仏教(特に真宗・浄土真宗)に学ぶ謙虚な在り方|自称コンサルタントや指導者は3回読むべし

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。

私は、ちょくちょくとお坊さんの話、法話を聴聞させて頂く事が御座います。
有り難い事に、割と近場に東西の本願寺がありまして、毎日その施設にて、御法話が御座いましてね、法話を聴聞させて頂く機会に恵まれております。

私は、勤行は浄土宗の偈文や法然上人の手記を読ませて頂いており、家も浄土宗ですが、真宗・浄土真宗の法話を賜る機会があることは、なんとも有り難し。

実に有り難い仏縁に御座ります。



東西の本願寺は、真宗・浄土真宗僧侶、布教師の方が法話して下さいまして、その時に仏法を頂くわけですが、真宗・浄土真宗の僧侶から、実社会で学べる事が御座いましてね。

特に、コンサルタントであったり、指導者という立ち位置で働く人は、今回の話を10回以上読んで欲しい程のことがあります。



私が、仏教、特に真宗・浄土真宗の御法話でお育て頂き、学ばせて頂いた事柄について、お伝え致します。

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仏教、真宗・浄土真宗の特徴をざっくりと:謙虚な教えを頂けると私が思うところ

あなたは、仏教に馴染みがある人でしょうか。



「親鸞聖人」と聞いても、「誰やねん?」とか、高校倫理、もしくは歴史の授業で鎌倉仏教を少し触った程度で名前しか知らない、と言う人も、いらっしゃるかと存じます。

もしくは、修学旅行で東西の本願寺へ赴き、お坊さんから親鸞聖人の名前を聞いただけ、という人も、いらっしゃるやも。



私は真宗・浄土真宗僧侶ではありませんし、布教する者でもありません。

ゆえに、教学の専門的な事は、実際に真宗僧侶に尋ねて頂くか、菩提寺が真宗・浄土真宗であるならば、菩提寺のお坊さんに尋ねられると良いかと存じます。

それが仏縁でありますからね。



フリースタイルな在家仏教者として、学んだ事を元に、今回の話と関連する部分だけ、ざっくりとお伝えしておきます。



浄土宗もそうですが、真宗・浄土真宗も、とても謙虚な在り方を育んで頂ける教えである、と頂いております。

もちろん、プラユキ・ナラテボーさんに説いて頂いた、原始仏教サイドの教えも、禅宗も、仏教全般に謙虚さを育む魅力が御座います。

あくまで私の体感覚として、浄土仏教、真宗・浄土真宗は、お坊さんの御法話を聴聞させて頂くと、謙虚な在り方を学ばせて頂ける言説なり言い回しを頻繁に聞く、という話です。



真宗・浄土真宗は、他力の教えを大切にしていて、言い回しも独特です。

冒頭から、私がよく「何何させて頂いております」と申し上げておりますが、これもその一つの特徴に御座います。

国語のテストでは、使いどころを厳選していないと、減点されますがね。



この「させていただく、させていただきます」は、他力の教え、阿弥陀仏に救われている、届いて下さっているという教えが元になっております。

わかりやすい譬え方をしますと、「阿弥陀仏の御縁により、念仏を称えさせて頂いている我が身で御座います」といったところでしょうかね。

私が念仏申し上げているのではなく、阿弥陀仏の働きにより、「念仏を称えさせて頂いている」ということです。



この事を踏まえた上で、この後の話を読んで頂ければ、よりわかりやすいかと存じます。

仏教(特に真宗・浄土真宗)の表現から謙虚さを学ぶ

それでは、仏教、特に真宗・浄土真宗僧侶がよく使われる、独特な言い回し・表現から、謙虚さを学んで行きましょう。



今回は主に、二つの表現から、謙虚な在り方であったり、謙虚さを学ぶ事と致します。



特に、「教えてやっているんだ」とか、お客様に責任を押しつけて、自身の責任は一切取らないという、自称コンサルタントや指導者は、10回以上読むべし、と申し上げておきます。
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謙虚さを学べる仏教・真宗僧侶の表現1:お育て頂いている

