タイ・スカトー寺副住職スティサート師講演会|浦崎雅代さんの通訳ツイキャスを受講・聴聞しました

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



Twitterでの情報を頂いた御縁で、沖縄の琉球大学千原キャンパスで行われた「タイ・スカトー寺副住職スティサート師講演会」を、ツイキャス経由で受講する事が出来ました。


講演会で講演されたのは、開発僧としても活動されている、タイのスカトー寺副住職であられる、スティサート・パンヤーティポー師です。

スティサート師は、「タイ・森の寺での修行から学んだこと〜社会の開発・心の発展:タイ仏教の視点から〜」という題で、ご自身の体験や、スティサート師の先生から学ばれた事を、話して下さいました。



この講演会は、浦崎雅代さんが事前に許可を取って下さったらしく、ツイキャスにて翻訳講演を聴聞する事が出来まして、非常に有り難き御縁を賜ったもので御座います。

しかも当日の本放送中は、プラユキ・ナラテボーさんも要所要所で解説や説法もして下さるという御縁もありまして。

タイのスカトー寺の副住職が、オンラインにて揃って仏法を説いて下さるとは、非常に有り難く尊い。



浦崎雅代さんが翻訳・通訳を務めて下さったツイキャスは、記録してアップロードして下さるとのことで、視聴されていた方は復習に、聴いてみたい方は聴かれると宜しいかと存じます。

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スティサート師の講演会と浦崎雅代さん通訳によるツイキャスの大まかな内容・流れ

2017年6月24日に行われた、タイのスカトー寺で副住職をされている、スティサート・パンヤーティポー師の講演会。



今回は、浦崎雅代さんの故郷である沖縄にあります、琉球大学のキャンパスにて行われました。

浦崎雅代さんが通訳をしながら進行していくこの講演会は、有り難い事に、ツイキャスにて放送され、更に録音を聞く事が出来ます。

(浦崎雅代さんのTwitterか、お名前とツイキャスという単語で検索して頂くと、到達出来ます。)



最初に、講演会の流れと、大まかな内容をお伝えしていくことと致しましょう。

詳しくは、ツイキャスの録音放送を聴聞して頂ければと存じますが、あらすじ的な事を、ここでも軽くお伝えしておきます。



冒頭、通訳して下さる浦崎雅代さんについて、少し紹介がされた後、スティサート師の自己紹介的な話が始まります。

スティサート師については、同じ日に魚川祐司さんとの対談が夜にありまして、その時にも、少し紹介がされていまして。

スティサート師は、浦崎雅代さんがファシリテーター的な活動をされている「ライトハウス」という場所がタイにありますが、そこでも活動をされているそうです。

また、カンポン・トーンブンヌムさんに最期まで付き添って、看取られたお坊さんでもあります。



スティサート師は、出家して2017年時点で16年目の比丘(僧侶)であり、大学を卒業されてから出家されています。

出家してからは、スカトー寺のカムキエン師とパイサーン師に学び、開発僧としての活動もされていて、「仏教と開発を、身をもって体験出来た」と、語って下さいました。



スティサート師は、良い事をしていても苦しいという状態を、僧侶になる前にやっていた様々な活動を通して、体験されています。

そんなおり、「社会のためにやっているのに、自分が苦しまなければならないものなのか?」「そもそも、開発とは?」など、自身にそのような問いを立てるに至ります。

そうして、社会問題、環境に関する課題といった、社会への取り組みをしながらも、自身が苦しまない方法を、開発僧としての活動や修行を通して、体験してゆかれます。

その開発の内容も、ツイキャスにて詳しく知る事が出来ます。



スティサート師や、彼の先生であるカムキエン師やパイサーン師といったスカトー寺のお坊さん達は、干ばつや貧困、環境保護など、そういった事に取り組まれてきました。



また、開発というと、外的な開発、物質的な開発が言われる事がありますが、内面の開発・心の開発にも取り組まれています。

ターミナルケアなどにも、取り組まれているそうですよ。

体のケアと心のケアを、両方とも大切にしていくという取り組みであり、ここは我々も学ぶところがあるなあ、と、感じたものです。

そういえば、PDFになっている浦崎雅代さんのレポートにも、このことについて書かれていたことを、思い出しました。



その他には、スティサート師の先生である、カムキエン師やパイサーン師、また、カンポン・トーンブンヌムさんの言葉も紹介して下さっています。



カムキエン師は、開発僧としての取り組みをされていた方ですが、元々は、開発僧になりたくてやっていたわけではない、との事です。

力んで「開発僧に、俺はなる!」とか、そういう感じではなく、目の前の為すべき事を為し続けていたら、村にとって必要だと思う事をやり続けたら、開発僧というところに到達していた、という事でありましょうか。

