「自由になるトレーニング」から学んだ事と感想文続編|入り口の一冊にとなる仏教入門書

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



前回は、「自由になるトレーニング」について、学んだ事と感想を、読書感想文と称してお伝えしております。

「自由になるトレーニング」とありますが、いつものようなプラユキ・ナラテボーさんによる手動瞑想が、写真付きで入ってはおりません。

要約すると、「日暮らし・生活の中で活きる仏教トレーニングのためのトレーニング(準備運動)」と言う立ち位置であると、頂いております。

ゴリゴリと仏教用語を多用していないから、易しくわかりやすく、読みやすい印象ですね。



また、イケダハヤトさんとヒビノケイコさんが、各々の気づきや仏教の活かし方を、日々の暮らしや仕事の仕方で換言して、伝えて下さっているのも、イメージしやすい。

ゴリゴリと仏教仏教している人ではない、イケダハヤトさんとヒビノケイコさんを交えての、衆生と比丘・僧侶との対談というのが、このような塩梅・バランスに仕上がっているのでしょう。

私は仏教・仏法と再会してから、常々「仏教は活きる智慧である」と言う頂き方をしておりますが、その事を改めて観じる一冊となりました。



衆生、在家にとって入り口となる、仏法に触れる一歩目としては、取っつきやすいこの一冊。

そのような仏教書について、前回とは伝えきれなかった学びや気づき、頂いた智慧を、感想も交えてお伝え致します。

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「自由になるトレーニング」の読書感想文は前編の続きという事で

今回も、「自由になるトレーニング」の読書感想文、学んだ事を綴っていくわけですが、ここで注意点をば。



今回のみだしは、「4」から始まります。



スターウォーズではありませんが、「4」から始まるのは、その前の「1,2,3」が、すでに存在しているからであります。

それは、こちら。



参照記事:「「自由になるトレーニング」読書感想文|プラユキ・ナラテボーさんとイケダハヤトさんとヒビノケイコさんの対談本を読了しました」



前回を読んでからお読み頂くと、より理解が深まり、また多くを学んで頂き、仏法に触れていたく事が出来ましょう。

それを踏まえた上で、この後もお楽しみ頂ければ、嬉しゅう御座います。

「自由になるトレーニング」での学びと感想4:便利さと身体性について

「自由になるトレーニング」にて、学ばせて頂いた仏法と感想の四つ目。



「便利さと身体性の塩梅:便利さに飲まれ流されずに身体を意識する智慧」



これは、娑婆世界でもお年を召した方々が特に仰る「便利さの裏側」「便利さに潜む落とし穴」です。

このことについて、真宗・浄土真宗の僧侶から、何度かこういう話を聞いた事があります。



「ブッダは、これからますます世の中は便利になっていくだろう。しかしその一方で、人間本来の能力が失われて行くであろう、と仰っていた。」



ブッダの時代から、便利さの裏側、落とし穴については、警鐘が鳴らされていたということですな。

関連する事柄について、有馬賴底老師も「禅、人生が楽になる考え方」で、仰っている事に御座います。

「便利さは「生きる力」を弱める」と、有馬老師は綴られています。

曹洞宗の枡野俊明禅師も、本でよく便利さの落とし穴について、警鐘を鳴らしていらっしゃいます。



「自由になるトレーニング」では、「都会で消耗する理由」という部分を読んで頂くと、この話がよくわかります。

この本のこの箇所で、プラユキ・ナラテボーさんは、このように諭して下さっています。


日本では、今はもう指一本でボタンに触れればなんでも出来ちゃいますからね。

トイレなんか手を差し出すだけで水が出たり、トイレの蓋が閉まってくれたりして、身体感覚が感じづらくなってきている気がします。

(中略)

