維摩経に学ぶコンサルタントやコーチ・指導者の在り方と注意事項|落とし穴に嵌まらぬためには

御参拝、誠に有難う御座います。住職(管理人)の修羅観音です。



NHKEテレにて、100分de名著:維摩経が釈徹宗さん指南役として放送されていることにより、私もテキストと「なりきる、すてる、ととのえる」を、読んでおります。

維摩経については、私は得意分野を揺さぶる事が学べる「弟子品」や「菩薩品」が、印象に残った箇所でありまして。

そして、今回の「100分de名著:維摩経」で改めてその部分を学び、特に富桜那さんと維摩居士とのやり取りの部分が、改めて学ぶ事多き箇所で御座いました。



本というものは、その時節・タイミングで、頂き方や読み方、学ぶ事が変わり、何度も読む本というのも出て来ます。

これは恐らく、私が実際に我利我利亡者なる詐欺師なコンサルタントや、コーチをやってはいけないコーチや指導者を、目の当たりにしてきたという背景もありましょう。

維摩経は、コンサルタントやコーチといった、指導者の在り方を学べる名著でもあります。

もっとも、コンサルタントやコーチなどを自称する指導者的な立ち位置の人が、維摩経を使う場合、注意しなければならない落とし穴も御座います。



今回は、維摩経に指導者の在り方、最近流行のコンサルタントやコーチの在り方を、学ぶ事と致しましょう。

自称コンサルタントや、「コーチングは稼げる!」とか抜かす鐘に目がくらんだ自称コーチなどにとっては、耳の痛い話です。

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維摩経でコンサルタントやコーチ・指導者が在り方を学ぶ箇所:富桜那さんと維摩居士の場面

前回行いました、「100分de名著:維摩経」第2回放送の復習にて、維摩経の「弟子品(でしぼん)」の場面を紹介しております。



維摩経第3章「弟子品」では、現在の時節においては、私は説法第一と称される富桜那(ふるな)さんという、ブッダの十大弟子の一人に注目したものです。

富桜那さんは、説法がとても上手いブッダの弟子なのですが、ある日、在家の仏教徒に説法をしていると、維摩居士がやってきて、こう話します。



「富桜那様富桜様、説法をする際には、まず自らの感覚・感情・認識を止め、更に話す相手の内面を観察した上ですべきではありませんかな。」

「それは、器に合った食物を盛るが如く。富桜那様は、この人達の志をしっかり見抜いていらっしゃらないように感じられまする。」



私は、ここで「対機説法・応病与薬・卒啄同時」を改めて学んだ事に御座います。

また、維摩居士が富桜那さんに放った前半部分の言説は、「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という禅語も学べましょう。



説法をする際、まずは己の事をしっかりと観察、つまり自己観察・自己解析をした上で、自己の先入観なり感覚感情・認識をストップさせます。

その上で、相手の事をしっかりと観る、他者観察をして、相手に伝わるように説法をするのが、説法の在り方である、というわけですね。

指導・伝導は智慧と慈悲があってこそ:独りよがりにならぬ智慧を頂ける維摩経

説法をする、何かを指導したり伝導する際に、維摩居士が仰った事は、「まさに!」と言ったところです。



凄く知識の量が豊富で、いわゆる「出来る者」であったとしても、教え方が下手でどうしようもない、という事例は、あなたも体験した事があるやも知れません。

ディベート・討論やテストは凄く腕が立つのに、人に物事を伝えるとなると、途端に下手になったり、やたら偉そうに「そんな事も分からないのか!」と、理解出来ないことを攻めてきたり。

こういうのは、自己解析・自己分析も他者観察も全くもって足りていない典型です。



今回の、維摩経の弟子品にあります、富桜那さんと維摩居士のやり取りは、お坊さんが説法をする在り方だけに限った話ではありません。

「100分de名著:維摩経」のテキストでも釈徹宗さんが解説されていますが、これは仏道の説法に限った話ではなく、日常においての人間関係にも応用出来る考え方であります。

また、今回私が表題としております、コンサルタントやコーチと呼ばれる仕事をしている人、指導者や伝導者の立ち位置の人にとっては、非常に重要な話でもあるのです。



仏法を伝える、仏道の説法においては、その在り方には「慈悲と智慧」が背景に御座います。

「慈悲と智慧の実践」という形での説法でなければ、それは説法と言えるかどうか、と言うと、厳しめでしょうかね、当然のことと言われましょうかね。



現在流行のコンサルタントやコーチングをするコーチ等も、この「慈悲と智慧の実践」を前提とした背景を背負っての指導・伝道が肝要である、と、私は考えております。

そして、そのためには指導・伝道する相手をきちんと観察し、自己も顧み続けた上で、相手が受け取れる形で伝えると言う事が大切です。



「教え上手」且つ「この人から教わりたい」と、思うて頂ける指導上手な人や伝導者は、「智慧と慈悲の実践」を前提と出来ていると、私は考えております。

自称コンサルタントやコーチ・指導者の現状:我利我利亡者

現在の、自称コンサルタントや、コーチングがどうのこうのと偉そうに宣っている自称コーチなどの、指導者を装っている者共は、この「智慧と慈悲」の真逆をやらかしております。

