ヴィッパサナー瞑想で行うラベリングのモデルは、なだぎ武さんのディランマッケイネタ|注意点もあり

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



私は現在、ヴィッパサナー瞑想で行うラベリングはしておらず、瞑想や仏教的な行為様式は、お念仏と手動瞑想や歩行瞑想などの「チャルーンサティ・気づきの瞑想」が中心です。

朝と夜の浄土宗の勤行をしてから、もしくは起きてからと就寝前に、坐禅や呼吸瞑想、手動瞑想をするようにしております。

その際に、現在の私はヴィッパサナー瞑想で行うラベリング瞑想はしておりません。

現在は、色々な御縁や変遷を経て、私と相性が良い瞑想はプラユキ・ナラテボーさんから教わった気づきの瞑想、手動瞑想や歩行瞑想という事が分かり、そちらにシフトしました。



だからといって、「手動瞑想最高!ヴィッパサナー瞑想やラベリング瞑想は駄目!」と言いたいわけではありませんから、お間違い無きよう。

現在の私はヴィッパサナー瞑想・ラベリング瞑想をしていないだけで、この瞑想と相性が良い人もいらっしゃるでしょうし、否定する話ではありませんからね。



ヴィッパサナー瞑想では、自身の状態を観察する時に、ラベリングを行うため、ラベリング瞑想という呼び方もされることが御座います。

私も、アルボムッレ・スマナサーラ長老や、小池龍之介さんの瞑想に関する本を読んだ時に、一時やったことが御座いました。

そういう経験を経て、ヴィッパサナー瞑想で行うラベリング瞑想の、なかなかに善きモデルを見出しました。



今回は、そのモデルについての話であります。



ラベリング瞑想をする際に、初心者・初学者や、これから始める人にとって、どうすればよいのかという部分の、一歩目となる話です。

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ヴィッパサナー瞑想・ラベリング瞑想の基礎知識

ヴィッパサナー瞑想で行うラベリング瞑想、わかりやすく「ラベリング瞑想」と言われる事もあるようですが、まずはその基礎知識、前提知識の話をしておきましょう。

ヴィッパサナー瞑想やラベリングについて、より詳しく学べる本も、後ほど紹介致します。



ヴィッパサナーとは「観察する」という意味で、ヴィッパサナー瞑想とは、現在の状態を実況中継をするかの如く観察し続ける瞑想の事です。

ヴィッパサナー瞑想を行う際、この「観察(かんざつ)」をする時に使う手法が「ラベリングによる実況中継」です。

ラベリングというのは、現在の状況・状態を言語化していく業です。



さて、ヴィッパサナー瞑想について話をする際、覚えておくと良い基礎知識と致しまして、次の事も話しておくと致しましょう。



ヴィッパサナー瞑想と共に紹介されて、セットで行う事が多いのが、「サマタ瞑想」です。

サマタ瞑想とは、「止行・止業」と言われており、集中型の瞑想です。

サマタ瞑想は、ヴィッパサナー瞑想をする前の集中瞑想として行われ、よく知られて居るのが「慈悲の瞑想」です。

「生きとし生けるものが幸せでありますように」など、こういった文言を集中して称え続ける瞑想法です。



現在は、色々な所でヴィッパサナー瞑想が出来る道場や施設、講座が開かれておりまして、京都ではゴエンカ氏の瞑想センターで、10日間施設に籠もっての行も開催されております。

また、Facebookでも情報公開して下さっている、曹洞宗で修行した後、スダンマチャーラ比丘として活動されている山下良道さんも、教えて下さっています。

ヴィッパサナー瞑想のやり方:方法を一個で言うと「ラベリングで実況中継する」

ヴィッパサナー瞑想では、実況中継を言語化して行う「ラベリング」を致します。



例えば、坐った状態から立ち上がる時、「今、右手を床に付けている、付けている」とラベリングし、次に「今、右手を床から離している、話している」とラベリングします。

これを繰り返して、細かく自身の状態をありのままに観察していく、という瞑想です。

ヴィッパサナー瞑想による歩行瞑想では、「右足を上げている、上げている、右足を運んでいる、運んでいる・・・」という感じですね。



これは、食事の時にも応用出来る瞑想法で、箸を持って、茶碗を持って、食べ物を口に運んで、等のことも、ラベリングして実況中継していきます。

ゆえに、パンと珈琲だけの食でも、1時間かけて食事をする、という事も御座います。



実際に私も、「喫茶去(きっさこ)」という禅語と出会い、お茶を飲む事に集中する、言うなれば「喫茶三昧」を行ずる時に、やってみたことがあります。

もっとも私の場合は、集中しきれず、ラベリングで実行中継・観察しきれずに、すぐに雑念や別の言葉が浮かんできて、それをラベリングで再び消す、の繰り返しでしたがね。
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ヴィッパサナー瞑想で行うラベリングのモデルは、なだぎ武さんの「ディランマッケイ」