そのカムキエン師の言葉に、このような言葉が御座います。



「活動が駄目になっても、私自身が駄目になったわけではない。」



これは、仕事で失敗したり落ち込んだり、そういった時に、効きそうな言葉であるというお味わいを頂いております。

そりゃ、仕事の内容や失敗の度合いにもよるでしょうが、この言葉は、私の様にうつ病まっしぐら、なんて事に歯止めを掛けてくれそうな、そんな温かみを感じるところに御座います。

もちろん、だからといってむやみにこの言葉を、人にぶつけようとは思っていませんが、自身の在り方として持っておきたい御言葉です。



また、パイサーン師の言葉として紹介して下さった言葉に、こういうものがあります。



「精一杯やるけれども、深刻にはならない。」



これは、非常に深みのある、とても肝要な御言葉であると、私は頂いております。



これについては、後ほど私が感じた事や、どのように頂いたかを、お伝え致します。



その他、カンポン・トーンブンヌムさんについての話もして下さったりと、とても学び多き講演・説法をして下さいました。

最後には、質疑応答の時間も設けて下さり、その時に出た質問と回答も、とても有り難く学べるものでありました。

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スティサート師の講演会で学び気づいた事:目標設定や未来からの逆算という方法の落とし穴

スティサート師の講演会を、浦崎雅代さんが通訳してツイキャスにして下さった御縁にて、学ばせて頂いた事は色々とあります。

その中から、幾つか私が「おお、これは」と感じ、味わった話をお伝えしていきます。



講演会の最後辺り、スティサート師の話が一通り終わった後に、質疑応答の時間がありまして、私はそこで、現代社会で見かける事がある場面を思い起こしながら、聴聞しておりましてね。

質問の内容は、音声の関係で聞こえなかったのですが、スティサート師の回答から、「ああ、私も経験あるなあ。」と、思うた事が御座います。



スティサート師は、質問に対して、「怒りや恐れがモティベーションで活動している時、何かをやっている時というのは、100%の能力が活かされていない」という内容の話をされています。



これは、私は現代社会の良くある場面に置き換えて考えた時、「怒られるから、これをやる。」「やらないと怖いから、これをやる」という場面の事かな、と思うたものです。



実は私、学生時代も会社組織で働くという経験をしていた時も、活動の動機というのは、「怖れ」が色濃かったと言う事を、振り返った時に気がついたものです。

先生の怒られるのが嫌だから、上司に怒られるのが嫌だから、某八つ橋工場のいけすかない小言マシンガンばあさん達に小言を言われるのが嫌だから、一所懸命に動いておったものですよ。

そういう時って、確かに能力が100%活かされていない、と言われると、確かになあ、と、今振り返って思います。



だって、そういう時は大概「怒られたくないよー」という思いが、どっか引っ張っておりますから、「今、ここを100%生きている」とは言い難いものです。

心ここにあらず的な状態というのは、今、ここで100%の力を出せる状態ではないのだから、そりゃ、能力を100%生かし切れていないというのも、頷けます。



「怖れ」について、もう少し話を広げますと。



布施行においても、「怖れによって行う布施は、布施に非ず」という教えが、「倶舎論」に御座います。



恐れが動機の布施は「怖畏施(ふいせ)」と言います。



「怖畏施」とは、それをしないと、どうも具合が悪いことになるだろうなあ、とか、そういう怖れの動機によって施す事です。

布施行には「喜捨」がくっついてあるわけですけれども、喜んで捨てるどころか、怖がっていやいや施すというのは、布施とは言えません。

恐れが動機であるというのは、布施行からも外れますし、能力を全て生かし切ることからも外れます。



自身の能力を最大限生かし切るならば、恐れを動機にするのでは無く、「今、ここ」に気づいて、そういう怖れや怒り等の動機に囚われない事が肝要である、と、スティサート師の教えを味わいました。



もちろん、怒りや怖れを力に変えるという事は、ファイナルファンタジー7のリミットブレイクではありませんが、あるにはあるのでしょう。

そういう自己啓発的な方法・メソッドも、世の中にはありましょう。

それはそれで、使える人は使ったら良いですし、否定はしませんけれども、私のような性格の人でしたら、怖れが動機だと、なんだか追い詰められているような感覚によって、こう、締め付けられる思いがするのですよ。



私の場合は、スティサート師が教えて下さる「恐れを動機とせず、今、ここで精一杯やること」の方が、相性が良さそうです。

まだ来ていない未来・将来について、怖れをモティベーションにするような言説に惑わされない教え

この「恐れを動機にする事」について聞いた時、私は、特に詐欺師や霊感商法などでよく使う搾取の方法を、思い出しました。



あなたも、こんな経験はありませんか?

