「させていただく」「お育ていただく」の3つの効果|謙虚な姿勢を育む智慧なり

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。

前回は、真宗・浄土真宗僧侶の御法話にて、たびたび伝えた頂いている「させていただく」「お育ていただく」という表現について、お伝えしております。
まだ読まれていない方は、一旦そちらをお読み頂いてから戻ってきて頂く事で、より深い学びとなりましょう。



参照記事:「仏教(特に真宗・浄土真宗)に学ぶ謙虚な在り方|自称コンサルタントや指導者は3回読むべし」



「させていただく」や「お育ていただく」という表現は、国語の問題としては間違いかも知れませんが、生きる姿勢や在り方としては、謙虚に生きる智慧であると、私は頂いております。

お、早速使っておりますね、「私は頂いております」と。



現代の娑婆世界で生きる人にとっては、「それが何の得があるんだ?」とか「意味あるの?」と、ゲイン(得られるもの)が気になるところでありましょう。

仏教的には、あまりゲインを求めすぎるのもどうかと思いますが、娑婆世界で生きていく上では、どうしても気になるものであるというのが、人情でありましょうからね。



今回は、前回の話から一歩踏み込んだ事を、私も実際に学び実践させて頂いている事を、お伝え致します。

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「させていただく」「お育ていただく」についてのおさらい:御縁や関係性について

「させていただく」や「お育ていただく」という表現について、前回で詳しく解説しておりますが、さらりとおさらいだけしておきましょう。



特に浄土仏教、真宗・浄土真宗の色が濃い場所や人がよく使われる「させていただく」や「お育ていただく」という表現。

これは、「他力(たりき)」、阿弥陀仏のお働きやお導きが前提としてあります。

阿弥陀仏の光明が、すでに届いているがゆえに、すでに私は孤立していませんよ、ということです。



また、親鸞聖人は、このような言葉を遺して下さっています。

一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり。

※「御臨末の御書」より引用

浄土仏教以外にも、実はこのことを念わせて頂く、孤立しておらず、見守って頂いていると言う事を感じられる言葉が御座います。



四国八十八カ所巡り、「お遍路」をご存じならば、「同行二人」という言葉をご存じではありませんかね。

笠に書かれている事が多いのですが、これは弘法大師と共にあり、という意味で解釈されている言葉です。

お遍路で、弘法大師と共に巡っておりますよ、という意味ですね。



仏教においては、このような他力であったり、常に他者(阿弥陀仏や親鸞聖人や弘法大師など)に見守られているという背景が御座います。

ここに私は「御縁・関係性を意識させて頂く智慧」を見出しております。



このような背景がある「させていただく」や「お育ていただく」という表現ですが、それを現代社会に応用すると、どのように活用出来て効果があるのか。



人は社会生活を営む上で、他人・他者と関係する事になります。

そもそも社会という構造は、他者との関係性の上に成り立っています。

そして、「させていただく」も「お育ていただく」も、他者あってこその言葉です。

娑婆世界、社会の中で生きていく上で、他者との関係を無視出来ない構造である以上、他者あってこその表現は、他者を意識させてくれる言葉でもあるのです。



他人・他者との関係を大切に、という事が叫ばれる社会において、この表現をきちんと頂いて生きると言う事は、宗教的な意味抜きにしても、効果があるということは、感じて頂けるでしょうか。

「させていただく」「お育ていただく」を大切にすることによる3つの効果

「何何させていただく」や「お育ていただく御縁を賜り」などの表現。



この表現を意識的に大切に育む事には、社会生活を営む上で、有益な効果や得られる事も御座います。



仏教者としては、効果を我利我利と求めるのは、いかがなものかとも思いますけれども、とっかかりとして意味があるでしょうから、今回は得られる効果について、3つに絞ってお伝え致します。



「お、これは。」「確かにそれはあるかも」と、ピンとこられたら、試しに読み終えたその瞬間から、「させていただく」や「お育ていただく」という表現を大切に生き始めて頂ければ、嬉しゅう御座います。
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「させていただく」「お育ていただく」の効果1:他者意識を育み、関係性を意識できるようになる