こういう輩を総して、私は「我利我利亡者」もしくは「我利我利亡者なる詐欺師」と呼ぶ事にしております。

良くて「餓鬼畜生」の類いですわな。



「我利我利亡者餓鬼畜生」は、人ではありません、人間辞めたか、もしくは最初から人あらざる者か。



きゃつらにとって最も重要なことは、「如何に自分の財布を潤すか」ですからね。

私も、そういう輩に何度か潜入して、実情を探ってみてきたもので、慈悲と智慧は皆無でしたよ。

お陰様で、その者が指導者・伝導者たるかは、最近は見分け方がわかりやすくて、選別するには有り難いものなのですがね。

選別というと、維摩居士に「分別をしておりまするぞ。」と、諭されそうですが。



こういう輩は、往々にして教え方・伝え方も下手です。



その上、偉そうですからね、私が「ここがわからない」と伝えると、「こんなの全然難しくない、どこが難しいんだ」と、攻めてきましたから。

また、「わからないというのは駄目だ」と言う輩もいましたね、どこのハンドルネームも存在としても「ぺいぺい」な輩とは申しませんが。



我々「人」は、こういう人あらざる者の無明なる在り方を、反面教師にする智慧が備わっておるものです。

維摩経を読み、折角こうして反面教師という教科書があるわけですから、それを上手に使って、次の話に繋がる進化を遂げようではありませんか。

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得意分野を揺さぶり、常に脚下照顧する在り方

維摩経の「弟子品」と「菩薩品」では、全体として観た場合、「ブッダの弟子達と菩薩達の得意分野を揺さぶる維摩居士」と言う様相を読み取る事が出来ます。

この「得意分野を揺さぶる」というところが、とても大切なところであり、また、気をつけないと落とし穴に嵌まる部分でもあります。



現代社会においては、よく言われる言説が「得意分野を伸ばせ」とか「得意な事を活かして仕事をする」という事です。

確かに、これはこれで否定する事ではありません。

それが、自信を持ってしっかりと生きる事にも繋がりますからね。



しかし、得意分野を伸ばす事は結構なのですが、実はそこに「執着」や「安住している事による油断」が生じるものです。



得意分野を持って自信を持つことは、生きる上では大切な事ではあります。

ただ、そこに固定的な安定が生まれると、今度は執着心も芽生えてきて、更にはふんぞり返ったり、「俺こそが正しいのだ」と、断絶を生み出しかねません。



「確かにこの人は正しいことを言っているし、正しいことをやっているし、仕事は出来るかも知れないけれど、でも付き合いたくない」という人、あなたも経験ありませんか?

もしかしたら、自身がそうなっているかもしれません、これは私自身の自戒も込めて。



得意分野を持つ事は結構ですが、そこに「増上慢(ぞうじょうまん)」「執着(しゅうじゃく)」といった煩悩にやられてしまい、いけ好かない形で「得意になる」という在り方や態度を取る危険が御座います。



維摩居士の「得意分野を揺さぶる」という諭し方には、そのようになっていないかを顧みる機縁となり、「脚下照顧」を促すという作用があります。



得意分野を揺さぶる事によって、自分がその分野で創り上げた枠組みを解体して、再構築する事に繋がります。

維摩居士はブッダの弟子達に、思い込みや「自分が勝手に創り上げた正しさ」を、解体する揺さぶりをかけたのです。



そうすると、自分の最も得意な事で、柱ともなる部分を揺さぶられるわけですから、否が応でも自身と向き合い、解体と再構築を試みなければならなくなります。

実はこれが、得意分野を更に進化・深化させる事にも繋がりますし、自身を省みる事により、自己を調える事にも繋がるのです。



禅語に「百尺竿頭に須く歩を進め、十方世界に全身を現ずべし」とあります。

これは「無門関(むもんかん)」という公案集にある言葉で、「百尺竿頭に一歩を進む」という言葉で、覚えている人もいらっしゃるかもしれません。

私は、維摩経の弟子品の「得意分野を揺さぶる」という場面は、「百尺竿頭に一歩を進む」という、更に一歩進んで進化するという禅語の在り方も内包していると頂いております。



得意分野を揺さぶられ、否が応でも自己を顧みて、一旦今までのことを解体して、そこから再構築していく事は、更なる一歩を踏み出す事にも繋がりましょう。

揺さぶられているその時は、そりゃ辛いと思う事やしんどいという事もありましょうが、乗り越えた先には、深みが増しているような、そんな気が致します。

自身以外の得意分野を揺さぶる時は要注意!

