「自己都合・自己所有の過剰」に気づくプッタタート師の智慧|浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスからの学び

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



私は、浦崎雅代さんのツイキャスを視聴するようになり、そこからプッタタート師の教えにも出会わせて頂いております。

先日も、浦崎雅代さんと、夫で僧侶の修行もされたホームさんのツイキャスを視聴しまして、現代社会で活きるプッタタート師の教えを頂いたもので御座います。

現代社会においては、「自己都合」と言いますか、自分都合、自分の思い通りにやってやろう、という煩悩が燃えさかりやすいと言われていたり、思われている節があります。

現代社会に限らずいつの時代も、そういう輩は一定数おるだろうとは思いますし、私自身がそうであるという自覚を持ちながらも、言われてみれば確かになあ、と思う事も御座います。



「100分de名著:維摩経」のテキストにて、釈徹宗さんはこの事を「自分の中の過剰さ」であったり、「自己の過剰さ」という言葉で表され、見事な表現だと思うたものです。

私はここから、「自己都合の過剰」というして頂く事に御座います。

この「自己都合の過剰さ」という煩悩を、戒めたり小さくしたり、調えていく智慧を、浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスにて、教わりました。



今回は、現代社会を生き抜く上でも大切になるであろう、「自己都合の過剰さ」に気づき、調える智慧となる、プッタタート師の教えをお伝え致します。

その中でも、特に「自己所有の過剰」に効くであろう智慧や教えを、お伝えする事に致しましょう。

スポンサーリンク

「自己都合」「自分」が過剰になりやすい現代社会

浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスから頂いた、プッタタート師の教えが、どのように現代社会を生きる私達に活かされるか、の話をする前に。

まずは、「自己都合」や「自分」の過剰さについて、知る事から始めましょう。



現代の娑婆世界においては、「自己所有」の概念が、肥大化しているような、そんな事を言う人もいらっしゃいます。

現代に限ったことではないのでしょうが、それでも、個々が自己都合で動きやすくなっていたり、自己所有をしやすくなったと言うことは、確かにありましょう。

特に現代日本においては、「自己所有」という概念は重要で、それがあるからこそ、詐欺であったり窃盗などが犯罪としてあるわけですし。



私も、自己都合や自己所有そのものを否定は致しません。

むしろ、その恩恵を受けていることも、多々ありましょう。

自己都合・自己所有感の過剰や肥大が行き過ぎると具合が悪い

自己都合や自己所有は、現代社会を生きる上で、大切な概念であります。

それはそれで理解しておりますし、私も無下に否定はしておりません。



ただ、厄介な事は、人には「欲」という煩悩がありまして、「自己都合・自己所有」といったものが、肥大化する、過剰になると言う現象が、しばしば見受けられる事が御座います。



例えば、お金をどんどん稼げるようになると、「もっともっと稼ぎたい!もっともっとお金が欲しい!」とか、そういうのは典型例です。

これが知らずに肥大してしまって、自信が我利我利亡者や詐欺師になっている事に気づかずにやらかしている輩も、多々おりますね。

トレンドアフィリエイトコンサルタントをはじめとした、先に金を取って責任は一切取らない、なんちゃらコンサルタントの類いは、典型でありましょう。



Facebook等で、豪遊自慢している痛々しい行為も、まさに「自己都合・自己所有」をひけらかしている愚行です。

ああいうのは、まさに「自己都合・自己所有の過剰・肥大化」の典型例でありまして、痛々しいを通り越して、滑稽です。

そういえば、それをやらかしたが故に、詐欺や窃盗、会社のお金の着服などがバレて、逮捕された我利我利亡者もおりました。



あのようなギラギラした自慢をする輩は、格好良いとか、羨ましがられるとでも思うておるのですかね。

自己都合・自己所有の過剰や肥大は「苦」に繋がる

人には「欲」があり、得たい物を得たり、自身の都合で物事を進めたいという欲にかられて、それがなまじ上手く行くと、どんどんと「自己都合・自己所有」を肥大化させてしまいます。



