蝉丸Pさんの「住職という生き方」の読書感想文と実感した体験|名著なり

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



先日、24時間不断念仏会から帰ってきて、そのレポートを書き終えてから、ポストに届いておった本を読み終えました。






その本は、真言宗僧侶であられる蝉丸Pさんの「住職という生き方」です。



この本を読んで、思わず「名著なり、名著なり」とつぶやく私でありまして、私にとって有り難き一冊であります。

特に、3章と4章部分は、4月中に親戚と今生の別れ、通夜を体験したばかりであり、本の内容を実感したこともありましてね。



今回は、蝉丸Pさんの「住職という生き方」の読書感想文と題して、話を進めて参ります。



ちなみに、「住職」はATOKで変換すると「the chief priest of a Buddhist temple」となるのですな。

「the chief monk of a Buddhist temple」と、「priest」は「monk」でも通じそうな気が致しますが、英語が堪能な方は教えて頂けると嬉しゅう御座います。

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「住職という生き方」には現代を生きる智慧の書だと思う



蝉丸Pさんの「住職という生き方」を、私が読んだ感想としましては、「現代を生きる智慧の書」というのが、率直なところで御座います。



前半部分では、僧侶になるための流れであったり、蝉丸Pさんが何故住職になられて、現在に至るのかということが綴られております。

僧侶になるには、宗派によって僧侶になるまでの過程は違いまして、「住職という生き方」では、真言宗のお坊さんになる流れが書かれております。



私は浄土宗の念仏する者ということで、浄土宗の話を少し致しますと。



浄土宗でしたら、僧侶になる方法は幾つか御座いまして、大正大学に入って、増上寺で道場生活をするという方法がありますし、清浄華院で修行生活を2年間送るという方法もあります。

清浄華院の話を致しますと、清浄華院で24時間不断念仏会に参加させて頂いておる時に、修行中のお坊さん達と一緒に「なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ・・・」と、共に称えたこともありました。

三唱礼も共にさせて頂く御縁がありました。

修行中のお坊さんが念仏道場でお念仏されている時、明らかに声量が違ったことを覚えております。



本の話に戻ります。



「住職という生き方」の3章からは、現代を生きる智慧となる内容であります。

詳しくは、本を読んで頂ければわかるかと存じますし、是非とも読んで頂きたいと強く思う箇所に御座ります。



娑婆では、色々なカルト的組織があって、えげつない勧誘もまだあるということは、色々なところで見聞きしますし、未だに絶える事がありません。

この文章を書いている頃も、えらいこっちゃな勧誘されたという報告がTwitterでなされておりましたし。

そういった勧誘をされたときの智慧となる話が、「住職という生き方」にありまして、現代社会を生きる智慧となる本であるなあ、と、3章を読んで思うたことに御座います。

菩提寺との関係や、自身と宗教の関わりを再考する機会を頂けた

「住職という生き方」には、檀家についてのことも書かれており、この辺りの話を読んでいて、ふと菩提寺のことを思い出したものです。



そして同時に「私は、明確に菩提寺の名前も住職と副住職の事を思い出す事ができるし、きちんと関係が保たれている」ということも思いまして。

私がこのように思うたように、「住職という生き方」を読まれた方は、自身と菩提寺の関係を、ふと思うたという人も、いらっしゃるやもしれません。



また、その事から、自身の信仰であったり、宗教というものとどう関わってきたのか、などについても、考える機会となった人も、いらっしゃるのではありませんかな。

このような事を思うた時、「住職という生き方」という本は、自身と宗教や信仰を考えるきっかけにもなりますし、菩提寺との関係を考える機会も頂ける本ではなかろうか、と、感じたところに御座います。

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儀礼の大切さ:葬儀は生きている人のため「にも」なる事は確かだと思う私の体験

