「お前呼ばわり」や「あんた呼ばわり」する人とは、なるべくお付き合いしたくない

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。

あなたは、人様を呼ぶときに、どのような二人称で呼ばれますか。
私の場合は、「あなた」が、この寺院(ブログ)や、インターネット上のお付き合いではよく使う二人称です。

実社会では、特に親しい人にだけ「何々君(くん)」と呼ぶ事がありますが、それ以外は基本的に「何々さん」「なんとか様」と、さん付けか様付けです。



二人称の中で、あまり印象が宜しくない呼び方に、「お前」や「あんた」が御座います。

私は、結構その辺りを意識しておりまして、お前呼ばわり・あんた呼ばわりするような人とは、お付き合いしたくないという感性を持っておりましてね。

特に、初対面であったり、まだあまり親しいとは感じていない人から、お前呼ばわりやあんた呼ばわりされると、その人を無礼者だと認識して、不快感も覚えます。

もっとも、これも私の色眼鏡的な感性であり、煩悩と言えば煩悩と言えましょうし、その自覚あっての事ですが。



あなたも、人様に対して「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」をしていませんかね。

後輩であったり年下に対して、やってしまっていませんか、と、問いを発します。

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お前呼ばわり・あんた呼ばわりを論じる前に:前提知識として言葉の勉強をしましょう

私は、個人的に人様に対して「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」をしたくありませんし、されるのも嫌だと感じます。

私の場合は、姿形が典型的な「喧嘩弱そうな、腕力なさそうなひ弱な者」に見られやすいから、一方的に「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」されることの方が多いのですがね。



目の前の相手を「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」する人は品性を欠いた輩だから、反面教師として頂くようにしておりまして、私は丁寧な呼びかけ方を心がけております。

店員さんを呼ぶときも、「おい!」なんて呼びかけもしません、呼ぶならば「すみませーん!」「ちょいと宜しいでしょうか?」とか、そんな感じです。



そもそも「お前」や「あんた」という二人称についてですが、改めて問われて、どこまでこの呼びかけの言葉について、ご存じでしょうかね。

実は「お前」とは、仏教とも関連があると、ご存じでしょうか。



「お前、おまえ」を漢字変換すると、「御前」です。

私も京都生まれ京都育ちゆえに、「御前通り(おんまえどおり)」を連想するところではありますが、古文や歴史が好きな人なら、巴御前や静御前を連想されるかも知れませんね。

この呼び方は「巴御前(ともえごぜん)」と、「御前(ごぜん)」という発音です。



仏教に関連する話を致しますと、「御前立(おまえだて)」という言葉を、聞いた事がある人もいらっしゃるかと存じます。

「御前立」とは、秘仏であるご本尊の前にあり、秘仏本尊の代わりに、衆生が拝む仏像のことです。



このように、昔は「お前」というと、なかなかに尊い響きと語感・ニュアンスがあったものであろうと、推察するところで御座います。

それがさすらいを経て、今では「おい、お前」という感じで、ぞんざいな呼び方という認識がなされる現代語になったのです。



「あんた」も、以前は目上の人に対する呼び方でしたが、「お前」と似たようなさすらいで、ぞんざいな呼び方となりました。

(目上だの目下だの、そういう区別をしない、そのような事に執着しないというのが仏教的な在り方でしょうが、ここでは省きます。)



親しい人同士の呼び方にもなっておりますけれども、現代語としての「あんた」も「お前」も、私はどうもなじめないのですがね。

二人称と言いますと、「貴様」も、「あなたさま」という相手を尊ぶ二人称でしたが、現代語としては、なんだかきつい呼び方という印象が御座います。



そういえば、「お前」も「あんた」も「貴様」も、上で話した事を聞きかじった人の中には、「いいか、お前って実は相手を敬った言い方なんだぞ、だから俺が「お前」とお前を呼んでも丁寧なんだ」と、言い訳がましい事をいう人もいます。

知識としては頂いておくとして、そういう言い訳をしている輩が、本当に相手を敬って、「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」をしているのか、甚だ疑問です。

そういう苦しい言い訳をしている輩には、現代語の語感・ニュアンスをもう一度学び直して出直してらっしゃい、と私は申し上げたいところですがね。



そもそも、本当に相手のことを尊重しているなら、「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」ではなく、気取らず自然な姿勢で「(相手の名前)様」と、様付けで呼ぶでしょうに。

仏法を何十年も学び続けていても人様を「お前呼ばわり」するじいさん

初対面であったり、あまり親しくない人に対して、「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」するという姿は、私は好ましくないという色眼鏡・感性を持っております。