身体感覚が薄れてきているために、妄想に乗っ取られてしまいやすい状況になってきているように思います。



私は、プラユキさんのこの話を読んで、武術研究家の甲野善紀さんの本で読んだ事がある話を思い出しました。

甲野善紀さんの本では、「本気で走る」という事が、感覚的に分からない、全速力で走る事が出来ない子供もいた、という話がありましてね。

最初は「そんなまさか」と思いましたが、身体性が薄れていても生活出来る現代社会、特に都市部での生活を観察(かんざつ)すれば、確かにあり得る話だ、と頷いたものです。

便利さを否定するのではなく、身体性も失わない智慧:便利さとの距離感と身体への意識

ここで注意したい事は、便利さを卑下したり、ディスる一辺倒になる事ではありません。

もし便利さや効率の良さ、生産性を卑下するのであれば、私がやっているプログラミングは、やり玉に挙がる事で御座いましょう。

いわゆる便利ツールというやつは、作業効率や仕事の効率を上げる、最たるものでしょうし。



ここで言いたいのは、単に便利さ悪玉論を展開するのではなく、大切な事は、「便利さに感謝して活用しながら身体性を失わないバランス」です。



例えば、便利さから意図的に離れる、「自由(自らに由る)に一旦遮断する」という選択をして、便利さから完全に離れる生活をするのも、一つの方法です。

プラユキ・ナラテボーさんは、タイと日本の往復で、それを現在進行形で実践されています。

その事が、本文にも書かれておりますよ。(ヘビやコブラがおるそうな。)



そして、このプラユキ・ナラテボーさんの生活・ライフスタイルに、便利さと身体性の距離感を適切かつ上手にはかる智慧が御座います。



タイのお寺生活では、朝早くに裸足で歩き回りながら、托鉢に回ります。

自分の身で、体を使っている事が、おわかり頂けるでしょうか。



ここで「裸足で歩く」が、ポイントです。

足の裏で、自分の生身の体が、地面に触れて繋がっている。

そのことに、一歩一歩気づきながら歩くことが、歩行瞑想です。



流石に外出時には靴を履きますが、私も自宅では裸足で一歩一歩気づきながら歩くようにしております。
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歩行瞑想と手動瞑想は身体性の復活にもなる瞑想方法

歩行瞑想と共に、私が毎日しているプラユキ・ナラテボーさん直伝の瞑想に、「手動瞑想」があります。

手動瞑想については、こちらの動画で学べます。

「自由になるトレーニング」では、手動瞑想の詳しい解説がありませんから、ここでお伝えしておきましょう。









絵にすると、ざぼんさんの「手動瞑想イラスト」が、秀逸であります。(ざぼん画伯、有難う御座います。合掌)



参照先のざぼんさんの絵:「気づきの瞑想(手動瞑想)のやり方~プラユキ・ナラテボー師に習う気づきの瞑想



歩行瞑想と手動瞑想は、私はかねてから、「身体の動きを伴う瞑想法」という事から「身体への意識を施し、身体を呼び覚ます瞑想でもある」という味わいを頂いておりましてね。



歩行瞑想も手動瞑想も、動作を伴う気づきの瞑想です。

手動瞑想による「気づきの瞑想」に加えて、手動瞑想の手の動きで「集中瞑想」も上手に取り入れますと、「今、体はこの位置にある」ということを、観察(かんざつ)することになります。

それにより、肉体の動き、肉体の位置を意識する事となり、そこから身体性の復活・身体への意識の質量も増える、という寸法です。



歩行瞑想と手動瞑想を日常的に行う事は、身体感覚を取り戻す、身体感覚を復活させる助けとなります。

これは、私も毎日続けていて、実感しております。

本当に、ふとした時でも「あ、今右手はここ、左手はここ、左足が浮いていて、右足が地に着いているな。」と、気づく事がありますからね。

現在は、その「気づいている事」にも、気づき始めている状態です。



ブッダが説いた「便利になって行くにつれて、人間の本来的な能力が失われて行くであろう」というのは、身体能力や身体への意識が薄れていくことも、あるだろうと私は頂いております。

その事を思えば、ブッダの智慧と、今に伝わる身体の動きを伴う歩行瞑想や手動瞑想などの瞑想方法は、便利さに飲み込まれない、理に適った智慧である、私はそのように味わって実践し続けております。

