御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。
この寺院(ブログ)では、プラユキ・ナラテボーさんの本について、何度かお伝えした事が御座います。
その中で、「悟らなくたって、いいじゃないか」という、魚川祐司さんとの対談本についても、触れたときがありました。
私は、この「悟らなくたって、いいじゃないか」という本は、瞑想をする人にとって、瞑想が迷走にならないための智慧やヒント、教えをきちんと学べる良著だと読ませて頂いております。
この本を読んだ後に、更に本で瞑想を学びたいという人は、その他の瞑想本もお伝え出来ますが、それはまた別の機会に致しましょう。
私は、「悟らなくたって、いいじゃないか」について、瞑想意外にも、指導者や教育者であったり、コンサルタント等の人に知識・智慧を伝える事が主軸である職業の人の必読書だという味わいも頂いております。
どういうことなのか、今回はその話をさせて頂くと致しましょう。
Contents
「悟らなくたって、いいじゃないか」を指導者が読むべき理由1:アレオレ詐欺師にならないため
「悟らなくたって、いいじゃないか」を、コンサルタント等の指導者や教育的立ち位置の仕事をしている人にとって、何故必読書とも言うべき本であるか。幾つかの理由がありますが、その中から三つにしぼってお伝えしていきます。
あまりあれこれと言い出しましたら、きりがありませんし収拾が付かなくなって、消化不良を起こしかねませんからね。
「悟らなくたって、いいじゃないか」を、指導的立場の職業についている人が読むべき理由の一つ目は、
:アレオレ詐欺師にならないため
です。
まず、アレオレ詐欺師ってなんじゃらほい、と思われる人もいらっしゃるでしょう。
初めて見聞きした、という人もいらっしゃるんじゃありませんかね。
これは概念的な詐欺であり、要約すると、「人の手柄を横取りしたり、人様の功績に自分もちゃっかり乗っかる」といった行為がアレオレ詐欺です。
例えば、「あいつが成功したのは、俺が育ててやったんだ」とか、「あいつを助けたのは俺だ」とか、そういうやつです。
このような行為は、私はとても品性に欠ける事柄であり、まさに我利我利亡者の諸行であると観ております。
実績自慢をしていたり、聞いてもいないのに「コンサル生の実績」とかいって、「俺がこれだけコンサル生を稼がせてやったんだ」と下品な自慢をしている自称コンサルタントの姿を見ると、憐れにすら思えてきます。
事例を知りたければ、トレンドアフィリエイト+コンサル、と言う言葉で検索すれば、ずらずらと反面教師的な事例が出て来ます。
「稼がせる天才」とか「稼がせるのが得意です、ほら、こんなに」とか言い始めたら、末期症状です。
「悟らなくたって、いいじゃないか」には、そのような指導者としての在り方を戒めて下さる言説があり、156ページに書かれております。
詳しい事は、本を読んでおいて欲しいのですが、ここでプラユキ・ナラテボーさんは、このように仰っています。
「私がやってやったんだ」という感じを出さないことですね。(中略)カリスマというのは逆をやるんです。(中略)相手をどんどん自分に依存させてしまうんですよ。これはもちろん、よろしくない。
「悟らなくたって、いいじゃないか」156ページより
人は、どうしたって欲が出てしまうものです。
相手を助けて、それが上手く行った場合、ついつい人に「あいつを助けたのは私だ」と、言いたくなるのは、私も感覚として理解しております。
人に席を譲ったり、お布施をしたりすると、ついつい言いふらしたくなる衝動は、未だにありますし。
でも、そこできちんと気づいて、煩悩まみれの我を出さないというのが仏教の教えであり、仏教徒でなくても持っておくべき在り方だと、私は考えております。
物語シリーズの登場人物、忍野メメの「助けない、一人で勝手に助かるだけだよ」という言い回しに、通じるところがある教えだと、味わいを頂いております。
例え本当に相手を助けたり、お客様が成果を出されたとしても、そこできちんと自分が引いて、依存させずに相手を尊重出来るか、相手の利を奪わずにいられるか。
「悟らなくたって、いいじゃないか」のこの部分から、そのような学びと味わいを頂きました。
この部分を読むためだけでも、コンサルタントや講師、先生といった指導的立ち位置の人達は、手にしておくべきです。
そうしないと、品性のかけらもない「アレオレ詐欺師」になってしまいますよ。
はっきり言って、観る人が観れば、嘲笑されますよ、あの行為は。
そうならないためにも、「悟らなくたって、いいじゃないか」を読んで、今一度自身を問い直した方が宜しいかと思われます。