私が、真宗・浄土真宗の僧侶から謙虚さを学べる表現だと頂いている表現の一つ目。



「お育て頂いている」



これ、どういう意味か、ばしっと説明出来ますでしょうか。



例えば、学校の授業であったり、コンサルタントがお客様に接しているとき、構造的には「指導者が生徒に何かを教えている」という事になります。

これは、流されるままにいると、「指導者が被指導者を育ててやっている」という事であるという構図でしか見えません。



昨今のコンサルタントや指導者、特にネットビジネス系のコンサルタント気取り、自称コンサルタントなる我利我利亡者や詐欺師は、このパターンです。

「俺様が、コンサル生に教えてやっているんだ、出来が悪いのはコンサル生に全責任を押しつけて、上手く言ったら教えてやっている俺様のお陰様」という在り方ですね。

特に、自称トレンドアフィリエイトコンサルタントや、トレンドアフィリエイトコンサルタント出身者は、酷すぎる。

「トレンドアフィリエイト教えています、トレンドアフィリエイトコンサルしてました=我利我利亡者の詐欺師です」という構図は、ここにも由来します。



「お育て頂いている」という在り方は、そういった我利我利亡者や詐欺師とは対極にあるもので御座います。



この「お育て頂いている」は、御法話の時もちょくちょく真宗僧侶から聞きましたし、Facebookなどで御法話のお知らせ、また本山での御法話などの報告でも、見聞きする表現です。



