「いただきます」を味わう|食に関わる者の姿勢を浦崎雅代さんの記事に学ぶ

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



あなたは、食前に「いただきます」と、合掌してお唱え申し上げてから、食事に手を付けていらっしゃるでしょうか。

「いただきます」について検索してみると、何やら英語で「いただきます」をどういうのか、など、そういう事を知りたいという需要がある事が分かります。

最初にこの問いに応えておきますと、私は「いただきます」を英語で言うと、次のように表現

するようにしております。

Thank you for the food.
もしくは
Thank you for the nice meal.



今回は、「いただきます」を英語で表現する仕方をお伝えしたい、というだけの話ではありません。



先日、私がいつもツイキャスで学ばせて頂いている、浦崎雅代さんが投稿されている記事と出会う御縁が御座いまして。

そこで、タイの比丘・僧侶が唱えられる「いただきます」を学ぶ事となりまして、「ああ、なるほどなあ。」というお味わいを頂くに至りました。

浦崎雅代さんは、タイのお坊さん達が唱える「いただきます」、食前の言葉は、まさに「自己チェックリスト」と、表現されました。

読み進めてみると、確かに、そのように私も感じます。



日本の仏教にも、自己チェックリストとなる食前の言葉もありまして、今回は、それらの話をすることに致します。

同時に、「いただきます」を、改めて味わい、あなたの食との関わり方や姿勢を見直すきっかけとして頂ければ、嬉しゅう御座います。

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「いただきます」を味わう事が軽視されていないであろうか、と思うエピソード

「いただきます」を、合掌して食前の儀式・エトスとして、根付いていると思いたい昨今の食事風景について。



以前、真宗・浄土真宗のお坊さんから聞いた話では、「いただきます」や「ごちそうさま」をせず、食事の合図は笛を鳴らして、何かの競技かと思うような食べ方をするそうな。

現場を観ておりませんから、人伝での話しか出来ませんが、あまりにも合理主義的な考え方が跋扈する現代社会においては、可能性としては否定出来ません。



ピっとなって食しはじめ、ピっとなって食事終了。

なんとも、情緒もへったくれも感じにくい話でありますな。

幾つかの著作から、情緒を大切にしていた人であろうという人柄を想像している人に、岡潔さんがいらっしゃるのですが、岡潔さんが見聞きされたら、なんと仰るのか。



私としては、「いただきます」は、日本的情緒と言いますか、何かこう、言語化出来ない言語を超えた情緒的な大切さを感じるところでありまして。

それゆえに、「いただきます」と「ごちそうさま」を、伝えていきたいものであるなあ、と、思うところに御座います。

「いただきます」をタイの僧侶から学ぶ

そのような事を考えている最中、有り難い事に、私がツイキャスとブログなどから学ばせて頂いている、浦崎雅代さんの連載記事と、出会わせて頂く機会が御座いまして。

そこには、今回の表題どんぴしゃりの話、「タイの僧侶が唱える、いただだきます、の訳と意味」が、掲載されておりました。



参照記事:「タイのいただだきます!は自己チェックリスト。連載エッセイ第7回」

参照記事2:「気づきを楽しむ–タイの大地で深刻級(7)」



ここでは、タイの僧侶が食前に唱えていらっしゃる「いただきます」に該当する食前の言葉については、掲載致しません。

願わくば、きちんと浦崎雅代さんの記事を読んで頂きたいところで御座います。

ほんと、3回は精読して頂ければ、と感じる事であり、私も3度以上精読しております。

まさに自己チェックリストとして機能する|しかも毎日自己をチェック出来るお味わい

今回は、タイの僧侶がなさっている、「いただきます」に該当する食事を頂く際に唱える言葉について、一字一句を解説することは致しません。

タイの僧侶が唱えていらっしゃる食前の言葉は、浦崎雅代さんの記事を読んで頂いて、学んで頂くと致しまして。



浦崎雅代さんが訳して下さる、タイのお坊さん方が食前に唱える言葉の内容から、浦崎雅代さんは、次のように、見事にわかりやすく表現して下さっています。



「自己チェックリスト」



訳されている食前の言葉を、きちんと内容を精読すると、確かに自己チェックリストであるなあ、と、私も共感したもので御座います。

あくまで私の解釈・味わい方ではありますが、私は、どれが大切でどれがそれほどでも・・・という読み方はしておらず、浦崎雅代さんが訳して紹介して下さる食前の言葉は、全て大切な教えであると、頂いております。

同時に、全てが繋がっているとも、頂いております。



ただ、人によっては、特にここはこのように効く妙薬となる教えになるのではないか、という事を考えてもおりまして。

例えば、次の一文は、暴飲暴食したり、まさに食に対する「貪欲(とんよく)」という、貪りの煩悩なり欲が燃えさかっている人にとっては、かなり有り難き、かつ尊き戒めとなる教えではありませんかな。



「この体に生ずる苦しみを減らすために、食します」



「古い感受の苦しみである飢えの苦しみをケアし、新しい感受の苦しみを生じさせないよう、食します」



これ、暴飲暴食をしている人にとっては、「ぎくっ!」となる御言葉ではありませんかな。



食事を取る事によって、体に生じる苦しみが減るというのは、一つは空腹からの解放がありましょう。

しかし、空腹からの解放に留まらず、「うーわ、これ、うめえ、うめえ!」と、自分の食に関する欲を満たすために、暴飲暴食に至っては、「新しい苦しみ」を生じさせる事になります。