「将来、こういう怖い事が起こりますよ、だから今、投資しないといけませんよ、これは自己投資ですよ」とか、そんな誘われ方をして、金銭を取ろうとする輩に出会ったり。



私が経験した中では、「東京オリンピック後は不景気になります、過去がそれを証明しています、だからこそ今ビジネスすべきです。」とか、そういう「将来の怖さ」で煽ってきた輩がおりましてね。

で、その後はおきまりのパターンで「だから私に何十万円を払って、先行投資すべきなんですよウェイ!」とかやっちゃう愚か者。

いやいや、おたくに金を払う理由にならんでしょうに、因果関係を勝手に捏造してんじゃござんせんよ。



こういうパターンは、詐欺師か霊感商法か、よくて我利我利亡者餓鬼畜生が、なんかわめいているだけです。

無視して決行、亡者は地獄へお帰りよし、と、言ってやれば宜しかろう。



そやつらは、「今、ここ」を生きておりませんし、生きているとしても、こういう状態です。



「今だけ、金だけ、自分だけ」



「今、ここを大切に生きる」と「今だけよければそれで良し」とは、ちゃいまっせ。



「恐れを動機にしない」という智慧を育んで、きちんと「今、ここを大切に生きる」を実践出来ていれば、このような恐れを動機にして人様の人生を奪う我利我利亡者には、引っかからなくなる可能性を高めることが出来ましょう。