最近でしたら、2017年2月末に、本山の聞法会館で御法話下さいました、浄土真宗本願寺派僧侶の長井順一さんが、Facebookで使っておられました。

長井順一さんのタイムラインに、本山で御法話を終えられた報告の中で、「大きなお育てを賜りました。」とありましてね。

今回の話をするきっかけも、この「大きなお育てを賜りました。」という、謙虚な表現という教えを頂いたからに御座います。



構造的には、「本山で法話をしてきました。」でも、通じますし、なんら問題ありません。

御門徒に、仏法を説いた、構造上は「仏法を教えた」ということになるのですから。



そこを、「大きなお育てを賜りました、お育て頂きました。」と表現する事は、一体どういうことか。



一つには、上で申し上げました「阿弥陀仏のお働き・お導き」という、他力の教えを大切にしているという背景が御座います。

阿弥陀仏の御縁によって、法話という、自己を育てて頂ける仏縁を巡らせて頂いた、という在り方ですね。



「仏法を説く自分が、門徒を育てたのではなく、仏法を説かせて頂いている自身も、この場で育てて頂いている。」



この在り方ですよ。



人はしばしば、何かを教えたり説いたりしていると、「俺が教えてやっているんだ。」という慢の煩悩に支配されます。

典型的なのが、先ほどお話し致しました、なんちゃらコンサルタントや指導者的な事で金銭を巻き上げている、憐れな我利我利亡者です。

他力の教えは、そうならぬように「今、慢の煩悩に支配されていないか?」という問いを頂ける教えです。



「相手を、聴衆を、お客様を育てているようで、実は自分も育てられて頂いている」



この在り方を学ばせて頂き、ふんぞり返らないでいられる謙虚な教えだと言えるのが、「お育て頂いている」という表現であり、その有り様です。

謙虚さを学べる仏教・真宗僧侶の表現2:させていただく

真宗・浄土真宗僧侶、布教師の方々が、御法話でよく使われる表現から学ぶ二つ目の事柄。



「させていただく、させて頂きます。」



させていただく、という表現は、しばしば「間違った日本語論争」の中で、取り上げられる表現であります。

確かに、「させていただく」「させていただきます」という表現・言い回しは、国語の教科として学ぶと、使いどころが限られます。

正解不正解を論じるならば、誰かの許可を得ているという前提でしか、「させていただく・させていただきます」という表現は使えません。



他方、近江商人の在り方であったり、真宗・浄土真宗の教えが色濃い人、浄土真宗僧侶の法話などでは、よく「させていただく」という表現を見聞き致します。

これも、他力の教えが背景にありまして、勘の良い方ならば、おわかり頂けているかと存じます。



真宗・浄土真宗の教えでは、阿弥陀仏のお働き、弥陀の光明はすでに私達に届いております。

阿弥陀仏に、常に見守られている、というわけですね。

この他力が常に救って下さっているという事をわかりやすく表現しますと、「お天道(おてんとう)様が観てるよ」という事です。



これを踏まえ、近江商人は帳簿を付けるとき「阿弥陀様に顔向けできないような帳簿は付けられない」という戒めを持って事に当たられます。

この場合「帳簿を付ける」のではなく「帳簿を付けさせて頂く」という言い方をします。

阿弥陀仏が見守って下さっている中で、帳簿を付けさせて頂いている、ということです。

間違っても、仏教が大切にしている「嘘をつかない」という戒を、阿弥陀仏の御前(みまえ)で破るわけにはいきません。



このことを常に忘れないための表現が、「させていただく・させていただきます」という表現であると、私はお味わいを頂いております。



あ、この「お味わいをいただいております」も、真宗僧侶、布教師の方々がよく使われる表現です。

今のネットビジネス系コンサルタントや指導者は、真宗・浄土真宗の教え・謙虚とは真逆

真宗・浄土真宗の僧侶なり布教師の方々がよく用いられる「お育て賜る、お育ていただく・させていただきます」という表現。



私はここに、他力の教えと共に、他力の教えに育まれた謙虚さのお味わいを、頂いております。

そしてこの御教えであったりお味わいは、現代社会において、特に指導者側と呼ばれる立ち位置に肝要な事であるとも、頂いておるわけです。



特に現在の、コンサルタントを自称している輩、指導者の類いは、この真逆の在り方でいてしまっておりますからね。

ほんと、ネットビジネス系であったり自己啓発系、とりわけ、私が潜入してきたトレンドアフィリエイトコンサルタントなる我利我利亡者な詐欺師の世界は、あまりにも酷すぎる。

人を辞めてしまった、人あらざる存在に成り下がってしまっておりまして、それに気がついていないという憐れな状態ですよ。



きゃつらの態度は、だいたいこんな感じです。

「俺が教えてやっているんだ、コンサル生が結果を出したのは俺様のお陰様、出来ないのはコンサル生が悪い」

どうでしょう、こういう輩に、お育て頂いている、という謙虚な姿勢が見えますかね。

ブログで「コンサル生をこれだけ稼がせました、コンサル生が何何万円達成」とか自慢しまくっていて、「コンサルを受けても稼げない人の特徴」とかご高説垂れ流している我利我利亡者は、詐欺師です。



今回の話と、真逆であるという事を露呈している、憐れな我利我利亡者なる詐欺師の姿ですからね、反面教師にしておきましょう。



自己を問う智慧がまだ残っており、心当たりがあるならば、一度このことを自己に問うてみることが大切です。

「お客様にお育て頂いている・させて頂いている」という謙虚さを大切にしたい

注意申し上げておきますが、「お育て頂く」という在り方であったり「させていただきます」は、卑屈とは違いますからね。

ここをごっちゃにしないように。



私は、何も卑屈になれと言っているのではありません。

そうではなく、「構造上は教えている側も、実はお客様から教えて頂いている、指導者としてお育て頂いている」という謙虚な在り方が肝要ではなかろうか、という問いを発しているのです。



そもそもとして、コンサルタントで有る事が出来ている事、指導者としていられるのは、お客様あってこそ、です。

お客様という他者がいてくださるからこそ、コンサルタントである事が出来るし、指導者としての立ち位置に立っていられるのです。

この意識がない我利我利亡者、傲慢な輩の、いかに多いことか。

その事を戒め、自己を問うて下さるのが、真宗・浄土真宗僧侶が使う表現「お育ていただく、させていただきます」という言葉・表現であります。



今回の話、この記事は、ある種リトマス試験紙的な役割も担っております。
自分事として自己を問う人は、まだ人であり、見込みがあります。

コンサルタントや指導者としての資質が、まだあるということです。



逆に、「俺の事じゃない」だとか「俺はきちんと出来ている」と、他人事にして学ぼうとしない自称コンサルタントや指導者は、末期症状です。

すでに人を辞めてしまった我利我利亡者か詐欺師になりますからね。



仏教から、とりわけ真宗・浄土真宗僧侶が使われる表現「お育て頂く、させていただきます」から、在り方を学び、善き縁となりたいもので御座います。



そうすれば、おのずとコンサルタントであったり、指導者としての在り方も、調うていくことでありましょう。



尚、今回の話に関連して、こちらで更に一歩踏み込んだ話をしております。

参照記事:「「させていただく」「お育ていただく」の3つの効果|謙虚な姿勢を育む智慧なり」



あなたにとって、善き方向へ調う一助となりましたら、嬉しゅう御座います。



合掌、礼拝

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