ここで、注意事項をば。



維摩経の弟子品では、得意分野を揺さぶって、それが更なる深みある進化に繋がる、と申しました。

ここを上っ面だけなぞって、「そうか、相手の得意分野を揺さぶれば良いんだ」と考えて、いきなりやる、という人もいるかも知れません。

しかし、勘の鋭い人は、前半で富桜那さんと維摩居士のやり取り、自己と他者の観察の話をして、「対機説法・応病与薬・卒啄同時」と「智慧と慈悲の実践」の話をしたことから、ピンと来た事かと存じます。



相手の得意分野を揺さぶる、という行為や、進化を促す手法は、「対機説法」と「智慧と慈悲の実践」ありきです。



これをすっ飛ばして、「そうか、維摩居士のように得意分野を揺さぶれば良いんだ、よし、やるぞ!」と、いきなり相手の得意分野を揺さぶる輩は、ただの嫌な奴にしか見えませんから、嫌われまっせ。

いや、ほんと、いるんですよ、維摩経を読んだからではないと思いますが、そういうことをやらかす餓鬼畜生が。

私もね、「それじゃ駄目だな。」とか言われて、「何がどのように駄目で、具体的な対策まで知りたいですなあ。」と返すと、途端に口ごもる輩もおったもんですよ。



得意分野を揺さぶるには、対機説法と「智慧と慈悲」に加えて、時節・タイミングも考慮することが肝要です。



そして、更に注意申し上げたい事として、次の事が御座います。



得意分野を揺さぶる相手の状態も、きちんと見極めないと、最悪、命に関わります。



大切な事ですから、もう一度言います、文字を赤くして目に付きやすくした状態で、再度言います。



大げさではなく、得意分野を揺さぶる相手の状態を観察せず、きちんと見極めた上でないと、最悪の場合、人の命を奪う仏罰ものの罪悪をやらかす事になります。



例えば、鬱状態の人や、うつ病等からようやく動き出せる人に対して、上手に事を成せるようになってきた時や、その人が得意な事ができている時に、それを揺さぶったらどうなるか。

大変危険な事になりかねないという事が、想像出来ましょうか。



想像出来ないのであれば、間違ってもコンサルタントやコーチをやってはいけません。

仏法から観ても王法(法律)からみても、人としても踏み外すことになりますから。

想像出来ないから悪いとか、消えてなくなれとは言っておりませんから、そこを早とちりしないように。

想像出来ないなら適正が無い、と言うだけの話です。



維摩経を読んで、それを実践するのは結構ですが、上っ面だけ読んで実践する事無きよう、という事を、注意事項として申し上げておきます。



これは、私自身の戒めでもあります。

私もついつい「仏教ではこういうから云々」と、法然上人が戒めて下さる「三つの髻」によって、やらかしてしまうことがしばしば御座いますからね。

私も修行が足りません、修行が、足りない、ゆえに、念仏道場や寺へ赴き、仏法を頂き続けて勤行し続けておる次第で御座います。


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現代社会で維摩経を読む意味

今回は、「100分de名著:維摩経」を視聴して、そこから頂いた智慧や学びの補足と注意事項をお伝え致しました。



維摩経は、現代社会を生きる私達にとっても、常識や現在の状態を揺さぶる力が御座います。

ここに、仏教の面白さと怖さや「ヤバさ」が、垣間見られます。

それゆえに、注意しないと、価値観や日常での在り方を簡単にひっくり返したり、ヤバさに当てられて飲み込まれてしまいます。

現代社会においては、「得意分野を活かせ、得意分野を褒めて伸ばせ」という言説が広まっていると感じておるのですが、維摩経はそこを揺さぶってきますからね。



自主進化を大切にしている人にとっては、非常に力となってくれる維摩経。

固定化してしまった自身を、一旦解体して再構築する智慧を、授けてくれる名著でると、維摩経を味わい、頂いております。

しかし、一歩間違えれば、上でお伝えしました通り、他者を追い込みかねない使い方も出来てしまいます。

この辺り、きちんと注意しながら、維摩経という名著を、自覚的に読み進めたいものであります。



このように偉そうに宣っておりますが、私も全然読めてはおりませんがね。

確かに何度か読んでおりますが、「読んでいるだけ」で、活かせているかというと、にんともかんとも、出来ておらんだろう、と感じます。

このような自戒も含めて、改めて「100分de名著:維摩経」に学び、味わい、仏道を歩み続ける次第で御座います。



尚、今回の話と関連して、「100分de名著:維摩経」の予習や復習も、併せて読んで頂くことで、より理解が深まるかと存じます。



参照記事:「100分de名著テキスト「維摩経(釈徹宗さん)」読書感想文|本放送・再放送前の予習をしました」

参照記事2:「NHK100分de名著「維摩経」(釈徹宗さん解説)第1回の放送を視聴しての復習と感想文」

参照記事3:「100分de名著:維摩経(釈徹宗さん解説)第2回放送の復習|得意分野を揺さぶる」



維摩経は、読み物としても面白く、また、構成も見事であるというお味わいを、頂いております。



物語を書く人にとっても、味わいのある名著ではなかろうかと思います、今日この頃に御座います。



合掌、礼拝

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