「自由になるトレーニング」での学びと感想5:自分の特性を知る智慧「根性欲」

「自由になるトレーニング」にて、頂いた智慧や学びと感想の五つ目。



「自分の特性を知る智慧:「根性欲(根・性・欲)」を知る事」



「根性欲」と言うと、「欲するために根性出して行動し続けろ!」と言う、体育会系的と言いますか、ゴリゴリとしたビジネス的な五感・ニュアンスがありそうなものですが、それとは違います。



「根性欲」とは、「根・性・欲(願)」と分けて考えると、わかりやすいかと存じます。



「根」とは「機根」の事で、「機根」とは「ブッダの教えを理解する度量や能力、仏の教えを理解し修行しうる能力の事」です。

「根を知る=機根を知る」と言う事は、「身の丈を知る、自分の能力を正確に把握する」ということですね。



この「機根」を、もう少し掘り下げますと、「利根(りこん)」や「鈍根(どんこん)」という仏教用語・概念も御座います。

「利根」とは、ブッダ・仏の教えを素直に理解し、受け容れ、実践出来る人の事です。

「鈍根」とはその逆で、ブッダ・仏の教えを素直に理解せず、受け容れず、実践もしない人です。



この話を読まれたら、「自分はどっちだろう?」と、自己を観察(かんざつ)してみては如何でしょうかね。



「性」とは、性格や性質のことです。

言うなれば、個別の切り口や持ち味の事であり、特性・属性もこれに当てはまるかと存じます。



「欲」とは、「少欲知足」など、欲を減らす、あるいは滅する方向がある仏教において、「え、欲を知る?」と思われるかもしれません。

ここで言う「欲」とは、「願い・願(がん)」の事です。

浄土仏教、浄土系の宗派では、阿弥陀仏を大切に尊んでおりますが、阿弥陀仏は四十八の願を打ち立てられて、それを全て成就されています。

そういう文脈における「願」が、ここでいう「欲」と考えると、より理解しやすいかと存じます。



また、「欲を知る」という事は、自身の欲なり煩悩を知る事にも繋がります。

「今、自身がどのような欲を持っているのか」を、きちんと観察出来れば、欲が暴走しないように、きちんと方向付け出来たり、上手な付き合い方も出来ましょう。



この三つ、「根・性・欲」を、きちんと観察(かんざつ)して気づいて知っていくことは、己の特性を知る上で、大切な概念であります。

これが上手く成されれば、身の丈に合わないことを無理したり、自分の特性と合わない場所に執着する事からも、離れる事が出来ます。

「自由になるトレーニング」での学びと感想6:イケダハヤトさんとヒビノケイコさんの在り方

「自由になるトレーニング」から、学び取った智慧と、その感想文の六つ目。



「イケダハヤトさんとヒビノケイコさんの在り方:自己を知りどう物事を進めるかの智慧」



これは、最後の方にある「自分のスタイルで生きよう」という見出しに御座います。

お二人とも、プラユキ・ナラテボーさんとの御縁、イケダハヤトさんはアルボムッレ・スマナサーラ長老との御縁もあってでしょうが、各々に自身の「根性欲」を、よく観察されているとお見受けしております。