「得たい物が得られる、自己都合とか自分の思い通りになるならば、良いことじゃん」と、思うかも知れません。

これについては、私だって今までに経験しておりますし、良いと錯覚する事もわかります。

実際に、仏道を歩む事を意識している現在においても、やはり嬉しい事は嬉しいし、何かを得たら喜びを覚えます。



ただ、そうやって「欲」が満たされる事、自己都合や自己所有が満たされると、更に「欲」に燃料投下することになります。

それが続く事で、「自己都合・自己所有の過剰や肥大化」が起こるのです。



そして、この自己都合・自己所有が過剰になることは、「苦」に繋がります。



どういう事かと言うと。



一見喜ばしいように見えても、それが消えれば落差によって「苦」を感じる、という事は、誰しも経験した事ではなかろうかと存じます。

また、自己都合・自己所有が過剰な状態で、自分の都合通り、思い通りにならない事に出くわすと、怒り狂ったり意気消沈したりと、「苦」に苛まれます。

時には、自分の思い通りに出来ない人を「お前は思考が狂ってる」とか、攻めて傷つける事を平気でやらかします。

そして、無明故にその事に気づかないという愚かさ。



「自己都合・自己所有の過剰や肥大」は、このような「慢」の煩悩が燃えさかりやすい、我利我利亡者になりやすい傾向が御座います。

「苦」について仏教的な解説をするならば、我利我利亡者になると、我利しか求めませんから、「求不得苦(ぐふとっく)」に苛まれやすいと言えましょう。



このように、「自己都合・自己所有の過剰や肥大」は「苦」に繋がる、「苦」を増大させる罠が御座います。

スポンサーリンク

自己都合・自己所有感の過剰や肥大を戒めたり調えるプッタタート師の智慧

現代社会においては、特に「欲」や「慢」などの煩悩、自己都合・自己所有を肥大させて「自分の過剰さ」を増しやすい時代と言えましょう。

インターネットなど技術の革新・発展によって、「欲」や「慢」に刺激を受けやすい時代ですからね。



また、こちらの煩悩に燃料を投下してくる、宣伝の類いや射幸心を煽ってくる罠も、沢山御座いますし。



このような現代社会において、「自分の過剰」であったり、「自己都合・自己所有の過剰や肥大」に効く、プッタタート師の教えが、次の事柄です。



「「この私が・私の物」を手放せば、苦は無くなる」



これは、ホームさんが浦崎雅代さんのツイキャスにて教えて下さる、プッタタート師の教えであり、煩悩を刺激してくる現代社会の罠を生き抜く智慧であると、私は頂いております。

そして私はこの智慧・教えを、「調えられていない自我の過剰や、所有欲の肥大を戒めて下さる教え」とも、頂いておる次第で御座います。



この事について、ホームさんは次のような例え話をして下さっています。

ホームさんの例え話は、「船渡しの仕事」です。

日本では、なかなか馴染みが無いかも知れませんから、まあ、そうですね、私は京都に住まう民と言う事もありますから、保津川下りなど、そのように連想を変更しても宜しいかも知れません。



例えば、川下りの仕事で、お客様を舟に乗せて案内するという仕事をしていると致しましょう。

もしも「自己都合」や、「自分の過剰さ」が肥大している状態、「この私が」が過剰な場合であると、次の事ばかり考えるようになる可能性が御座います。

「客の数と、貰える金銭」



本来、船渡しやお客様を舟に乗せて案内する仕事は、お客様の安全であったり、快適さを考えるのが普通である、と思われるでしょう。

しかし、もしも「自分が自分が」とか「自分の過剰さ」が肥大していると、お客様よりも「自分が貰える金」など、所有欲を満たす側ばかりを考えがちです。

お客様の安全等、もっと大切な事よりも、「俺が俺が、俺が貰える金が!」が、優先されてしまうのです。



これ、自称コンサルタントや我利我利亡者な詐欺師共や、ようやらかしている事です。

目の前の金に目がくらんで、金だけ取って責任は一切取らず、「今だけ、金だけ、自分だけ」という状態。

「お客様が成果を手にして下さる」という商品を渡していませんから、まんま詐欺ですわな。



自分都合や自己所有、自分が過剰になっていると、こういう事に陥ってしまいます。



そして、もしも客の入りが悪かったり、それで貰える収入が低いと、「くそう!」と、怒りの煩悩に飲み込まれるという「苦」を体験する事になります。

このような「苦だらけ」の輩の舟に、あなたは乗りたいと思いますかね。

これでは、「客はますます来ない、だから収入も減る」という事にも繋がりますから、まさに「苦の循環」になりましょう。



ここで、「自他の抜苦与楽」であったり、「慈悲喜捨」という仏法に方向付けられた上で、プッタタート師の教え「「この私が・私の物」を手放せば、苦は無くなる」が、活きてきます。