それは、体が許容量を超えて、食べたものを食べた口から戻すとか、生活習慣病なり糖尿病なり、そういった病に繋がる肉体になってしまったり、そのような事が考えられます。



「飢えの苦しみ」をケアする事ばかり考えて、「新しい感受の苦しみ」は全く考えていない、という事、現代社会においては、思い当たる節は御座いませんかな。

私も、今は節制するようになりましたが、学生時代にはやらかしたことあります。



タイの僧侶が食前に唱えられる、「自己チェックリスト」として頂ける食前の言葉は、まさに現代社会に効く「食べる前に飲む」的な、妙薬となる教えではなかろうか。



私は、そのようなお味わいを頂いております。

本当に、この言葉を訳して伝えて下さいました、浦崎雅代さんには、感謝申し上げる次第で御座います。

合掌、礼拝。

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「いただきます」日本の仏教編:禅宗での食前の言葉

ここまで、タイのお坊さん達が食前に唱えられる、薬いらずの生活を送るにも効果効能があるであろう、食前の妙薬とも味わえる「自己チェックリストとなる食前の言葉」を、紹介致しました。

浦崎雅代さんが訳して紹介して下さった言葉を、伝えただけではありますが。



タイには、このような素敵で素晴らしい「いただきます」の教えがあります。

この御言葉からも、大いに学ぶ事があると私は頂いております。



それでは、日本にはこのような文化であったり、妙薬となる「いただきます」の言葉、食前の言葉は無いかと言うと、あるんですよ。

現に私は、浄土宗の食前の言葉と食後の言葉を、食事の際に称えておりますし。

私と食事をご一緒して下さった方ならば、もしかしたら、食前に何やらぶつぶつと合掌して唱えている姿を目撃されたかも知れません。



私の場合については、後ほど詳しくお伝えすると致しまして。



まずは、タイのお坊さん方が称えられている食前の言葉と類似する、有り難き教えとなる禅宗の食前の言葉を、お伝えする事に致します。



禅宗では、食前に「五観の偈(ごかんのげ)」という偈を称えてから、食事を頂くという行為様式が御座います。



「五観の偈」で検索して頂くと、Wikipediaにもなっていますし、禅宗のエトス(行為様式)についての本を読むと、大抵は掲載されているかと存じます。

最近でしたら、「ぶっちゃけ寺」でもおなじみでありました、曹洞宗のお坊さんであられる千葉公慈さんの「心と体が最強になる禅の食」が御座います。




ちなみに私は、別の本で「五観の偈」を学びましてね。

次の二冊の本で、偈文を学び、そらんじれるまで称えるようになりまして、今では朝の勤行の時に、自己への戒めとして仏壇の前で毎朝称えるようにしております。



一冊目は、曹洞宗僧侶であられる枡野俊明さんの「禅と食」という、どんぴしゃりの題名の本です。




黒胡麻豆腐のレシピもありまして、また、精進料理のカラー写真も掲載されております。



もう一冊は、臨済宗僧侶であられる有馬賴底さんの本「「雑巾がけ」から始まる禅が教えてくれるほんものの生活力」です。




こちらは、食の項目もあり、そこに「五観の偈」も掲載されておりますが、掃除の仕方についても書かれておりますから、生活をする上での智慧を頂ける良著であると、私は頂いております。



これらの本に書いてある、「五観の偈」は、次の通りです。



一つには、功の多少を計り彼の来処を量る。

二つには、己が徳行の全欠を忖って供に応ず。

三つには、心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。

四つには、 正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり。

五つには、成道の為の故に今この食を受く。



ここでは、詳しく解説することは致しませんが、お伝えした本やオンライン上の解説を学んで頂くと、まさに「自己チェックリスト」としても頂ける偈であると、思われるかと存じます。



一つ目の偈は、仏教が説く「縁起」や、御縁の有り難さを教えて頂ける味わいを、私は観じております。

私の場合:毎日のエトスと、浄土宗の食前の言葉と食後の言葉

最後に、「いただきます、について、偉そうに語っている修羅観音はどうなんだ?」と突っ込まれる事もありましょうから、私の食前の言葉やエトス(行為様式)をば。



私は、自宅で食事をする際には、まずは仏飯(ぶっぱん)をこしらえます。

簡易版ではありますが、仏飯を用意して、仏壇に捧げ、十念申し上げます。

これについては、宗派や各々の文化によって違いますから、そこは柔軟にされると宜しいかと存じます。

気になるならば、菩提寺のお坊さんに尋ねるて確認を取っておくとよいでしょう。



そして、自身の食を頂く段階に移りますと、私は食前に、合掌をしながら、次の言葉を称えます。



「我、ここに食を受く、慎みて天地の恵みと人々の労を謝し奉る。」(十念、礼拝して「いただきます。」)



食後は、次のように称えます。



「我、食を終わりて心豊かに力身に満つ、己がつとめに勤しみ、誓って御恩に報い奉らん。」(十念、礼拝して「ごちそうさまでした。」)



この時に、「私は、この食を頂くに相応しいか?」など、自己チェックリスト宜しく、自己を顧みます。

もっとも、相応しくないこともやらかしていることが常ではありますがね。

それを、御仏、私でしたら阿弥陀仏に懺悔(さんげ)して、己を戒めて、食を頂く事にしております。

「いただきます」を味わい、毎食毎に食との関わり方や姿勢を顧みる

今回は、浦崎雅代さんが訳して下さった、「いただきます」にまつわる話、タイのお坊さん方が食前に唱えられる御言葉から、私が毎日させて頂いている「いただきます」について、お伝え致しました。



人によっては、「そんな堅苦しいの、やだ」と、思われるかも知れません。



ただ、せめて「いただきます」と、己を顧みたり、感謝の念を味わうという、ひとエトスと言いますか、それは絶やすのは忍びないなあ、と言う宗教心を持つ私に御座ります。



今回の話によって、あなたが改めて「いただきます」を味わう機会となったり、見直す御縁となりますれば、嬉しゅう御座います。



合掌、礼拝、いただきます

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