「勉強の哲学」(千葉雅也さんの本)の読書感想文|言語そのものと学習者が辿る過程が考察された良書

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



Twitterでも何度か呟いたのですが、私は千葉雅也さんの「勉強の哲学」を読み終えたところで御座います。
千葉雅也さんの「勉強の哲学」は、Twitterで良書だと話題になっており、私も勉強と哲学は興味惹かれる事柄でありまして、本屋で購入した次第です。



読み終えまして、また何度か部分部分を読み返しておりますが、結論から申し上げますと、私にとって良書である、と頂いている本に御座います。

「勉強の哲学」では、勉強することによって生じる事、学習者が辿るであろう過程・プロセスについて、深く考察されており、それでいてわかりやすく説いて下さっています。

私の印象としては、勉強を哲学して深い洞察と考察に基づいて書かれており、それでいて読みやすいと感じた本で御座います。

仏教の話や、プラユキ・ナラテボーさんの「自由に生きる」とも通じる話があり、特に前半の言語にまつわる話では、知的興奮を覚えたものですよ。



知ってはいるけれど買って読もうか迷っている人の参考資料として、また、知らない人には知って頂くための情報として、今回は「勉強の哲学」の読書感想文と題して、お伝え致します。

スポンサーリンク

「勉強の哲学」の総括的感想文:全ての人に当てはまる良書(私の頂き方)

千葉雅也さんの「勉強の哲学」を読んで、私が感じた事を総括的にまとめた感想を申し上げますと。



「深い考察を丁寧に、そしてわかりやすく書いて下さっている、勉強をする全ての人に当てはまる本」



言語化すると、このような感想文に収まります。



特に私は言語哲学にも興味があって、ソシュールの話やヴィトゲンシュタインの話も、少しだけかじったことが有り、前半部分の「言語」にまつわる話は、知的興奮を覚えながら読んでおりました。