「させていただく」や「お育ていただく」を大切にすることで、得られる効果の一つ目。



「他者意識や、関係の中で生きている事を意識できるようになる」



現代社会においては、やたらと「人間関係が大切だ」という言説を見聞きします。

あなたの周りにもいませんか、「人間関係を大切にしないといけないぞ。」とか言う人。

そして、「だから、飲みにケーションは大切だ。」「積極的に飲み会や交流会に参加しないと行けない」と、そういう事に繋がっていく事がしばしばありますがね。

私も、そういう説教を食らったことがあります。



飲みにケーションや飲み会、交流会参加はともかくとして、社会生活を営む上では、確かに他者との関係性を考え、大切にして生きていく事は、否定する事ではありません。

むしろ、他者との関係性、他者意識を育む事は、私生活でも仕事・ビジネスの上でも、大切でありましょう。

仕事やビジネスは、相手あっての事ですからね。



仕事やビジネスの話をしましたから、その現場を例にしますと、こういう事です。



ある仕事が発生した場合、その仕事には色々な人が関わっています。

何かの製品を作った場合、その製品に関わる全ての人がいて下さるからこそ、その仕事が出来るわけです。

ここには、エンドユーザー、最終的に購入して下さるお客様も含みます。

そのお客様が購入して下さるという目的があるために、その製品を作る過程に、自分も携わっているわけです。

ゆえに、こういう言い方が出来ましょう。



「この製品を、購入して使って下さる、お客様の御縁あってこそ、作らせていただいている。」
「この製品を作るという御縁を下さったお客様に、仕事やビジネスという形で、お育て頂いている。」



現代社会における仕事やビジネスでは、エンドユーザーが見えにくい現場も御座います。

そこで、「させていただく」や「お育ていただく」という表現を、きちんと洞察して意識する事により、お客様をはじめとした他者の介在も、自ずと意識できるように育んで頂けるのです。



「させていただく」「お育ていただく」という表現は、自分一人で完結する事ではなく、他者がいることが前提として使える言葉です。

他者が介在しているからこそ、使える表現であります。

人とあまり接する機会が無い仕事に従事している人は、意識してみては如何でしょうか、と、提唱する次第で御座います。

「させていただく」「お育ていただく」の効果2:謙虚な姿勢を育む

「させていただく」「お育ていただく」という真宗・浄土真宗の御法話でよく見聞きする表現が、育んでくれる事柄、得られる効果の二つ目。



「謙虚な姿勢を学び、謙虚な在り方を育んで頂ける」



これは、前回もお話ししておりますから、今回の話は復習としてつ買って頂ければと存じます。

参照記事:「仏教(特に真宗・浄土真宗)に学ぶ謙虚な在り方|自称コンサルタントや指導者は3回読むべし」



二つ目の効果は、前回の話に関連して、特にコンサルタントであったり、指導的な立ち位置にいる方に学んで頂きたい事柄に御座います。



例えば、あなたが企業にお勤めで、部下がいる立ち位置にいらっしゃると致しましょう。

そうすると、あなたはその部下の上司ですね。

上司であると、部下に対して仕事を振ったり、尋ねられた時に応えるという場面がしばしば出て来ます。



そんな時、あなたは「俺様が育ててやっているんだ」という上司か、「自分も部下を通して育ててもらっている部分もある」という上司か、どちらの上司になりたいでしょうか。

逆に、自分が部下であった場合、どちらの上司のもとで働きたいでしょうかね。

これは、各々の考え方や哲学、生き方によるでしょうから一概には言えませんが、少なくとも私は、「俺が育ててやっているんだ」という偉そうな上司のもとには、いたくありません。