その事が把握出来る箇所が、「自分のスタイルで生きよう」という見出しの直後から読めますよ。



ヒビノケイコさんは、自身に高負荷をかけると、焦燥感に追い立てられる性質であると、仰っています。

一方のイケダハヤトさんは、自分に負荷を掛けまくって、どんどんと活動の循環・サイクルを早めるスタイルです。



これは、どちらが善い悪い、という善悪の話ではなく、各々の「根性欲」を、きちんと観察智・洞察智をもってして、伴った生き方・活動の仕方をしているか、という話です。



お二人とも、各々の特性を知っているからこそ、現在の活動があるのでしょう。

イケダハヤトさんと言えば、娑婆世界では炎上商人・炎上ブロガーというイメージがあるようですが、開発僧的な活動もされています。

お寺を作る企画・プロジェクトもあり、私は自身が経験した事もありまして、「うつ病村」の建立に興味があります。

スピード建立がなされていっているのは、ご自身の特性を観察して理解した上で、負荷を掛けながらも無理なく上手いこと回していらっしゃるからでありましょう。



また、「ニート村」も、昔観たProductionIGの作品で羽海野チカさんの絵でありました「東のエデン」を思い出す企画です。

主人公の滝沢朗が「ここをニートの楽園にしようぜ」と、言っていた事を思い出しましたよ。



イケダハヤトさんがなさっているこれらの活動を、私は開発層的な活動と観ております。



お二人の在り方を参考にして、この中道の行き方を構築・スタイリングするもよし。

全く別の方向へ向かうもよし。



ちなみに私は、ヒビノケイコさん寄りの在り方・生き方が性に合っています。

実際に、高負荷を掛け続けて、壊れた経験がありますから、そこを観察した結果、あまりやんややんやと負荷を掛けず、着実に歩むタイプが、私の在り方です。

この辺り、「ただ独り、さいの角のように歩め」という、ブッダの言葉に、なんだかこう、上手く言語化出来ませんが、惹かれることと関係しているやもしれませんな。

「自由になるトレーニング」から次の段階へ

前回と今回で、自由になるトレーニングについて、お伝えして参りました。

前回は、こちらです、併せて読んで頂くことで、より「自由になるトレーニング」に、興味を持って頂けるかと存じます。



参照記事:「「自由になるトレーニング」読書感想文|プラユキ・ナラテボーさんとイケダハヤトさんとヒビノケイコさんの対談本を読了しました」



「自由になるトレーニング」の後に、何を読めば善いかで迷っている人は、まずプラユキ・ナラテボーさんの他の本を読まれると宜しいかと存じます。



参照記事:「マインドフルネス瞑想入門にプラユキ・ナラテボーさんの本や講座が良い2つの理由」

参照記事2:「「脳と瞑想」から「意味付けの中継地点」を学ぶ|自己啓発の不十分な点を補うプラユキ・ナラテボーさんと篠浦伸禎さんの良書」

参照記事3:「うつ病の症状が和らいだ時に読んでよかった本3選|五木寛之さんとプラユキ・ナラテボーさんの本」



中でも「自由に生きる」は、プラユキ・ナラテボーさんの集大成的な本です。





仏教について、もっと学びたい人は、魚川祐司さんのこちらの二冊の本と、プラユキ・ナラテボーさんとの対談本へ進まれると、宜しいでしょう。



参照記事:「「だから仏教は面白い!(魚川祐司さん著)」は面白い。」

参照記事2:「「仏教思想のゼロポイント」は「だから仏教は面白い!」とセットで読むべし」

参照記事3:「「悟らなくたって、いいじゃないか」という本は、コンサルタントや教育者の必読書」



「だから仏教は面白い!」→「仏教思想のゼロポイント」→「悟らなくたって、いいじゃないか」という順番が、一番わかりやすく、理解しやすい順序です。



そして、今回補足してお伝えしました、手動瞑想は、こちらでより詳しくお伝えしております。

応用編もありますよ。

参照記事:「マインドフルネス瞑想の簡単な方法|プラユキ・ナラテボーさんの手動瞑想と応用」



また、プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想会については、こちらでお伝えしております。



参照記事:「マインドフルネス瞑想会体験感想文|プラユキ・ナラテボーさんの講座での気づき・2017春編」

参照記事2:「不安解消に効果があるマインドフルネス瞑想を体験してきました|プラユキ・ナラテボーさんとの善き縁」



そうそう、「自由になるトレーニング」を読まれるならば、こちらもお読み頂くと宜しいかと存じます。

プラユキ・ナラテボーさんとヒビノケイコさんの対談が、動画になっています。



参照記事:「「自由になるトレーニング」読書感想文|プラユキ・ナラテボーさんとイケダハヤトさんとヒビノケイコさんの対談本を読了しました」



前回と今回の話で、「自由になるトレーニング」を手にとって頂き、その事で「善き縁」となりましたら、大変嬉しゅう御座います。

仏縁結ばれ、自らに由る生き方がなされんことを、切に願います。



合掌、礼拝

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