私の頂き方、どこをどのように味わい、頂いたと言う事は、語り出せばきりがありません。

それ程までに、有り難き良縁であります、千葉雅也さんの「勉強の哲学」ですが、今回はその中から、「言語」の話に絞りつつ、仏教の話と絡めてお伝えしていきます。

「勉強の哲学」で学んだ事:「愚痴」を例にした言語についての基本的な話

「勉強の哲学」を読んで、私が学ばせて頂いた大きな事に、「言語」が御座います。



「言語」というと、Ruby等のプログラミング言語であったり、英語や日本語などを、連想する人も多いかと存じます。



千葉雅也さんは、「勉強の哲学」において、「深く勉強をするという事は、言語偏重の人になること」と、伝えて下さっています。

何かを勉強する、言語を勉強する場合は、まさに最たる例だとは思いますが、何事においても勉強をするということは、勉強する世界の「言語」と「文法」を学ぶ事になります。

わかりやすく言うと、「勉強する分野の言語・言葉の意味と使い方を学ぶ」という事です。



ここで、言語学、言語哲学の話をしますと。



スイスの言語学者・言語哲学者の、フェルディナン・ド・ソシュールさんという方の「記号論」を用いて説明しますね。

この話は、後々話します、プラユキ・ナラテボーさんの「たかが言葉、されど言葉」にも通じる話です。



例えば、「愚痴(ぐち)」と聞くと、あなたはどのような場面を連想されるでしょうか。

喫茶店などで、「あのクソ上司がさあ。」と、グチグチと文句を言っている場面を連想するのが、一般的ではなかろうかと存じます。

この場合、「愚痴(ぐち)」という「言葉そのもの、言語そのもの、音そのもの」に「文句を言っている」という場面がセットで認識されているという構造が御座います。



この「愚痴(ぐち)」という言葉そのものが「シニフィアン」と言います。

そして、「文句を言っている場面」や「現象そのもの、実態・実体そのもの」が「シニフィエ」と言います。

シニフィアンとシニフィエがくっついたものが「シーニュ」とする、これが基本的な言語の考え方です。



「シーニュ」は、「恣意的な関係性」と言われており、ここで更に突っ込んだ話をすると、収拾が付かなくなりますから、ここで一旦止めておきます。
スポンサーリンク

勉強すると「言語的にばらす」事により「キモくなる段階」を経る

ここまで「愚痴(ぐち)」という言葉を用いて参りました。



ここで、あなたは仏教に興味を持ち、仏教の勉強を始めたとしましょう。

「勉強の哲学」を活用して、この事を表現すると、「仏教という環境に移ろうとする」と言えます。

勉強とは「ある環境から別の環境に移る事」であり、その際に、言語の解体や自己破壊が起こる、というのが、勉強をする人、学習者が辿る過程・プロセスです。



この場合、「愚痴(ぐち)」という言葉が、どのようになっていくか。



世間一般、娑婆世界の環境において、「愚痴」は「文句を言っている場面」と結びついた理解をしています。

一方、仏教では「愚痴(ぐち)」は、「人間が持つ根深い煩悩の一つで、愚かである事」を言い表す言葉です。



ここで、言語的に何が起こるかと申しますと。



上でお伝えした「シーニュ」という状態が解体されます。

つまり、「グチ」という「言語それ自体」と、結びつく場面・現象や実態(実体)が解体されます。

ここで「グチ」は、ただの音声であり、何の意味も持たない「言語それ自体」になるという構造が、把握出来るかと存じます。



そして、仏教と言う環境に移ると、「グチ」が「人間が持つ根深い煩悩の一つで、愚かである事」という現象や場面と結びつき、仏教の環境における「愚痴(ぐち)」と、組み換えられます。

「勉強の哲学」では、このことについて、図を用いて「言語それ自体=器官なき言語」と解説して下さっています。



今回例にした「世間一般という環境から仏教と言う環境への移行」を、一方の環境のノリから、別の環境のノリに移動する「別のノリへの引っ越し」という表現が、「勉強の哲学」にてなされています。



そして、深く勉強することによって生じる、元の環境にいた人達とのズレや違和感が、俗に言う「キモい事、キモさ」であり、勉強をしたことによって生じる現象です。

この違和感を「言語的な違和感」と言います。

「勉強したら、昔の友達とは話が合わなくなった」というのは、まさにこのことを言い当てた、的確な話であろうと、私は頂くに至っております。



例えば、私ならば「自由」は、「勝手気まま、我が身の思うがままの振る舞い」ではなく、「自らに由る」という仏教の意味で頂いております。

故に、娑婆世界の人達と「自由」についての話をしたら、「何こいつ、キモい」と言われる可能性が御座います。

他にも「微妙(びみょう)」を、仏教では「みみょう」と読み、素晴らしい事という意味ですから、「修羅観音は微妙な奴だな。」と言われたら「有り難や有り難や」と言うでしょう。

そうなると、娑婆世界の環境にいる人からすると、仏教という環境におる私の言語がズレているために、「こいつはキモい」と、思われてるかもしれません。



このように、勉強しているがゆえに辿る「キモい」という状態は、「勉強の哲学」にて、解説されております。



見方を変えると、キモさが出ていると言う事は、きちんと勉強が深まっているという証しでもあろう、私はそのようなお味わいを頂いております。

「勉強の哲学」と「自由に生きる:たかが言葉、されど言葉」

私は、千葉雅也さんの「勉強の哲学」で、言語についての項目と、最後辺りに記されている「言語それ自体はシニフィアン」という箇所を読んで、連想したことが御座います。



それは、プラユキ・ナラテボーさんの「自由に生きる」という本に書いてある「たかが言葉、されど言葉」です。



[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

自由に生きる [ プラ・ユキ・ナラテボー ]
価格:1944円(税込、送料無料) (2017/4/17時点)





プラユキ・ナラテボーさんの本については、こちらでもお伝えしておりますから、参照して頂ければと存じます。
参照記事:「マインドフルネス瞑想入門にプラユキ・ナラテボーさんの本や講座が良い2つの理由」

参照記事2:「うつ病で休職時に不安だった時に読んだ本|「苦しまなくて、いいんだよ(プラユキ・ナラテボーさん著)に救われた体験談」

参照記事3:「マインドフルネス瞑想の簡単な方法|プラユキ・ナラテボーさんの手動瞑想と応用」



プラユキ・ナラテボーさんが「自由に生きる」で伝えて下さった、「たかが言葉、されど言葉」は、今回の「勉強の哲学」にて学んだ「言語それ自体」の話とも繋がる智慧で御座います。



プラユキ・ナラテボーさんは、「自由に生きる」で、「たかが言葉=智慧、されど言葉=慈悲」と表現されています。



どういう事かと申しますと、「たかが言葉」は、そもそも言葉・言語それ自体に意味はありません。

今回の例でいますと、「グチ」という言葉、音声そのものは、そもそもそれ自体に意味は負荷されていない状態が御座います。

これは、千葉雅也さんが「勉強の哲学」にて、「言語それ自体は、行為から切り離して使う事が出来る」と仰っている事に通じます。



言語は「たかが言葉=言語それ自体(シニフィアン)」でしかなく、意味はありません。

それが、「シニフィエ」という、行為や現象と結びつく事で、「シーニュ」となり、意味をなす言語となります。



では、「だったら、言語はそれ自体で意味がないのだから、全て意味がないんだー」となるかというと、そうではないと言う事は、感覚的に「そりゃあ早計でしょう」と、思われる方も多いかと存じます。