もちろん、恐れを抱く事や、危機感を持つことは、それはそれで大切です。

危機回避のための直観・直感は、大切に持っておきたいものです。

ただ、外側から「恐れの動機」を植え付けられたりして、それによって惑わされてしまうのは、気をつけたいものです。



「内に宿る生きるに繋がる危機回避能力」「外側からの刺激による恐れの動機」を、しっかりと観る智慧を養いたいものであります。

スティサート師が教えて下さったパイサーン師の教えについて

スティサート師の話の中で、もう一つ、私の心に残った教えについて、お伝え致します。



スティサート師は、スカトー寺の住職である、パイサーン師の言葉を紹介して下さっていまして、上でもお伝えしましたね。

「やるべきことは精一杯やるけれども、深刻にはならない」という言葉です。



これは、スティサート師の講演会を踏まえて、どのように繋がるかと言う事を考えた時、私はこのように頂きました。



「やるべきことを精一杯やる」という部分は、「今、ここで為すべき事を精一杯やる」ということです。

その時に、「今、ここ」から離れて、まだ来ていない未来へ過度な期待をするような思考に支配されない事が肝要です。



人間は、ともすれば一所懸命、精一杯活動をすると、いつの間にか大きな結果、見返りを求める方へ走ります。



こんなことってありませんかな。

これだけ仕事をしたんだ、こんなに精根尽くしたんだ、だから絶対にすんごい見返りがあるはずだ、とか。

要するに、やったらやった分だけ、期待値がつり上がっていくという状態の事です。

表現が正しいかどうか、適切かどうかは分かりかねますが、「俺、ここから還ったら、あいつとなんちゃらするんだ」的な。



未来はどうなるかわかりませんし、期待した通りの結果が得られる可能性は高まる事もありましょうが、絶対にそうなるとも限りません。

でも、精一杯何かをしていると、どうしても「ここまでやったら、こんなバラ色の未来が!」なんて事を妄想してしまうのが、凡夫にある現象です。



そんな来るかどうか分からん未来を期待するよりも、まず今なすことをやりましょうよって話です。



もちろん、全体像を見渡したり、ある程度の計画を立てたりすることは、現在の娑婆世界では必要な事も多々あります。

未来を絶対に観るなって事ではありません、そこはお間違い無きよう。

未来を完全に否定するならば、輪廻の話や、プラユキ・ナラテボーさんが教えて下さる「次の一歩」の話も、完全否定する事になりますからね。



それはそれで踏まえつつ、全体像を見渡す時も「今、ここで全力で精一杯やる事」であり、全体像が観えた次は次で、そこでも精一杯やる、ということです。

決して未来を観てはいけないのではなく、ある程度視野に入れたら、後は精一杯にやる、という塩梅です。



そして、精一杯やった後の結果については、執着しない。

執着すると、深刻になる事に繋がります。

ここで、「深刻にはならない」という教えが活きてきます。



今、その場で為すべき事を精一杯やる、けれども、どのような結果であれ、結果に執着して深刻にならない。



パイサーン師の御言葉を、私はこのようなお味わい方にて頂きました次第であります

パイサーン師の教えは「結果に執着しない事」で、「結果を無視する」のとは違う

ここで注意したい事は、「深刻にならない智慧として、結果に執着しない事」を、「結果や未来なんてどうでもよい」と、雑に捉えてしまう事です。

ありがちなのが、「後ろを振り返るな、前だけ向いて突き進め!」と、某野球漫画のアニメ版オープニングテーマ的な話を、そのままやってしまう事象です。



確かに、結果に執着せず、未来を見過ぎて動けなくなるのは、具合が悪いでしょう。

だからといって、何でもかんでも失敗すれば良いというわけではありません。

雑に失敗すれば良いって事ではなく、自覚的に精一杯やっての失敗をして、その上で深刻にならない事が肝要である、という事です。



雑な失敗を繰り返されて、それに巻き込まれた方は、たまったもんじゃありませんよ、ほんと。

「結果に執着して深刻にならない智慧」と、「結果を無視する事」は、ちゃいますがな。



この事を実践するヒントは、プラユキ・ナラテボーさんが授けて下さっています。



プラユキ・ナラテボーさんは瞑想会にて、「雑念は、まだ価値が見出されていない原石」と仰っています。



雑念に執着するのではなく、かといって、沸いてきた現象そのものと、雑念そのものを否定しない。

「雑念に苦しむ人」ではなく「雑念を観る人」になる。



この智慧を、スティサート師が伝えて下さったパイサーン師の教えに応用すると、このような感じでしょうかね。



「結果に執着はしないが無視はせず、次の一歩をより良くするための材料にする。ただし、あくまでも検証材料として使う塩梅にして、深刻にはならない事。」

最後に、浦崎雅代さんのnoteなどのお知らせ

今回は、沖縄の琉球大学で行われた、タイのスカトー寺の副住職であられる、スティサート・パンヤーティポー師の講演会について、お伝え致しました。



今回の話は、あくまで私が講演の内容を聴聞して、私がこのように頂きました、という話です。

これが正解ではありませんし、捉え切れていないところや、的外れな解釈も御座いましょう。

煩悩具足なる凡夫で愚人なる私、もっと学び仏道を歩む次第で御座います。



京都にいながら聴聞出来る環境を整えて下さった、浦崎雅代さんと、関係者の方々には感謝申し上げる次第で御座います。

本当に、有難う御座います。合掌、礼。



また、ツイキャスではプラユキ・ナラテボーさんが、要所要所で教えを説いて下さり、非常に有り難し。



それらの情報は、浦崎雅代さんのTwitterや、noteにて知る事が出来ます。

noteについては、こちらから飛べるように記載しておきますね。



参照先:「浦崎雅代さんのnote」



浦崎雅代さんのnoteは、月額500円で読めまして、パイサーン師の説法を読む事が出来ます。

パイサーン師の説法と言えば、現在はAmazonで電子書籍として購入する事が出来ますよ。

私も二冊購入して、読みました。



浦崎雅代さんの本と言えば、以前にカンポン・トーンブンヌムさんの本を読んだとお伝えしております。

こちらも合わせて読んで頂くと、過去の活動と、今後の活動についての目安ともなりましょうかな。



参照記事:「「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方(カンポン・トーンブンヌムさん著)の読書感想文」

参照記事2:「浦崎雅代さんのツイキャスで学んだ事|ブッダの言葉「筏の譬え」」



本当に、学び多き有り難き日となりました。

夜に行われた、魚川祐司さんと浦崎雅代さんの対談も、タイとミャンマーの事が窺えて、楽しめました。

タイに行ってみたい方にとっては、良き情報が伝えられておりますから、そちらも聞かれると宜しいかと存じます。



いやはや、本当に、こうして離れたところから聴聞出来る御縁結ぶ事が出来る、科学技術の進歩は、有り難いものですな。



合掌、礼拝

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