私も、プラユキ・ナラテボーさんの手動瞑想などによる「気づきの瞑想・チャルーンサティ」の御縁賜る前は、坐禅やお念仏中心ではありましたが、ヴィッパサナー瞑想とサマタ瞑想もしておりました。



例えば、坐禅を終えた後、立ち上がるときに5分くらいかけて立ち上がろう、その時にラベリング瞑想、ヴィッパサナー瞑想をしよう、という感じでやっていた時期が御座います。

ただ、5分かけて立ち上がるところを、2分くらいになってしまっていて、やってもやってもラベリングをやりきる事が出来ず、「私は駄目だなあ。」という自己否定を覚えた事も御座います。

「瞑想難民」の概念や、そうならない智慧、プラユキ・ナラテボーさんや魚川祐司さんの講座なり本と出会わなければ、私は瞑想難民になっていたかも知れません。

現在は、上手くラベリングが出来なくても、自己否定に到らぬ方を向けるようにはなっているとは思いますがね。



ヴィッパサナー瞑想をいきなりやる、踏ん張って「ヴィッパサナー瞑想をするぞ」と考えて、いざ瞑想を始める人の場合、私の様な事に陥る可能性も御座いましょう。

これから始める人や、まだ始めていない人がいきなりやろうとすると、私が陥った状態にまっしぐら、と言う事も考えられます。

こうならないために、何か良い指標なりモデルがあれば、そういった不具合も防げる可能性が上がりましょう。



そういうわけで、ヴィッパサナー瞑想をこれから始める人に、なんとかわかりやすく入りやすいモデルはないものか、と、色々と思案した事が御座います。



そんな中、ふと、昔観たことがある、なだぎ武さんの「ディランマッケイネタ」を思い出しました。



お笑い番組が好きな人でしたら、「ああ、あれか。」と、思い出して頂ける事でありましょう。

瞑想を楽しんでやる、という事柄について、専門家からは「怪しからん!」とお叱りを受けるかも知れませんがね。

なだぎ武さんの「ディランマッケイネタ」で、自転車から降りて置きに行く場面は、まさにラベリング瞑想

あなたは、なだぎ武さんの「ディランマッケイネタ」をご存じでしょうか。



著作権・知的財産権の事が御座いますから、ここに動画は載せられません。

動画を検索すれば、色々と出てくるでしょうから、そちらを参照して頂ければと思います。



なだぎ武さんの持ちネタ「ディランマッケイネタ」では、自転車に乗ってディランマッケイに扮した、なだぎ武さんが登場します。

そして、始まってからすぐ、自転車を降りるシーンがあるのですが、この自転車を使ったネタに注目。



なだぎ武さんは、自転車を降りる時に、終始、自身の状態を実況中継しているのです。



「今、自転車から降りるからな。よ!」

「今、自転車を降りている。」

「間違いなく、自転車を降りている。」

「よーし、降りた。」



そして、自転車を端の方に止めに行く時も、ラベリング・実況中継を続けます。



「今、自転車を止めに行っている。」

「間違いなく、自転車を止めに行っている。」

「よーし、止めた。」



私は、瞑想を学び実践するようになってから、なだぎ武さんのディランマッケイネタを思い出した時、「ああ、あれはヴィッパサナー瞑想のラベリングではなかろうか。」と、思うたもので御座います。



ヴィッパサナー瞑想をされる時、初歩の段階では、このことを思い出されると、楽しみながら、しかもわかりやすく実践出来るやもしれません。

あくまで参考の話として、使える話ではなかろうかと頂いております。



このことを踏まえつつ、より深く学び実践したい方は、上でお伝え致しました通り、ヴィッパサナー瞑想、ラベリング瞑想について詳しく書かれている本もありますから、予習復習されると宜しいかと存じます。



アルボムッレ・スマナサーラ長老の本は、こちら。





こちらは、小池龍之介さんの本です。

こちらの方が、全くの初歩から始める人にとっては、読みやすいかと存じます。



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ヴィッパサナー瞑想の注意点

ここまで、なだぎ武さんのディランマッケイネタのように、わかりやすいモデルと、読みやすいヴィッパサナー瞑想・ラベリング瞑想の本をお伝えしてきました。



これらの話、本は、大変有り難い御縁ではありますが、注意点も御座います。

「瞑想いいよ最高だよ、君もやりなよ!」と、無理にお勧めするだけの無責任な輩には、なりとう御座いませんから、注意点もきちんとここでお伝えしておきます。



この先の話は、瞑想をする人全てに言える注意点として、他人事とは思わずに、自分事として注意して頂きたい事柄です。

もちろん、これは私自身に対しても言える事で、改めて学ぶための自戒を込めてお伝えする事で御座います。

この話を読み飛ばすと、瞑想難民になりかねませんから、よく読んで頂き問う御座います。





まず、ヴィッパサナー瞑想、ラベリング瞑想をする際、実況中継を言語化して行う、ラベリングし続けていくわけですが、初学者・初心者は途切れ途切れになる事でありましょう。