このことについて、プラユキ・ナラテボーさんは、次のように表現して下さっています。

「たかが言葉」は、言葉の無力性の認識です。

一方、「されど言葉」は言葉の持つ強力な力の感得と活用です。

(中略)

すなわち、「たかが言葉」が「智慧」の目で観ること。

「されど言葉」が「慈悲」の心で感じ、生かしていくことです。

※プラユキ・ナラテボーさん「自由に生きる」127ページより引用



「言葉の無力性」は、「勉強の哲学」では「言語の物質性(言語のただの音としての面)」の事であろうと、私は頂いております。

一方で、いくら言葉の無力性を強調したところで、どうしても言葉・言語(シニフィアン)が、現象や実体(シニフィエ)と結びついている(シーニュになる)事が、すでに御座います。

この辺り、言語の物語(ナラティブ)も、哲学していくと面白そうですが、ここでは省略致します。



そして、知識やナラティブ化した言語理解は、不可逆的な要素を持っておりますから、「言語それ自体に意味はないんだー」と言われても、「はいその通り」と完全に成すのは、なかなかに難しい。

肝要な事は、「言語それ自体に意味は無い」というところに戻る事が出来る、あるいは、そういう場がある、という事を踏まえた上で、勉強すると決めた環境の言語と現象の結びつきを学んで行く事。



言葉に惑わされぬ「たかが言葉」として観る「智慧」を大切にしつつ、「されど言葉」と、生かす事が肝要です。



勉強を深めている最中は、確かに「キモい人」と言われるかも知れません。

しかし、「勉強の哲学」で千葉雅也さんが仰っているように、勉強を深める事で、「一周回って」環境にまた戻り、参加し直す事が出来るようになる段階が御座います。

その時には、二つの環境の言語と文法を習得し、戻った環境に流されたり迎合せず、かといってキモくない、達観したような立ち位置から振る舞えるようになっている、そのような可能性を、私は見出しております。



この「一周回って」は、先日、魚川祐司さんの仏教講義を頂いた時に考えた「360度回って新しい」にも、通じます。



参照記事:「魚川祐司さん(ニー仏さん)の「聖なる瞑想と特別な芸術」|龍岸寺での話の感想文」



「勉強の哲学」は、仏教にも繋がる話である、私はそのように頂き、今回の話を考えた次第で御座います。


[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

勉強の哲学 来たるべきバカのために [ 千葉 雅也 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2017/4/17時点)



「勉強の哲学」は、勉強する全ての人と、教える側にとっても必読とも言える良書

「人間は死ぬまで勉強」とは、現在でも巷で聞く事がある言葉です。

それを考えると、千葉雅也さんの「勉強の哲学」は、全ての人が読むべき必読の良書、という言い方も出来ようかと存じます。



私は、勉強をする人全てにとって、関連する事柄や、勉強をする者が持っておきたい智慧を授けて下さる良書である、そのように位置づけているのが「勉強の哲学」という本です。



そして、私は「勉強を教える側、何かを伝えたりコンサルティングする側の人」は、特に読むべき智慧の書ではないか、そのようなお味わいも頂いております。



何かを教える人、先生の元で勉強をしている生徒や学生を相手にしている場合、勉強をしている上で、戸惑っていたり、何らかの不安を抱えている人もいらっしゃいましょう。

その場合、「一体、何におびえているのだろう。」「どうして、勉強していることに戸惑っているのだろう。」と、疑問を持つこともあるかと存じます。

また、「先生、勉強したことを披露したら、キモいとかバカにされた。」と、打ち明けられる事もあるやもしれません。



そのような時、生徒や学生、習いに来ている人が、どのような段階で、どのような事に不安がっていたり、馬鹿にされたりして悩んでいるのかを、「勉強の哲学」を学ぶ事で、把握しやすくなります。

例えば「なんか自分は浮いている気がする」という生徒には、「キモくなったり、浮く」という事が、きちんと記されている箇所がありますから、その箇所が生徒を導く良きヒント、良き智慧となりましょう。



勉強をする人も、教える人も(教える人は、そもそも教えるために勉強しているのでしょうがね)、読んでおくべき良書、それが「勉強の哲学」である。



私はそのようなお味わいを、この本から頂いております。



仏教者としては「たられば」の話は過去への執着になりましょうが、ぼそっと申し上げたい。

学生時代に、この本と出会ってみたかった。



合掌、礼拝

スポンサーリンク