これは、前回話題にさせて頂いた、やまもとりゅうけんさんも、同じような感性をお持ちのようで、共感したものです。

宜しければ、一旦そちらを読まれてから、再びこちらに戻ってきて頂ければと存じます。

参照先:やまもとりゅうけんさんの記事「先輩社員に「お前」って言われたから、僕は会社を辞めた。」



読んで来られましたようで、お帰りなさいまし。



では、私からも、仏教者としても非常に残念な「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」にまつわる話を致しましょう。



私は、東本願寺から道路を挟んで北側にあります「しんらん交流館」で、日曜講演や特別講演・法話、また毎日行われている定例法話にて、御法話を聴聞させて頂くことが御座います。

そういう場には、昔から10年20年というレベルで通っていらっしゃる、現代の日本社会においては、ご高齢と呼んでもよいであろう年齢の方々も来られます。

その中の一人の実話・エピソードです。



御法話の際に、しんらん交流館ではホワイトボードを使うのですがね。

御法話の時に、ちょいとホワイトボードが仏壇が隠れる位置に置かれておりまして。

それで、とあるおじいさんは、それが気になったのでしょう、席を立ってホワイトボードを阿弥陀仏像が隠れない位置にずらしたのです。



まあ、そこまでは別によろしいのですが、その後が宜しくない。



席へ戻る際に、近くにいた初老の男性に、「お前がやれよ、お前の方が若いんだから。」と、偉そうで傲慢にもお前呼ばわりしてました。

言われた初老の男性は、それから暫く来なくなりましたから、よほど気分を害されたのではないかと推察致します。



そのおじいさん、以前からかなり昔の御法話についてもよくご存じだったから、10年20年レベルの期間通い詰めていらっしゃった事を知っておりましたがね。

いやはや、それだけ仏法を聞き続けていても、性格や在り方というのは、なかなか変わらんものか、人はずっと煩悩具足の凡夫であるという法然上人や親鸞聖人の御教えの現実を、目の当たりにしたものです。



私は反面教師としてこの事例を頂き、自己を調える材料と致しましたものです。
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後輩にも「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」をしないという奥ゆかしさを大切に

相手に対して「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」をしてしまう背景には、色々な要素があるかと存じます。



私は、顔面が見るからに喧嘩が弱そうだから、年下からも馬鹿にされたり、呼び捨てにされることもあったものです。

そういう経験を活かして、私は自分より年下であろうが、初対面であろうが親しくなろうが、「さん付け」や「様付け」を崩さないようにつとめております。



ちなみに私は、中学高校の頃からずっと、誰に対しても丁寧語で接しております。

現在で言うところの、相棒の杉下右京さんを連想して頂ければ、わかりやすいかと存じます、相棒観てる人はね。

だからといって、「私の方が先でしたよ」と、そんな浅ましい事は申し上げませんが。

誰に対しても丁寧であると、結構楽なんですよ、私としては。



話を戻しまして。



私は、「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」を目の前の相手にするというのは、「自分はこいつより上だ、こいつよりも喧嘩が強い」という「増上慢(ぞうじょうまん)」なる慢の煩悩を見出しております。

また、「こいつは、これくらいいじったり無礼な対応をしても、怒らないだろうし、喧嘩になっても俺の方が勝つ」と、相手を見下している精神もありましょう。

もちろん、全てが全てそうだとは言いませんし、一つの例ではありますが、「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」する背景には、この例が多いのではないかと推察致します。



それを踏まえた上で、特に相手に対して「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」をしてしまいがちな場面が、先輩後輩の中であったり、買い物をする時に、店員に接する場面です。

上でお伝えした、やまもとりゅうけんさんの記事を読んで頂ければ、「あるよね、そういう場面、いるよね、そういう人」と、共感される人もいらっしゃるかと存じます。



もしもご自身を振り返り、後輩にお前呼ばわり・あんた呼ばわりしていると気がついたら、戒めた方が宜しいかと存じます。

いや、戒めましょう、きちんと。

きちんと後輩を「君・さん」付けで呼ぶか、呼びかける時は、せめて「きみ」であったり、やんわりとした表現をしましょうよ、と、呼びかけたいところで御座います。



たとえ年下であったり後輩だとしても、私のように敏感であったり感性を大切にしている者は、「お前呼ばわり・あんた呼ばわり」をする輩は、品性を欠いた傲慢な煩悩に毒されていると観ます。

そして「この人は、人を見下す事を平気でする残念な人だ。」「私のことを、無意識的に見下されているな。」と、警戒します。



実例として、やまもとりゅうけんさんは、お前呼ばわりされたことも一要因として、所属されていた組織を去ったという話を、ブログでされています。

私は、それが要因で組織を去る事は、極端な事だとは思いませんし、ご本人はその事を「ゆとりです」と呟かれていますが、ゆとってはおらんと観ておりますがね。

私は、「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」された時に「無礼なやつだな」と感じるその感性を大切にしたいと思います。