「悟らなくたって、いいじゃないか」を指導者が読むべき理由2:お客様に本当に役に立つため
コンサルタントや講師、先生といった指導的立場の仕事に就いている人が、「悟らなくたって、いいじゃないか」を読むべきだと思う二つ目の理由。それは、
:お客様や指導を受けている人が、本当に役立つように教えるため
です。
この部分につきましては、71ページのプラユキ・ナラテボーさんの言説から、学ぶ事が出来ます。
瞑想は、日常生活に実際に役立たなければ意味がない、というのを基本的な考え方にしています。なお、ここでいう「役立つ」とは、「自他の抜苦与楽に資する」ということです。
「悟らなくたって、いいじゃないか」71ページより
これは、「悟らなくたって、いいじゃないか」を読むべき一つ目の理由とリンクしておりますが、指導する対象となる人、お客様や生徒など、相手が自分を離れた後のことまで、きちんと考えられているか、ということです。
プラユキ・ナラテボーさんの話は、瞑想を指導する側の心構えや注意点を仰っていますが、この考え方や指導者の在り方は、娑婆世界でも大切に持っておくべき事柄です。
カリスマとか我利我利亡者は、自分に依存してくれていた方が、お金を奪いやすいから都合が良いのです。
実際に観た酷い有様は、自己啓発セミナーに潜入したときに目撃しました。
何でも、ある自己啓発系の詐欺師のセミナーに、複数会参加しているという人がいましてね。
なかなか良い方向に変わらない自分を変えるために、と、同じ自己啓発セミナーに通い続けている、という状態です。
多い人で10回以上も、同じ内容の自己啓発セミナーに通っていらっしゃるのです。
これ、何故自己啓発セミナーに通い続けているのに変わらないのか、カラクリを知れば一発で把握出来ます。
これには、日常に戻れば効果もなくなってしまう、という心理学であったり霊感商法のカラクリがあるのですがね。
しかし、搾取する側からすれば、これほど美味しいカモはおらんわけですよ。
最近の、プロダクトローンチだとかネットビジネス系の詐欺師達は、一人から出来るだけ多く財産を搾取する方向でおり、相手の将来は知ったこっちゃない、という在り方・態度です。
プラユキ・ナラテボーさんは、瞑想の指導をした人や、仏法を説いた相手に対して、日常生活に戻る、娑婆世界に戻っても、プラユキさんに頼らずとも立ち上がって歩けるように伝えられています。
そして、指導的立ち位置にいる人の態度としては、本来はこのような指導の仕方、伝導の在り方であるべきなのです。
苦しくてプラユキ・ナラテボーさんに教えを乞うたのに、また日常に戻ったら元の木阿弥だった、苦しい日常に逆戻り、なんてことになったら、意味がありません。
「自他の抜苦与楽に資する」「日常生活に実際に役立つ伝導」というのは、こういうことなのです。
コンサルタントや講師、先生から卒業して離れた言った後も、またコンサルティング中であっても、指導者がいなくても日常生活で役に立つように物事を伝えるという在り方は、学ぶべき事で御座いましょう。
「悟らなくたって、いいじゃないか」を指導者が読むべき理由3:プラユキさんの失敗のケースから学ぶ
「悟らなくたって、いいじゃないか」を読むべき三つ目の理由。それは、
:プラユキ・ナラテボーさんが本書で明かされている失敗のケース
から、学べる事がある、という理由です。
プラユキ・ナラテボーさんは、仏教の基本的な教え「対機説法により抜苦与楽に資する」という事を大切にして、仏法や瞑想を説いて下さいます。
このことについては、プラユキ・ナラテボーさんとTwitterのやり取りで直接教わりましたし、大切に説いていらっしゃる事は間違い御座いません。
日本仏教、禅宗では、師匠と弟子、先生と生徒が最も適したタイミングで教えを伝授するという理想的な場面を、「卒啄同時(そったくどうじ)」という禅語で教えて下さいます。
(「卒」は、本来は口編に「卒」です、機種依存文字などの問題で、「卒」にして表記すること、ご勘弁をば。)
プラユキ・ナラテボーさんは、この「卒啄同時」も心がけて下さっている事は、実際にマインドフルネス瞑想会で教わっているときに感じました。
ただ、そのようなプラユキ・ナラテボーさんでも、失敗であったり、なかなか上手く行かなかった事例を、正直に本書で伝えて下さっています。
163ページからの「正論を言って失敗する」という項目ですが、ここもコンサルタントや講師といった指導的な仕事をしている人は、一読すべき事柄であります。
ほんと、ここは複数回読み直しなさい、と言いたいくらい。
特に、「正しいやり方」だとか、正しさに囚われている人は、読むべきです。
この失敗から学んで、活かしていることも、この項目でプラユキさんの言葉で語って下さり、学ぶ事が御座いました。