上司と部下、先生と生徒の関係においては、確かに上司や先生が、部下や生徒に何かを教えている、という構造です。

それゆえに、教えている側が、ついつい偉そうにふんぞり返ってしまう、というケースも出て来ます。



その事について、法然上人も親鸞聖人は戒める教えを残して下さっています。

悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して

※教行信証より引用

これは平たく言うと「愛欲の海に沈んでしまっていて、悪口を言われたくないし、先生と呼ばれたい、という煩悩に苦しんでいる」ということです。



どうでしょう、「悪口は言われたく無いし、先生と呼ばれたら嬉しいなあ」と、そんな欲求って、ありませんか。

「嫌われる勇気が大切だ!」と豪語していても、「本当は嫌われたくない、でもこう言って格好付けておけば、格好良いと思って貰えるだろう」と思ってはいませんかね。

そしてあわよくば、先生だとか尊敬されるような言われ方をしたい、という欲求を潜在的に持っている人は、存外多いのではないかと私は思うております。



私もそういう欲求はありますし、おだてられたら樹にも駆け上る程の凡夫ですがね。



そういう気持ちがあると、上司として部下に接していたり、先生として生徒に教えていると、「俺が教えてやっている先生なんだ、先輩なんだ」という思い上がりが表出してきます。

それを戒め、謙虚な在り方を問うきっかけとなり、謙虚な姿勢を育んでくれるのが、「させていただく」「お育ていただく」という表現であり、その在り方なのです。



「部下が上司としての自己を育ててくれている」

「生徒が先生として教え方を学ばせて頂いている」



させていただく、お育ていただくという表現から、このような事を学び実践し、真に双方が進化し合える関係も、構築できることでありましょう。

「させていただく」「お育ていただく」の効果3:コミュニケーション能力向上

真宗・浄土真宗僧侶がよく使われる「させていただく」「お育ていただく」という表現から学べる事と、得られる効果の三つ目。



「コミュニケーション能力の向上」



これは、上記二つの事柄と密接に関係していることであり、流れを読めばすんなりと把握して頂ける事かと存じます。

他者との関係性をきちんと考慮し、謙虚に他者と関わる事を学べば、自ずとコミュニケーション能力も向上するであろう流れは、頷ける話ですからね。



他者を大切にし、「教えてやる!」ではなく「お育て頂いている」という謙虚な姿勢にて、他者に何かを伝える場合、自ずと伝え方も善い方向へ変わってきます。



「伝えさせて頂く」という在り方が育てば、「これをどのようにして伝えれば、相手はより理解しやすいだろうか?」ということを、脳細胞を使いまくって考えるようになります。

そうなれば、説明も上手になっていき、円滑なコミュニケーションが実現するという寸法です。



下手な自己啓発本や、伝え方がなんちゃらという本を読み漁るのも結構ですが、土台構築に「伝えさせていただく」という在り方が力となることは確かです。

意識改革だけではなく、姿勢や在り方そのものが調い、小手先だけの伝え方やコミュニケーションに関する自己啓発本やビジネス書よりも、よほど効果もありましょう。

「させていただく」「お育ていただく」により、責任を持ち謙虚な姿勢で生きる

「させていただく」「お育ていただく」という、浄土仏教でよく見聞きするこの表現が、どのような効果があるのか、ここまでの話でおわかり頂けたかと存じます。



最後に、私が日常の中で実践している事を一例としてお伝えしておきますから、あなたはあなたの日常において、応用して頂ければ嬉しゅう御座います。



私は、食事をする際に、「食を頂いている」「この食にこの身をお育て頂いている」という姿勢で、毎日の食を頂いております。

それを常に忘れぬように、食前には浄土宗の食前の言葉を、食後には浄土宗の食後の言葉を称えさせて頂いており、食前には仏壇に仏飯を備えさせて頂いてから、お下がりを頂くというエトス(行為様式)を続けております。



また、仕事においては、内職で現世利益(利益、収益のこと)を賜った時には、その都度合掌して「有難う御座います、南無阿弥陀仏」と頭が下がります。

そうすることで、「阿弥陀仏や色々支えて下さっている方の御縁に顔向けできない事はしない」という戒も、同時に頂いています。

ゆえに、無責任な事は出来なくなり、責任をもって内職をするようになっております。

私をお育て下さっている、お客様や仕事に、無責任な姿勢では取り組めません。



私は、「させていただく」「お育ていただく」の実践から、このような御縁を賜っております。



今回の話から、あなたご自身を顧みて、責任を持ち謙虚な姿勢で生きる事を、今一度問うきっかけとなりましたら、嬉しゅう御座います。



合掌、礼拝

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