレーキが働くという心の作用。

これは、私も言われて育った事なのですが、「お天道様が観ていらっしゃる」という話にも、通じるような気が致します。



あなたも、こういう事を言われたことって、御座いませんかな。

「誰も観ていないと思っていても、お天道様がちゃーんと観てるよ。」と。

タイが曲がっていたらマリア様が観ているそうですが、善行悪行はお天道様が観て下さっているようです。

私の場合でしたら、阿弥陀仏、仏の目に観て頂いている、というところです。



ただ、現代社会、合理主義的な現代の娑婆世界においては、この「お天道様が観ている」という話を、真剣に聞いて下さる方は、どれくらいいらっしゃいましょうかな。



あなたは、どうでしょう。



私が、「誰も観ていないからといって、お天道様が、阿弥陀様が観ていらっしゃり、業は背負わんといかんのですよ。」と言うて、素直に聞かれましょうか。

「バカな事を言っているおっちゃんがいる。」とか「キモい宗教野郎がいるぞ。」と、馬鹿にしたりしませんかね。



物質主義的で合理主義、更にそこに利己主義や我利が重なってしまうと、もう、聞く耳持たれん事でありましょう。

「いや、地獄なんてないし。」「地獄を証明して観ろ、出来ないだろ、はい論破。」と言われるのがおちではないかとも思います。



もちろん、「地獄を信じない宗教」も、一つの宗教・信の形ですから、否定は出来ません。

こういった伝承であったり、地獄の物語を採用せずにズンズンと事を進めたからこそ、成しえたことも御座いましょうし。



ただ、ただですね。



現代社会では、ところどころで、「あまりにもブレーキが利かなくなっている、そもそもブレーキすらないのではないか」という諸行が散見していると、感じる事が御座います。



そりゃあね、現代だけに限った話では無く、江戸時代であったり中世でも古代でも、そういう悪業を平気でやらかす輩はおったでしょう。

しかし、現代社会においては、それが見えやすく広まりやすいために、余計に感じる事も御座いましてね。



平気で、ちょっとヘマをやらかした人を、晒し揚げてアホ呼ばわりしたりとか。

TwitterやFacebookなどでの言説や、口げんか的な事もそうですし、オンライン上の事だけでなく、ちょっとクラクションならされて口論になって、等々。

人様が時間・労力をかけて取材もして創り上げた話を、平然とコピーペーストして我が物顔で自身のブログに掲載するとか。

「先駆的な活動だ!」「先行者だから!」と自分都合の良いわけを並べて、人様を巻き込む悪業をやらかす等々。



こういうことを平気でやらかす輩は、恐らく「地獄」や「お天道様」の物語も機能しておらんでしょうし、罪悪感がまともに機能してもおらんでしょう。

ちなみに、私はそれに付け加えて、決断したこと、実行したことや実行していることを顧みて検証・精査する理性と知性も乏しいのではなかろうか、と、私は邪推しております。




ポジティブな自己啓発系の「マインドブロックを外す・壊す」と共に、ブレーキも壊わすという怖さ

現代社会、特にポジティブな自己啓発系の話が好きな人で、それに感化された人は、行動的です。

こういうポジティブな自己啓発系の話は、行動・活動するために「マインドブロックを外す」という事が言われます。



確かに、活動する事、行動する事は大切でありましょうし、それは否定致しません。

あまりにもがちがちな「マインドブロック」も、確かに具合が悪いでしょう。



ただ、あまりにも「マインドブロックを外すことが大切だ」という事を盲信したり、歪曲した解釈の元、都合良く勘違いしてしまっている人もいらっしゃいませんかな。



マインドブロックと共に、一線を越えてはならぬためのブレーキも勢い余って壊してしまっているケースもあるのではなかろうかと、私は懸念しております。



マインドブロックを外すのも、時には必要で御座いましょう。

ただ、悪業に手を染めぬブレーキまで壊してしまうのは、自他共に地獄まっしぐらとなってしまいかねません。

ブレーキをきちんと保ちながら、上手にマインドブロックとやらを外す術を、身につけて欲しいものです。



その「ブレーキ」となる部分を担う一つが、「地獄という物語」であると、私は考えております。



現代社会において、なかなか地獄を信じる事は難しいかもしれませんが、「地獄に落ちないための心がけ」は、持っておいても良いのではないか、と思います。

最後に「地獄」に関連する・まつわる寺院をご紹介:京都観光の参考にして頂けましたら

今回は、龍谷ミュージアム特別展「地獄絵ワンダーランド」に行って来て、その感想文と共に、ちょいと抽象的な話を展開致しました。

私の伝え方が下手な事も相まって、なかなかわかりにくい話であったかと存じます。



最後に、分かりやすい話をしておいて、ご勘弁頂く事に致します。

ご勘弁頂けましたら、幸いに御座ります。



わかりやすい話として、「地獄」にまつわる京都の寺院を、2か寺紹介して、締めくくると致しましょう。

京都観光案内と言う事で、あなたの京都観光に役立てていただけましたら、嬉しゅう御座います。



紹介致します一つ目のお寺さんは、「矢田寺」です。



これは、京都の三条寺町にあるお寺さんで、宗派は西山浄土宗です。

「矢田寺」と言いますと、奈良県にある真言宗のお寺さんが有名かと存じますが、京都にある矢田寺は西山浄土宗のお寺さんです。



西山浄土宗と言えば、矢田寺から歩いていける距離、南に少し歩いたところに、誓願寺も御座いますから、あわせて参拝されると宜しいかと存じます。





矢田寺は、私は誓願寺と共に、MOVIX京都で映画を観た後に参拝する習慣がありましてね。

先日は、24時間不断念仏会の会場である清浄華院へ向かう途中で、矢田寺に立ち寄りました。



参照記事:「第6回24時間不断念仏会in京都の清浄華院(浄土宗)前編|京都御苑の東で南無阿弥陀仏」

参照記事2:「第6回24時間不断念仏会in京都の清浄華院後編|悪人の自覚から逃れられぬ者を救う教え」



矢田寺のご本尊は、浄土宗の寺院ゆえに阿弥陀三尊かと思いきや、地蔵菩薩です。

地蔵菩薩と言えば、地獄絵図の中に登場する菩薩様ですな。



ちなみに、ということで、補足情報をば。

矢田寺では12月23日、クリスマスシーズンの時期に、「かぼちゃ供養」が行事られます。

ハロウィンじゃあ御座いませんぜ。



また、この矢田寺では、お盆(京都では8月にお盆が御座います)の時期、8月16日の送り火の日に、「送り鐘」を叩くエトス(行為様式)が御座います。



「送り鐘があるなら、迎え鐘もあるのでは?」と、思われたあなた、鋭い。



お盆の時期の「迎え鐘」があるお寺さんが、次に紹介致します「六道珍皇寺」です。

ここは、「歴史秘話ヒストリア」でも紹介されたり、その他のテレビ番組でも紹介されていますから、ご存じの方も多いかと思います。







ここには、地獄に通じるという伝説の井戸があって、小野篁という人が、その井戸を使って、地獄と現世を行き来していたという伝説も有名ですな。

「鬼灯の冷徹」では、存命時代に鬼灯様と顔合わせして、地獄の仕事を手伝ったことから、寿命が尽きてからは地獄で働いているという設定の人です。



「六道珍皇寺」の宗派は臨済宗建仁寺派で、ご本尊は薬師如来です。



京都で地獄にまつわる寺院を巡るならば、この二つは抑えておくと宜しいかと存じます。



合掌、礼拝

スポンサーリンク