人に何かを伝える場合、まずは相手との信頼関係や人間の関係を結び、お互いの事をきちんと知り合うところから、始める事が大切です。
ただ、相手の情報が全く無い状態で初顔合わせ、と言う事もしばしばありますから、それは仕方有りません。
初顔合わせの時に、きちんとお互い知り合えば良いのです。
残念ながら、それをすっ飛ばすどころか、その概念すら無い似非コンサルタントや指導的な事柄を仕事にしている輩も結構おります。
もしも、相手が本だったりブログなどで情報開示している場合、最低限でもプロフィールを、それがなければブログの内容をある程度読んでおくくらいのことはすべきです。
有名人であったり政治家だったり、そういった人にインタビューしに行く記者は、きちんとこういうことをやっているそうですよ。
まずは、相手のなんたるやをきちんと把握しておかないと、現場に出たときには、時既に遅し、です。
人によっては、「なんだこいつ、行き当たりばったりでインタビューにきやがったのか」と思われて、今後の仕事に響きますからね。
地雷を踏まないように回避する事は、記者にとっては死活問題です。
場合によっては、記者である自分が所属して居る組織の今後をも左右しかねませんから。
相手の「今、ここ」の状態と、過去からの人物像など、きちんとお互いに知り合ってから、コンサルティングなり指導をすること。
確かに、なかなかに難しいとは思いますが、できる限りこういうことはしておきたいですし、念頭には置いておきたいものです。
そのことに気づかせて頂けるのが、「悟らなくたって、いいじゃないか」にある、「正論を言って失敗する」という項目です。
もっとも、私も偉そうに宣っていますが、なかなか出来ておりませんし、「やらかした」と反省するばかりであります。
だからこそ、気づいて気づいて、活かし続けていこうと精進するばかりであるのですがね。
ちなみに、相手のことを事前にきちんと知ってから、きちんとコンサルティングをする、と言う事が出来ていた人は、以前お伝えしました、りゅうじんさんと、もう一人だけでした、私の知る限りでは。
参照記事:「「サラリーマンをしながらブログで月に10万円を稼いでいる具体的な方法」のりゅうじんさんと対談して気づいた事」
相手をきちんと知ろうともしないで、コンサルタントをやろうだなんて、はっきり言って資質に欠けます。
指導者として生きるならば、資質に欠けた指導者から脱する智慧を学び実践するべきです。

「悟らなくたって、いいじゃないか」は、自分の指導の仕方や在り方を問い直してくれる良著
娑婆世界で生きていると、仕事においても過程においても、日常生活・日暮らしの中で、人に何かを伝えるという機会は、実に多いものです。時には、何かを教える、指導するという立場になる事も御座いましょう。
家庭では親として、職場では上司や先輩として、ということを考えると、コンサルタントや塾講師、学校の先生といった指導が仕事という人以外にも、本来的には「悟らなくたって、いいじゃないか」は、一読しておくべきだという考えもあります。
人間って、釈尊が仰るように、どうしたって自分が可愛い、自分が正しいと思いたくなる煩悩を持っているものです。
私も、ついついそういう煩悩が前面に出ることが多々御座います。
指導的立場の場合、自分が知っていたり出来る事を、知らなかったり出来ない人に対して教える時、ついつい傲慢になりがちです。
「こんな事も分からないのか、出来ないのか」とか、そういう風に見下したり、ついつい口に出してしまったり。
でも、こういった事をやらかしても、気づくための智慧や教えがなければ、気づく事が出来ずに、人を傷つけたり、時には争いに発展してしまいかねません。
「悟らなくたって、いいじゃないか」には、そういったことをきちんと戒めたり、気づくための智慧を授けてくれる言説が多々御座います。
自身の指導の仕方・教え方や、指導者としての在り方を問い直してくれる、貴重な機会である、私はそのような味わいを、この本から頂いております。
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強制する事は出来ませんし、私も全然到らない修行中の身ではありますが、精読すれば糧ともなりましょう。
帯に書いてあるように「人生の糧としての仏教活用法」となりましたら、良き指導者への道も拓けるというものです。
尚、プラユキ・ナラテボーさんについての本は、こちらにも記しております。
参照記事:「マインドフルネス瞑想入門にプラユキ・ナラテボーさんの本や講座が良い2つの理由」
良き指導者、相手を慮ったコンサルティングが出来る人物になる智慧を育まれる一助となれば、嬉しゅう御座います。
合掌、礼拝