「住職という生き方」には、檀家や葬儀についての事が書かれております。

その中で、私が自身の体験から、「確かに」と思うた箇所がありまして。



私は、4月中に突如親戚が他界し、通夜に参列致しました。

仏教の言葉で言うならば「愛別離苦(あいべつりく)」を体験したということです。



通夜は家族葬の規模であり、特に近しい人、親しい人も呼ばれていました。

私は、通夜というと、受付で名前を書いて、焼香させて頂いて帰るというイメージしかありませんでしたが、この時は1時間ほど法要と少しの法話を僧侶がして下さいましてね。

結構がっつりと執り行って頂いたものです。



その後、1時間から2時間ほど、お斎を頂きながら、共に往生された方との思い出話などをして、帰路に着きました。

そして、帰りの車の中で、家族がこのような会話をしておりましてね。



「お通夜って、お参りしてすぐに帰ると思ってたけど、最初から最後まで参列出来て、お陰様できちんと、何かこう、お参り出来た気がする。」

「ちゃんとお別れできた気がするなあ。それに、御経もちゃんと落ち着いて聞くことが出来たのは良かったと思う。」



車の中で、家族がこのような会話をしているのを聞いて、私は、「葬儀という儀礼は、生きている人のため「にも」なるのだなあ。」と、思うたことに御座います。



「葬儀や通夜は誰のためか」については、TwitterやSNS、個人のブログなどで、しばしば議論もあるそうな。

私は「葬儀や通夜は誰のためか」ということについては、教義的に確かなことはようわかっておりません。

これは単に私の勉強不足です。

葬儀や通夜では、家族より前に正面に礼をする事がマナーだとか、テレビ番組で観た事があり、まず他界された方を第一に、という話も見聞きしたことが御座いますがね。



私は、その辺りのことについて、教義的な事柄は未だにようわからんのですが。

通夜に参列してお斎の時に感じたご親族の様子や、車の中での会話を聞いて、「少なくとも生きる人のため「にも」なる」というのはあるなあ。」という実感はあります。



このような体験があってすぐ後で、「住職という生き方」を読む御縁があり、98ページからはうなずきまくって読んでおったもので御座います。

宗教儀礼や行為様式の力

葬儀もそうですし、お盆やお彼岸に墓参りをするということも含め、宗教儀礼や行為様式というのは、無視できない力があると、私も実感しているところがあります。

このことについては、蝉丸Pさんの「住職という生き方」を読む前から感じていたことで、真宗僧侶で宗教学者であられる釈徹宗さんの「この世を仏教で生きる」という本の16ページから記されている事でもあります。

ちなみに、宗教儀礼、また宗教的行為様式のことを、釈徹宗さんは「エトス」と書かれています。



宗教儀礼や行為様式が、その力を発揮してくれるわかりやすい場面の一つは、「住職という生き方」にもあるのですが、カルトやスピリチュアル系自己啓発詐欺から身を守れるというところであります。

「このままではあなたは地獄に堕ちますよ!」とか、「先祖を疎かにしておりますね!このままでは不幸になりますよ!」とか、そんなやつです。



これを聞いて、普段から「え、宗教?何それ美味しいの?」「いや、私は無宗教だから」と言って、相手にしないし突っ返せると自信満々の方もいらっしゃることでありましょう。

ただ、これが愛別離苦の直後であったり、あまりにもショックなときにやられたり、何か後ろめたい事情を抱えた状態でたたみかけられたら、どうでしょう。

これは、「住職という生き方」で、蝉丸Pさんが3章で書かれている通り、こちらから色々と奪い取ったり操ろうとする輩にとって、つけいる隙となってしまう事があります。



そういった時に、普段から宗教儀礼であったり習慣となっている宗教的行為様式を行っていると、カルトな輩から身を守る際に発揮する防御力は違うものとなる、と、私も思うところに御座います。

行為様式の積み重ねによって培われた力、仏教の言葉では「薫習(くんじゅう)」と言いますが、自身に染みついた確かな薫りは、魔除けの薫りともなりましょう。

例えば私の場合:「先祖は西方極楽浄土で修行されてますが、何か?」

例えば、私でしたら毎年春と秋のお彼岸には墓参りをしますし、お盆にはお坊さんに家に来て頂いて棚経を挙げて頂きます。

また、菩提寺での十夜法要にも行きますし、菩提寺以外にも別時念仏会に参加したりしております。

更に、祖父母の葬儀も両親がきっちりやってくれて、17回忌もやりましたし、私個人の宗教についての習慣としては、朝と夜に勤行をしております。



そのような行為様式を現在進行形で積み重ねており、祖霊に対しても毎日「先祖代々先亡諸精霊各々追福増進菩提」と、唱えております。

それゆえ、カルトな輩が「先祖を疎かにしてますね!地獄に堕ちますよ!」とか決めつけられても「うちはきっちりやってますし墓参りもしてますし毎日仏壇の前に手を合わせてますが、何か?」と返せます。



また、「先祖が地獄で苦しんでますよ!」とか「あなたはこのままだと地獄に堕ちますよ!」と言われても、「阿弥陀仏の来迎によりて極楽浄土で修行しますし、先祖は西方極楽浄土で修行されてますが、何か?」とも返せます。



こちらは、きっちりと過去に親族の葬儀を両親がしてくれており、その場面に居合わせておりますし、墓参りなどの宗教儀礼や行為様式もやってますから、カルトな輩にやんややんや言われる筋合いは御座いません。

それゆえ、私の信仰に対してやんややんや抜かすカルトな輩は、私の信仰に土足で踏み込んだあげく、信仰を踏みにじっておる行為だと見抜いて、距離を置くことが出来ます。


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蝉丸Pさんの「住職という生き方」は、自身の宗教を再考し現代を生きる智慧となる名著なり

今回は、蝉丸Pさんの「住職という生き方」を読みまして、私自身の直近の体験も交えて感じた事や改めて考えた事など、読書感想文を綴りました。



私は以前、小出遥子さんと釈徹宗さんが登壇されて話をして下さったり、対談もされた「お寺再発見!」という講演会に行ったことがあります。



参照記事:「小出遥子さんと釈徹宗さんの講演と対談「お寺再発見!」に参加して考えたこと」



今回読んだ「住職という生き方」は、菩提寺の事やお寺のことも書かれており、まさにお寺再発見・お寺再考の御縁にもなりました。

それに加えて、「檀家再発見・再考」「宗教再発見・再考」にもなる一冊であるなあ、と、観じたものに御座います。

特に3章からは、現代社会を生きる上で、カルト的な輩に色々なものを奪われぬ智慧ともなる話が記されております。



宗教について全く関心が無く、全く免疫の無い人にとっては、力となってくれる本であろうと思うところに御座います。



名著なり。



合掌、礼拝

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