例えば、歩行の実況中継という場面でラベリング瞑想をする場合、「右足を運んでいる、運んでいる、運んでいる」と、ラベリングすることになります。

その時に、ふと、「そういえば、あのクソ上司が許すまじ!」とか、「冷蔵庫に珈琲プリンあったよなあ。」とか、浮かんでくる事も有りましょう。



そういう場合、私も以前に陥ったのですが、「ああ、雑念が、妄念が湧く自分は駄目な奴なんだー。」と、自己否定へ向かう事が御座います。



それがどんどんと深まっていくと、プラユキ・ナラテボーさんと魚川祐司さんが伝えて下さっている「瞑想難民」になってしまいかねません。

瞑想をして、生き方や在り方を調える、自身を調えるところが、かえって不調という方へ向かってしまう、という現象に陥ります。



そういう場合は、一旦瞑想をやめる、違う瞑想を試みる等、柔軟な対応が肝要で御座います。



また、現代社会では技術の発展により、独学で瞑想を学び実践する事が出来ます。

先ほど申しました、なだぎ武さんのディランマッケイネタをモデルにして、ヴィッパサナー瞑想・ラベリング瞑想の本で実践する事も出来ます。



しかし、独学・我流でやっていくうちに、具合が悪くなったとしても、それを注意してくれたり修正してくれる人がいないと、気づいたときには瞑想難民だった、という事になりかねません。



これは何度も申し上げていることですが、瞑想をこれから始める人は、瞑想についてきちんと指導・伝導出来る指導者・伝導者の元で、何度か瞑想をきちんと教えて貰い、学び実践する事が肝要で御座います。



参照記事:「マインドフルネス瞑想を自力で始めると陥る危険な罠|私が直接指導・伝導や瞑想会を大切にする理由」



そして、出来る事ならば、一度だけではなくて、定点観測の意味も含めて、定期的に通う事が望ましいと私は考えております。

このことを踏まえると、今回の話は、復習に使うくらいが丁度良いでしょう。



ただし、ここでも注意点。



これも何度か言っていることでありますが、ヴィッパサナー瞑想・ラベリング瞑想も、指導者・伝導者によってやり方が微妙に異なります。

瞑想の種類もそうですが、伝える人、指導者との相性も御座います。

これは、同じ教科や科目、同じ内容でも、「この人に教わるとわかりにくいけれど、この人に教わったら一発で理解出来た」という経験に似ています。



雲水の如く、瞑想の種類と、指導者・伝導者を色々と渡り歩くのも、一つの智慧有る活動に御座います。



ブッダも仰っていますからね、「善友と交わり、適切な場所に住む事」と。

この場合、「善友=瞑想指導者・伝導者」「適切な場所=瞑想指導の施設や瞑想の種類」と置き換えると、わかりやすいかと存じます。



私の場合の参考資料としまして、こちらの話を読んで頂くと、わかりやすいかと存じます。



参照記事:「マインドフルネス瞑想会体験感想文|プラユキ・ナラテボーさんの講座での気づき・2017春編」

参照記事2:「日常生活の中で出来るマインドフルネス瞑想の方法|プラユキ・ナラテボーさんから教わった事」

参照記事3:「不安解消に効果があるマインドフルネス瞑想を体験してきました|プラユキ・ナラテボーさんとの善き縁」



現在は、科学技術の発達により、活字と動画によって、色々な瞑想法、瞑想のやり方を、自宅にいながら自分一人で学べるようになりました。

是は是で、大変有り難い御縁で御座います。



ただ、それが独りよがりになり、修正してくれる人との御縁がないと「瞑想難民」になったり、禅でいうところの「野狐禅(やこぜん)」になりかねません。



一人で学べる事柄は、復習として使うくらいが良い塩梅である、私はそのように頂いております。



今回話しました、なだぎ武さんのディランマッケイネタも、ヴィッパサナー瞑想で行うラベリングの復習や確認のために使うくらいが丁度良いことでありましょう。

もしくは、ヴィッパサナー瞑想・ラベリング瞑想を、瞑想講座や瞑想センターにて指導・伝導を受ける事を前提とした上で、これから始める人のちょっとした予習くらいが、宜しい塩梅であると想います。



合掌、礼拝

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