やまもとりゅうけんさんが、参照先の記事で仰る「なんなら最初は敬語が当たり前だと思ってます。」には、私も共感しておりますし、私は最初から最後まで敬語で通します、たとえ年下相手でも。

私は「年長者は先人への敬意で礼節を重んじる、年少者には未来を担う者への感謝で礼節を重んじる、同年者には同じ時代を生きる者への有り難さで礼節を重んじる」を、軸にしておりますがゆえに。



やまもとさんはご自身を「ゆとりです」とつぶやかれましたが、むしろ先輩後輩ということで、初対面の相手に対して、平気で「お前呼ばわり」する方が、よほど頭の中と意識がゆとっておりますがな。



そもそもとして、「お前」と呼ぶ場面は、親しい間柄になって、お互いがそう呼んでも許し合える関係性が構築されている事が前提です。

杓子定規に「お前」の使い方を完全にしろ、とまでは言いませんが、親しくなっていない状態や、初対面で「お前呼ばわり」は、明らかに目の前の相手に対する配慮が足りない。

自分の言葉遣いや態度、姿勢や在り方について、顧みるという事「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」が、全くなされていないと言えましょう。



そういう輩には、自己を顧みた上で、「奥ゆかしさ」という言葉と概念、そのエトス(行為様式)を、お伝えしておきたい。



そして、それは私にも言える事で、時節が調えば私もやらかしてしまう可能性は、娑婆世界で生きているならば、あり得る話です。

私への戒めとしても、改めて提言させて頂く次第で御座います。

初対面の人とは後輩であっても丁寧に、そしてその後は「親しき仲にも礼儀あり」という奥ゆかしさが肝要

私は、「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」を、相手を見下した精神性にてやってしまうという事を、嫌がる者で御座います。

もちろん、相手の呼称、二人称というものは、各々の関係性に大きく関わっており、それによって呼び方も様々でることは、承知しております。

それに、方言も御座いますからね。



例えば、関西圏では「あんたはん」という言い方がありますし。

「あんたはん」は、「あなた様」という丁寧な言い方であり、目上の人を呼ぶときに使う、という事が御座います。

京都では、「(人の名前)はん」は、「さん、様」と同じ機能を持った言葉であり、今でも使っている人を見かけます。

似た表現で「あんさん」も、丁寧な二人称です。



民俗学的に、二人称代名詞を調べて観ると、地域性があったりと興味深いものです。



それはそれとして学ぶと致しまして、やはり現代社会で円滑に生きる上では、相手を呼ぶ時の二人称代名詞は、最低限の事は学んでおくべきではなかろうかと存じます。

そして、それを支える土台・根本的な在り方として、「親しき仲にも礼儀あり」を備えておくことが肝要です。

そうすれば、初対面でもきちんと丁寧に接し、その後親しい間柄になっても、ついつい横柄に「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」もしなくなる奥ゆかしさとなりましょう。

初対面の後輩に「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」は、奥ゆかしさがなく品性を欠いた姿ですし、傲慢な態度と観られても仕方ありません。



まさかとは思いますが、これをここまで読んで下さったあなたは、買い物に行った先で店員さんに「おい!」とか「おいお前、ちょっと!」とか、言っていませんよね。

店員に対して「てめえ呼ばわり」なんて、していないと思いたい。

店員さんと仲良くなった後に、「親しき仲にも礼儀あり」でいられる人は、私は奥ゆかしく謙虚さを備えた人だな、と見やすいものです。

もっとも、詐欺師はその辺りも考えていますから、無防備に信用しすぎることは注意すべきでしょうが。



ちなみに私は、私が客人として店に行ったのに、偉そうにされたり「馬鹿たれ」と言われたり、「お前呼ばわり」をされたことがあります。

私の顔面や、服を着ているとひ弱に見えるために、私に対する「これくらいやっても大丈夫だろう」という限界値が、かなり高めに設定されていたのでしょうね。



そういう店は、その後一度も行っておりませんし、その店の前も歩いたことがありません。

子供の頃からの付き合いだった自転車屋があったのですが、そういう態度を取られてから、私は絶縁しましたからね、私は悪縁と見なしたものは、その場でバッサリ断ちます。



そうならないためには、「親しき仲にも礼儀あり」は、備えておくべき大切な智慧であり、処世術でもありましょう。

間違っても、初対面や、親しくなる前からいきなり「お前呼ばわり」「あんた呼ばわり」は、しないように心がけたいもので御座います。



合掌、礼拝

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