お客様の慈悲喜捨が伴っている、プッタタート師の教えの実践をすると、お客様の安全であったり、快適さをきちんと考える事に気がつきます。

目先のお金ばかり追いかけて「苦」を増大させるか、慈悲喜捨や「自他の抜苦与楽」に方向付けられた、プッタタートの教えを実践するか、どちらがお客様に好んで頂けるか、問うてみるのも宜しいのではありませんかな。

そもそも娑婆世界で執着するに値するようなものは何も無い

確かに、現代の日本社会であったり、資本主義的な社会においては、どうしたって利益・利潤は無視出来ません。

それは百も承知です。



こういう話をすると、「いや、でも、やはり金銭の事を考えるのは大切だ。」「ビジネスだから考えないのは駄目だ。」という反論もありましょう。

大体、そういう反論は百も承知ですし、そもそも言われる事くらい予測済みです。



それを踏まえた上で。



浦崎雅代さんのツイキャスにて、ホームさんはプッタタート師から、このようにも教わったと伝えて下さっています。



「そもそもとして、娑婆世界において、執着するに値するようなものは、何も無い」



これは、私も仏法を学んでいたり、その前からもうすうすと気がついていた事ではありますが、改めて仏法として教わる事が出来て、有り難きもので御座います。



あなたも、こういう話を聞いた事はありませんかね。



「金はあの世まで持っていけない」



あの世に、娑婆世界で稼いだお金や財産を、持っては行く事は出来ない。

娑婆世界において、確かに金銭や財産はある程度大切でしょうけれども、それは執着に値するものではありません。



そりゃあね、娑婆世界にて在家として生きるなら、上で申し上げた通り、「いや、そうはいっても」というくらいのバランスや振り幅はありますよ。

ありますけれども、「執着」しているかどうか、という話です。



プッタタート師は、「そもそも、そんな物に執着する価値はない、執着するに値しない」と、教えて下さっています。



「執着」は、苦に繋がりますし、そのまま「苦」を生み出します。

「執着している物を手放す」を増やしていくと、「苦」も減少していきます。

そして、「この私が、この私の物」という、「自己都合・自己所有」を手放す事は、自分の過剰さを減らし、その事によって「この私が」への執着、自分への執着も減っていきます。



こうやって観ていけば、所有欲や自己の欲求、執着を手放す事は、すなわち「苦」の減少に繋がっていく事が、見えてきませんかな。

現代社会において所有の概念は確かに必要ではあるが、過剰にしない智慧を大切にしたい

今回は、浦崎雅代さんとホームさんのツイキャスから頂いた、プッタタート師の教えと共に、「自分都合・自己所有の過剰さ」を減少することによって「苦」も減少するという智慧をお伝え致しました。



現代社会において、確かに所有という概念や仕組み・システムは、無視出来ません。

そのお陰で、上手い事暮らしていけると言う事もあります。

ただ、それがあまりにも過剰になってしまうのも、また具合が悪い。



プッタタート師の教えや授けて下さる智慧は、「苦」を増大させてしまう「自己都合・自己所有の過剰さ」を、減らしてくれるものである、そのように頂いております。



尚、その他にも、浦崎雅代さんのツイキャスにて、プッタタート師の教えを受け取る事が出来ます。



参照記事:「浦崎雅代さんのツイキャスで学んだ事|ブッダの言葉「筏の譬え」」

参照記事2:「丁寧な暮らしに繋がる「気づきが間に合う」という実体験の話|プラユキ・ナラテボーさんと浦崎雅代さんとホームさんからの教え」

参照記事3:「タイ・スカトー寺副住職スティサート師講演会|浦崎雅代さんの通訳ツイキャスを受講・聴聞しました」



「100分de名著:維摩経」のテキストでは、釈徹宗さんが「現代の人が維摩経を学ぶ意味」として、大切な事を伝えて下さっています。



今回お伝えしたプッタタート師の教えも、現代に活きる我々が学ぶ意味が、このようにしてあります。



今回改めて、仏法は現代に活かす事が出来る、その事を味わっております事に御座います。



合掌、礼拝

スポンサーリンク